1
──朝、六時少し前。
いつもの時間に目が覚めた。
ブラック企業に勤めていた頃の習慣で、オレはこの時間に目が覚める。
あの頃は、ああ、朝が来ちゃったよ…と身も心も重く感じながら布団から這い出ていたけど、今は違う。
第一の霊鎖が解けてから、目覚めはすっきりとしたものになった。
洗面所に行くとミナがいる。彼女は日の出頃に起きて剣の稽古をしているのだ。
「おはよう、ミナ」
「おはよう、ハジメ」
ミナの、ちょっと舌足らずでかわいい声に、じんわり胸の奥があったかくなる。
朝の「おはよう」を言う相手がいるっていいものだな。一日のはじまりが嬉しいのはいいものだ。
顔を洗ってキッチンに向かい、朝食を作る。
今日はミナにはじめて米のメシを食べてもらう。
一瞬、納豆を出してみようか…と悪戯心を起こしたけど、はじめての日にはマズいだろうと思い直した。
ご飯が炊けるのを待って、小松菜のおひたしを作る。小松菜は根本にある砂を洗い落とすのがめんどくさいという人がいるけど、オレはこういう野菜を洗ったり、皮を剥いたりする作業が好きなんだよな。
洗った小松菜を軽く湯がく。あら熱を取る間に二品目、玉子焼きを作る。
ミナは甘いのとそうでないの、どっちが好みだろうか?
ちょっと考えて、両方作ることにした。
四角い卵焼き器で、まずは甘いほうの玉子焼きを作る。油をしいて、砂糖をちょい多めに入れて攪拌した玉子を流し入れる。
じゅわぁ…と玉子が焼けるいいにおいが立ち上る。すぐに火を弱めて、端から巻いて行く。フライパンの形を利用して形を整える……よし、うまくいった!
同じようにして、甘くないほうの玉子焼きを作る。こっちは砂糖の代わりにみりんを使い、顆粒出汁で作った出汁を入れただし巻き玉子だ。見分けが付くように小ネギを刻んだものを入れてっと…よし、こっちもイイ感じで出来た!
「お待たせ」
二種の玉子焼きと小松菜のおひたし、みそ汁は生味噌の即席のものにネギをちらしたものだ。玉子焼きが二種あるから、これも一汁三菜かな?
「ニホンではコメをこのようにして食べるのか!」
茶碗に盛った米の飯を見て、ミナは目を輝かせた。
「「いただきます」」
二人、声を揃えて箸を手に取る。
何日か前、食事の前の「いただきます」についてミナに説明したら、彼女は「美しい習慣だな」と、一緒に言うようになった。
ちなみに箸も、使い方を教えたらすぐにマスターした。ミナが不器用になるのはキッチンだけらしい。
「むっ!」
みそ汁を手にしたミナの表情が固まった。
「このスープはなんだ? 腐っていないか?」
あ、ミナはみそ汁もはじめてだったか。
味噌のない文化圏の人には、みそ汁が苦手な人がいるんだった。
戦時中、日本の捕虜になった欧米人の中に、みそ汁を「嫌がらせで腐ったスープを出された」と勘違いした人がいたとか。これは思わぬ落とし穴だ。
「これは味噌っていう、大豆を発酵したもので作ったスープなんだ」
「そ、そうなのか?」
じぃ…っと手に持ったみそ汁を見るミナ。
「無理しなくていいよ? こういうの文化の違いだし──」
「いいや!」
オレの声を遮ってミナは叫んだ。
「私は帝国の剣聖! 自ら望んだ勝負に背を向けはしない!」
と、萌えボイスで叫んだ。
いつから勝負になったんだろうか。ていうか額に汗かいているし。そんなに味噌のにおいは合わないのか?
ミナは何度か深呼吸すると、目を閉じてみそ汁の椀に口をつけ──
「……っ!」
くわっと目を見開いた、
「み、ミナ?」
「うむ。ちとクセはあるが、これはこれで」
と、笑顔でみそ汁を飲んだ。
オレは、ほっとすると同時に、納豆は当分止めておこう、と思った。
2
──九時。
朝食が終わり、一休みしたところでオレの魔法修行がはじまる。
ミナと二人、あとクマちゃんで庭に出る。
「第一の霊鎖は解けた。覚醒の第一段階だ。しかしこれははじまりですらない」
今のミナはジャージ姿で金髪をツインテに結っている。運動部の部活少女というより女子マネみたいって思えるのは、彼女の声がいわゆる萌えボイスだからか。
「聞いているのか?」
「き、聞いてます!」
ミナがずいっと顔を近づけたのでオレは慌てた。運動する前から胸がドキドキしてしまう。
「続けるぞ。覚醒の第一段階は、内なる力を効率よく使えるようになっただけだ。第二段階以降では、世界に満ちる力を己が力として使うことができるようになる。これが魔法だ」
「世界に満ちる力、それが魔力?」
「その通り。ジョージから聞いたが、この世界に〈気〉やフォースという概念があるそうだな。おそらく同じものだろうな」
なるほど。魔力は〈気〉か。
世界に満ちるエネルギーって聞くと疑似科学みたいでうさんくさく思うけど、〈気〉と言われると納得してしまう。フォースと言われると、途端に厨二病っぽくなるけど。
「では、本日より、第二の霊鎖を解くための修行をはじめる」
「よろしくお願いいたします」
「そう緊張するな」
ミナが苦笑する。
緊張するなと言われても緊張するよ。
さっきミナは言った。「はじまりですらない」と。
第一の霊鎖の時でもスパルタ特訓だったんだ。どんなことをさせらるのか…‥。
「まずはそこに座れ。目を閉じてリラックスしろ。呼吸はゆっくりと、深くだ」
「……もしかして瞑想?」
「そうだ。第二の霊鎖を解くには、自分の内なる力を感じることが必要なんだ」
「わかった」
ランニングマシン(電撃付き)とか、クマちゃんにひたすら殴られるとかでなくて、オレはほっとした。
ミナに言われた通り、目を閉じ、呼吸をゆっくり、深くする。
「呼吸のリズムが整っていないな。私の呼吸に合わせろ」
そう言うと、ミナがオレのすぐ前に座った。
第一の霊鎖を解いたおかけで、目を閉じていてもそれがわかる。
すぅ……はぁ‥…。
ミナの呼吸音が聞こえる。彼女は息する音までかわいくて美しい。
はぁ…‥すぅ……。
……あと、エロい。
女の子の吐息である。そこに色気を感じるのは男子として当然だ。ましてミナだから。
「……ハジメ」
「は、はいっ!」
いきなり名前を呼ばれて裏返った声を上げてしまう。
「固くならず、もっとリラックスしろ」
と、言われても、ミナの吐息を聞いていたら、とてもリラックスなんか……。
「自分の内にある流れを感じるんだ」
そんなこと言われても、ミナの吐息でオレの頭はいっぱいだ。
ダメだ。こんなことじゃミナに申し訳ない。
煩悩を振り払って、自分の内面に集中するんだ!
そう思ったのに、何故かミナの変身シーンを思い出してしまった!
足下にある魔法陣からの光の中、シルエットとなって浮かぶミナの裸身──
「どうだ? 何か感じられたか?」
「え、えっと…光が見えた…と思う」
あわてて、デマカセを言ってしまう。
「なるほど、光か」
ミナが目を開いた気配がして、オレも目を開いた。ミナはオレと向き合う形で、一メートルほど先に座っていた。
「魔法──第二の霊鎖を解放して得られる力には、個性がある」
ふむふむという感じでミナが言う。
「個性? 固有スキルみたいなものかな?」
ファンタジーもののお約束ネタの一つだ。特別なスキル、チートスキルというヤツで無双するアレだ。
「まさか。オレにそんな特別な力があるわけないよ」
「いや、ハジメの第一の霊鎖は変わった色をしていた。第二の霊鎖が解けた時、ハジメにどのような力が発現するか楽しみだな」
そう言ってミナは笑った。
期待されている。今さらデマカセだったとは言えない。
特別なものじゃなくていい。目覚めるスキルが、ミナをがっかりさせませんように…!
と、オレはアインシュタインに祈ったのだった。