城にむかう道の入り口、案内人のヨドがいた場所にまでたどりついた。
女性が一人、立っている。
アゲハはそれが誰なのかわかり、
「あっ! あそこにいるの、エルガじゃん」
「ああ、そうだな。でも、どうしてあんな所に?」
カンタロウ達に気づくと、エルガはすぐに走ってきた。
ソフィヤが無事帰ってきたことによる、嬉しさからだと二人は思った。
アゲハは元気よく手を振り、
「ヤッホー。どうしたの? こんな所で……」
「カンタロウさん! お願いです!」
エルガはアゲハを無視すると、ソフィヤの体をつかんだ。
無理矢理カンタロウの背中から引き剥がそうとする。
華奢なソフィヤは、痛さと姉の鬼気迫る態度に、困惑し、
「お姉ちゃん?」
「ソフィヤを返して!」
埒が明かないので、カンタロウはソフィヤをエルガに渡した。
エルガはソフィヤを抱きしめると、懐かしい匂いを鼻いっぱいに吸い込み、
「……ソフィヤ」
「ねえ、お姉ちゃん? どうしたの?」
エルガはすぐにソフィヤを抱き上げた。
女の力とは思えないほどの、素早さだった。
「……ごめんなさい」
エルガは、カンタロウ達に目を合わせず、一言謝ると、そそくさと家へ帰ってしまう。
アゲハはぽかんとして、様子を眺めていた。
エルガが去った後、ぞろぞろと町の人間達がでてきた。
手には剣やクワや斧を持っている。男ばかりで、女は一人もいない。
皆殺気だった表情で、まるで敵を前にした軍隊のように、異様な雰囲気が辺りを包んだ。
「なっ、何? あれ?」
「……そうか、そういうことか。バレたんだな」
アゲハは豹変した町の態度にたじろいだが、カンタロウは力が抜けたように冷静だった。
「やっぱりあいつだ! 剣帝国王、カストラル様を見殺しにした、無能な騎士の息子だ!」
老兵のヨドが、カンタロウを指さした。
ヨドは剣帝国都市グランデルにいたことがあるため、カンタロウの素性を知っていた。
カンタロウと会ったときに感じた違和感は、それだったのだ。
「貴様のせいで、ラインベルン様はおかしくなったんだ! 昨日の夜の異常な現象も、結界が壊れたのもあいつのせいだ!」
ヨドに同調して、中年の男達が武器を振り上げた。今にも襲いかかってきそうな勢いだ。
「でていけ! この町からでていけ!」
老人達も唾を飛ばして、威嚇する。
「なっ、なんでよ! どういうこと!」
アゲハは無実を訴える罪人のように、町の人達にむかって叫んだ。
「アゲハ」
「カンタロウ君! どういうことなの?」
「アゲハ、もういい。でよう。この町から」
「ちょっと! カンタロウ君!」
「俺の前を歩いてろ」
カンタロウはアゲハを町から外へむけると、両肩を押さえ、自分の前を歩かせた。
「ぎゃはは! 死ねばぁか! 犬小屋に帰れ!」
「おい! 頭に当てれば賞金だ!」
「よしっ! やってやるぜ!」
勢いをつけるため、酒に酔った若い男達が、カンタロウにむかって石を投げつけた。
力加減も容赦なく、銃弾のように飛んでくる。
ゴツンと鈍い音がし、カンタロウの頭から、赤い血が頬を伝った。
「カンタロウ君、血が……」
「いい。かまわない。俺の前を歩いていればいい。アゲハは背が低いからな、守りやすい」
「でも!」
「いいんだ。これで。いいんだ」
カンタロウは自分でも驚くほど、落ち着きすんだ声をしていた。
*
カンタロウとアゲハはいったん町を離れ、森の中へ入った。
町の人間は追いかけてこない。
剣を持っていたのが、攻撃の抑止力になったのかもしれない。
アゲハはカンタロウを岩の上に座らせると、怪我の具合を見てみた。
カンタロウの額から流れる血は、まだ止まらず流れている。
血の滴が、点々と地面に落ちた。
「……ひどい。アイツ等、恩を仇で返すなんて! 後で町潰す!」
アゲハはむかむかと腹が立ってきて、乱暴に吐き捨てた。
「落ち着け。そんなことしても仕方ない。それに、俺と組んでると、こんなことはよくある」
カンタロウは自分で包帯を巻くために、布を怪我した部分に当てる。
「あっ、待って。私がやるから。じっとしてて」
アゲハはカンタロウから包帯を取ると、頭に巻き始めた。手慣れており、すぐに巻き終わる。
「包帯の巻き方、うまいな」
包帯が巻かれた部分を触りながら、カンタロウはアゲハを少しだけ見直した。
「どういたしまして。私を尊敬した?」
「ああ、したした」
「さて、じゃ、教えて。どうして君はあんなことされるの?」
アゲハはカンタロウの目の前にある岩に座った。
アゲハの青い獣人の目に、カンタロウの姿が映る。
カンタロウはその瞳に吸い込まれそうな気がし、
「……俺の父親は、剣帝国騎士団団長だった。王の親友でもあり、憧れの人だった。これが、俺が元貴族だった証だ」
赤眼化し、鉄の入った右手の手甲を外す。そこには、蛇のような魔物が描かれていた。
「国章血印……見たことない、こんなの」
「だろうな。この国章血印の名前は『夜刀』、角のある蛇だ。騎士団の印でもあった。今は王が変わって、廃止になっている。カストラルの血筋の者が、王になっていないからな」
現在、剣帝国の国章血印は『ソードドラゴン』。
剣を持った竜だ。
『夜刀』を引き継がなかったのは、その国章血印を持ったカンタロウの父が、王の暗殺者をつかまえることすらできなかったということで、汚点の印とされたからだ。
王の血筋の者は、誰も王の後継者とならなかったため、国章の変更に反対する者はいなかった。
「それで私のこれを、国章血印だとわかったんだね」
アゲハは手袋で隠された、右手を上げた。
「ああ。そうだ」
カンタロウはうなずくと、森の木を見上げた。
「父、コウタロウは剣帝国王カストラルに進言しに行ったんだ。表面上は国民受けのいい王様だったが、内面では軍備を強化し、他の帝国への侵略戦争の準備をしていた。反対する官僚達を首にし、処刑までした。そのうち、暴君に、誰も何も言えなくなった。そのことで揉め、父は王を手にかけてしまった」
「えっ! そうだったの? 私が聞いたのは、暗殺者に殺されたって……」
「そう。俺も子供の頃はそう思ってた。父が王を暗殺者から守れなかった。だから処刑されたのだと」
森の木には、くちばしの太い黒い鳥が、人間達を見下ろしている。その粒のような瞳に、感情はない。
「だが事実は違った。父は王と喧嘩し、つい殺めてしまったんだ。それを知った官僚達は、父を咎めこそしなかった。嫌ってた王が、死んでくれたんだからな。だが、王の死を、国民にどう示せばいいのかわからなかった。何せ、王は国民に慕われていたからな」
「じゃあ、もしかして、そのためにお父さんを処刑したの?」
「いいや。他国への追放が有力候補だったらしい。だが、父が、責任を取ると処刑を望んだ。そのかわり、俺達家族を助けてくれるよう願いでた。そして、あの日、外にでることを許されなかった日。父は処刑された。母は父のそばにすら行けず、ずっと、泣いていた」
カンタロウの父が処刑された当日。
六才になったカンタロウは、外に遊びに行こうと、靴をはいていた。
スズが止めた。
目元には、泣いたような跡があった。服装も、普段より地味だったような気がする。
屋敷は静かで、いつもいる使用人も見かけない。
やることがなくなったカンタロウは、嫌な予感がして、母の部屋に入った。
母は畳の上で正座し、黒い着物を着て、静かに座っていた。
カンタロウが来ると、優しい笑みで、手招きした。
カンタロウは喜んで母の胸に顔を埋めた。母は強く息子を抱きしめる。
母の腕の隙間から、庭が見えた。
黄色い菊の花を咥えた、黒いカラスが、石垣の上に立っている。
父のことを思い出し、どうして帰ってこないのか聞いてみた。
母の顔が歪み、涙がカンタロウの目元に落ちた。
カンタロウは父に何かあったことを知った。
「俺は何も知らなかったよ。父がどうなっていたかなんて。まだ子供だった」
「なら、どうして、こんなことになってるの?」
「官僚が父との約束を、反故にしたからだ。頭のおかしい犯罪者に家を燃やされ、借金もたてかえてくれなかった。俺達親子は山奥にまで追いやられた」
「そんな……じゃあ、どうして事実を国民に公表しないの? みんな間違ってるじゃない。このままじゃ、あなたのお父さんは王を守れなかった、無能な騎士のままじゃない」
「俺もそう言った。しかし、剣帝国がそれを公表すれば、確実に非難される。偉大で優秀な王を悪者にし、どうして無能な騎士をかばうのかと。今は新しい王をたて、政治を改革している途中だ。国民感情を損ねるわけにはいかないと、あいつに説得された」
「あいつって?」
「現騎士団の団長だ。スズ姉の仲間だよ」
スズとは、確かカンタロウがホームシックになっていたときに聞いた、保護者のような人物だなと、アゲハは思い出した。
仲間ということは、たぶん元騎士だったのだろう。
「罪を、かぶせられたわけだね」
「そうなるな。だが、俺は真実を聞いて、少しだけ楽になった」
「どうして?」
「――やっぱり、父はすごいなと。母を惚れさせるだけはあるなと。俺はそう思った」
父は暴君を止めた英雄なのだと、カンタロウは今でも信じている。
自分ではどうにもならない負の感情を、父のおかげで抑えられている。
誰にも信じられなくとも、前向きに進むことができたのだ。
「だから耐えられるんだ。俺も、母も。こんな不条理な世の中に」
「そっか」アゲハはカンタロウの晴れ晴れとした顔つきを見て、安堵のため息をついた。
「その国章血印。捨てないの? 今後、何かと不便だよ。きっと」
「捨てられないんだ。これは唯一俺が持ってる――父親との絆だからな」
カンタロウは手甲を元に戻し、大切そうになでた。
「さっ、話は終わりだ。行こう。たとえ誰にも認められなくても、俺達は良いことをしたさ。きっとソフィヤやエルガ、城の娘達はわかってくれる」
アゲハに告白したことによって、気持ちが軽くなったのか、カンタロウは立ち上がると森の中を進んだ。
その後ろで、アゲハは手で顎を触り、ニヤニヤ笑っている。
――へえ。なるほどなるほど。
あまりのおかしさに、つい口から歯が覗く。
――国から捨てられた元貴族の子。死んだ所で、誰も悲しんでくれない。かわいそうな子。
影無やカインに見せた、不気味な笑顔。
笑っているようで、笑っていない表情。
――かわいそうな、かわいそうな、カンタロウ君。私が利用してあげる。その美形も、その強さも、そして優しさも。
人間を飼育し、大きくなった所で食べる魔物のような瞳で、カンタロウの後ろ姿に、目を据える。
――我等、エコーズのために。
カンタロウがアゲハの視線に気づいて、後ろを振りむいた。
アゲハは普段どおりの表情に戻り、ニコニコ笑った。
「どうした?」
「ううん、なんでもない。よっしゃ、とりあえず何かおごれよ。昨日から何も食べてないからな」
「わかったよ。今回だけだぞ」
カンタロウはアゲハの本心に気づくことなく、素朴な笑顔を見せると、また歩き始めた。
アゲハは前進する前に、町の方を振り返った。
木々の間から見える町は、何事もなかったかのように、そこに建っている。
神脈結界レベル1も、きちんと発動されていた。
――一つだけわかったことがある。ゴーストエコーズを生みだしている人物。そいつはエコーズじゃないってこと。
アゲハは町に背を見せ、カンタロウを追いかけ、
――なぜなら、そいつは、結界の中に入れる。
黒い鳥が、一声鳴き、空へとはばたいていった。
*
イデリオ城正門から、四人の若い娘達がでてきた。
クシギ、ヒバリ、ミユ、リズの障害を持った娘達だ。
片足のないヒバリは、クシギに背負われながら、しくしく泣いている。
「カインさぁん」
「泣くなよヒバリ」
「だってぇ」
ヒバリの背中を、片目に眼帯をした、ミユがさする。
「いいから、泣かせてあげよ」
「そうだね。いっぱい泣くと……すっきりするしね……」
片手が動かない、リズはしゃっくりを上げていた。
「ミユだって泣いてるよぉ。リズだってぇ」
「結局、お前達泣くんだねぇ。まあ私も泣いたけどさ……」
城近くにある湖畔まできたとき、クシギが人の気配に気づいた。
湖畔に建てられたカインの墓の前に、誰かが立っている。
すでに墓からは、不吉の象徴である赤い花が、満開に咲いていた。
――あれ? 誰かいる……。
髪は茶色、短パンから黒い毛だらけの足が見える。
耳にはピアス、両手は指輪だらけ、色柄もののシャツを着ている。
故人の墓の前に立つには、あまりにも軽装すぎる。
「クハッ、残念だなぁ。俺の好みだし、せっかく神獣をうまくコントロールできる奴だったのになぁ」
墓の前で、何かをしゃべっている。
太陽の光で輝く湖の中、それはとてつもなく違和感があった。
――男? 見たことない奴だ。
何とか性別は判別できた。男はまだ何かをつぶやいている。
「クハハッ、まっ、いっか。この世界から逃れたかったようだが、人を捨てたお前は――一生この醜い世界を回るだろうさ」
男がクシギに気づいたのか、こちらをむいた。
その顔は猿のようなシワがあり、若いが年寄りのような印象を受ける。
男はクシギにむかって、鋭い歯を剥きだしてニヤリと笑った。
「まあ、それでも、見えない檻に気づかず、喰われるために生かされている現実よりかは、マシかもな、クハハッ」
クシギの背中に悪寒が走った。
――あの両目、まさか。
悪寒の原因はその両目。赤く、血のような、獣の目。右目下に、神文字はない。
――エコーズ……。
あまりの緊張感からか、ゴクリと唾を飲み込んだことさえ、忘れていた。
「どうしたの?」
ヒバリがクシギに声をかける。
クシギは我に返ると、もう一度湖畔に視線をむけた。
「えっ? あっ、あれ?」
男はすでに、風のように消えていた。