また、大量に落ちる雪の音で目が覚めた。
前日のクリスマスと何一つ変わらない目覚め方。
寝惚けながら上半身を起こせば、またクリスマスが始まるんじゃないかと錯覚してしまう。
でも昨日と違うことは山のようにあり過ぎて、すぐに現実へと引き戻された。
昨日と大きく違うことは3つ。
私が、翼を好きだとはっきり自覚して認めたということ。
今日はクリスマスじゃなくて、毎年楽しかったクリスマスパーティーももう無くなったということ。
それから…
「もう…翼はいないんだ」
今までずっと側にいた翼が、今日から居なくなったということ。
その3つの現実を噛みしめながら、重い体を動かして階段にゆっくりと足を進める。
もうここを下りても、リビングでうつ伏せに寝ている翼はいない。
もう二人分のご飯を作ることはないし、二人分の洗濯を回すこともない。
家に帰ってただいまと言うことも、テレビに映る卑猥な映像を怒りながら消すこともない。
お腹が空いたと催促されることも、子供みたいに甘えて、私の側から離れずに笑いかけられることもない。
そう思うと、寂しさと悲しさで喉の奥が締め付けられる。
この締め付けられるような痛みは、涙を我慢する時に感じるんだと昨日学習した。
いっそのこと、我慢せずに涙を流せば少しは楽になるのかな…
昔から強がって本音を偽る癖がある私にとって、こんな風に思えるようになったのは著しい進歩だ。
少しは素直になることを覚えないと、これから先また…幸せを逃すような気がする。
重い足取りを止めて、階段の中段辺りで両足を揃える。
下へ進むのを一端休んで、目から出てくるものを右袖で拭った。
本当に出してもいいのかと問いかけてくるような、謙虚な涙の出方に少し笑えてくる。
昨日まで泣いたことがほとんど無かったから、体の方が驚いておずおずと涙を流しているみたいだった。
「ほんと…とことん素直じゃないな」
袖の色を変えていく少量の涙に笑いながら、右足を一段下へ踏み出す。
トンと、自分の足音だけが響くはずだった空間に、突然違う音まで鳴り響いた。
何かが、壊れたような金属音。
それが誰もいないはずの一階から何度も連続で響き始める。
真っ先に浮かんだのは泥棒。その次に浮かんだ人物は…
「…あ、ひな。おはよ」
昨日の夜、何も言わずに荷物をまとめて帰った翼だった。
来るなと突き放された翌日にも関わらず、いつも通りの表情で能天気な挨拶を返される。
まさか、本当にクリスマスの日に戻った…?
昨日のことはただの夢…?
あまりの唐突な出来事に頭の中が整理出来ない。
想像していたものとは全然違う現実に、混乱しまくって開いた口が塞がらなかった。
「な、え…翼、来んなって私昨日言ったよね?」
「うん、言った」
「そ、それで…翼は何も言わずに荷物まとめて帰ったよね?」
「うん、帰った」
淡々と聞かれた質問に返事をしながら、キッチンでごそごそと手を動かし続ける。
朝からそんなことをしている翼を今まで見たことがなかったから、余計に現実とは違う気がして困惑した。
色々疑問点が多過ぎて何から聞けばいいのかわからない。
ぽかーんと口を開けたまま突っ立っていたら今度は翼の方から立て続けに話をし始めた。
「ひなが来んなって言っても一週間泊まって良いって言われたし、ひなも一回は承諾したよな?」
「そ、そうだけど…」
「じゃあ俺には少なくともあと三日、ここにいていい権利がある」
「……。」
少し誇らしげに言い放ってくる翼へ右手の人差し指と中指が反応しかける。
得意の鼻フックが繰り出される前に、理性のある左手で右手を抑えつけて翼の方に視線を戻した。
「それと…ひな、昨日怒ってたんだろ?」
「…!」
申し訳なさそうに少し顔を俯けながら小さく呟かれる。
こっちには一向に顔を向けず、ただ黙々と手を動かし続けていた。
未だにキッチンから離れた場所で突っ立っている私には、翼が何をやっているのかもどんな表情をしているのかもわからない。
聞かれた質問に驚きはした。
翼が私の感情に気付くくらい大人になっていたことに、成長していたことに、驚きはしたよ。
けどきっと、何に怒っているのか、何に悲しんでいるのかまでは気付いていない。
その確信があったから、すぐに偽る言葉は口から出てきてくれた。
「怒ってないよ。翼のために言ったの」
「違う。絶対に怒ってた。怒った理由もわかってる。だから…ちゃんと謝りにきた」
怒った理由もわかると言った翼にドクッと心臓が大きく脈打つ。
本当にわかっていたらどうしよう。
本当に、本当にわかっていたら…私の気持ちも、全部気付いてしまっているかもしれない。
ぐっと眉尻が下がって眉間に皺が寄っていく。
どうか悟らないで…
そう強く願いながら両目をぐっと閉じた時だった。
「クリスマス…やり直そう」
ドンっと大きな金属音のような鈍い音が響いてビクッと肩を震わせる。
何事かと目を開けたそこには、茶色の液体が吹き零れているドでかい鍋がキッチンのカウンターに置かれていた。
「昨日作った大量の夕飯…俺と祝うために作ったんだろ?」
「え…」
「前日に言わなくてごめん…毎年作ってくれてたし、もっと早く言っとくべきだった。これ、謝罪の意味も込めて作ったから…」
ひな、メリークリスマス。
そう笑いながら言われた瞬間、ぶわっと目から涙が溢れ出す。
さっき素直になろうと心掛けた所為で、泣いてはいけない時まで素直になり始めた。