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#01 人生で一番ありえないこと



     1



 宝くじの一等って、ほんとに当たるんだ……。


 10億円が当たったと知った時、オレこと円城寺えんじょうじ はじめが思ったのはそんなことだった。


 10万じゃない、10億だからね!

 あり得ない事態に、喜ぶ以前に思考が停止したんだよ。


 どのくらい思考停止していたか…我に返ったオレがしたことは、友人のジョージに電話することだった。


 ちなみにジョージというのはアダ名で、赤坂あかさか あきらというのが本名である。


「10億当たっちゃった! どうしたらいいんだ?」


 勢い込んで言うオレに、ジョージはしばし沈黙した後、


「やったじゃん。これでブラックな会社とオサラバできるな」


 と、言った。


「あ……」


 言われて気づいた。


 オレが働いている会社は、いわゆるブラック企業だ。


 忙しい。とにかく忙しい。

 営業が後先考えずに仕事を取ってくるから、スケジュールは常にキツキツだ。

 毎日のように言うことがころころ変わる上司。それに加えて、よくわからない書類作成と会議がやたらと多い。

 サビ残は当たり前。休日もスマホにメッセージが飛んできて、返信しないと怒鳴られる……等々。


 気がつけば、目の下にクマがあるのが当たり前になり、頭の生え際が後退していた。


 家族やジョージからは、そんな会社辞めちゃえば、とよく言われていた。

 でも、踏ん切りが付かなかった。


 大学卒業後、オレは1年近く就職浪人だった。

 あの時のアセリとみじめさ……思い出すだけでおそろしい。

 だから、「ここを辞めたら、お前なんかどこも雇わない」という上司の言葉を疑いもなく信じていた。


「そうか、会社辞めていいんだ」


 思考力が戻って来た。


「そうだ。イッチ、お前は自由だ!」


 スマホの向こうでジョージが声を上げた。彼はオレのことを「イッチ」と呼ぶ。


「好きなことを好きなだけやって生きてゆけるんだ。うらやましいぜ」


「よし! 辞めてやる! 辞めてやるぞ!」


 自由…! なんてすばらしい響きなんだ。


 突然舞い降りた幸運。その幸せに、オレはしばし酔いしれた。



     2



 あり得ない幸運に、オレは有頂天になった。


 ウキウキしながら辞表を書いて、ニコニコして提出し、晴れ晴れとした気分で会社を出た。


 こんな気分の良いことはない。

 高笑いしたくなるのをこらえるのが大変だった。

 夢のような気分とは、こういうことなんだな。


 でも夢じゃない。これは現実なんだ!


 宝くじ当選後の手続きも問題なく進んだ。

 口座に振り込まれた金額を、何度も見てはニヤニヤしていた。


 ピザを配達で頼み、発泡酒ではなくビールを飲んだ。

 最新のゲーム機を買い、ついでに話題作のソフトも1ダースほど買った。

 スマホを最新のものに機種変した。

 ジョージとスマホで通話しながら、夜通しサブスクでアニメをみた。

 両親と妹を回らない寿司屋に連れて行ってご馳走した。


 カネの心配せずに飲み食いできるっていいな!

 好きなだけ夜更かしして、いつまでも寝ていられるって素晴らしいよ!


 オレは自由を謳歌した。


 だが……そんなウキウキ気分は三日ほどしか続かなかった。


 目覚ましアラームがなくても朝六時には起きてしまう。習慣だった。

 二度寝しようとしても寝付けない。

 アニメをみていても、ゲームをしていても、イマイチのめりこめない。


 何かしないと、何かしていないと…!

 そんな焦りみたいな気持ちがあって落ち着かない。


 胸が苦しく、なかなか寝付けない。

 なのに朝六時には目が覚めてしまう。


 どうにも落ち着かなくて、ジョージに相談した。


「すっかり社畜が染みついてしまったな、イッチ」


 スマホの向こうでジョージは呆れていた。


「何かしてないと落ち着かない。遊んでいると不安なんだ。たまに手が震えたりするんだ」

仕事中毒ワーカホリック…いや、仕事依存症ワークジャンキーというべきか」

「オレ、いつの間にか仕事しないと死ぬ病になっちまっていたんだな……」


 自分で言って悲しくなった。

 せっかくブラックな環境から自由になったというのに、オレの身体はあの地獄を求めているというのか。


「家を持て、イッチ」


 しばしの沈黙の後、ジョージが言った。


「家?」

「そうだ。空き屋とか古民家とか買って、自分好みの家にしてゆくんだ。いくらでも手をかけられるし、止めたくなったらいつでも止められる」

「なるほど……」


 と、頷きかけてオレは気づいた。


「ついでに、お前の家の売り上げに貢献とか、動画のネタにしようってか?」


 ジョージの家はいわゆる金物屋をやっている。

 工具、大工道具を扱う小さなホームセンターみたいな店だ。

 そんな環境だからか、ヲタ趣味と並ぶジョージの趣味はDIYである。

 数年前からDIYの動画配信もやっていて、この前みたら登録者数30万を超えていて驚いたっけ。


「バレたか。でもお前、他にやりたいことがあるのか?」

「それは……」

「あと、お前、10億もカネあるのに、その使い道があまりにショボいぞ。普通、そんだけカネあったら、外車買ったり、海外旅行に行ったり、高級フーソク通いするもんだ。なのにお前と来たら、はじめてのボーナス出た! レベルの使い道じゃないか」


 それは、自覚していた。

 ジョージが言ったような成金生活したら歯止めが利かなくなりそうで、自分でブレーキをかけていたんだ。


「……家か」

「少なくとも退屈だけはしないぞ。まんまとオレの企みに乗るがいい」


「ちょっと考えさせてくれ」


 そう答えながらも、この時、オレの心は決まっていた。


 億り人になったんだ。ここらで大きな買い物をしよう。

 それにジョージと一緒に何かやるのは何年ぶりだろうか。きっと楽しいに違いない。


 何より、この仕事依存症由来のイヤな焦りと不安。これから逃れられるなら、どんなことでも歓迎だった。



     3



 オレが買った家は、今住んでいる1DKと同じ、太刀川市にあった。


 場所は住宅街の外れ。太刀川駅からはちょっと遠く、近くにコンビニもない。まあ自転車があれば不便はないだろう。


 見た目は大きな和風の平屋って感じ。古いけど古民家というほどではないかな? 塀で囲まれたちょっとした庭もある。


 畳の何枚かは破れたりシミがあったりで、ホコリっぽさと相まって、はじめて見た時は、廃屋みたいだと思った。


 そんな立地と状態のため、同クラスの物件よりかなり安かった。


 まず必要なことは掃除と畳の交換、それに電気、ガス、水道、ネット回線といったライフラインの整備だ。これらはジョージに紹介してもらった業者に頼んだ。


 清掃と畳替えが終わると、それだけで廃屋という感じではなくなった。

 でも、家具も家電もないから、がらんとしていた。そのせいかとても広く感じた。


 確認して回っていると、建物の一番奥に六畳間があった。

 たぶん仏間だろう。でも仏壇があったと思われる場所は空っぽで、なぜかそこにクマのヌイグルミが収まっていた。


 割と大きなヌイグルミで、立ち上がると六〇センチくらいありそうだ。鼻がハートの形をしているのが印象的だ。


「オレはハジメ。よろしくな」


 クマに挨拶したところでスマホが鳴った。ジョージが来たのだ。


 表に出ると、もうすでにヤツはいた。


「久しぶりだな、イッチ」

「二年ぶりくらいだよな…って、お前、また太ったか?」


 前から太っていたが、ジョージの腹は一段と太くなっていた。


 太っていて、メガネで、アニキャラのTシャツを着ている…いかにもなヲタク。それがジョージである。


 だがこいつは、昔からオレなんかよりずっとモテていた。


 大学時代、イケメンに分類される男子たちが、ジョージに合コンのセッティングを頼み込んでいる姿を、オレは何度も見た。

 ドラマで三枚目役の俳優が、リアルではモテモテだったりするという。ジョージも同じだ。こいつは愛嬌があり、トークがうまくて一緒に居ると楽しい。登録者数30万人の動画配信者は伊達じゃないのだ。


「イッチは髪が薄くなったな」


 ハラを揺すって見せながらジョージは笑った。


 挨拶の後、ジョージと一緒に新居となる家を見て回った。


「縁側の上んとこ、雨漏りしているな。それで床板が腐ってる。床はいいが天井は業者頼んだほうがいいだろう」


 とか、


「網戸がボロボロだ。あっちとそっちの窓はサッシも付け替えないと」


 など、素人のオレでもできる、手を入れるべき場所を指摘してくれた。


「いつからはじめるんだ?」

「いまでしょ!」


 勢い込んでいったオレに、ジョージはためいきをついた。


「イッチ…仕事しすぎで流行りから取り残されたか」

「え゛っそうなの?」


 かくして、オレの新居ライフがスタートした。



     4 



 現在住んでいる1DKから通いながら、新居の手入れをはじめた。


 工具、大工道具の選定から使い方のコツまで、ジョージには世話になった。ヤツは週に二、三度来て手伝ってくれた。


 縁側の床板をはり替えた。

 サッシを新しいものにして網戸をつけた。

 外壁の剥がれたタイルを貼り直した。


 廃屋よりマシ程度だった家が、少しずつ住める家になってゆく。


 楽しい。

 予想してたより十倍は楽しい!

 あの息苦しい不安感は消し飛んでいた。


 ライフラインで最後に残ったネット回線が開通した日、オレは待ちきれなくて布団を運び入れてこっちで暮らすことにした。


 まだ家具も家電もない、がらんとした茶の間。そこに布団を敷しいて天井を見上げた。


 なんだろうなこの充実感は。この幸せは。


 ああ、自由っていいな。好きなことができるっていいな。

 オレは宝くじに当たった幸運に感謝した。


 翌日、前の部屋から家具や家電を運び入れた。

 テレビを茶の間に置いてみるとやたら小さく感じられた。

 これを機に、80インチくらいのを買おうか、なんて思った。


 まだ時間があったので、庭の手入れをした。

 といっても草むしりなんだけど。

 しかし、これがはじめると止まらない。もう夢中になってむしり続けた。


 気がつけば、もう夕方だった。

 汗をかいたので近くの銭湯に行くことにした。新居にも風呂はあるが、広い湯船に浸かるのが気持ちいいんだ。


 風呂から上がり、ロビーのマッサージチェアを堪能していると──


「太刀川市で事件です」


 というテレビからの声が飛び込んで来た。


 ニュース番組だった


「きょうの午後五時頃、東京都太刀川市の繁華街で、刀のようなものを振り回す女が男たちと争っているとの110番通報がありました」


 カメラに映る映像にオレは目を疑った。


 ヤクザふうの男たちが、若い女に叩きのめされている。

 それだけでも驚きなのだが、女の姿ときたら、ファンタジーアニメかゲームの女騎士みたいな格好をしていたのだ。


 この街で、刃物を使った暴力事件なんて驚きだ。

 しかも犯人はコスプレ美少女!? いや映像では美少女かどうかは分からなかったけど……。


 あんな衣装のキャラいたかな? しばらくアニメ見てないし、そうでなくてもタイトルが多いからな。

 あとでジョージに聞いてみよう…などと思ったが、オレの頭はすぐ新居のことでいっぱいになっていた。


 新居の風呂を大きなものにするのもいいな。銭湯のくらい湯船を大きくして、ジャグジーなんかつけてみようか?


 そんなことを考えながら、家に戻ってきた。


「鍵、鍵…と」


 妄想していたらキーケースをどのポケットに入れたか、忘れてしまった。

 上衣、尻のポケットをたたいて確認していると、ふと、気配がした。


 玄関の近く、塀が作る暗がりに誰かがいた。


「──!?」


 振り向いたオレは言葉を失った。いや思考停止した。


 そこにいたのは、今まで見たことない、いや実在するとは思えないような美少女だったのだ。

 でも、思考停止したのは彼女の美しさが理由じゃない。


 美しいブロンドの髪。グラドルみたいなプロポーションの身体を覆う白銀の鎧。そして長い剣……。


 ここにいるのは、さっきニュースで見たコスプレ犯だ!



     4



 その娘は、薄闇の中でも輝いて見えた。


 街灯の光を受けてきらめく髪は本物の金のようだ。青い瞳は宝石みたいで、夜目にも美しく輝いて見えた。

 白銀の鎧は動きやすさ重視なのか、身体のラインがバッチリ出ている。豊かな胸とその谷間、むき出しの太ももが、まぶしかった。


 身長は一六〇センチあるかないか。外人さんにしては低いほうか?

 顔立ちも幼い感じで、一瞬、中学生かもと思えた。でも目力というか雰囲気からすると、二十歳くらいかもしれない。


 ──ファンタジーな異世界から来た姫騎士。


 そんな言葉が頭に浮かぶ。


 いやいやそんなハズないでしょ。

 現実離れしたキレイな子だけど、そんなことあり得るはずない。宝くじで10億当たるよりあり得ないことだ。

 オレは頭から厨二病的考えを追い払った。


 彼女は鋭い眼でオレを見つめている。

 警戒しているようだ。落ち着いてもらわないと。


「ええっと日本語分かる?」


 まずは笑顔で声を掛けてみた。その直後──


 ぶうん! と空気が鳴ったかと思ったら、目の前に剣が突きつけられた。

 長さ1メートルはあろうかという長剣だ。いつ抜いたのか、まるで見えなかった。


 街灯の灯りを受けて、ぎらりと刃が光る。


 本能が警報を鳴らしていたが、常識はそれを認めなかった。


「ははは、出来が良いなあこの剣。ホンモノみたいだ」


 近頃は、ポリウレタン製のファンタジーな武器が売られているんだよな。と、思いつつ、突きつけられた剣の先に触れた。


「え?」


 チクッと来た。

 慌てて確認すると、指先に、ぷっくりと血が盛り上がっている。


「ほ、ほほほホンモノぉ!?」


 思わず、裏返った叫びを上げてしまう。


「なんでモノホンの剣持ってるの? 日本で買ったの? 銃刀法は?」


 興奮して、頭の中に浮かんだことを口走ってしまう。


 それがいけなかった。


 彼女の眼が鋭く細められた次の瞬間、剣が一閃した。

 そばにあった庭木の枝──指二本ぶんほどの太さがある枝が、大根みたいにすっぱりと切り落とされた。


 この剣も、彼女の技もホンモノだ。そしてその眼は、手にした剣以上に物騒な光を放っている。


 もしかして、オレはここで死ぬの?

 せっかくブラック企業を辞め、仕事依存症から自由になって、人生これからって思っていたのに!


 絶望で目の前が真っ暗になった。


 ──その時だった。奇妙な音が聞こえてきたのは。


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