1
……暑い。
五月半だけど、昼間は急に気温が高くなる日がある。
近頃の日本って、春のあとに夏が来て、そのあと梅雨、そして猛烈に暑い夏が続いて、短い秋のあと冬って感じになっているよな。
暑い……。
セミの声が聞こえて来そうなくらい暑い。
そういやまだエアコン買ってなかったな。
この新居──ジョージ言うところの円城寺邸は、風通しは良いがさすがにクーラーなしで日本の夏は乗り切れない。
ああ、そうだ。ついでにミナの下着も買いに行くか。
パンツはコンビニのでなんとかなったけど、ブラがないんだ。
マンガだかゲームだかであったよな。ノーブラだとシャツに乳首がこすれて痛いとかなんとか……。
でも、ミナは指名手配されてる。
本人がいないとサイズがなあ。男なら、少しくらいサイズが合ってなくてもいいけど、女の子は、下着が合ってないと身体のラインが崩れるっというし。
ミナの、あの見事なボディラインを崩してはいけない。
ちゃんとしたブラが必要だ……。
「ブラを買いに行くのか?」
「はっ!」
そこでオレは目が覚めた。
昼メシの後、いつの間にか眠っていたようだ。
昨夜は一睡も出来ず、今朝はハードな魔法修行だったからな。
時間は…午後2時を少し回ったくらい。寝てたのは2時間弱か。
ミナは…と見ると、ノートPCで動画を見ていた。
食事の後、まだしょげていたミナに、こっちの世界のことを教えるため使い方を教えたのだ。
といっても、彼女はこっちの文字も言葉もわからない。
教えたのはストリートビューと画像検索、あとYouTubeで太刀川周辺の紹介動画とライブカメラがあったので、それを見せていた。
「って、なんでアニメ見てるの!?」
「何かの拍子に、この動く絵がずらりと出て来たのだ」
リストに入れてた動画だ。ファンタジー作品だからミナの興味を引いたのか。
これはマズい……。
このリストにはいわゆる「紳士向け」も混じっているんだよ。
ここは健全な動画サイトだから、直接的にアレなシーンはないけど、お色気シーンばかりを集めたMAD動画とかある。
背中に、ダラダラとイヤな汗が流れる。
「私の国にも、動く絵の芸術はあるが、これほど緻密で色彩豊かなものはない」
しかミナは、うんうんと感心しているだけだ。
ほっ、マズい動画は見てないか、見ても分からなかったようだ。
ミナは、目の前にいる相手なら霊体を通して会話ができるが、それ以外は言葉は分からないし、文字も読めない。
「ところで、ブラを買いに行くようなことを言っていたが?」
と、ミナが言う。
「ああ、そうだった。他に必要なものがあるから、一緒にいけたらと思ったんだ」
オレはノートPCをこちらに引き寄せ、動画画面を閉じて、代わりに通販サイトを出した。
「でも、ミナは指名手配されている。髪の色を染めるとかして変装しないと」
ミナのブロンドの髪はとてもキレイだけど、それだけに目立つ。逆に言えば、髪の色を変えるだけでも大きく印象が違うはずだ。
とりあえずヘアカラーを検索してみる。ドラッグストアで売っているものがあればすぐに買いに行こう。
しかし商品画像の群れがずらずらと出て来て、どれがいいのか分からない。
オレがうなっていると、
「髪の色を変えるのだな」
と、ミナが言った。
「それなら魔法で変えられるぞ」
ええっ? マジで?
2
「変身の魔法は得意ではないが、髪の色くらいなら簡単だ」
と、ミナは左の人差し指と中指を立て、集中した。
するとミナの頭上に三〇センチくらいの光る魔法陣が現れた。
魔法陣がするすると降下し、ミナの頭が魔法陣を通り抜けて行く。
「おお……」
驚いた。魔法陣が通り抜けると、ミナの髪の色が変わってゆく。数秒でミナの長い髪は毛先まで色が変わっていた。しかし──
「なぜにピンク色?」
ミナのブロンドの髪は、やわらかいピンク色に変わっていた。
「
ちょっと不服そうにミナが言う。
「そういう髪の子は現実にはいないんだよ。コスプレしたレイヤーの人くらいだよ」
街や電車でピンクに染めた女の子もいるけど、ここまでドピンクではなかったし。
「とにかく、不自然で目立つから。ピンクはダメだよ」
「ダメなのか……」
ため息をつくミナ。えらくガッカリしてるな。
とにかく、髪の色は黒に、ついでに髪型も変えてもらった。
「どうだ?」
黒いツインテールをふわりと揺らし、ミナが
「いいんじゃないかな」
冷静に言ったつもりだが、オレの声は裏返っていたと思う。
なんでこんなかわいいの!?
着ているのは地味なジャージなのに、ツインテにしたミナは、やたらかわいくて魅力的だったのだ。
ツインテ好きというわけじゃないけど、ヤバいほどドキドキしてしまう。
「そうか。ハジメはこの髪型が好きか」
むふふ…と萌えボイスで含み笑いするミナ。
なんかギャルゲーのツンデレヒロインみたいだ。そういやツインテヒロインはツンデレが多いよな。
「では、街に出る前に、気をつけるべきことを教えよう」
オレはせき払いしてノートPCを操作した。
ストリートビューで太刀川駅近くを標示する。
「まず横断歩道と信号機。道路はこの白い線が描いてある場所で渡るのが基本だ。で、これが信号機。赤は止まれ、青は進めの合図だ」
「あれはそういう意味があったのだな。よく出来ている」
ふむふむ、と頷くミナ。
その他、車や交通ルールを教えた後、オレは画像検索で防犯カメラを出した。
「街のあちこちに、こういうものがある。防犯カメラだ」
屋外の壁とかにある箱型のカメラ。お店など屋内の天井にある半球形のもの。色んなタイプの防犯カメラを出して見せ、その機能を教えた。
「常に見張られているのか、この世界は」
緊張した声でミナが言う。
「ミナが目立つことをしたら、警察がこいつの映像から見つけてしまうんだ」
まあ警察もそこまでヒマじゃないと思うけど。注意するに越したことはない。
「外ではこの防犯カメラに注意すること。いいね」
「承知した」
ツインテを揺らしてうなずくミナ。いつの間にかすぐ近くにいた。
ヤバい…またドキドキしてきた。
「もし、こういうものを見つけたら、どうしますか?」
「叩っ切る!」
「壊しちゃダメだよ! かえって目立つよ」
大丈夫かな。
ミナを連れて外に行くことは大きなリスクがある。
でも、このミッションをクリアしないことには、ミナの服そしてブラが手に入らないのだ。
ジャージ姿でさえこんなに魅力的なんだ。
ちゃんとした服を、ミナに似合う服を用意しなくては!
かくして、一大ミッション、ミナを連れて駅前ショッピングがはじまった。
3
「ふぃ…やっと着いたか」
中央分離帯の街路樹越しに、駅ビル前の赤いクロスアーチが見えた時、オレはため息をついた。
今の家から駅まで、歩くと15分くらいかかる。
いつもは自転車だから、歩いて来たのは久しぶりだ。ちょっと疲れた。
車、買おうかな。
前に乗っていたミニバンは、ブラック企業に勤めて半年で処分した。
あの会社までは自転車で通えたし、独り暮らしではそうそう大荷物を買うこともなく、また車に乗る暇もなかったんだ。
「ハジメは体力ないのだな」
隣を歩くミナが、今朝と同じことを言う。
彼女はジャージに健康サンダルを履き、地味なメガネをかけていた。
サンダルはオレが近所に出かける用で、メガネは前の仕事で使っていたブルーライトカットのメガネで度は入っていない。
こんな地味な身なりなのに、ミナはえらくかわいくて困ってしまう。
「魔法は体力がものをいうんだぞ」
「オレの知っているファンタジーとは色々と違うな……」
魔法使いってのは、体力が少なくて防御力が低く、接近戦はNGっていうのがオレの常識だった。
しかしミナの世界の魔法使いは、いわゆる魔法戦士らしい。
剣の修行も霊鎖を解いて魔力を高める手段の一つだという。
そんなことを話している間に、駅前に着いた。
「明るい中で見るとすごいな」
駅のシンボルである赤いクロスアーチと、その向こうの駅ビルを見上げ、ミナがつぶやいた。
「このように大きな建物が、宮殿でもなく、要塞でもなく、大きな市場だとは驚きだ!」
と、感嘆している。
一方、オレは自分のうかつさに、内心頭を抱えていた。
ジャージにサンダル履きのミナは目立つのだ。
ここは駅前。
オサレなお店が詰まったファッションビルがある。デートスポットもある。
ショッピングやデートにジャージで来る女の子はいない。
ミナの魅力にとらわれ、オレはこんな初歩的なことも見逃していた。
気のせいか、周りからジロジロと見られている気がする。その時──
「ハジメ、警察だ」
ミナの低い声に、オレはぎくっとなった。
おそるおそる、ミナの視線を追うと……。
「あれは警備員だよ」
オレは脱力してため息をついた。
駅前にある緑の看板の銀行。そのガラス壁越しに、店内で警備中の警備員が見えた。それを見て、ミナは制服警官だと思ったのだ。
「何が違うのだ?」
「警官は公務員…ええっと、国が雇っているんだ。警備員はこの銀行に雇われていて、銃とかも持っていない」
異世界の人にも分かるように説明するのは難しいな、と思いながらオレは答えた。
「なるほど。つまり私兵なのだな」
なんか聞こえが悪いな。
そんなことを思いながら、オレはミナを連れ、駅北口のファッションビルへと向かった。