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#16.愛の一時を過ごす所



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 ──午後三時。オレとミナは太刀川駅前へと向かった。


「私がこの世界で最初に現れた場所を調べよう」

「それってどの辺り?」


 出かける前、ノートPCで立川駅周辺のマップを開いて尋ねた。


「ハジメの家から見て、駅の向こう側だ。多分、この辺りだろう」

「繁華街の外れ…かな?」


 立川駅の南側には「昭和の面影を残した」といわれる繁華街がある。

 ミナが指差したのはその繁華街の外れのほうだった。

 そういやニュースに出た、ミナがヤクザをたたきのめしている映像、あれも駅の南側だったか。


「魔物のことも気がかりだ」


 ミナは魔物のことも気にしていた。


「魔物がこちらの世界に来たのは、違法なマナウェルが作られたことが原因だ。同じ世界の人間として責任を感じている」


 自分が元の世界に還ることができる、多分唯一の方法である〈ゲート〉。それを見つけることよりも、ミナは魔物が来たことに責任を感じていた。

 こういうところは皇女だな。


 ミナのせいじゃないよ…と言いかけて、それでは慰めにならないと気づいた。

 こんな時は──


「魔物も〈ゲート〉を探してるかもしれないよ」


 オレはなるべく明るい声で言った。


「うまくすればどっちも見つかるかもしれない。オレとしては、魔物なんかと会いたくはないけど……」

「ありがとう」


 ミナはすまなそうに、でも、笑って言った。


「魔物と出くわしたとしても、今回は備えがある。安心しろ」

「できれば、派手な戦いはカンベンしてください」


 空気が軽くなったのを感じて、オレは冗談めかして言った。


「それは相手次第だな」


 そう言ってミナはニヤリと笑った。


 ……建物吹っ飛ばすとか、マジでやめてくださいね?


     ×   ×   ×


 数十分後、オレとミナは駅南側の繁華街へとやって来た。


 まだ夕方というには早い時間。飲み屋やキャバクラなどの大半の店は閉まっている。そのため人通りはあるのに、どこか活気がなくて雑然としていた。


 その通りを、オレとミナは並んで通り抜けていった。

 目的地はまだ先だ。


 ミナもこちらの世界にだいぶ慣れた様子で、「あれはなんだ?」とオレに質問したり、驚いて足を止めるということはなかった。

 時々、電柱や街路樹をぽんぽんとたたくなど余裕もある。


 今のミナはまた髪を魔法で黒く変え、ツインテールに結っていた。こうしているとパッと見には日本人に見える。


 ……セーラー服とか制服も似合いそうだよな。


 ふと、そんな妄想をしてしまう。


 妄想イメージの中のミナは、ブロンドの髪をツインテにしてセーラー服を着ている。豊かなバストで白のセーラー服が盛り上がり、短いスカートとニーソが作る絶対領域が目にまぶしい。

 大きな鞄を肩に掛けミナが電車に乗る。ツインテを揺らして通学路を歩き、友だちと朝の挨拶をしながら校門をくぐり、教室へ──


「ハジメ」


 ふいにミナが足を止めた。


「は、はいっ!」


 よこしま且つ健全な妄想をしていたオレは、思わず気をつけの姿勢で硬直した。


「ここだ。私がこの世界に来た場所は」

「ここって…!」


 オレは、その場所に言葉を失ってしまった。


 いつの間にか繁華街を抜け、オレたちは裏道に入っていた。


 そして目の前にあった建物、その表に次の標示があった。


 REST \4800-(税込み)

 STAY \7000-(税込み)


 これは、いわゆるラブホテルでは!



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「こ、ここがミナがこっちの世界に来た場所なの?」


 震える声でオレが尋ねた。


 思わず、辺りを見回してしまう。辺りは裏道というか住宅街で、目の前にはいわゆるラブホテルが建っていた。しかも、二軒並んでいるし。


「うむ、気がつくと、この辺りにいたのだ──ハジメ?」


 ミナの青い眼が「どうした?」というふうに細められた。


「な、なんでもないよ」


 息を整えながら、なんでもないフリをする。


 落ち着け、別にこれからミナと中に入るってわけじゃない。

 ここは住宅街。そう、ちょっとばかり特殊な建物があるだけの住宅街だ。


「えっと〈ゲート〉か魔物の気配はある?」


 なんとか気を落ち着け、オレは聞いた。


「今のところ、どちらの気配もないな」


 そう言ったミナは目の前のラブホを見て、


「この建物は、他とは雰囲気が違うな。どういうものだ?」


 と、聞いた。


「えっと…宿屋かな」

「ほう、それは好都合だ。日没まで、ここで様子を見よう」

「だ、ダメだよ!!」


 思わず大きな声で言ってしまう。言ってから、オレはあわてて両手で口を押さえた。


「宿屋なのだろう? 何がダメなのだ?」


 ミナが首を傾げる。

 納得できる説明をしろ、と青い瞳がオレを見ている。


「ここは…男と女が、その…アレをするために利用する場所でして……」

「アレとはなんだ?」


 ますます理解できない、という顔になるミナ。


 これは、言わないとダメか? 皇女さまに、異世界のプリンセスに言うのか? 言っていいのか? 直接的な言葉を!?

 オレはためらった。でも、言わないとミナは納得してくれない。


「あ…!」


 突然、小さくミナが叫んだ。


「もしやここは、男女が愛の一時を過ごすための宿か?」


 ラブホテルという和製英語をミナが的確且つ上品に訳した。

 理解してくれたか、とオレは大きくうなずいた。


「さすがに、困るな」


 頬を赤らめるミナ。しかしこの時のオレは、それをかわいいと思う余裕はなかった。


 ──気まずい沈黙。


 立ちつくす二人の横を、買い物帰りと思われるオバさんが「あらあら」という顔をして通りすぎていった。

 ラブホに入るのをためらっている初々しいバカップル…とでも思われたのだろうか。


「このままじゃ目立つよミナ」

「うむ…仕方ないな」


 と、ミナはラブホを見上げ、オレと腕を組んだ。

 まさか、入るの?



     3



「私から離れるなよ」


 そういうとミナは、左の人差し指と中指を揃えて立て、それを自分の額に当てた。

 魔法をかけるんだ、と思った直後、オレとミナの足下に光る魔法陣が現れた。


「これは?」


 魔法陣は現れたと思った途端、すぐに消えた。


「隠形の魔法をかけた。今、我らの姿は、他者の目に見えても認識はされない」

「ジョージとおばばが来た時に使った認識阻害魔法か」


 これならオレたちは透明人間と同じだ。しかし──


「車が来たよ」


 生活道路である。近くには駐車場もあって、ちょいちょい車がやって来る。

 オレたちは透明人間だけど幽霊じゃない。物理的な接触は防げない。見えてないぶん、むしろ危険だ。


「こっちだ。離れるなよハジメ」


 ミナがオレの右腕に腕をからませ、横道へと引っ張る。

 オレの右腕に、すごくやわらかいものが触れた。


 こ、ここここれは!?


「離れるなと言っている」


 思わず飛び退こうとしたオレの腕を、ミナががっちりと抱えた。

 腕に! オレの腕に、やわらかなかたまりがぁあああ!!


「隠形の魔法は範囲が狭い。ハジメが範囲外に出ると解けてしまうぞ」 


 そ、そうか。これは隠形ステルスを維持するのに必要なことなんだ。

 それに、こっちから触っているわけじゃないんだし。ミナのため、隠形を維持するため、この役得に耐えるんだ!


「何も感じないな」


 ミナがつぶやく。

 オレはむっちゃミナのやわらかさを感じているんだが。


「少し、辺りを歩くぞ」


 と、ミナはオレと腕を組んだまま、ゆっくりと歩き出した。


 二軒並んだラブホの周囲を歩く。ミナは目を半眼にして〈ゲート〉か魔物の気配を探っている。

 一方、オレはといえば、何も考えられない有様だった。


 グラマー美少女と密着して、腕を組んでいるのだ。


 ミナの体温が腕から伝わって来る。彼女の息づかいが微かに聞こえる。そして時々触れる、彼女のやわらかなふくらみ……。


「どうしたハジメ? 息が荒いぞ?」

「だ、大丈夫だよ」


 まるで気にしていないミナ。

 その無自覚、ピュアさに罪悪感がわき上がる。同時に、こんな無垢な子と合法的な濃厚接触をしていることに背徳的な悦びも感じているオレがいる。


 ヤバい。


 ミナのやわらかい身体を、もっと触りたいという欲求がムクムクと頭をもたげてくる。


 ダメだ! それをやったらチカンと同じだ。チカン! ダメ! 絶対!!


 ていうか、ミナを怒らせたら一刀両断だぞ。いや今は拳だから一撃粉砕か?


 それ以前に、ミナに嫌われたくない。最低、と蔑まれたくない。


 ……でも。


 ミナに冷たい眼で見下されたら、それはそれで快感なような……。


 欲望と理性、妄想と良識が、オレの中でせめぎあう。

 顔が熱い。頭がぼうっとする。心臓は、もう爆発しそうなほどドキドキしている。


「ぶはぁ!」


 ラブホの周りを何周かしたところで、オレは大きく息を吐いてミナから離れた。


「どうしたハジメ?」

「ちょっと、頭と心臓が……」


 あのままでは、理性が崩壊するか興奮で脳と心臓が破裂しかねない。


「あ──」


 突然、ミナは小さく叫んだ。

 密着しすぎていたことに、ようやく気づいたようだ。


「そうか、すまなかったな」


 そして顔を赤らめ、オレに背中を向けた。


 その愛らしさに、またオレの心臓は高鳴った。


 今度はキュン死しそう……



     4



 駅の近くに来た頃、陽は落ちて、遠くの空に赤い光が少し残るだけになっていた。

 代わりに街にはLEDの街灯とネオンがあふれている。

 その中を、オレはミナと並んで歩いていた。


 あのあとすぐ、ミナは調査を切り上げると宣言した。

 〈ゲート〉も魔物の気配も感じることはなかったからだ。


「ハジメの第一の霊鎖が外れていればな。隠形の魔法を貸すことができたのだが」


 ちょっとふくれた顔でミナが言った。

 調査に夢中で、オレと密着したことに照れているのだ。オレもオレでちょっと気まずい。


「霊鎖を解くことがミナのためにもなるのか。頑張らないとな!」


 などと心にもないことを言ってしまった。


「では明日もビシビシやるぞ!」

「うぇえええ」


 そしてオレたちは笑い合った。


 それにしても、オレが霊鎖を解くのはいつになるのだろうか。

 それより、車を手に入れた方がミナの調査には役立つだろう。

 そんな日和ったことを考えた時だ。ミナが突然、足を止めた。


「……魔物の気配だ」

「マジで?」


 もう駅のすぐそば、大型商業施設が立ち並ぶ場所だった。帰宅ラッシュがはじまった頃で、道は人であふれている。


「隠形に長けた魔物だ。それとも霊体化しているのか?」


 そう言ってミナは油断なく、周囲に目を配る。オレも思わず、周りをきょろきょろ見回すと──


 ビルの大型ビジョンに巨大な眼が現れた。


「げっ!」


 でもそれは目薬のCMで、あの眼じゃなかった。まぎらわしいなぁ、もう。


 そもそも、あれは本当に魔物の眼だったのだろうか? オレが勝手にそう思っているだけかもしれない。


「むっ」


 はっとしてミナが振り向いた。オレもあわてて同じほうを見たが。


 ……何もない。


 視線の先にあるビル、そのフロアの一つで人が慌ただしく動いている。しかし魔物が暴れたとかじゃない。オフィス機器にトラブルでもあった雰囲気だ。


「気配が消えた。逃げたな」


 そう言うとミナは緊張を解いた。

 オレもほっとして、大きなため息をついた。


「ミナとバトルにならなくて良かったよ」


 そんなことになったら駅前は大惨事だ。犠牲者もいっぱい出ただろう。

 そう考えて、オレは疑問を持った。


「ミナの世界の魔物って人を襲ったりしないのかな?」


 人間を喰ったりとかするヤツなら、とっくに騒ぎになっているだろう。

 魔物の存在を知ってから、オレはネットニュースを頻繁にみるようにしているが、この太刀川でその手のニュースはない。

 事件らしい事件は、ミナがヤクザたちを叩きのめしたあの一件くらいだ。

 だとしたら、ミナの世界の魔物っておとなしいのかも?


「そんなことはない。我が帝国では、毎年、魔物による犠牲者は何百人と出ている」

「やっぱり、そんなわけなかったか」

「魔物の多くは狡猾で用心深い。ましてここは異なる世界。勝手が違う故、今は様子を見ているのだろう。それと魔物は霊的な存在故、飲食はあまり必要ないからな」


 今すぐ、飢えて人を襲うことはないのか。


「それと、今日歩いた場所のいくつかに私の〈印〉を残しておいたから、当座は心配ないだろう」

「ミナの〈印〉?」

「私という存在があることを示すものだ。〈印〉の近くで魔物が実体化すると、〈印〉から私の気配が放たれる。言うなれば魔法的な警告だ。用心深い魔物なら、そうおかしな真似はするまい」

「ああ、電柱とかに触っていたのはそれか!」


 今日、ミナは行く先々で電柱や街路樹をぽんぽんとたたいていた。

 あれが〈印〉をつけていたのか。


「よく分からないけど、魔物が悪さしようとすると、ミナのオーラみたいなものが発せられて、魔物は恐るべき敵の気配に悪さを控える…みたいな感じ?」


 センサーと連動するライトみたいなものだ。


「ハジメは賢いな。そういう感じだ」


 ミナは笑ったが、すぐに表情をひきしめ、


「しかし、思っていたより手強い相手かもしれぬな……」


 と、つぶやいた。

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