ドサッと、屋根から大量の雪が落ちる。
その音で目が覚めてから数分は経っているはずなのに、未だに瞼を持ち上げて視界を明るくしようとは思わない。
真っ暗な瞼の裏を見つめたまま、ゆっくりと翼のことだけを考えていた。
翼のことを考えると、もやもやする。
こんな風に感じたのはつい最近で、翼がここに帰ってくることに安心感を覚えたのもつい最近だ。
胸が痛くなったり辛くなるのは、いつだって高橋さんが絡んでいる時…
そこまで頭の中を整理した瞬間、思わず上半身が前へ起き上がった。
「違う違う。違うってば」
誰もいない部屋の中で否定の言葉が響く。
両手で顔を覆いながら思い出すのは、昨日の終業式をジャージ姿で出席していた翼の後ろ姿。
その後ろ姿を申し訳なさそうに見ている高橋さんの横顔。
心から翼のことを大切に思ってくれているんだと感じて、余計に胸が苦しくなったことを覚えている。
私はきっと、ただ翼が離れて行くのが寂しいだけだ。
今までと何一つ変わらずに、楽しい家族でいたかっただけだ。
だからこの胸の痛みは…家族愛なんだよ。
顔から両手を離して、ぼーっと目の前にある本棚を見つめる。
置いてある家族写真に目を向けてから立ち上がって、その後ろにあったアルバムへと手を伸ばした。
開いても開いても、出てくる写真のほとんどに翼が写っている。
カメラ目線でピースしながら2人で笑っている写真。
室内プールでムキになって競争している写真。
私が砂場で泥団子を作って翼に振る舞っている写真。
…はは、翼明らか嫌がってんじゃん。半笑いだし。
懐かしい思い出を目で確認しながら頬を緩ませる。
3歳の翼がおねしょして泣いている写真には吹き出した後、大声で笑ってしまった。
きっとこの頃の私も写真に写っていない所で笑ってたんだろうな。
「ははは!あー、もう…笑い疲れた」
ドサッともう一度布団へ背中を預けながら、アルバムの次のページを開く。
毎年欠かさず行っているイベントの写真が視界に入ってきて、ほんの一瞬…また胸が苦しくなった。
「…今日で、これも最後かな」
毎年必ず行っているクリスマスパーティー。
パーティーと言っても、参加するのはたったの二人だ。
昔は翼の両親と私の両親も参加していたけど、仕事が忙しくなるにつれて人数は減っていって小学生の頃には二人だけになった。
それでも楽しかった。
一人じゃなくて二人で過ごすクリスマスは、例え両親がいなくても楽しくて温かかった。
二人だけでやった初めてのクリスマスはボロボロで、翼が買ってきたろうそくは買い物途中でぽっきり折ってくるし、私の作った七面鳥の丸焼きは見事に丸焦げになった。
次の年のクリスマスはほんの少しだけマシになって、その次の年もまたマシになって、二人共どんどん上達していった。
今冷静に考えれば、高校生になっても続けていることの方がおかしい気もするけど…
それでも、このイベントは毎年すごく楽しかった。寂しくなかった。
『翼…』
『ん、何…?』
『いつも私より先に帰ってるけど、高橋さんとデートとかしなくて良いの?』
『高橋まだ受験終わってないから』
一昨日そう翼が答えたということは、高橋さんの受験が終わればクリスマスのイベントも当然無くなるということ。
きっと今日のクリスマスが最後になるんだろうな…
ぐっと押し寄せてきた寂しさに涙腺が緩み始める。
悲しんでいる暇はないと自分に言い聞かせて、寝巻のまま階段を駆け降りた。
まだ朝だから翼は寝ているだろうと思ってはいたけど、案の定気持ちよさそうに寝ていて腹がたつ。
「まあ人の気も知らないでぐうすかと…」
「……。」
リビングに敷いた布団でうつ伏せのまま眠っている。
うつ伏せに寝る癖は昔から変わってないから、起こし方も昔と変えずに馬乗りになってやろうかとも思った。
けど、翼の後ろ姿を心配そうに見つめている高橋さんの横顔を思い出して、ピタッと動きを止める。
高橋さんが見てないからやっていいってわけでもない。
今までやってきた代わり映えのない行動が、今では罪悪感が伴ってくる。
この変化が嫌で、変わりたくなくて、私は苦しいって駄々を捏ねてるんだ…きっと。
右頬を床で潰してすやすやと眠っている翼から、ゆっくりと音を立てずに離れる。
昨日買っておいたクリスマス用の材料を冷蔵庫から取り出して下準備を始めた。
料理の合間を見ては服を着替えたり洗濯をしたり、出来るだけ音を立てずに行っていたものの多少はバタバタと響く。
それでも一切起きる気配を見せない翼に呆れながら、夕方近くまで作業を続けた。
机一面に並べられる量の夕飯。
いつもより少し豪華に見えるよう飾りつけを終えて、翼の方へ近づいていく。
夜中までやっていただろうゲーム機を簡単にまとめながら、寝ている翼の肩を動かした。
「翼、もう準備出来たから。ってかもう夜だよいい加減起きなって」
「……。」
「つーばーさ!」
叫んでも揺すっても起きない翼に呆れかえる。
やっぱり馬乗りになるくらいの衝撃を与えないと起きないのか…
そう諦めかけていた時に、もう一つ起こし方を思いついた。
けどこの方法で翼が簡単に起きてしまったら…たぶん、また私の胸はぐっと鈍い痛みを感じることになる。
「…翼」
「……。」
「…高橋さん。家に来てるよ」
耳元で小さく小さく囁いた私の声に、翼がガバッと上半身を上げて反応を示す。
背骨が折れるんじゃないかと思うくらい仰け反った翼へ、嘘だよ、と小さく呟きながら台所へ移動する。
すぐに翼の側から離れたのは、今している自分の表情を翼には見せたくなかったからだ。
きっと、翼が見てしまえば混乱させてしまう。
翼が、私を心配してしまうような…そんな表情だったから。