教会をでると、エルガの案内で、妹がいる家にむかった。
家の中に入ると、台所があった。鍋や食器は綺麗に並べられており、数は少ない。
椅子は二つ、テーブルは小さい。
人の気配がなく、寒々とした雰囲気だ。
「誰もいないね。お父さんとお母さんは?」
「いません。母は妹を生んですぐに、父は事故で」
「あっ、ごめん」
「気にしなくていいわ。母と父の死を、悲しんでいる暇なんてなかったから」
力なく笑うエルガ。
アゲハはもう、何も聞けなかった。
エルガに先導され、二階に上がると、寝室に入った。
「お姉ちゃん?」
「ただいま。ソフィヤ」
「おかえり。ねえ、誰かいるの?」
姉と同じ、黒色の髪をし、白いドレスを着た少女が、ベッドの上に座っていた。
全盲なので、両目は開いていない。
顔つきは姉と違い、静かで落ち着いている。
子供なので背は小さく、アゲハよりも低かった。
「うん。えっと、カンタロウさんに、アゲハさん」
ソフィヤは手を横にむけ、空中に浮かせた。
「カンタロウだ。よろしくな」
握手だと解釈し、カンタロウは手を握る。
指は細く、肌は日焼けしていないため白い。
「男性ね。こちらこそ」
声とゴツゴツとした肌触りでわかったのだろうか、すぐに男性だと見抜いた。
次にアゲハが、ソフィヤの手を握った。
「私はアゲハ。よろしくソフィヤちゃん」
「女性だね」
幼い子供特有の、鈴のような、よく響く声だ。
「ねえ、いくつ?」
「十歳」
「へぇ。じゃ、お姉ちゃんはいくつに見える? っておかしいか。見えないもんね」
「そうだね。十二ぐらい?」
「そっ、そうだね。私は十四だよ」
年齢より幼く思われるらしい。
アゲハの後ろでカンタロウが、笑いをこらえている。
「お姉ちゃんのお友達?」
「ううん。この人達は、あなたを護るために、私が雇ったハンター」
「そう。今日だもんね」
抵抗もなく、愚痴もなく、悲しみさえも失せてしまった諦めの声音。
お城にむかった娘達がどうなったのか知っているのか、それとも姉の態度からわかるのか。
目が見えていないはずなのに、ソフィヤは窓から青い空を眺めた。
アゲハは話題を変えようと思い、ソフィヤに話しかけた。
「綺麗な服だね」
「そう? たしかに着心地はいいよ」
「町の知り合いにもらったんです」エルガは指で目をこすっている。
餞別のような形で、もらったのだろう。
「そうなんだ。素敵だよ」
「ありがとう。王様に会うんだもんね。綺麗にしとかなきゃ」
ソフィヤは不安を打ち消すかのように、精一杯明るく笑ってみせる。
エルガはしばらく、ぐっと拳を握っていたが、覚悟を決めたのかソフィヤに寄りそった。
「……そろそろね」
「うん、わかった」
「夕刻までには、お城に到着しとかないとね。お姉ちゃんが背負っていくわ」
「うん」
エルガはソフィヤを慎重に、大切に、背負った。
歩行に必要な杖は、カンタロウが持つ。
家をでて、エルガは意図的に人通りの少ない道を選び、お城へとつづく道を歩いていった。
山の入口に着くと、岩の上に、皮の鎧を着た白髪の老人が座っている。
「あの人が案内人です」
「あのおじいさんが? どんな人なの?」
「お城の元兵隊さん。今は引退してます」
老人はエルガを見つけると、手を上げた。
「おう。来たな」
「ヨドさん。お願いがあります。この方達を一緒に連れていってくれませんか?」
ヨドは二人の顔を見て、すぐに余所者であることがわかった。
ヨドの視線が、カンタロウとアゲハの剣と鎧にむかう。
「剣士? どうして?」
「ソフィヤを護るためです」
「そんなことか。大丈夫だ。この町には神脈結界がある。まあ最新式の装置じゃないから、レベル3までの能力しかだせないけどな。もし結界内に、神獣が入ってきても、俺が撃退してやるよ。それとも老兵では不満かね?」
「そんなことはありませんが……」
「ははっ、まっ、若い方が頼りがいがあるわな。よろしく頼むぜ。お兄ちゃんに、その妹か?」
若さと容姿から、怪しい人物ではないと、判断されたのだろう。
兄妹と勘違いされている。
アゲハは両手を腰にやった。
「違います。私はこの人の愛人です」
「違う。ただの知り合いだ」カンタロウは即拒否した。
「そうかそうか。どおりで。お嬢ちゃんは獣人だもんな。若いカップルか」
「だから違う。そこで会った、知り合いだ」カンタロウはもう一度拒否した。
ヨドは岩から立ち上がると、身なりを整える。
「それじゃ、行こうか」
エルガはソフィヤを背中から下ろす。
カンタロウが近寄り、
「今度は、俺が背負っていこう」
「はっ、はい。ありがとうございます」
姉の挙動不審に、ソフィヤが反応し、
「お姉ちゃん。照れてるの? 声が震えているよ?」
「かっ、からかわないの!」
「へへぇ」悪戯っぽく笑う。
カンタロウは杖をアゲハに渡し、腰を下ろした。
「乗れるか?」
「うん」
「しっかりつかまってろよ」
「うん、ありがと」
ヨドはカンタロウ達の準備が完了したのを見て、声を張り上げた。
「いいか? ちゃんとついてこいよ。まっ、俺の足より、お前達の足の方が速いだろうけどな」
さすが元兵士だけあって、足腰は丈夫のようだ。
ヨドはさっさと城へ歩いていく。
「それじゃ。よろしくお願いします」
「わかった。任しといて!」
頭を下げるエルガに、アゲハは元気よく手を振る。
「お姉ちゃん」
「うん?」
「できるだけ早く帰ってくるからね」
「……うん」
さざ波のような消え入りそうな笑みで、エルガはソフィヤを送りだした。
*
城にむかう山道は、ぐるりと山を一周しなければならないようだ。
山には多くの木が茂っており、下界にある町の姿は見えない。
全身に赤みがあり、くちばしの長い小鳥が、人間達を見下ろしている。
空は晴れており、雨が降る気配はない。木の間から、肋骨のような雲が見えた。
「ねえ。お兄ちゃん」
沈黙に耐えられなくなったのか、それとも子供ながらの好奇心からか、ソフィヤはカンタロウに話しかけた。
「うん?」
「いろいろ旅してるんだよね?」
「まあな」
「大帝国について知ってる?」
「ある程度はな」
五大帝国の一つ。
唯一エコーズと交流のある国。
カンタロウは昔、ハンターとして仕事に行ったことがある。
「大帝国には魔物を封じ込めた、お姫様がいるんだよね? それって本当なの?」
「ああ、『ゴブリン姫』か」
誰でも知っている有名な話だ。
目が見えず、外で子供達と遊べないソフィヤにとって、人の話こそが娯楽だった。
「ゴブリン?」
「罪人達が集まってつくった民族だ。茶色の肌に、丸い耳をしているのが特徴だったな」
「どうしてその娘に、魔物を封じ込めたの?」
「それは……」
さすがに詳しい話はわからない。
大帝国の国章血印を持つ、アゲハに目線を送る。
アゲハはそれに気づき、話し始めた。
「ゴブリン族が今まで犯してきた、すべての罪を帳消しにするためだよ。二十年前ぐらいかな。エコーズと五大帝国の大陸戦争が、終盤にさしかかったとき、三代目エコーズの王コウダさ……」
危うくコウダ様と言いかけてしまい、アゲハは誤魔化すように咳をする。
人間の大陸で、エコーズに敬語を使うことは御法度だ。
それぐらいの心得ぐらいは知っていた。
「コウダはホーストホースという最終兵器を使用した。ホーストホースは神脈結界を飲み込み、大帝国に攻め込んだの」
「神脈結界がきかないの?」
「そう。当時はまだ月の都レベル5結界は使用されてなかったけど、それでもホーストホースには通用しなかったと言われてる。強力な魔物に五大帝国は大損害をだし、エコーズ有利の状態だった。でもホーストホースが制御できなくなり、エコーズさえも飲み込み始めた」
流ちょうな口調で、歴史を語るアゲハ。
その知識は朧やサラから得たものだ。
「自業自得だな」
カンタロウは首を振った。
「そうだね。それでコウダは五大帝国の王の前に姿をあらわし、交渉したの。このままではお互いが絶滅してしまう。その前に同盟を組み、ホーストホースを倒そうじゃないかと」
「敵の言うことを聞いたのか?」
「ううん。もちろん、大帝国の王以外は反対。そりゃそうだよね。自分達の国はまだ被害がでてないんだから。結局、大帝国の王とコウダが組むことになった。コウダは王に罪人をだせと要求してきたので、ゴブリンの娘がホーストホースの前にだされることになる。あとは儀式を行って、ホーストホースを娘の体内に封印したの。もちろん、娘には種族の罪を帳消しにしてやるって条件でね」
「その後、娘はどうなったの?」
「大帝国のある塔で、何不自由なく暮らしてるみたいだよ。私は見たことないけど」
話は終わりのようだ。アゲハは興味なさそうにあくびする。
カンタロウは少し顔をしかめた。
「……なんか汚いな。娘を生け贄にして、塔に閉じ込めるなんて」
「そうかな? でも娘は大事にされてるし、この大イベントがなかったら、エコーズとの戦争はまだ続いていたはずだよ。ホーストホースの封印が破られるのを恐れて、帝国平和条約が結ばれ、晴れてエコーズと人間、亜人の戦争は終結したんだから」
チラリと細目で、カンタロウの顔をうかがう。
カンタロウは納得いかないのか、何もしゃべらなかった。
「ふぅん。いいな」
空気の中に溶け込みそうなほどの小さな声で、ソフィヤはポツンとつぶやいた。
「どうして? 外にでられないんだよ?」
「うん。確かに外にはでられないけど、みんなから大事にされてるんでしょ? 私は盲目だし、お姉ちゃんに負担ばかりかけてる」
姉の苦労を知っているのだろう。
盲目ゆえに移動も、食事もままならない。
姉に頼らざるおえない人生は、ソフィヤに暗い影を落としていた。
「……気にするな。ソフィヤは姉さんの負担にはなっていない」
「どうして?」
「ソフィヤが生きているだけで、彼女はきっと幸せだからだ。じゃなかったら、俺達を雇ったりはしない。大切にされてるさ」
「ほんとかな」
「絶対だ。俺が約束する」
「……うん。ありがとう。カンタロウさん」
ソフィヤの顔が、カンタロウにそっと寄せられる。
二人の距離が少し近くなっていた。
「いいこと言うじゃん。このマザコンめ」
「痛い。腹を殴るな。あと親孝行だ」
ボスボスとカンタロウの腹に、ジャブを入れるアゲハだった。
*
もう二時間はたっただろうか。城がだいぶ近づいてきた。
山の上から、寒風が吹いてくるのか、足下が肌寒い。
子猫のようにうるさく鳴いていた鳥の声も、聞こえなくなっていた。
「もうすぐ着くぞ。あれが城の正門だ」
指さす門は、暗く、黒いカビがはえ、泥が寄生するかのように張りついている。
清掃はまったくされていないようだ。
遠くから見える城の優雅な姿とは、まったくの逆だ。
「あっ、もう道わかったから、おじいさんは帰っていいよ」
アゲハはやっかい払いするかのように、ヨドに帰宅をうながす。
カンタロウは慌ててアゲハを呼びとめた。
「おい、どうして……」
「だって邪魔じゃん。私達、お城を探るんでしょ?」
アゲハは不機嫌そうに、小さく語気を強める。
カンタロウは目を丸くした。
「そうか。そうだったな」
「やると言った以上はやります。アゲハさんは真面目だからねぇ。カンタロウ君。私を褒めてもいいぞ」
「ふん、初めから言えばいいのに」
「それボソッと言ったつもり? 聞こえてますよぉ?」
二人のやりとりを聞き、カンタロウの背中で、ソフィヤがくすくす笑っていた。
「大丈夫か?」
ヨドが三人に近づいてくる。
「大丈夫、大丈夫。若い力を信じろ」
「そうか。まあそれなら甘えるが、城の正門についたらカインって男が待っている。白髪の若い男だ。素性はわからんが、娘を預かってくれるからな」
「オッケー。あとは任せて」
「そうか。じゃ、ソフィヤ。達者でな」
もう会えないかのように、ヨドの声は沈んでいた。
町民や自分に顔すら見せない王が、どうして障害をもつ娘をほしがるのか。
人間の悪の部分を見てきたヨドにとって、王の異常行動により、ソフィヤがどうなるのか嫌な想像ばかり浮かぶ。
「うん。お姉ちゃんによろしく」
ソフィヤはそれを感じ取ったのか、努めて明るくふるまった。
ヨドは手を振ると、ソフィヤを見ることなく去っていった。
「さて、それじゃ行こうか? カンタロウ君」
「ああ、行こう」
カンタロウとアゲハは、頭巾のような雲に隠れた太陽の下、城の正門へむかった。
*
影となった道を歩んでいたヨドが、ふと、何かを思い出したかのように、立ち止まる。
「うむ……。それにしてもあの男。どこかで見たことがあるような……」
剣帝国に勤めていた頃のことを、ヨドは思い浮かべながら、家路へと帰っていった。