1
「この気配は人……二人だな」
魔物じゃなかったのか。
ほっとした。でも、ビビリすぎだろ自分。
「意外と近所なんだねぇ」
塀の向こうで、おばあさんの声がした。
けげっ! あの声は赤坂のおばばだ! じゃあもう一人はジョージか?
「ミナ! 隠れて!」
オレは焦った。
ジョージはまだしもおばばはマズい。
「何故だ? ハジメの知り合いなのだろう」
「いいから! はやく!」
首を傾げるミナの背中を押して、縁側から家の中に押し込む。
──赤坂のおばば。
ジョージこと
おじじことジョージの祖父と共に、この太刀川市に住んでいる。
このおばば、世話好きで人は良いんだけど、詮索好き、噂話が大好きなのが玉に瑕だ。
おはばの耳に入ったゴシップは、翌日には町内全域にひろがってしまうという厄介な人だ。
金髪グラマー美少女のミナと一緒にいるところを見られたら、ましてや一つ屋根の下で暮らしていることを知られたら、どんな噂が立つことか…!
そもそもミナのことをちゃんと説明できる自信が無い。
異世界から来た剣聖だなんて言ったら、頭がヘンになったと救急車を呼びかねない。
「後で説明するから、今は隠れていて」
「ハジメがそう言うなら、従おう」
渋々、という顔でミナは縁側に上がり、茶の間の中に消えた。
「よっ」
その直後、ジョージの声がした。
振り向くと、入り口におばばを連れたジョージがいた。
「おばばがイッチの新居に連れてけとうるさいから連れて来た」
「ハジメくん、元気そうね」
ニコニコ笑っておばばが言う。
「これ、ウチで採れた野菜。食べてね」
と、スーパーのレジ袋を差し出した。おばばは趣味で家庭菜園をやっている。昔から、こうして庭で採れた野菜をよくもらってたっけ。
「ありがとうございます」
レジ袋は何度も使い回してわしわしにシワが寄っていた。その中にはカブ、小松菜、それにポリ袋に入ったミニトマトがぎっしり入っていた。
「仕事辞められて良かったわね。顔色いいわよ」
と、ニコニコ笑うおばば。
「心配かけました」
応えながら、オレはほっとしていた。
クマちゃんの打撃は、驚くほど痛いが、どういうわけか傷跡が残らない。もし残っていたら、言い訳を思いつく前に救急車を呼ばれていただろう。
……クマちゃん?
「ハジメ、それはなんだ?」
ジョージがオレの足下を指差していた。
そこには、挨拶するように手を振るクマちゃんがいた。
コイツのこと忘れてた!
2
「何これ! 動いてる!」
動くヌイグルミに、おばばが大きな声を上げた。
「ロボットだよ!」
オレはとっさに言った。
「ネットで、ハンドメイドのロボットを売っているのを見つけてさ。つい、衝動買いしたんだ」
あははは、と笑って誤魔化す。
「すごいわねぇ。生きているみたい」
と、おばばがしゃがんでクマちゃんに手を伸ばした。
クマちゃんが手を差し出し、おばばがその手を握って軽く上下に振った。
この野郎、オレ以外には愛想が良いな。
「ロボットねぇ…‥」
ジョージの目が、疑わしげに細められた。
コイツ、意外と鋭いからな。
「お家の中、見せてくれる?」
おばばは言うなり、玄関へと回った。
「あわわわ! 中は散らかっているから!」
「気にしないわよ。それにハジメくんは、ウチのアキラと違って片付け上手だものね」
オレの抵抗も虚しく、おばばは靴を脱ぐと、ずんずんと中に入ってゆく。
「やっばり。キレイに片付いているじゃない」
茶の間を見回し、おばばが関心する。
ミナの姿はない。隣のキッチンに隠れているのだろうか。
「キッチンもキレイね。新築みたい」
って、キッチンのぞき込んでるし!
あわててオレも後に続いた。だが、ここにもミナの姿はなかった。風呂かトイレにでも隠れたのか?
「ばあちゃん、そろそろお暇しようぜ。イッチ、用事があるってよ」
ジョージが言った。
オレがあわあわしている様を見て、察してくれたのだ。
さすが我が友。持つべきは察しの良い親友だ。
「あら、そうなの?」
「えっと、車を買うから、その準備を」
「準備?」
「買う前に、車庫証明とか手続きしておかないと納車が遅れるんだよ」
首を傾げるおばばに、ジョージがフォローを入れてくれた。
「それじゃ、また来るわね」
と言って、おばばとジョージは引き上げていった。
「なんとか誤魔化せた……」
玄関で二人を見送ったオレは、大きく息を吐いた。
「ハジメは愛されているのだな」
すぐ後ろからミナの声がした。
「ミナ! どこに隠れていたんだい?」
「ずっといたぞ。隠形の魔法でいないように見えていただけだ」
ミナが笑って言う。
「それって透明になる魔法?」
「見えなくなるのではなく、結界を張って他者が認識できなくするものだ。ハジメの魔法トレーニングの際も、これの拡大版を使っているぞ」
認識阻害魔法ってヤツか。
庭であれだけ大騒ぎしていたら近所の人が気づかないわけがない。ヘタすりゃ通報案件だ。それが無事でいられたのは、他人の認識を阻害する結界が張られていたからか。
「何にせよ、ミナが見つからなくて良かったよ」
「男がハジメの友だな」
「うん、ジョージはオレの一番の親友だ」
その一番の親友に、オレは隠し事をしているんだよな……。
ミナのことがバレなかったのは良かったけど、オレは罪悪感も感じていた。
3
ぐぅうううう……。
突然、オレの腹の虫が鳴った。
今日のトレーニングもハードだったからなあ。
「少し早いけど、昼メシにしようか」
おばばからもらった野菜があることだし、これで昼メシを作ろう。
「うむ、私も何か手伝い──」
「ミナは茶の間で待機!」
厨房の殺し屋をキッチンに入れるわけにはいかない。
「むぅ……」
ふくれっ面でミナは引き下がった。
ムクれてるミナもかわいいな、と思いながら、オレはキッチンに入った。
おばばにもらったのは、カブと小松菜とミニトマト。
これはパスタだな!
鍋でパスタをゆでる用の湯を沸かしながら、野菜たちを洗い、カットしてゆく。
ああ、この野菜をカットしたり、皮を剥いたりの作業って、なんでこんなにハマるのだろうか。ミニトマトのヘタとって洗うのなんかチルタイムだよなあ。
うっとり、まったりしながら作業していると湯が沸いた。パスタを投入する。
その横で小松菜のおひたしを作る。五センチほどにカットした小松菜にラップをかけてレンジでチン。水気をしぼってから器に盛り付ける。小松菜はとりあえずこれでよし、と。
カットしたカブをベーコンと炒める。カブは意外と火の通りがいいから、熱しすぎてグズグズにならないよう注意っと。
セットしたキッチンタイマーがピピピと鳴って、パスタのゆで時間が終わったと知らせてきた。
パスタをざるにあけて水を切り、オリーブオイルがないのでゴマ油をからめる。今回の味付けは和風である。
カブがやわらかくなったところでミニトマトを投入。トマトが少し崩れるくらいまで炒める。
「よし!」
頃合いよしとみて、醤油を入れる。じゅわぁ…醤油の香りがたちこめる。この香り…たまらん!
塩コショウで味を調えて、ゆでたパスタを入れてからめたら──完成だ!
「春野菜の和風パスタ! 召し上がれ」
皿に盛り付けたパスタ。副菜はカツオブシをふってめんつゆをかけた小松菜のおひたしだ。
「おお、これがこの国のショーユなる味か」
器用にフォークを使い、パスタを一口食べたミナは
「うむ、美味だ!」
にっこり笑った。
和風の味を気に入ってもらってよかった。
これまでミナには、いわゆる洋食を食べてもらっていたが、今後を考えると和風の食べ物にも慣れてほしい。
今回はその一歩だった。
「野菜をくれたおばば殿に感謝しないとな」
「そうだね」
ミナのこの笑顔は、おばばからもらった野菜があったからだもんな。
野菜をくれたおばば。そして何かあると気づいても、追求せずフォローしてくれたジョージに、オレは感謝した。
「近いうち、ジョージにミナを紹介するよ。色々と力になってくれるだろうし」
あいつは一番の親友だ。隠し事をしているとモヤモヤするからな。
「うむ、私もジョージとやらと話すのが楽しみだ」
と、ミナは笑ってパスタを口に運んだ。