1
スマホの画面の中、針みたいに細い瞳を持つ眼が現れ、ぎょろりとオレを見た。
「……うわぁ!!」
悲鳴を上げてスマホを放り出す。
まさかオレのスマホに取り憑いていたとは!
スマホが地面に転がると同時に、紙袋からクマちゃんが飛び出した。
短い腕を振り上げ、地面に転がったスマホに飛びかかる。
しかしクマちゃんはスマホを殴らず、そのそばに着地した。
「どうした?」
クマちゃんが振り向いて首を振った。
「もういない? 逃げたのか?」
電動ハンマの時みたいに、スマホから抜け出す姿は見えなかったぞ。いや、あの時姿を見せたのは、クマちゃんに一撃食らっていたからか。
「ど、どこだ?」
オレは用心して周りを見回した。
車道に何台も車が走っているが、今のところ、おかしな様子のものはない。
用心して車道からなるべく距離を取り、歩道の端へと寄る。すると──
ぐぉおーん…という振動音が、すぐそばでした。
ぎょっとして横を見ると、自販機があった。
コンプレッサーが立てる音だろう。あれって、急に大きくなることがあるんだよね。
……まさか、自販機に憑依した?
オレは慌てて自販機から離れた。
それはないか。
自販機には動く場所はない。第一、本体はボルトでコンクリに固定されているんだ。憑依したとしても、何もできないだろう。そう思った時だった──
みしっ…! という何かが軋むような音がした。続いてパリっ! と固いものが割れる音。
自販機が動いている!
ぶるぶる四角い本体を震わせながら、泥に埋まった足を引っこ抜くみたいに、コンクリから固定ボルトを引き抜いた。抜いたボルトを足にして、自販機がよちよちとオレに向かって歩いて来る!
取り出し口がぐにゃりと曲がり、笑った口みたいな形になった。
化け物だ。ほんとに機械の化け物になっている!
クマちゃんが拳を振り上げ、機械の化け物と化した自販機に殴りかかった。
ガラララっ! という音が鳴り、自販機の取り出し口から何かが発射された。缶入りのドリンクだ。コーヒー缶、炭酸飲料の缶が機関銃のように放たれる。
「クマちゃん!」
缶飲料の弾幕の前に、クマちゃんが撃墜され、歩道に転がった。
商品陳列のライトとボタンをチカチカと点滅させ、自販機がオレのほうを向いた。
ガラララっ! と発射音が鳴り、缶飲料が放たれる。
「うわわわっ!」
悲鳴を上げながら、しかしオレの身体は勝手に動いていた。
横っ飛びに三メートルは飛んでかわす。外れたスチール缶とアルミ缶の弾丸は、都道と並行して走るモノレールの支柱に当たって弾け、黒や茶色や緑の中身をぶちまけた。
自販機グリムリが、驚いた、というように商品棚の辺りが明滅した。
オレだってびっくりだ。まさかかわせるなんて思わなかった。
──これが覚醒か。
第一の霊鎖を解いたオレは、身体能力、動体視力、反射神経そのすべてが大きくアップしているのだ。
缶コーヒーのショート缶、フルーツ系のボトル缶、炭酸飲料の三五〇ミリ缶と五〇〇ミリのペットボトルが機銃弾のように吐き出される。
二度、三度、とオレはかわし続けた。
正面にさえ立たなければ……!
と思った時だ。自販機の商品陳列のライトが激しく光った!
「なっ!?」
LEDライトなのにカメラのフラッシュみたいな閃光だった。眩しさに目が眩み、視界が霞む。
ヤバい…! 本気でそう思った時──
「ハジメ!」
ミナの叫ぶ声がした。
2
「頭を下げろ!」
後ろからミナの叫ぶ声。考える前に、オレはしゃがんでいた。
その直後、オレの頭の上を、何かがものすごい速度で通りすぎた。
続いて、がしゃーん! と金属がひしゃげるものすごい音がした。ミナが自販機グリムリに跳び蹴りを食らわせたのだ。
オレは頭を振り、何度かまばたきをした。
戻った視界で見ると、四角い自販機が「くの字」に折れ曲がり、転がっていた。とんでもない破壊力だ。
自販機のLEDライトやボタンがチカチカ点滅している。
それがふっと消えた時、自販機の中から、半透明の悪魔──グリムリが抜け出てきた。
「しゃあああっ!」
グリムリは苦痛とも威嚇ともとれる叫びを発し、空高く飛び立った。
「逃さん!」
ミナが転がった缶コーヒーを手に取ると、それをグリムリに向けた。
次の瞬間、スチールのショート缶が砲弾のように放たれた。投げたんじゃない。ミナの手の中に発生した力で発射されたのだ。まるでレールガンだ。
空高く舞い上がったグリムリの背に缶コーヒーが直撃! 破裂した缶の中身が黒い霧みたいに空中に広がる。まさに砲弾だ。
「ぎやっ!」
短い悲鳴を発してグリムリは、その下にある駐車場に落下した。
「やったか?」
「いや浅い。トドメを刺すぞ」
ミナは答えると、駐車場に向かって走った。慌ててオレも後に続く。
グリムリが落下した駐車場は、オレたちが合流ポイントとしていた場所だ。
二〇台くらい停められる広さだが、今は平日の午後、半分もうまっていない。
「どこだ?」
駐車場に入ったけど、落下したはずのグリムリの姿がなかった。霊体化してステルス状態にあるのか、それとも……。
「油断するなよハジメ」
ミナが言った時、駐車場の入り口に、息を切らしたジョージが現れた。
「ぶ、無事か? イッチ」
ゼイゼイと息を切らしジョージが言う。こいつオレ以上に運動が苦手だからな。
「中に入るな。ヤツはまだ生きている」
オレの声に、ジョージがびくっと足を止めた。
「……どこにいるんだ?」
「わからない……」
ジョージにオレが応えた時だ。
キュルル…というセルモーター音が上がった。車のエンジンをかける音だ。
誰かが車を出そうとしている?
いや違う、動き出したのはジョージのクリッパーバンだ!
「ミナ!」
「下がれ! ヤツがジョージの車に取り憑いた!」
ギャギャギャッ! とハリウッドのアクション映画みたいにタイヤを空転させた後、クリッパーバンが突進してきた。
オレとミナは左右に分かれて突進をかわした。かわされたミニバンは駐車場の端、ギリギリのところでドリフトしながらターンした。
グリムリの魔力か、クリッパーバンとは思えない加速と旋回だ。
オレたちのほうを向いたクリッパーバンから、金属が軋むイヤな音が鳴った。
「オレの車ぁあああ!?」
ジョージが絶叫した。
ミニバンの形が歪んでゆく。
フロントバンパーの辺りが、横にギザキザに裂けた。いや違う、口だ。ギザキザの裂け目と見えたのは鋭いキバだった。ライトがつり上がり、肉食獣のような目になった。ボディ側面、天井が割れたかと思う、それが鋭いヒレやトゲとなった。
四角くてユーモラスなクリッパーバンが、おそろしい怪物に変貌していた。
「往生際の悪い奴めっ!」
ミナは吐き捨てるように言うと、左手の人差し指と中指を揃えて立て、それを自分の額に当てた。
ミナの足下に光る魔法陣が現れた。この魔法陣の光は強く、その中のミナはシルエットだけしか見えない。
「え?」
光の中、ミナの服が消えた! シルエットだけしか見えないけど、まばゆい光の中、ミナは何も身に着けていない。
でも、それは一瞬のことで、光はさらに輝きを増し、ミナの姿は見えなくなった。そして──
光が消えた時、そこには甲冑に身を固め、大きな剣を手にしたミナの姿があった。
3
「「魔法少女かよ!」」
オレとジョージが同時に叫んだ。
まさに姫騎士という姿になったミナ。髪はツインテのままだが元のブロンドに戻っていた。
ミナは怪物と化したクリッパーバンをにらみ、
「世を乱す、異形のものめ。許さん!」
揃えた二本の指で、すっと剣をなでた。
すると刀身が青白い光りを放った。魔力を剣に乗せて使うという技だ。でも、前に見たものとは少し違うような…?
いや、そんなことは問題じゃない。
ミナが魔力を乗せた剣、その威力は五〇〇ポンド航空爆弾に匹敵するのだ。
「そんなもの、ここで使ったら──」
オレの叫びは間に合わなかった。
グリムリが取り憑いて怪物化したクリッパーバン──略してグリッパーバンが、咆吼のようにクラクションを鳴らし、ミナに突進してきたのだ。
突進するグリッパーバンを、ミナはひらりと紙一重でかわすと、
「ッ!」
無言の気合いと共に青白く輝く剣を振るった。
青く輝く刀身が、怪物化したミニバンを斬り裂く!
「ぎぇえええっ!」
断末魔の叫びが上げった。だがグリッパーバンの勢いは止まらず、駐車場端のビルの壁に激突、フロントがつぶれてガラスが砕けて飛び散った。
アクション映画みたいに爆発するか…と、一瞬、期待したけど、そんなことはなかった。
かわりに、金属が軋むイヤな音が上がり、怪物化していた姿が元に戻ってゆく。数秒で、グリッパーバンは前半分がひしゃげてスクラップ同然のクリッパーバンとなっていた。
しかしそこにはミナが斬り裂いた跡はなかった。
「今、車を斬ったよね? どうして斬った跡がないんだ?」
「剣を霊体化し、取り憑いたグリムリだけを斬ったのだ」
オレの問いにミナが答える。
そうか。前に見た時となんか違うと思ったけど、今回のは霊体化した敵だけを斬るモードだったのか。
「オレの車ぁあああ」
ジョージが泣きそうな声でつぶやいた。
何年も乗った車だからな。それがこんな姿になって気の毒だ。
いや、それよりも、この惨状をなんとかしないと。
スクラップ同然になったクリッパーバンやさっきの自販機を放置していたら、騒ぎになるに決まっている。
でも、こんなのどうしたらいいんだ? レッカーでも呼ぶ? いや、そんなことしたら騒ぎが大きくなるだけだ。
でも放置して逃げたら、車からジョージの身元がバレてしまう。
ジョージへの同情とこの始末についてオレが悩んでいると、
「少し待て」
と、ミナが壊れたクリッパーバンに手をかざした。すると、壊れた箇所に光る魔法陣が現れた。
「おおお…っ!?」
みるみるクリッパーバンが元に戻ってゆく。
砕け散ったフロントグラスが吸い寄せられるように枠に集まり、合体する。ヘコみはふくらみ、裂けた場所がくっついてゆく。まるで逆再生の動画を見てるみたいだ。
ついでにクリッパーバンがぶつかったビルの壁も元に戻っていた。
「物には存在の記憶がある。それを元に修復したのだ」
驚きに声もないオレたちに、ミナが言う。
「ただ、私はこの手の魔法が苦手でな。完璧に元通りとは行かぬ。許してほしい」
いわれてみれば、あちこちの塗装がはげてたり、小さなヘコみが残っていたりする。でもそれはよくよく注意して見ないとわからないほどの些細なキズだった。
「これで十分です! さすがは姫! 感服いたしました!」
ジョージが歓喜の声を上げた。
その時、オレは人の気配を感じた。
駐車場の入り口に、何人もの人たちが集まって来ている。通行人かあるいは駐車場に車を止めていた人か。
「さっきの見られた?」
「それはない。彼らが来たのはつい、今しがただ」
ミナが断言する。
グリッパーバンとの戦いや、ミナが魔法で車を直すとこは見られていないか。
では、何故連中はこっちを見てる? 指差しているヤツもいるし……。
「ミナだ!」
金髪グラマーな美少女が、ファンタジーな姫騎士の格好して大きな剣を持っているのだ。注目されるのは当たり前だ。
「ミナ! 元に戻って!」
「無理だ。装備召喚は一方通行なんだ」
変身するけど元には戻れない魔法少女だなんて……不便だ。
「イッチ、かくなる上は」
「ああ」
ジョージとオレは顔を見合わせると、
「ズラかるぞ!」
ミナと剣をクリッパーバンに押し込むと、オレたちは一目散に駐車場から逃げ出した。