「それで、あいつは何なんだ?」
カンタロウがソフィヤを抱きかかえる、カインを見さだめる。
白髪の男が、優しく微笑んでいた。
「見てのとおりじゃん。ただ、正規のエコーズじゃないよ。たぶん」
「どういうことだ?」
「恐らく――ゴーストエコーズ。名前はカイン」
「カイン? 人間じゃなかったのか?」
「そこなんだよねぇ。謎は」
アゲハとカンタロウが不思議がるのも当然だった。
カインは町の人間に姿を見せている。ヨドやエルガも知っている人物だ。
彼がエコーズであれば、町に入れないはず。
真っ赤な両目も、人に警戒心を抱かせるはずだ。
「おい、どうしてお前は、この結界の中に入れる?」
響くような大声で、カンタロウはカインに話しかける。
「理由は簡単さ。僕は元『人間』だから」
カインはカンタロウに興味がないのか、目を合わせようとしない。
「後は任せたよ」
カインの背中から、白い翼があらわれた。
白鳥のような美しさに、カンタロウは寸刻、目を奪われる。
カインはソフィヤを抱えたまま、開いた窓から外へと飛び去っていった。
残された神獣は、アゲハとカンタロウを囲い始めた。
「カンタロウ君。ここ、任せていい?」
アゲハの背に、水の翼がはえてきた。
魔力が背に集中しているのだ。
羽のような水の飛沫が、舞うように大きく伸びあがる。
「ああ、行ってきてくれ」
カンタロウは刀を構え、神獣達を睨む。
「アゲハ、死ぬなよ」
「お前もな」
アゲハは親指をだすと、カインがでていった窓から飛び去っていった。
月の光が水の翼に反射して、宝石箱のようにきらめいた。
カンタロウは灯台の光に希望を託すように、それをしばらく眺めていた。
「さて、後始末するか。来いよ。手加減しなくていいぜ」
神獣は獣のように叫び、カンタロウに一斉攻撃をしかけた。
*
城の外にでたアゲハは、カインにぴったりとついていく。
吠えるような風を、切り込むように飛ぶ。
スピードはアゲハの方が、カインより速い。
カインの赤い目が、アゲハを睨む。
ソフィヤを抱いていない手を、上にあげた。
離れた地上から煙が上がり、イカロスが三体、恐ろしいほどの速さで飛んでくる。
「水神の名において命じる! 三本の刃で敵を貫け!」
アゲハはスピードをあげたまま、一桁詠唱を唱えた。
一桁詠唱とは、その名のとおり、一言で魔法を発動させる技だ。
赤眼化が必須条件であるこの詠唱方法は、時間短縮に大幅に貢献した。
アゲハの手から魔力に変換された神脈が放出され、水の槍となり、イカロスの胸を貫く。
一瞬にして、アゲハは三体の神獣を倒してしまった。
カインは飛ぶスピードを緩めると、アゲハにむきあった。
「どうしたの? 観念した?」
アゲハも空中で止まる。
「違うよ。この子を、傷つけたくないだけだ」
カインはソフィヤの頬にそっと触れる。表情は母親のように、温かい。
「ソフィヤを持ってちゃ、戦いづらいんじゃない?」
「それはお互い様さ。君もこの子を傷つけたくはないだろう?」
腰から細長い剣を抜くカイン。
鋭い目が、白い月に反射している。
「冗談、私にとっては――どうでもいいことなんだよね」
薄ら笑いするアゲハ。
獲物を見つけ、舌なめずりするかのような表情。
――気味の悪い顔だ。何を狙っている?
カインの顔に、初めて動揺の色が浮かんだ。
「水神の名において命じる。水流の渦で敵を巻き込め!」
片手を上げると、アゲハは一桁詠唱を唱えた。
手から水の渦があらわれ、詠唱者をつつんでいく。
カインにむかって水の渦が放たれた。
――水の竜巻を。本気でこの子を巻き込む気か。
カインは渦から素早く逃げだした。
「逃がさないよ!」
アゲハは魔法を操作し、カインの逃げ道を追いかける。
激しい水音が、耳をそばだてた。
カインは開いている手を動かした。
アゲハの左右に、イカロスが飛び上がってきた。
神獣はアゲハにむかって、左右同時攻撃をしかける。
「攻撃が見え見え!」
アゲハは左手で魔法をコントロールし、右手で剣を持ち、
「はっ!」
突進してきた右のイカロスを、たやすく切り裂く。
「もう一体!」
アゲハは横に剣をなぎ払う。
左のイカロスはわき腹に刺さった剣を、片腕で押さえつけた。
――わざと体で剣を……。
アゲハがそう思った刹那、鋭い剣が、胸に突き刺さった。
「ぐっ!」
剣はイカロスの体を、貫いてきたのだ。
イカロスの後ろには、カインがいた。
「僕のことは、見えなかったようだね」
「がっ、はっ」
アゲハは吐血した。
胸から血が流れ、剣を赤く染める。
「さようなら。美しい獣人の娘」
カインが剣を引き抜こうとしたとき、アゲハの体が透明に透けていった。
目の錯覚かと思ったが、間違いなく空気に溶けていっている。
おぞけが背筋を這っていく。
――体が、消えていく。神魔法か?
カインの肩に激痛が走った。鉄の塊を受けたような衝撃だ。
「ぐはっ!」
カインの鎖骨が折れ、翼の力を失った。
重力に逆らえず、地上へまっさかさまに落ちていく。
痛みで一瞬、意識がとんだ。
「はい、おしまい」
カインの肩に剣の鞘を打ち込んだ、アゲハが冷ややかに見下ろしている。
カインはソフィヤを両腕で守ると、城の傾斜のある屋根に、背中から落ちる。
「ぐうっ!」
カインの体が跳ね上がり、今度は傾斜のない、広い屋根に激突した。
ソフィヤをつい手放してしまう。
固い石の地面に、肩をすりつけ、ようやく止まった。
「くっ……。ソフィヤ……」
ソフィヤは仰向けに倒れていた。
小さな口から、呼吸音が聞こえる。
口からでる息で、髪がさらりと頬をなでた。
「よかった……息はある……君は死んじゃいけない」
カインの腕から赤い血が流れる。顔からも血が、ドクドク出血していた。
カインは震える右手を、ソフィヤにむかって上げる。
「ぐっ!」
手を靴で踏まれた。
アゲハが、カインの手を足で押さえつけたのだ。
「はいはい。ソフィヤは無事みたいだね。まっ、あなたが盾になってくれると思ってたけど」
「結果が……見えていたということかい? もし僕がソフィヤを見捨てていたら?」
「そのときはそのとき。さて、話を聞かせてもらおうかな。せっかく生かしてあげたんだから」
「ぐうっ!」
腹に蹴りを入れられ、カインは仰向けに寝かされる。
アゲハは剣を、カインの喉元に打ち立てた。
「あなたを作ったのは――誰?」
赤眼化されたアゲハの右目が、血が滴るように、深い赤みをおびていた。