「……もう、いい。勝手にして」
そう俯きながら言った柏木さんが、背を向けて空き地から走って出て行く。
何とかこの場を治められたものの、気分は家を出てきた時よりも悪くて鉛のように体が重かった。
「…吉井、さん?…だよね。庇ってくれてありがとう」
「…ううん、いいよ。高橋さんから柏木さんを呼び出したの?」
「うん…嫌がらせを止めてもらいたくて正面から言いたかったの。でも吉井さんが言ってくれたから、すごくすっきりしたよ」
ありがとう…と、言われた瞬間また体中が重くなる。
純粋な眼差しでお礼を言われると、自分の汚さが浮き彫りになっていくような気がして辛かった。
そしてそれと同時に、こうも思った。
「…高橋さんは、真っ直ぐで…綺麗だね」
「え…?」
翼が、高橋さんを好きになった気持ちがよくわかる。
真っ直ぐで綺麗で、全く偽ることもしない。
嫌なものは嫌だと、はっきり相手へ伝える強さもある。
キラキラと輝く雪の白さを、そのまま人の形にしたような、そんな人だった。
「真っ直ぐって言っても、言いかえれば我がままなだけだよ?何でも口に出して言っちゃうから」
「はは、可愛くていいじゃん。女の子はそのくらいの方がいいよ」
「ありがとう…いつでも素直にって昔から心がけてるの」
へへっと、可愛らしく照れたように笑う彼女を見て思ったことは1つだった。
「いいね。それ私もやってみるよ」
私も、この子みたいになりたい。
常に素直で、真っ直ぐで、自分の気持ちに正直でいたい。
偽ったり強がったりするんじゃなくて、ただただ真っ直ぐ…背筋を伸ばして前を向いて、恥ずかしくない自分でありたい。
クリスマスパーティーを始める前に、この子に会えて良かった。
誇りに思えないような恥ずかしいことを仕出かす前に、彼女と話せて良かった。
翼の大切な人を、深く傷つけてしまう前に踏み止まれて…本当に本当に良かった。
「高橋さん…」
「ん…?」
「これからも…よろしくね」
「…?ああ、うん!よろしくね、吉井さん!」
右手を前に差し出しながら言った言葉に、満面の笑顔で返事がくる。
握り返してくれた右手にぎゅっと力を込めながら、心の中で何度も何度も呟いた。
翼のことを、これからもよろしくね。
目から零れ落ちそうになるものを必死で耐えながら、高橋さんに笑顔を返す。
私の伝えたかったことに気付くことなく、高橋さんは手を振りながら空き地を出て行った。
また学校で。と言い残した後、一人空き地に突っ立ったまま空を見上げて考える。
今から自分がしなくちゃいけないことは何なのか。
大切な翼のために、今私がしてあげられることは何なのか。
それはクリスマス用のケーキを買いに行くことでもない。
翼の側にいて、支え続けることでもない。
「ふッ…うう゛…嫌、だ…」
今から実行しようと決めたことに、体が素直に反応を示す。
言葉になって現れた感情は、白い煙になって冷たい空気に消えていった。
「…ただいま、翼」
「お帰り…ってどうしたんだよその格好!」
「はは、ちょっと遭難した」
「遭難?!」
ひなの言ったケーキ屋はどんだけ過酷な所に建ってるんだと真顔で問いながら、翼がタオルを持って来てくれる。
雪まみれになっている体を玄関で拭いて、赤くなっているだろう鼻先に両手を当てた。
これから言うことを噛まずに済むように、念入りに鼻と口元を温める。
「ケーキ持ってないってことは志半ばで倒れたってこと?」
「ああ、そのことなんだけど…ちょっと翼に聞いてほしいことがあって」
「話くらい何でも聞くから早く中入れよ。絶対風邪引くってこれ」
ガシガシと乱暴に頭をタオルドライされる。
その温かい手を放したくなくて、言おうとしていたことがぐっと自分の中に戻っていく。
外に出してはっきりと伝えなくちゃいけないのに、翼の優しさに触れる度引き戻されてしまう。
「あのね、翼」
「ん…?」
リビングの方へ歩きながら、翼の背中に向かって呟く。
何も知らない翼が少しだけこちらを振り返った瞬間、ドクッと心臓が暴れ出した。
自分を落ちつかせるためにありったけの空気を吸い込んで、さっき見た彼女のように笑って見せる。
「やっぱり今日、クリスマスすんの無し!」
「は…?」
「あと数日、ここに泊まるのも無し!ここに来るのもやっぱ禁止!」
「……。」
怒っているわけじゃないことを前面に出しながら話を進めていく。
昨日このことを伝えた時は私が不機嫌になっていたから、翼も戸惑って受け入れなかったんだろう。
だから精一杯、伝わるように、受け入れてもらえるように…笑顔のまま話し続ける。
「学校でも外でもどこにいても、親しい関係はやめよう」
「…何で。ひなやっぱ怒ってんだろ」
「違うよ。今はほんとに怒ってない」
「だったら何で?ここに来たら駄目な理由がわからない」
「理由、か…」
会話をしながら翼が向かったのは、私の使い慣れた台所だった。
体が冷えている私へ温かいココアを入れながら、冷静に返事をしてくる。
翼の質問に笑顔を保つことが出来なくなって、仕方なくソファへ座って背中を向けた。
翼がココアを持って来てくれる前に、下がった口角と眉尻を元に戻して笑わないといけない。
もう一度深く深く息を吸ってぐっと止めた後、愛しくて仕方のない彼の名前を呼んだ。
「翼…」
「…何?」
ぶすっとした翼が、私の目の前でココアを差し出した瞬間…
「…好きだよ」
私の人生の中で、一番素直な気持ちが言葉になって出てきた。
「……え?」
「家族とか、友達とか、幼馴染とか、そういう意味じゃない。異性として…」
翼のことが、好きだよ…
笑いながら言えたと思った告白は、何かが頬に伝っていく感覚でやり遂げられなかったんだと気付かされた。
こんな伝え方をしてしまったら、翼に心配をかけさせてしまうに決まってる。
なのに…
なのに…
「ッ…だからもう、ここには…来ちゃ、駄目だよ…」
次から次へと溢れ出してくる涙は、もう自分の意思で止めることが出来なかった。