1
「…‥やっぱ車がほしいな」
朝、洗面所で顔を洗いながらオレはつぶやいた。
ミナとの生活も三日目。昨日の買い物も結構な大荷物になったし、毎日の食べ物とかの買い出しも自転車では効率が悪い。
それに……。
変装しても何かとミナは目立つ。
〈ゲート〉の調査がどれくらいかかるか分からないけど、ミナを車に乗せたまま調査すれば、目立つリスクは減らせるだろう。
軽か…いやワンボックスがいいかな。納車は中古車のほうが早いんだっけ。
などと考えながら茶の間に行くと、ジャージ姿のミナが鎧と剣を前に、何かつぶやいていた。
よく見ると、鎧と剣に光る小さな魔法陣が着いていた。魔法をかけているんだ。魔法陣はすぐに消え、ミナは「ふぅ」とかわいく息を吐いた。
「魔物と出くわした時のための備えだ」
オレが見ているのに気づくとミナはそう言った。
髪はブロンドに戻しているがツインテールに結っていた。ツインテ、気に入ったみたいだ。
「じゃあすぐにでも調査に行くのか」
「いや、朝はハジメの魔法修行だ」
げっ。またあの体育会系の魔法トレーニングをするのか。
「オレのことはいいから。調査を優先しても──」
「そうはいかん!」
オレの言葉を遮ってミナが言う。
「私はハジメに魔法を使えるようにすると契約した。契約は神聖だ。たとえ還る方法が見つかっても、ハジメが第二の霊鎖を解くまで、私は還らない!」
キリっとした顔と萌えボイスでミナは言い切った。
マジメっ子のミナは、オレが魔法を使えるようになるまで修行を続ける気だ。
昨日のスパルタ特訓を思い出し、オレはげんなりした。
あんな契約なんかするんじゃなかった。とほほほ……。
「それに、調査なら夕方に行くのがよいと思う。私がこちらに飛ばされたのは夕方だ。また〈ゲート〉が開くとしたら、夕方の可能性が高いだろう」
ああ、そういう理屈もあるか。何も考えずに調査に行くよりも、そのほうが効率が良いかもしれないな。
「ありがとうハジメ。気を遣わせたな」
そう言ってミナは微笑んだ。
うう…そのピュアな笑顔がまぶしい。オレは修行をサボリたかっただけなのに。
……泣き言を言うな。
ミナは、こんなにも一生懸命にオレとの契約を大事にしてくれているんだ。
男として、ヒトとして、それに答えなくてはいけないぞ。
「よろしくお願いします」
オレは腰を九〇度に折って礼をした。本心から礼をしたのは何年ぶりだろうか。
「うむ、良い返事だ。ビシビシゆくぞ!」
はりきって言うミナ。
……できれば、少し手加減してくれないかな。
2
「霊鎖を解くには霊体を活性化させる必要がある」
庭に出るとミナが言った。
ジャージ姿で腕組みしている姿は、マンガかゲームの女子マネみたいである。
「霊体を活性化するには、肉体を酷使──もとい、高強度の運動をするのが効率的だ」
オレの顔色を見て、ミナが言い直した。
そんなイヤそうな顔をしていたのか、オレ。覚悟を決めたはずなのに情けないな。
「しかしハジメは体力がない。第一の霊鎖を解く前につぶれてしまいかねない。そこで、別の方法を考えた。──これだ!」
と、ミナが両手で持ち上げてオレに見せたもの。それは──
「クマちゃん?」
それは、この家に残されていたクマのヌイグルミだった。
前の住人のものだろう、ちょっと古ぼけたそのクマのヌイグルミは、立ち上がると六〇センチくらいある。鼻がハートの形をしているのがファンシーである。
なんでヌイグルミなんか持ち出したのかと思っていたけど、魔法修行に使うためだったのか。
「なるほど。こいつはクマちゃんというのか」
と、ミナはうなずくと、クマのヌイグルミ──クマちゃんを地面に置き、右の人差し指と中指を揃えて立て、集中した。
「おおっ?」
オレとクマちゃんの下に、光る魔法陣が現れた。
すると、ぺたんと座っていたクマのヌイグルミがひょこっと動いて立ち上がった。
「これは?」
「ハジメの霊体をコピーした、いうなれば魔導人形だ」
「つまりゴーレム?」
ゴーレムっていうのは、泥とか鉄とかミスリルとかが素材だと思っていたけど、ヌイグルミもアリなのか。
クマちゃんは、両手を腰に当てるポーズでオレを見上げた。なんか偉そうだ。
「ハジメとクマちゃんは霊体のつながりがある。クマちゃんの身体に負荷がかかれば霊体が活性化し、ハジメの霊体もまた活性化する」
「なるほど!」
オレは頷いた。
「つまりこのクマちゃんを修行させれば、オレは運動しなくてすむってことだ──痛てっ!」
言葉の途中で、クマちゃんがオレの背中に跳び蹴りを食らわせた。ヌイグルミなのにけっこう痛い。
「な。何をする?」
「ハジメが、自分だけ楽しようとしたから怒ったのだ」
ミナが呆れたように言う。
クマちゃんが腕組みしてうなずいた。こいつ意思とか人格があるのか?
「たしかに、クマちゃんだけでもハジメの霊体は活性化できる。だが、それでは不十分だ。霊鎖を解くまで活性化するには、ハジメ自身が身体を動かす必要がある」
「ラクはできないか……」
オレがつぶやくと、またしてもクマちゃんが飛びかかってきた。
「ぶべっ!」
ヌイグルミのパンチがオレの顔に炸裂した。布と
「こいつ、オレに恨みでもあるのか?」
「霊体を活性化させる最も効率が良いのは組み手だ。これが新たな修行だハジメ!」
「マジでぇ?」
絶望するオレに、クマちゃんが、手の平を上にして、くいくいと手招きした。かかって来い、のポーズだ。
「この野郎! ヌイグルミのくせに!」
温厚(という設定)のオレもキレた。
思いっきりクマちゃんを蹴り飛ばす…つもりの足が空を切った。クマちゃんはジャンプしてオレのキックをかわしたのだ。
キラリ、とクマちゃんのプラスチックの目が光った。
「ぶはっ!」
またしても顔面にパンチを食らい、オレは苦鳴を上げた。
× × ×
組み手という名の、一方的にボコられるだけの修行は、途中で何度か休憩をはさみながら二時間ほども続いた。
「やめ!」
いきなり、ミナが厳しい声で制止した。
今日はこれで終わりか?
ゼェゼェ息を乱しながらオレはほっとしたのだけど──
「気配がする。何者かが近づいて来ているぞ」
「ええっ?」
何者かって……もしや魔物?