*
エルガがソフィヤの部屋に入ってきた。
表情はぼんやりとしている。
町の長に呼びだされ、衝撃的な事実を教えられたからだ。
明日は急いで、城にむかわなくてはならない。
「どうしよう……」
ソフィヤがいつも寝るベッドに座る。
棚に置かれてある、ぬいぐるみを手に取る。
抱きしめると、顔を埋めた。
妹の匂いが、愛らしさと懐かしさを思い出させる。
「ソフィヤ……」
考えがまとまらない。
どうしていいか、わからない。
思考がハエのようにブンブン唸る中、耳に雷音が入ってきた。
「大雨がくるのかしら?」
窓を見ると、赤い光が入ってきている。さすがに不安な気持ちになり、窓辺に立った。
「空が、赤い」
窓を開けて、空を眺める。
黒い雲が町を覆い、青白い光が波のように走っている。
城の方角を見てみると、何かが飛んでいた。
「あれは……」
鳥ではなかった。
*
アゲハはカンタロウの左腕を持つと、大空を飛んでいた。
赤眼化し、背には水神の翼をはばたかせている。
体力の消耗が激しいのか、アゲハは息切れを起こし、
「カンタロウ君! 重いんですけどっ!」
「我慢しろ。もうすぐ結界だ」
「結界まで行って何する気?」
「時間がない。とにかく早くしてくれ」
地上から一千メートルぐらいまできただろうか。
神脈結界の中心点が見えてきた。虹色の渦が、渦巻いている。
「すごい、結界に虹の渦ができてる。こんなの始めて見た」
「もうすぐだな」
アゲハとカンタロウは、結界の表面に近づいてきた。
カンタロウの右目が赤く染まる。赤眼化したのだ。
轟音が鳴った。
「雲が近づいてくる! あんな中に入ったら、すぐに焼け焦げちゃう!」
「ここでいい。俺をあそこまで放り投げろ」
「簡単に言うよね! この仕事終わったら、なんかおごってよ!」
「了解」
「ふんっ!」
アゲハはカンタロウを持つ手に力を込めると、空中でグルグル振り回した。
遠心力を利用し、カンタロウを結界まで放り投げる気なのだ。
赤眼化の力と、水神の魔法を利用し、うまく形にはまった。
「よっしゃ、行ってこい!」
アゲハは、おもいっきりカンタロウを投げる。
カンタロウは空中でも、冷静に刀の鞘を握った。風の抵抗を小さくするため、腰を下ろす。
目は水平に、結界を見据え、手を柄にそえる。
赤い結界が、目の前にまで近づいてきた。
「はっ!」
カンタロウは、一気に刀を抜き、大きくなぎ払う。
刀で切られた結界は、横線に割れていった。波及し、ガラスのようなヒビが入り、形が崩れ、次々と蒸発していく。
「そんな、結界を切るなんて」
アゲハはあぜんとした。
普通ではあり得ないことだ。
神脈結界を剣で切れば、すぐに元に戻ってしまう。
形が崩れることはあっても、壊れることはない。
「アゲハ! 回収してくれ!」
地上に急降下している、カンタロウが叫んだ。
「はっ、あっ、はいっ!」
アゲハは慌てて、カンタロウを追いかけた。
カンタロウはアゲハにむかって、手を伸ばす。
アゲハはカンタロウの手を、しっかりとつかみ、
「ふう、すごいじゃん、カンタロウ君!」
「そうか?」
「どこでそんな技、覚えたの?」
「父からだ。あの人から、教わった」
カンタロウの表情に、寂しげな影が走った。
「そう……」
アゲハはそれ以上、何も聞かなかった。
破られた結界から、雲が吸い込まれていき、四散していく。
雷音はやみ、いつもの夜空へと戻っていった。
*
「結界を切るなんて、すごいな。カンタロウ」
城では、カインが仰向けに、空の様子を眺めていた。
吸収式神脈装置も、トリップを起こし、機械を強制停止させたようだ。
起動するには、時間がかかる。
カインは立ち上がると、気絶しているソフィヤを、優しげに見つめた。
「ソフィヤ、クシギ、ミユ、ヒバリ、リズ。僕は間違っていたのかもしれない。だけど、君達と一緒にいるときだけ、僕は人間でいられた」
城に招待した女性達の名をあげると、屋上の端にむかう。
「もう人間を捨ててしまったけど、後悔はない。君達が奇跡の人となれば、道を開けると思ったけど、あいつのようにもしかすると、別の道があるのかもしれない」
カインは端に立つと、夜空を見上げた。
下から冷たい風が、足下を揺らす。
何もない闇が、カインを待ち構えるように、両腕を広げる。
「だけど、もう僕には道がない。もう人でないのだから――」
カインは目を閉じた。そこにあったのは、さらなる闇だった。
「待て!」
カンタロウがカインの行動に気づいて、叫ぶ。
アゲハとともに、屋上に帰ってきたのだ。
カインは何かを思い出したのか、楽しそうに笑うと、闇の中へと飛び上がった。
「くっ!」
カンタロウは赤眼化し、すさまじい速さで走ると、落ちていくカインの手をつかんだ。
全身を使って、その場に踏ん張る。それでも力が足りず、体が宙に放りだされた。
「ちょっと! カンタロウ君?」
アゲハがジャンプし、カンタロウの腕をつかんだ。カインの落下を防ぐことができた。
アゲハは二人分の命を、その手に託された。
「……どうして僕を、助けるんだい?」
闇だけを見つめていたカインは、カンタロウを見上げた。
「さあな。どうしてこんなことをしたのか、聞きたかったからかもな」
カインを持つ手が震える。
何度も赤眼化し、体力を消耗したアゲハも、辛そうに顔を歪ませた。
カインは高揚のない笑みを見せる。
「……変わらないね。カンタロウ。君は立派に成長した。僕と違って」
「どういうことだ?」
「わからないか。そうだろうな。僕だよカンタロウ――ルウだ」
カンタロウの記憶が、ルウという名に反応して、大きな科学反応を起こした。
黒い瞳を全開にして、カインを見つめる。
カインは力なく笑っていた。