1
「では、まずは一つ目の霊鎖を解くぞ」
そう言うと、ミナがオレに手を伸ばした。
「わっ!」
ミナの手から半透明な手がするりと現れ、オレは息を呑んだ。まるでスタンドか、腕だけの幽体離脱だ。
「私の霊体でハジメのそれに干渉するぞ」
ミナの霊体の手がオレの身体の中に入り込んだ。
痛みもなければ、何かが触れた感じもない。
……いや。
感じてきた。身体の中、深い部分に、温かいものが広がる感じがする。
痛くはない。しかし──
「なんかくすぐったいな」
身体の内側をくすぐられている…と言えばいいのだろうか。そんな感じだ。
ミナはかわいく首を傾げると、霊体の腕を動かした。すると──
「は、ハックション!」
くすぐったさは消え、代わりにクシャミが出た。
「ヘックション! ヘクションっ! ぶぇっくしょい!!」
止まらない。クシャミが止まらない!?
これも霊体が干渉されているせいなのか?
「異なる世界の人間だからか? それともハジメの体質か?」
こんなはずでは…と、眉をひそめるミナ。
「干渉深度を上げる。身体の中からわき上がる力を意識しろ」
「内なる力……」
ミナに言われ、内なる力を感じようとする。
……うまく行かない。
どうやったら感じられるんだろう?
「仕方ない。別の方法を試すぞ」
ミナは霊体の手を引っ込めると、また二本の指を自分の額に押し当てた。
「おお?」
魔法陣が消え、デザインの違う別の魔法陣が現れる。今回の魔法陣で、オレの立ち位置は中心ではなくはじっこだった。
「おおおお?」
光る魔法陣が、ゆっくりと回転しはじめた。しかも、オレを乗せたまま!
まるで回転する巨大なCDかDVDに乗っているみたいだ。倒れないように必死でバランスを取る。
「走れ! ハジメ!」
「お、おうっ!」
つまりこれは円盤型のランニングマシンなんだな?
回転する魔法陣の上を、オレは走り始めた。すると魔法陣の回転速度も上がってゆく。
「もっと早く! 呼吸を整えろ!」
ミナがムチャなことを言う。
昔から、オレは走るのが苦手なんだ。しかも社会人生活で、ここ何年も運動らしい運動をしていない。
たちまちペースが落ちて来た。
「もっと早く! 速度を上げないと痛いぞ」
「へ?」
その直後、どこからともなく稲妻が降って来た。
「いてぇ!」
尻に痛みが弾けた。
冬、静電気でバチっと来ることがあるが、あれの何十倍も痛い。
ペースダウンすると電撃をくらわせるとか、とんでもないランニングマシンだ。
オレは必死に走る速度を上げた。
しかし運動不足の悲しさ、すぐに息が乱れて速度が落ちる。落ちるとたちまち尻に電撃が弾ける。
「やめて! もうやめて!」
もうマジ泣きして悲鳴を上げてしまう。しかし、
「ダメだ! ハジメが魔法を習得するまで、止めることはできない」
し、死ぬぅううう!
2
ぜぇぜぇ……。
──十数分後。
オレは力尽きてぶっ倒れてしまった。
「ハジメは体力がないのだな」
庭で伸びてしまったオレを見下ろし、ミナはつぶやいた。
「それに、ここまでやって霊鎖が外れる手応えがない……。もしやハジメには魔法の才がないのか?」
「多分そうだ。もうやめよう」
ミナに失望されるのはいやだが、今は電撃付きの修行から逃れたかった。
「いや、誓いを立てた以上、それはできない」
しかしミナの眼は、やけに強い光をたたえていた。
「天は落ちていない。地は我らを呑み込んでいない。ハジメが魔法を習得できるまで、全力を尽くすぞ!」
「ひぇえええ~っ!」
こういうのコーチ魂に火が付いたというのだろうか。
ミナは容赦なく、魔法陣ランニングを再開した。
──十数分後。
「し、死ぬ…。もう死んじゃう……」
オレは息も絶え絶えになっていた。
「死ぬ死ぬ言っているうちは、まだまだ大丈夫だ」
「お、鬼ぃいいい…!」
かわいい顔で容赦がないミナ。もしかして楽しんでないか、この姫さま?
「こ、根本的に修行が間違っている可能性はないの?」
「……それはあるかもしれぬな」
少し考えて、またミナが魔法陣を出した。
最初に出したヤツと同じで、オレの霊鎖を観るためのものだ。
「ふーむ……」
自分の顎に手を当て、ミナはじっとオレを見つめる。
スパルタ特訓が止まったのはいいが、こう見つめられると落ち着かない。
「うーむ……」
美少女の熱い視線が注がれ続ける。
……なんかミナの眼、ヘンなとこ見てないか? 具体的にはオレの股間の辺りを。
いやいや、ミナはお姫さまだぞ。皇女さまだぞ。そんなはしたないこと、あるはずない。
「……ハジメ」
オレの股間に熱い視線を送りながら、ミナが口を開いた。
「はい、な、なんでせう?」
緊張して声が裏返る。
「服を脱げ」
はいぃいいいいい!?
3
「な、なななんで服を?」
思わず、両手で自分の肩を抱き、オレは飛び退いた。
「魔法の修行のためだ」
じりじり迫りながらミナが言う。
魔法の修行でなんで服を脱ぐ?
……はっ、そう言えば!
昔、なんかで読んだぞ。
古今東西の宗教や魔術には、性的興奮とか性的絶頂のエネルギーを利用する修行や儀式があるんだ。
房中術たっけ? 道教だか仙術とかでそういうのがあるとかなんとか。
ヨーロッパの魔女が乱交パーティしていたのも、魔力を得るためとかなんとか。
昨夜のミナの姿が頭に浮かんだ。
バスタオル一枚の姿。Tシャツとパンツだけの姿。
ゴクリ…思わず、喉が鳴った。
「どうしたハジメ?」
ミナみたいなグラマーな美少女と、そんなことができたら……。そう思うと破裂しそうなくらい興奮する。
でもここは庭だ。外だ。青カンだ。
さすがに抵抗がある。
いや、だがしかし! こんなラッキー、二度とない。いいじゃないか、ミナが相手なら!
「は、はじめてだから優しくしてね?」
震える声で言うオレに、ミナは首を傾げて
「それはムリだ」
と、冷たく言った。
えぇええ! それって逆レ○プ? それはイヤだ!
…………でも。
ミナならいいか。
「などと考えている間に、脱がされていたよ!」
気がつけば、ミナの手によって、オレはジャージの上下とも脱がされていた!
残るはシャツとパンツのみ。
ミナの手が、パンツに伸びる……
「やっぱムリ! 恥ずかしい!」
思わず叫んでしまった。
すると、ミナの手が止まった。
「そうか、恥ずかしいのか」
こほん、と、ミナはかわいいせき払いをした。
「つい、勢いに任せてしまった。すまない。ここまで脱げば十分だろう」
「えっ? それって、半脱ぎプレイ?」
「何を言っている?」
ミナの眉が、いぶかしげにひそめられた。
「ハジメのそれ──第一の霊鎖が珍しい色をしている。それが修行が上手く行かない原因かもしれない、と考えたのだ」
ミナの指がオレの股間を指差した。
「第一の霊鎖って、ここにあるの?」
「ああ。ハジメの家に来るまで、こちらの人々の霊鎖を見た。全員、第一の霊鎖の色は乳白色だった。だがハジメの霊鎖は灰色をしているんだ」
なんだ、ミナが見ていたのは股間にあるブツじゃなくて霊鎖だったのか。
ああ、アセった。
「でも、それでなんで服を脱ぐことに?」
「魔法の修行は薄着であるほど良いんだ。霊体の働きを強めるには衣服は邪魔になるからな」
「なんだ、そういうことだったのか」
残念なような、ほっとしたような気分だ。
「ハジメは何を期待していたのだ?」
「いや、それは……」
口に出して言えない。かぁっと顔が熱くなる。
それを見て、ミナは察したようだ。オレにつられるようにミナの顔も赤くなった。
──沈黙。
二人の間に微妙な空気が流れた。
「きょ、今日の修行はここまでとしよう」
「お、お疲れさまでした」
かくして、魔法の修行、その初日は気まずい空気のまま終わった。