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#18.一見、何事もない風景



     1



 その日の昼食はカブとベーコンを炒めたものに、小松菜とミニトマトの洋風おひたし、コンビニで買ったフランスパンにした。


「ハジメはすごいな。同じ食材を使って、毎回違う料理を作るとは」


 食べながら、ミナは感心した。


 ほめられることよりも、にこにこと笑顔で食べてもらうことが嬉しい。


「午後から、しばらく留守にするよ」


 オレは、車を買うための準備として、先に警察署で車庫証明の書類をもらっておこうと考えた。

 ディーラーが代行してくれるところもあれば、今はネットでの手続きもできるのだけど、ついでにジョージの所へ行こうと考えていた。


 ──ジョージの店でパワーのある工具を買い、それで第一の霊鎖を断ち切る。


 それがメインの目的だった。


 偶然、俺自身の体液がついた物なら霊鎖に触れられることがわかった。うまくすれば特訓せずに霊鎖を解けるかもしれない。


 問題はミナである。

 このマジメっ子が裏技で霊鎖を解くことを知ったら、きっと反対するだろう。


 どうやってミナに留守番してもらおうか……。


「警察か。私は遠慮しよう」


 なんと! ミナから留守番を申し出てくれた。ラッキー!


「代わりにクマちゃんを連れて行け」

「こいつを?」


 オレたちの隣で、ヤツはノートPCで動画を見ていた。


 教えもしないのにパスワードを入力し、動画サイトを開くのには驚いた。

 パスワードは、ヤツがオレの霊体をコピーした関係で知っていたのかもしれないけど、あのヌイグルミの手でどうしてキーボードが操作できるんだ?


「いざという時には役に立つはずだ」

「ほんとに?」


 オレたちの会話に、クマちゃんは、「任せろ」というふうに胸をたたいた。なんかイラっと来た。


 まあ、戦闘力ならオレよりは高いか。


「そうだ。帰ったら防犯カメラについて詳しく教えてくれ」


 とミナが言い出した。


「街に出る度、気にしていては落ち着かないからな。何か対策ができるか考えてみたい」

「対策って、魔法で?」


 大丈夫かな? 魔法でショートさせたり、爆発させたりするんじゃないだろうな?


 不安が顔に出ていたのだろう。オレの顔を見てミナは、


「壊すわけではないぞ? 私だって日々こちらの世界のことを学んでいるのだ」


 と、口を尖らせた。


 そういうことなら、ついでに防犯カメラを買ってこようか。

 シンプルなヤツなら家電量販店にある。通販番組なんかでよく紹介されている、工事不用のタイプだ。

 そうだ。ジョージの店にもあるかもしれない。ついでに聞いてみよう。


「それじゃ、行ってくるよ」

「うむ、戦果に期待する」


 これはミナなりの「行ってらっしゃい」である。


 じーん…と胸が熱くなった。


 誰かに「行ってらっしゃい」って言ってもらうのって、こんなにも嬉しいものだったんだ。


 オレが感動に浸っていると、手に提げた紙袋がもぞもぞと動いた。

 クマちゃんである。


 こいつをそのまま持ち歩くのは目立つし、何より男子のオレがこんなの抱いて持ち歩いたら笑われるに決まっている。

 なので、先日、ミナの服を買った時の紙袋に入れてゆくことにしたのだ。


「人前で動くなよ? 目立つ行為は厳禁! だからな」


 オレの警告に、クマちゃんはびしっと敬礼して返した。


 オレのことナメてやがるな。くそう。



     2



 家を出たオレは、駅のほうへと向かった。

 七、八分も歩くと、モノレールの高架とその下にある青と黄色のビルが見えて来る。


 IKEAである。

 家具、インテリアの大型店だけど、リーズナブルなソフトクリームやホットドッグが売られていることでも有名だ。


 いつかミナを連れて来たいな。

 などと考えながら、青と黄色のビルの向こう側へと回る。


 最初の目的地、太刀川署はそこにあった。

 かなり大きな建物ビルだ。

 ネットで調べたところによると、太刀川署は警視庁第八方面部の本部があるとかで、署員数は約五〇〇人だという。デカいわけである。


 中に入り、車の車庫証明に必要な書類一式をもらう。

 ここで書くより、ジョージのところでヤツと相談しながら書くか。


 そう考えながら、オレは何気ないふうで署内を見回した。

 ミナの指名手配の写真とかが張られていないか気になっていたのだ。


「やっぱないか」


 しかし、そんな張り紙とかはなかった。

 ニュースじゃ「警察は行方を追っている」と言っていたけど、別に凶悪事件ってほどのものじゃない。

 警察もそこまでヒマじゃないだろうし。


 ほっとして出口へ向かおうと、オレは振り向いた。


「あ」

「おっと」


 スーツ姿の年配の人とぶつかりそうになった。


「どうも」

「失礼」


 お互いに謝る。オレは道を開けようと横に退けたが──


「あ」

「おっと」


 お互いに同じ方に避けてしまった。


「すいません」

「失礼」


 と、道を譲ろうとして、また同じ方に。サッカーかバスケでディフェンスしてるみたいだ。いやコントである。

 思わず、二人して苦笑してしまう。


 オレは左足を軸に身体を半回転させ、年配の人に道を空けた。


「すまんね」


 オレの前を通りすぎようとして、突然、オジサンは足を止めた。


「あんた……」

「はい?」


 なんでかその人は、オレをまじまじと見つめた。


「あのう……」


 オレが何か? と言いかけた時、


「いや、なんでもない。失礼した」


 と、言うと、俺の前を通り抜けていった。


 ──今のオジサン、もしかして刑事?


 そんなことを考え、緊張したオレの背中に、


「碇屋さん、どうかしたんですか?」

「いや、今時の若いモンの服ってどれも同じに見えてな」


 という、若い人とオジサンの会話が聞こえてきた。


 なんだ服を気にしていたのか? それとも同じ服を着た知り合いと見間違えたのかな。


 ふう、と思わずため息をついた。


 警察署にいる人みんなが刑事ってわけじゃない。

 刑事だったとしても、オレが捜査される理由は思いつかない。


 ミナを匿っている後ろめたさ、みたいなものがあるのかな。自意識過剰だぞ、自分。



     3



 太刀川署を出たオレは、駅へと向かった。

 ジョージの店がある小金井市に行くためである。


 二〇分以上歩いていたけど、全然息は上がっていない。

 毎日の修行の成果だろうか。


 しばらくして、駅を囲むような陸橋が見えて来た。


 道路を行く車。歩道や陸橋を歩く人々。午後の駅前は、いつもと変わらない。でも──


 ──この辺りに魔物が潜んでいるんだ。


 一見、いつもと変わらない平和な風景。

 でも、ミナはこれまでに二度、魔物の気配を感じとっていた。最初は北口で。そして昨日は南口付近で。


 ミナの世界からこちらの世界に紛れ込んだ魔物。それがどんなヤツかはまだわからない。

 わからないといえば、駅周辺にいるのも謎だ。この辺りに、魔物の興味を引くものでもあるんだろうか。


「あれ?」


 いつもと違うものがあった。

 交差点のひとつで、信号機の取り付け作業をしていた。


 信号機の取り付け作業なんて、はじめて見たかも。


 クレーン車がつり上げた信号機を、高所作業車のゴンドラに入った作業員が取り付けている。

 二一世紀でも、ああいう作業は人がやるんだな。そんなことを考えていると、


「あら、あなた」


 女性の声がした。振り向くと、金縁メガネをかけたスーツ姿の女性がいた。


「えっと、エリカさん?」


 そう、その人は高級ランジェリーショップの店員のエリカさんだった。


「今日、あのカノジョさんは?」


 レンズの向こうの眼を期待に輝かせ、エリカさんが言う。


「えっと、用事がありまして……」


 警察に行くのを遠慮した、とは言えない。


「残念……」

「事故でもあったんですか?」


 ガッカリするエリカさんに、オレは信号機のほうを見て尋ねた。


「さあ? 昨日、突然故障したみたいです。近頃、あちこちで多いみたいですよ。機械の故障」


 そこでエリカさんはオレの持っている紙袋に目をやった。


「カノジョさんへのプレゼント?」


 紙袋をのぞき込んだエリカさんは、


「くたびれたヌイグルミですね」


 と、クマちゃんを見て顔をしかめた。


「こればプレゼントではなく──うわっ!」


 オレが言い訳を言う間もなく、紙袋からクマちゃんが飛び出し、エリカさんに襲いかかった。くたびれたとか言われて怒ったのだ。


 間一髪! クマちゃんがエリカさんに飛びかかる前に、オレはヤツを空中でキャッチした。

 短い手足を振り回して暴れるクマのヌイグルミに、エリカさんが目を丸くしている。

 これはマズい!


「ヤイ! おれさまヲ、クタビレタト言っタナ! 許サナイゾ!」


 オレはとっさに裏声で言った。腹話術のつもりだ。


「こらこらレディに殴りかかるなんて感心しないぞ」

「ヤカマシイ! 侮辱ニハ拳ヲ! ソレガおれさまノ流儀ダ!」


 暴れるクマちゃんを必死でつかみながら、腹話術を続ける。


「侮辱って、くたびれているのはホントだろ──うぶっ! この野郎! いいかげんにしろ!」


 ヌイグルミの後ろ蹴りがオレの顔面にヒットした。オレはクマちゃんと取っ組み合いになった。


「私、仕事がありますので。失礼します」


 取っ組み合うオレたちを、冷たい眼で見下ろすと、エリカさんは去って行った。


 なんとか誤魔化すことはできたけど、エリカさんには、絶対、ヘンなヤツと認識されたに違いない。


 ていうか、他の通行人の人たちも、オレたちに目を合わせないように、でもちらちらと見ながらそそくさと歩き去って行くし。


 あああ…目立ってしまった! しかも最悪な目立ち方だ。


 クマちゃんもそれに気がついて、ぴょんと紙袋の中に戻った。


「今度人前で動いたら、袋のまま、川に捨ててやるからな!」


 オレは割と本気でそう思った。


 それが伝わったのだろう。クマちゃんは小さく頷いて、それから動かなくなった。

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