1
──沈黙。
魔法修行の勘違いで、ミナとの間に生まれた微妙な空気は、昼近くになってもそのままだった。
幸い、ミナは怒っていないようだ。
もし彼女が本気で怒っていたら、昨夜のテレビみたいに一刀両断にされているだろう。
しかし、ぎこちない。落ち着かない。
ミナに声をかけようとすると、目を逸らされちゃうし。
逆に、ミナから声をかけられるとオレも目を逸らしてしまう。
このぎこちなさ、気まずさ。なんとかしたい。早くなんとかしたい。
「ハジメ──」
「そうだ、昼メシ作らなきゃ~」
せっかくミナから声をかけてくれたのに、オレはそそくさと立ち上がり、キッチンに逃げ込んだ。
あぁあああ…! 何をやっているんだオレは!
キッチンで頭を抱え、うずくまってしまう。
なんとかしたい。なんとかしたいんだけど、その方法が分からないんだ。
そうだ、ジョージを呼んで助けてもらおうか?
……いやダメだ。
今日は平日。あいつは店の手伝いをしているんだ。
うぅむ…どうしよう。
リアルで女の子と付き合ったことないからなあ。こういう時、経験値のなさが出てしまうんだ。
オレが知っている女の子は、妹と、あとアニメとかゲームのキャラくらいで……。
「……あ」
ふと、両親と妹に寿司をご馳走した時の会話を思い出した。
あの時、妹が、最近ハマっているアニメについて話してた。
ハマった理由が、男の子と女の子が一緒に料理することで打ち解ける、そこに至る流れで、いつもじれじれしつつもニヤニヤしてしまう…って言ってた。
一緒に料理を作ることで打ち解ける、か。
現実はそううまく行くはずない。
……いや、それ言ったらミナはリアルではあり得ない存在じゃないか。
一緒に住むのに、こんな空気のままじゃダメだ。
……よし! た、試してみるか!
「ミナぁ」
でも、茶の間に顔を出す勇気はなくて、キッチンから声をかけた。
「なんだ?」
「ミナの世界の料理ってどんなものがあるんだ? 作れるものがあれば作ってみるよ」
「それなら、私に作らせてくれないか!」
その言葉が終わらない内に、ミナがキッチンに顔を出した。
「ミナが?」
「うむ、玉子はまだあるか? 作ってみたい料理があるんだ」
おおっ、これはイイ感じ。
あの微妙な空気が消えている。
案ずるより産むが易し、なんでも試してみるものだな。
2
女の子と二人で料理を作る。
しかもその子は異世界のお姫さまで美少女である。
このシチュエーションに、オレの胸はドキドキしていた。
「どんな料理作るのか、作り方を教えてくれるかな?」
まずは、今この家にある食材、調味料、器具でできるか確認する。
「これは母上から教わった料理で、蒸し玉子という。作り方は、玉子を割り、よく混ぜる。塩、
「なるほど、西欧風の茶碗蒸しって感じかあ」
玉子は昨夜買ったものが、塩とコンソメは前の部屋から持って来たものがある。蒸し器はないけど電子レンジを使えばいい。
「あ、そういえば」
ふと、ミナは皇女さま、帝国のプリンセスだったことを思い出した。
「ミナって、料理したことあるの?」
「いや、厨房に立つのははじめてだ」
「え?」
かわいいミナの笑顔。だけどオレはイヤな気配を感じた。
──メシマズ。
危険なワードが頭に浮かぶ。
……違う意味でドキドキしてきた。
この家のキッチンは、いわゆるウォール型。壁に沿ってグリル、作業台、二つのシンクが一列に並んでいる。
作業台にボウルと玉子のパックを置く。パックは10コ入りのもので、今朝四コ使ったからまだ六コ残っている。
「では、はじめるとするか」
言うが早いか、ミナが玉子を手に取ると、ボウルの縁でコンコンと──
「あ…」
べちゃっ、と玉子がひしゃげて殻の半分と中身がボウルに滑り落ちた。
「存外、力加減が難しいな」
「ど、どうせ、かき混ぜるからOKだよ」
悔しそうに言うミナ。フォローを入れながら、オレはイヤな予感をひしひしと感じていた。
「うむ、手の力だけで割ろうとしたのが良くない。魔力でなら──」
二つ目の玉子を手に取ると、ミナは玉子をじっと見つめた。
次の瞬間、ボンっ! という音が上がり、玉子が爆発した。
「ぐがっ!?」
吹っ飛んだ玉子の一部が、オレの額を直撃した!
意識が遠のき、目の前が真っ暗に……。
暗いトンネルのようなところを抜けると、一面の花畑に出た。
あれ…あそこにいるの、ばあちゃんだ。でも、ばあちゃんはオレが中学の時に亡くなった──
3
「ハジメ! 大丈夫か?」
「はっ!」
ミナに呼ばれ、オレはこの世へと戻った。
額の痛みはもうない。どうやら、彼女が治癒魔法を使ってくれたらしい。
「すまない、緊張して魔力を込めすぎた」
しゅんとするミナ。
「玉子をぶつけられて彼岸に行きかけるとは……」
辺りを見回すと、細かな破片となった玉子の殻が散乱していた。汚れていないのは、白身や黄身が蒸発したからだろうか。
「次は気をつけるからな」
まだやる気かこの子は?
「玉子はオレが割るから、ミナはこっちをお願い!」
オレはミナを作業台から遠ざけると、冷蔵庫からキュウリを二本、取り出した。
「付け合わせに、こいつを切り分けてくれ」
シンクの一つに作業用プレートを乗せて、そこにまな板と包丁を置く。
「う、うむ。刃物なら任せてくれ」
名誉挽回とばかり、ミナは包丁を手に取った。しかしすぐに形のいい眉をひそめた。
「このナイフ、切れ味が悪そうだな」
「じゃあ、研ぐよ。確か砥石はここに……」
作業台下の扉を開いて砥石を取り出す。しかし、
「それには及ばぬ。私の魔力を乗せれば、野菜くらいは」
止めようとするヒマもあらばこそ、ミナは包丁を振るった。
「おぉお…!」
まるで包丁が舞っているかのようだ。
微かなトントンっという音と共に、キュウリが薄く、キレイに切られて行く。
さすが剣聖!
優雅なミナの包丁さばきに、オレは見とれた。
たちまちキュウリを切り終え、ミナがオレのほうを見た。
ちょっと得意げな、いわゆるドヤ顔をしている。それがかわいい。
「──あ」
その直後、カラカラと乾いた音を立てて、まな板がバラバラになった。ミナの魔力を乗せた包丁は、まな板までも断ち割っていたのだ。
「ここまでお約束に忠実とは……」
この惨事に、オレは感動さえ覚えた。
正に厨房の殺し屋。あまりにマンガ的、あまりにお約束である。
「ミナは、厨房に立たないほうがいいな」
しかし、厨房の殺し屋を放置しておくわけにはゆかない。
オレとキッチンの安全のため、ミナにはお引き取りを願った。
「その方がよさそうだ」
すっかりしょげたミナは、すごすごとお茶の間へと戻った。
「ヤバいな……」
惨事の始末をしながら、オレの胸は高鳴っていた。
彼女には悪いが、しょげたミナも感動的にかわいいと思ってしまったからだ。
これからミナと暮らすことへの不安はある。
でも、それ以上に、彼女との生活が楽しくてしかたないオレだった。