「タ、タケル君、どうした?」
急に黙ってしまったタケルに会長は不審に思い、首をかしげる。
タケルはこの世界には珍しい黒髪の若者だった。お金には苦労していそうではあったが、清潔感のある身なりには好感が持てるし、話してみると大人の思慮深さを感じる不思議な雰囲気を纏っている。
長くお付き合いできればと、かなりいい条件を提示したつもりだったが、タケルは押し黙ってしまった。
すると、タケルは顔を上げ、覚悟を決めた目で会長を見つめた。
「会長、一台当たり銀貨三枚でいいので、一万個売れませんか?」
「い、一万個!?」
会長は目を白黒させ、タケルを見つめ返す。
「多くの人が買える値段で一気に普及させたいのです」
「ふ、普及って言ったって……、ゲーム機なんて前例のない商材は……」
会長は腕を組み、首をひねって考え込む。百個ならお得意さんに卸して行けばすぐにでも捌けるだろうが、一万個となると庶民向けの新規の流通経路がいるのだ。ゲームは面白いが、ゲームに大金を払える庶民なんて本当にいるのだろうか? 前例のない商品を新規の流通経路に流してトラブルにでもなったら、アバロン商会の信用にも傷がついてしまう。合理的に考えればとても乗れない提案だった。
渋い顔をする会長にタケルは両手を前に出し、まるで夢を包むように想いを込める。
「テトリス大会を開きましょう! ハイスコアトップの人に賞金で金貨十枚を出すのです!」
起業家は商品を売る前にまず、夢を売らねばならない。前例のない提案でも熱い情熱で相手を動かす、それがわが師、スティーブジョブズの教えなのだ。
「じゅ、十枚!?」
「それ素敵! 私も出るっ! きっと私が優勝だわっ!」
クレアは太陽のように輝く笑顔で笑った。
その今まで見たこともないような、希望に満ち溢れた笑顔を見て会長はハッとする。娘がここまで入れ込むなんてことは今までなかった。つまりこれは新たなイノベーションであり、ブレイクスルーに違いない。ここは若い感性に賭けるべきでは無いか?
「ふぅ……。タケル君……。キミ、凄いね……。うーーーーん……。分かった、一万個、やってやろうじゃないか!」
会長はタケルの手を取り、グッと握手をする。その瞳にはタケルやクレアから燃え移った情熱の炎が燃え盛っていた。
タケルも負けじと情熱を込め、グッと握り返し、うなずく。
かくして、テトリスマシンは一万台販売されることとなった。日本円にして三億円の契約、それはベンチャーの開業資金としては十分すぎるほどのスタートと言える。
そして、異世界で大々的に開催されるテトリス・チャンピオンシップ大会。それはこの世界では前代未聞の大イベントだった。
◇
魔法ランプの素材を急遽一万枚、会長に用意してもらったタケルはアバロン商会の倉庫を借りて量産に励む。しかし一人で一万個はさすがに大変である。朝から晩まで【IT】スキルでテトリスを書き込んでいくが一日に二千個が限界だった。
「こんにちはぁ……」
クレアの可愛らしい声が倉庫に響く。
「あぁ、クレアさん……。もう少しで五千個、折り返し地点ですよ……」
疲れてフラフラになりながらタケルはクレアを見上げた。
「お疲れさまっ! で……、これ……、差し入れです」
クレアは澄み通る碧眼を輝かせながらニコッと笑うと、少し恥ずかしそうにそっと包みをタケルの机に置いた。
「おぉ、これはありがたい……。え……、これは……?」
中から出てきたのは少し不格好でやや焦げているパウンドケーキ。それは売り物ではなく明らかに手作りであり、タケルは息をのんだ。
「わ、私が焼いた……の。見た目はちょっとアレだけど、あ、味は……」
照れ隠しをするように手を後ろに組んで、宙を見上げるとクレアはゆっくり首を揺らした。
タケルは一切れつまんでパクっと食べ、にっこりと笑いながらサムアップ。
「美味しい……、美味しいよ。ありがとう!」
令嬢なのだから取扱商品を持ってくればいいだけなのに、自分で焼いてくれる。それはタケルにとって心温まる嬉しい差し入れだった。
「よ、良かった……」
クレアは白く透き通った頬をポッと赤らめながらうつむく。
そんなクレアを見ながら、タケルはなんとしても計画通り一万個の出荷を実現せねばとグッとこぶしを握った。
そこそこの規模であるアバロン商会としても、一般向けに一万個ものゲーム機器を売ってゲーム大会を開くということは、かなりリスクのある挑戦なのだ。そんな中で託してくれた会長やクレアの信頼にはちゃんと応えていきたい。
起業家にとって信用こそ一番大切な財産である。この第一歩をしっかりと成功させることが異世界ベンチャーの成功、ひいては魔王を倒して世界を救う重要なプロセスだった。