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23. 大木小夜の初恋

「いつもありがとう」

「どういたしまして」


口でしてあげた時のいつものやり取り。

哲也は終わった後必ず晴れやかな笑顔でお礼をいう。

してあげて感謝されるのなんて大抵最初だけなのに、

哲也だけは最初から今までずっと感謝してくれている。

(ちょっと恥ずかしい)

でも自分のしたことが感謝されて悪い気はしない。

嬉しそうな表情を見ていると癒される。


そして行為が終わった後は雑談をしている。

内容は大したことがないものだ。

好きなものの話とか今日あったことの話とか。

なんの気兼ねもなく話したいことを話す。


「哲也は本読むの?」

「読むよ、文学的なやつじゃないけど」

「例えば?」

「推理小説とかかな。西尾維新とか好き」

「西尾……維新……?」


聞いたことのない作家だ。

私も推理小説好きなのに聞き覚えがない。

哲也も私が知らないことに気づいたのだろう。


「あ、いや、綾辻行人とか」

「それならわかるよ、[十角館の殺人]はよかったよね」

「そうそう、あれで初めて叙述トリックって知ったよ」

「他にも良い作品あるけどパッと出てこないわね」

「[Another]もかなり好き」

「……それは知らない」

「え……? あ、いや、マイナーな作品だから……」

「読んでみたいからその本貸してほしい」

「売っちゃって今は持ってないから……」

「そうなの?」


哲也はあまり詳しくないのに、

時々すごくマニアックな作家とか作品をあげてくる。

調べても出てこないし興味あるんだけど、

詳しく聞こうとしても話してくれない。

ちょっと疎外感を感じる。


「大木さんは推理小説読むの?」

「それなりにね」

「おお、すごい」

「でも女の子で推理小説好きって引かない?」

「なんで?」


まったく理解できないという表情で私を見ている。

哲也は基本的に世間一般の常識に囚われず、

自分の中の常識で話すのできっと理解できないのだろう。


女性で本が好きと言えば純文学好きであって大衆文学好きではない。

SFや推理小説が好きなんて公言すると、

「女らしくない」「野蛮」「危ない人」と陰口を叩かれる。

だから私も普段は「推理小説読む?」と聞かれても、

「読まない」と答える。

(でも哲也ならそういう心配いらないからね)


「女性が読む本は純文学って決まっているのよ」

「なぜそんなことに?」

「女性に本を読む自由はあっても作品を選ぶ自由はないんじゃない?」

「雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。自由とはそういうことだ」

「ゲーテなんてよく知ってたね」

「え……、あ、そうなの?」

「なんで疑問形なの?(笑)」

「言葉だけ知っていて誰が言ったかまでは……」


ちょっとおろおろした感じ。

きっととりあえず思いついたから言ってみたんだろう。

こういう気を使わない会話が楽しい。

今までこういう話を出来る相手はいなかった。

最近学校が楽しいのは哲也のおかげに違いない。


・・・


そして一学期の終業式の日だった。


「部室に行ってもいいかな?」


哲也からそう言われた瞬間、目の前が真っ暗になった。

部室に行きたいというのは"してほしい"ということだろう。

とうとう哲也から要求が来てしまった。

(哲也はそんな人間じゃないと思いたかった)


いや、男はみんなそんなものだと分かっていたはずだ。

してもらっていれば我慢できなくなる。

最初は回数を増やしていき、

そのうち口でされているだけでは満足できなくなる。

「触りたい」や「入れたい」と言ってくるし、

それが叶ったらまた新しい要求をしてくるだろう。

(潮時かな)

今までのことを思い出す。

何をしても初々しい反応で可愛らしかった。

口でしてあげると必ずお礼を言ってくれるのが嬉しかった。

雑談というのがあんなに楽しいなんて知らなかった。


思い出せば思い出すほど後悔の念があふれる。

(もっと自重していれば……)

程よい頻度ならもっと長続きしていたかもしれない。


「いいわよ、少し準備するから30分後に来て」


準備時間をもらい部室に行きカメラの準備をする。

今までの感じだと頼むだけかもしれない。

それでもそこを縁の切れ目にするべきだろう。

(ずるずる行くと辞め時がなくなる)

現状、若干の好意はある。

頼まれたらしてあげたいと思ってしまう。

でもだからこそ、だ。

(哲也が変わっていく様を見たくない)

良い思い出は良い思い出のままでいてほしい。


「失礼します」

「入って」


情に流されてしまわないように意識を強く持つ。

そんな状態だったから、

哲也の手に持っているものを見て理解が出来なかった。

(掃除道具と……ケーキ箱?)

どちらも部室とは結び付かないものだ。


「それは何?」

「掃除セットとケーキかな」

「は?」


間の抜けた声を出してしまった。

掃除道具を立てかけてケーキ箱を私に差し出した。

中を開けるとイチゴのショートケーキが入っていた。


「いつも息子がお世話になっています」

「……その下ネタは0点ね」


必死に取り繕ってツッコミを入れたけど、

わたしの緊張の糸は完全に切れてしまった。

(なんでここで下ネタ交じりなの?)

笑わせに来た訳じゃないのは表情を見ればわかる。

無意識に出た言葉だろう。


「ありがたくもらっておくわ」

「よかった」


(いや、もしかしたら要求するための前振りかもしれない)

一応そんな風に考えようとした。

でも心の奥底ではそんなことは考えていなかったに違いない。

だってその後の彼の行動を見ても何も動揺しなかったから。


彼はケーキ箱を机に置くと箒で床を掃き始めた。


「何してるの?」

「掃除」

「なぜ掃除を?」

「いつもしてもらってるのでお礼をと思って」


真顔で答える彼。

「何を当たり前のことを?」

と言いたいのが顔に書いてある。


「……わたし、これからケーキ食べるのよね?」

「あああー」

「先に掃除すればいいわ」

「ごめん……」


哲也の驚き方があまりに普段通りで、

ただ何も考えていなかったのがよく分かる。


・・・


時間をかけて拭き掃除までして丁寧に綺麗にしてくれた。

ただ掃除をしてもらっている最中にビデオカメラに気づかれた。

とっさに「部活で使うの」と答えたけど、

上手く誤魔化せただろうか。


「掃除終わったからこれで帰るね」

「……もしかして用事ってそれだけ?」

「うん」


20分以上もかけて掃除し、

何の要求もすることなくケーキを渡して帰ろうとする。

渡しに来た理由も「いつもしてくれるお礼」のため。

(ああ、そうだ。彼は私の知る男とは違うんだ)


「ふふふ、ははは」


気づいたら笑いが込み上げてきた。

考えてみれば彼は最初からあの態度だった。

ただ私が疑っていただけ。


「ケーキの感想は聞かなくていいの?」

「そうだった!?」


あわあわしている彼はとても愛おしい。

見ているだけで心が幸せで満ちてくる。


それは人生で初めての恋だった。

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