1
──翌日。
「おはよう、ハジメ」
洗面所で顔を洗っていると、ミナがやって来た。
ちょっと舌足らずなアニメ声の美少女に「おはよう」なんて声をかけられて、ドキドキしてしまう。
「おはよう、ミナ。よく眠れたかな?」
「ああ、タタミと布団の組み合わせは快適だな」
お姫さまに安物の布団はどうかと思ったけど、気に入ってくれてよかった。
「ハジメは…よく眠れなかったようだな?」
オレの顔を見てミナが言う。
「新しい家になれなくてね。あははは」
キミのバスタオル姿や、Tシャツノーブラがチラついて一睡もできなかった…なんて、本人には絶対に言えない。なので笑ってごまかした。
キッチンに移動して朝食を準備する。
食パンを焼き、ベーコンと玉子をフライパンで炒める。
その合間に、カット野菜を皿に盛り付け、ドレッシングをかける。
本当は野菜を切るところからはじめてドレッシングも作りたいんだけど、越したばかりで材料がないんだよね。
出来上がったトースト、ベーコンエッグ、サラダ、それにコーヒーをミナが待つ茶の間へと運ぶ。
「ハジメは料理が得意なのだな」
お姫さまにお出しするには粗末なシロモノだけど、ミナは喜んでくれた。
「まあ趣味レベルだけど」
ブラック企業に務めている時も朝食だけは必ず自分で作っていた。
キャベツを刻んだり、自家製ドレッシングを混ぜたりすると落ち着くのだ。趣味というより癒やしみたいなものだ。
「うむ、美味だ。おお、コーヒーはこちらの世界にもあるのだな」
ニコニコしながら食べてくれるミナに、こっちも笑顔になる。
次は、もっとちゃんとした料理を作ろう、とオレは思った。
「では、始めようか」
朝食が済み、後片付けを終えたオレにミナが言った。
「始めるってなにを?」
「魔法の修行だ」
ああ、そうだった。
ミナを匿う代わりに魔法を習う。そういうことになったんだっけ。
動きやすい格好がいいと言われ、オレもミナもジャージ姿のまま庭に出た。
石塀に囲まれ、縁側に面している庭の広さは、だいたい車四台ぶんの駐車場くらいだ。
以前は花壇や家庭菜園があったみたいだが、今は半ば埋もれた飛び石が残っているだけだ。庭木も玄関近くにあるもの以外は枯れていたとかで伐採され、残っていない。
庭のまん中あたりに進むようミナに言われた。
「そこで止まれ」
ミナは左手の人差し指と中指を立てて、それを自分の額に当てた。
「うわっ?」
その直後、地面にオレを中心とした光る魔法陣が現れた。
2
「私の世界では、知性を持つ生命体は、肉体、霊体、魂からなる複合的な存在だと知られている」
魔法陣に驚くオレに、ミナは講釈をはじめた。
「こっちの世界でいうと…物質、エネルギー、高次元にある意識って感じかな?」
オレは厨二病的なイメージで解釈した。
「そなたは賢く、博識だな」
と、ミナが誉めてくれた。
厨二病な会話をして誉められたのはじめてだ。なんだかおかしな気分だ。
「この三つが離れる時、その命は失われる。そのためこの三つを縛る鎖のようなものが存在する。我らは霊鎖と呼んでいる」
魔法陣の光りが強くなった。
すると、オレの身体のあちこちに鎖が巻き付いているのが見えた。
──これが霊鎖というヤツか。
魔法陣は、これを見えるようにするためのものだった。
「霊鎖は肉体を安定して存在させるためにあるが、この状態では肉体のみの力しか発揮できない。霊鎖を解放してゆくことで肉体に霊体の力を加え、高次元の力を使うことが出来るようになる。──これが魔法だ」
「魔法が使えるようになるには、この霊鎖を外す必要があるわけだ」
想像以上にシステマチック、そして厨二病チックである。
「我が故郷レディンス大陸では、人は生まれながら第一の鎖を解放している。そのため、こちらの世界の人間よりも寿命は長く、身体能力は高い」
「だからミナはあんな大きな剣を軽々と振るえるんだな」
並の人間より長命で、身体能力も高い。『指輪物語』のアラゴルンみたいな人間の上位種って感じだな。
「また、霊体を介してコミュニケーションを取ることも可能だ。私はハジメの国の言葉を知らないが、こうして会話できているのも霊体を介しているからだ」
「それってテレパシー? もしかしてオレの心を読んでいるの!」
だとしたら…すごく恥ずかしい。
「向けられた意識を霊体が翻訳しているようなものだ。読心術などではないから安心しろ」
オレの顔色を見て、ミナが笑った。
助かった…。
オレは心底、安堵した。
ミナに抱いた劣情やらなんやらが知られたら、無礼打ちで真っ二つだ。いやその前に、恥ずかしさで死んでしまう。
「だが、効果があるのは目の前にいる相手だけだ。それに文字は読めない」
ああ、テレビをぶった切ったのはそのせいか。
言葉が分からず、自分の映像が流れたので、魔法をかけられたとか思ったんだな。
「動物とも話せるの?」
エルフとか魔法使いは動物と会話ができるよな。作品によるけど。
「何を考え、望んでいるかが分かる程度だな。言うことを聞かせられるかは相手による。それと、あまりにかけ離れた種族や存在とは難しい」
「なるほど」
限定的だけど動物とも会話できるのか。
これは人間の上位種というより、魔法的、霊的に進化した人類かもしれない。
名付けるなら、ホモ・アストラルースだろうか。
「ハジメが魔法を使えるようにするためには、この霊鎖を二つ外さねばならない」
ここでミナは厳しい顔になった。
「覚醒──霊鎖を外す修行は苦痛を伴うこともある。覚悟しておけ」
「おう! 覚悟はできているよ!」
ほんとは滅茶苦茶ビビっていた。
でも、ミナにヘタレと思われたくない。
その一心で、オレは精一杯の虚勢を張って答えた。