「ルウ? あの、精神病院にいたルウなのか?」
「そうだよ。まあ、精神病院というか、見せ物小屋だったけどね。あそこは」
カインから見せ物小屋という単語を聞き、カンタロウの過去が想起された。
裸にされ、水を浴びせられる。
アルコールを飲まされ、泥酔させられる。
汚泥の海を泳がされる。
檻の外にいた人間は、自分達を見て、悪魔のように笑っていた。
「どういうこと……」
アゲハはカンタロウが黙ってしまったので、カインに話の先をうながす。
「精神疾患患者を使って、僕達はピエロを演じさせられていた。自分を王だと名乗る者、踊り狂う者、奇声を発する者、見えないものを追いかける者。暴れれば血を抜かれ、貧血状態にさせられていた」
カインがしゃべるたびに、カンタロウの顔がこわばる。
それを見たアゲハは、それらの話が、すべて事実だと知った。
「それを人は、お金を払って観にきていた。笑い物にするために、自分が正常であるという安心感を得に、優越感に浸るために」
人の残酷さ。それを嫌というほど知ったカインの声は、低く、震えている。
「僕達は動物園の動物なのさ。人扱いじゃなかった」
「……違う。俺も、お前も、正常だった。異常じゃなかった。普通の人間だ」
「違うよカンタロウ。少なくとも、僕は違う。君と出会ったとき、僕は何歳だったと思う?」
自分と同じ年齢、十歳のはずだ。カンタロウはそう、目でカインに訴える。
「もう二十を超えてたんだよ。僕は」
カインが何を言っているのか、アゲハはどういうことかわからなかったが、カンタロウは驚き、呆然とした。
「成長しないんだ。僕の体は。年相応に。だからあそこに入れられてた。血の繋がった親にね」
「だけどお前は……でられた……あの狂った病院から」
「ああ、僕はでられた。そういえば、君には嘘を教えていたね」
「どういうことだ?」
「僕は養子としてでたんじゃない――ペットとして買われたんだ。ここの王様に」
ペット。愛玩動物。カインの言う言葉の衝撃に、カンタロウの頭はクラクラしてくる。
「ペット……何それ?」
アゲハもカンタロウと同じ気持ちだ。人間をペットにする。自分の知っている世界に繋がらない。
「僕は王のそばで、ペットのように暮らさなければならなかった。お手をしろと言われれば手を、お座りをしろと言われればお座りを、ボールを投げられるのなら取りにいかなきゃならなかった。家族として扱われたさ。服を着せられ、餌も与えられた。だけど僕は、人じゃなかった」
人として扱われないのは、カインとしては、どういう気持ちなのだろう。
カンタロウも、アゲハも、その気持ちを理解できず、おし黙るしかなかった。
「どんな形でも、人として扱われたのなら、まだマシだった。ねえ、カンタロウ。――僕は、なんなんだ? 僕は何のために生きてるんだ? 人以下の存在なら、僕は家畜よりも劣るのか?」
答えられない。
慰めの言葉も、勇気づける言葉も、カインにかける言葉が何も思いつかない。
カンタロウは辛そうに、唇を噛んだ。
「カンタロウ君、もう限界!」
アゲハが力を使い果たし、悲痛な叫びを上げた。カンタロウの手を握る力が、弱まっていく。
「ルウ……」
「あの子達は、唯一、僕を人として扱ってくれた。だから僕は、助けたいと思ったんだ。神の雷で町がなくなった後、生き残った彼女達は神格化され、もしかすると障害者の希望となれるかもと思った」
カインは、いや、ルウは手の力を抜いていく。カンタロウの手から離れていく。
「カンタロウ。君は、僕達の希望だ。生きて、生きて、生き抜いてやれ。そして思い知らせてやってくれ。――僕達だって、幸せになれることを……」
ルウとカンタロウの手が、離れた。
最後にカンタロウが、生きているルウを見た表情は、かつて子供の頃に見た顔と同じ。
明るく、楽しそうに遊んでいた顔つきだった。
「ルウ!」
カンタロウは離れていくルウを追いかけるように、手を大きく伸ばす。
「駄目! カンタロウ君!」
アゲハはそれを必死で止めた。
「ルウぅ!」
ルウは闇の中に、溶けて、消えていった。
*
カンタロウ、アゲハ、ソフィヤは、城からでて、ルウの死体を探していた。
ルウはちょうど落ちた場所に、転がっていた。
胸に手を置き、まるで眠っているかのように、静かに両目を閉じている。
「…………」
カンタロウは、ルウの様子を眺めていた。
ルウが起き上がってくるのではないかと思うぐらい、遺体の状態は綺麗だった。
「……カンタロウ君」
「ねえ、アゲハさん。カインさん、死んだの?」
「そうだね……もう……」
ソフィヤを背負うアゲハは、何を言おうか考えていた。
ソフィヤが背に顔を埋め、泣いていることを知ると、何も言えなくなった。
たとえ王や使用人を殺した犯人であっても、ソフィヤにとっては唯一の大切な人だったのだ。
カンタロウは鞘から刀を抜いた。
「どうするの?」
「首を切り落とす。王殺しの主犯だ。報奨金がでるかもしれない」
「えっ、ちょ、カンタロウ君?」
カンタロウの刀の刃先が、置かれたランプの光に、鋭く反射する。
アゲハは彼が何を考えているのかわからず震えた。
「カンタロウさん!」
ソフィヤが泣き声で叫んだ。
カンタロウの足が止まる。
「お願いカンタロウさん。カインさんを、悪者にしないで。確かに悪いことをしたと思う。だけど、私にとっては優しい人だったの。目の見えない私に、とっても優しくしてくれた人だったの!」
「……すまない、ソフィヤ」
カンタロウはソフィヤに一言謝ると、カインに近づいていく。
「カンタロウ君! やめなよ!」
「わかってる!」
カンタロウはつい声を荒立てる。
アゲハも、ソフィヤも、言葉をつまらせた。
「言われなくてもわかってる。だけど、金がいるんだ。俺には目の見えない母親がいる。俺のために目をなくした。だから、せめて借金だけは、すべて返さなきゃならないんだ!」
「だけど!」
まだ抵抗の意志を見せるアゲハを、カンタロウは険しい顔つきで睨んだ。
「お前にはわからない。俺達親子がどれだけ差別を受けてきたかを。もし、俺が死んだら、誰が母さんを守ってくれるんだ! 誰も……守りなどしない!」
カンタロウの頬に激しい痛みが走った。
アゲハが、カンタロウを平手で殴ったのだ。
不意打ちの痛さに、カンタロウの興奮が冷めていく。
「カンタロウ君。君のやってることは正しいよ。お金は必要だもんね。だけどそんなことしていたら、君は彼をペットと呼んだ者と同じ」
「違う、俺は」
「違わない。君はきっと後悔する。彼は君を友達だと認めてたんだよ? だから、自分から手を離して、君を助けたんでしょ? それなのにどうして、友達として応えてあげないの!」
「友達……」
人に差別されている中、ルウだけはカンタロウに話しかけてくれた。
自分と似たような境遇だったカンタロウに、同情しただけかもしれない。
それでも、ルウは自分を化け物ではなく、人として、友達として接してくれた。
「そうか……そうだった……な」
カンタロウの手から、刀が離れた。
それは音をたてると、地面に横たわる。
「俺は、また間違える所だったのか」
カンタロウは腕で、両目を拭っている。
柔らかい風が、ルウのそばに咲いた、赤い花を物静かに揺らしていた。