いつもなら絶対に泣かない翼の目の前で、涙が止まることなく滝のように流れ出てくる。
嬉しいという素直な感情が、勢いよく心からも溢れ出してきた。
朝起きた時は体が重くて、悲しくて寂しくて仕方なかった。
もう翼は側にいないんだと思うと、胸が痛くて苦しくて仕方なかった。
なのに今翼は目の前にいる。
私の家で、私の側で…私の名前を呼んでくれている。
当たり前のようにあった今までの全てが、こんなに幸せだと感じる時が来るなんて思いもしなかった。
もし許されるのなら、このまま変わらずに翼といたい。
恋人同士にもならなくていい。
この関係のままでも良いから、側にいたい。
ずっと一緒に、笑い合っていたい。
そんな我がままな感情ばかりが胸の中を駆け巡る。
ダメだと自分に言い聞かせる度に、また温かい涙が頬を伝っていって止まる気配を見せない。
子供のように泣きじゃくる私を見て、能天気な翼がハハハッと笑い始めた。
「ひなが泣くとことか幼稚園以来見てないからすげェ面白い」
「笑うな!」
「ごめんごめん。ひなの泣き顔ってブサ可愛いよな」
「うるさい!」
右手の人差指と中指を振りかぶりながら翼の方へ駆け出す。
慣れた手つきでかわしながら私の頭へ左手を乗せて、子供を慰めるように優しく左右へ動かされた。
その時に気付いたことは、子供だと思っていた翼がとっくに私の身長を追い抜かしていたことと、心まで私より大人になっていたことだった。
いや心の方は昔から、翼の方が大人だったのかもしれない。
いつだって喧嘩になりかけた時は翼の方が引いてくれたし、怒ったところを見たことがなかった。
唯一怒ったところを見たのは、高橋さんがイジメられているのを庇っている時だけ…
私の方が、ずっとずっと子供だったんだね。
ねえ、翼…
「今日一日、クリスマスやり直そう」
そんな優しい君が好きだよ。
「昨日は寂しい思いさせてごめん」
優しい君は、どこまで気付いてて、どこまで気付いてないの?
ねえ、翼…教えて。
「これからは当日は無理でも、ちゃんと一緒にクリスマス祝うから」
大人になった君は、どこまで気付いてて、どこまで気付いてないの?
私の気持ちは、まだ何も気付いてない…?
それとも、全部わかってて…側にいようとしてるの?
「泣くなって。…ひなは、俺のこと1人にすることなんてなかったもんな」
本当は、そんなことを言葉にして聞かなくてもわかってる。
翼と一番長く一緒に生きてきたのは、両親でも友達でも彼女でもない…私だから。
「ひな…マジでごめん」
君がどこまでわかってて、どこまでわかっていないのかくらい…
本当は、全部わかってるよ。
「ひなも…俺の大事な家族なのに、寂しい思いさせて…1人にしてごめん」
…君は、とてもとても優しい人だから。
「うん…もういいよ。謝ってもらったし、もう1回お祝い出来るなら…それでいいや」
私の気持ちに気付いていたら、とっくにここには来ていないもんね。
優しい君は、高橋さんのために私から距離を置くはずだから。
全部全部、どう思ってるかくらいわかるよ。
私のことは、彼女と同じくらい大切な幼馴染で、友達で…家族なんだよね。
だから、私を1人になんて出来ない。
寂しい思いも、孤独にさせることも出来ない。
そんな優しい君に、この期に及んで甘えようとしてる自分は恥ずかしいよ。
恥ずかしくて、卑怯で…すごく汚いと思う。
けれどもう、今日だけは…
今日だけは…
「翼!クリスマスじゃないけど、クリスマスパーティーやろう!」
優しい君に甘えて、素直でいたいんだ。
「いつにも増してやる気出てんじゃん」
「うん!でもご飯は昨日の温めたやつと翼が作った得体の知れない鍋だけね!」
「やり慣れてないから鍋二つくらい破壊したけど喜んでもらえて良かった」
「あはは!後でサンタにお願いしよ!翼を殴り殺してって!」
あくまで笑顔のままキッチンに転がっている破壊された鍋達を片付ける。
存分に散らかされた調理器具を洗って、柄にもなくふふっと声を出して笑った。
翼のやらかす行動の後始末をするのが、私の昔からの日課だった。
当時は嫌々やっていたことが、今になってはこんなにも嬉しく感じている。
翼に必要とされていることを実感出来て、頬の緩みが止まらない。
一度外れてしまった理性のためにも、今は一端外へ出て気持ちを落ちつかせた方が良いような気がした。
「…翼、どうせやるならホールのケーキ買おうよ!」
「クリスマス用の?まだ売ってんのかな…」
「売ってるとこ知ってるから売り切れる前に買ってくる!洗い物係交代!」
「俺ひなに謝るので神経使い果たしたからもう二本足で立てない」
「じゃあ四本足で立ちな!」
「…俺の足何本あると思ってんの?」
翼に洗い物を頼んでから自分の部屋で服を着替える。
5分もかからずに準備を済ませて、急ぎ足のまま階段を駆け下りて玄関の方へ向かった。
さっきまで立てないと言い訳をしていた翼が、二本足で玄関の方まで歩いてくる。
両頬を膨らませながら翼の足元を指させば、お返しと言わんばかりに翼が残念そうな顔で私の胸元を指さしてきた。どういう意味だ。
「じゃあ行ってくるから洗い物頼んだ」
「えー」
「……そんなに嫌なら」
一緒に、買い物行こうか…?
そう優しく問いかけた質問に、翼が驚いたような、悲しそうな表情を見せる。
その時、前の翼がよく言っていたことを一字一句違わずに頭の中で思い出した。
『俺も行く』
『嫌だよ。スーパーで学校の人に会うこと多いんだから』
『別にいいじゃん』
高橋さんを好きになる前の翼。
あの頃は、何度駄目だと言っても後からついてきて、その度に私はついてくるなと突き放していた。
ほんの数日前の出来事のはずが、ひどく懐かしく感じてしまう。
それはたぶん、今目の前にいる翼が前とは正反対の反応を見せているからだ。
「…ごめん。行かない」
「……そっか」
買い物について来ようとする翼とそれを拒む私。
それが今では、こんなにも見事に逆転してしまっている。
お互いが変わってしまったことを再認識した瞬間、また痛いほど…現実を感じてしまった。