目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第8話 ホームシック

 都市を離れ、カンタロウは街道を歩いていた。



 道に旅人はなく、道横に広がっているのは緑の雑草。


 羽に黒い斑点をつけた蝶が、黄色の花の上で休んでいる。


 人に気づいたカマキリが、威嚇するように腕を振り上げた。



 おだやかな協風が、足下を通りすぎた。


 波状型の雲が、青空に大きく広がっている。


 太陽はすでに西向きに傾いていた。



 カンタロウは突然、ため息をつくと、足を止めた。



「……なぜついてくる?」



 カンタロウの後ろには、アゲハがいた。


 アゲハは素知らぬ顔で、口笛を吹く。


「別に、私がどこ行こうが勝手でしょ?」


「依頼主の所には行かないのか? 別の用事で、あの都市にきてたんだろ?」


 アゲハはもともと、人貸屋に頼まれて都市に行っていた。


 カンタロウは、影無とアゲハの会話で聞いていた。


「別にいいよ。後で手紙書いとくし」


「そうか。なら勝手にしてくれ」


 カンタロウはまた歩み始めた。


 アゲハがしっかりとついてくる。


 数歩あるいた瞬間、カンタロウの足がぐらついた。



「……うっ」



「えっ、ちょっと! 大丈夫?」


 よろけると、その場に両手をつくカンタロウ。


 慌ててアゲハは、カンタロウのそばに駆け寄る。


「なんでもない……ほっといてくれ」


「怪我とかしてないの? 体調が悪いとか?」


 カンタロウの体を調べてみるが、多少の怪我はあるものの、致命傷となる傷はない。


「他人のことなんて、かまってる余裕があるのか? 俺のことはほっといて、先に進めばいい」


「別にいいじゃん、そんなこと。とにかく、あの木の影で休む?」


 アゲハは卵形の木を見つけると、カンタロウを肩にかついだ。



 カンタロウの額から、薄い汗が流れていく。


 顔が辛そうに歪む。呼吸も激しい。



 緑の葉を影にして、カンタロウを木のそばで寝かす。


 アゲハはカンタロウの額に手を当てた。



「熱はないか……」


「いい。かまうな。ここに俺を置いていってくれ」


「やだって言ってんじゃん。水飲む?」


「くっ、あのハンカチさえあれば……」


「ハンカチって? あの影無との戦いで使った? あれに何があるの?」


 カンタロウが持っていたピンクのハンカチは、影無の戦いで切り裂いてしまっていた。


「あのハンカチには……」


「あのハンカチには?」


 アゲハがカンタロウの顔を覗きこむ。




「母の――匂いが染みこんでいるんだ」




「……ええっ!」


 アゲハは信じられない事実に、息がつまった。


 ――それって、まさか?


 それが本当なら、世にも珍しい奇病だ。





「ただのホームシックじゃん!」





「違う。ただ故郷が恋しいだけだ」


「同じじゃん! それホームシックじゃん! 自立しろよカンタロウ君!」


「俺は自立してる。自分の手で稼いでいる」


「してないじゃん! マザコンだし!」


「マザコンじゃない! 親孝行だ!」


 静かに反論していたカンタロウが、マザコンというキーワードには声を荒だてた。


 ――あっ、そこは怒るんだ。


 よく他人から、からかわれるのだろう。行動や言動からして、どう考えてもマザコンだ。


「まあともかく。その症状はどうやったら治るの?」


「母がそばにいれば、治る」


 見事にまでのマザコンだった。



 ――それは無理だ!



 アゲハは絶望的な気分になった。


「くそっ、母が、母が川のむこう側で、俺を手招きしてる。行かねば」


 幻を見ているのか、カンタロウは何もない空間に手を伸ばす。



 ――この人、幻覚見てる! やばっ!



 症状は重症化していた。


 アゲハは伸ばされた腕を、しっかりとつかんだ。


「待てカンタロウ君! よし、仕方ないなぁ。私がお前のお母さんになってやろう」


「……なぜ?」


 アゲハの提案に、カンタロウの口元が引きつっている。


「何その顔? すごく嫌そうな顔してるよね?」


「悪いが――お前は俺の、母にはなれない」


「わかってるよ。そんなの全女性が無理だよ。だから仮。仮のママになってやろうって言ってんの」


「よいしょっと」アゲハは正座すると、剣を木に立てた。


「さっ、準備できたぞ。こっちへ来い、カンタロウ君」


 自分の太股を手で叩く。


「…………」


 カンタロウは迷っているのか、動かない。


「大丈夫。そんな警戒するような顔をするな。カムカム」


「そこに寝ろと?」


「そうだ。膝枕してやるって言ってんだ。お前が初だぞカンタロウ君。幸せをかみしめろ」


 カンタロウは仕方なく、頭をアゲハの太股にゆだねた。固く、筋肉質な感触がする。


 アゲハの匂いが、鼻腔をくすぐった。化粧のような人工的な匂いではなく、草花の香りがする。


「おっきくなったね。カンタロウ君」


 母親の真似をしているのか、アゲハの口調が優しく、女らしくなっていた。


「もう十六だからな」


「そうなの? 私は十四だ。二歳の違いだな」


「そうだったのか。もう少し年下かと思った」


「褒めるなよ。まあよく年齢のわりには若いって言われるけど」


「褒めてはいないが」


「えっ、何?」


「いや、なんでもない」


「そっか」



 アゲハは空をあおぐ。


 カンタロウも同じ気分だったのか、空に視線を移した。



「いい天気だね」


「ああ、快晴だ」


「君、強いね。どこ出身?」


「剣帝国だ」


「都市部?」


「いや、都市よりだいぶ離れている。人があまりいない田舎だな」


「へぇ。じゃ、剣はどこで習ったの?」


「父親とスズさんって人からだ」


「えっ、何? スズさんって恋人?」


「違う。保護者みたいな人だよ。年も離れている」


「そうなんだ。お父さんは何してるの?」


 順調に進んでいた会話が、カンタロウの沈黙に変わった。


 アゲハは少し嫌な予感がした。



「……もういない」



「えっ、あっ、ごめん」


「かまわない。仕方のないことだしな」


 会話が途切れた。


 ――仕方ない?


 アゲハはカンタロウの言葉が気になっていた。どうしようか迷う。


「アゲハの親は心配しないのか?」


 今度はカンタロウから話しかけてきた。


「しないよ。もともといないから」


「いない?」


「そっ、生まれたときからいない。顔も知らないし。まっ、気にもしてないけどね。私は養子だから」


「そうだったのか。すまない。よけいなことを聞いた」


「いいさ。気にすんな。それに今は、私がお前の母さんだ」


 アゲハの手が、カンタロウの頭に触れ、優しくなでる。




「母さんはね――あなたが生きているだけで、嬉しいんだから」




 どこかで聞いた言葉。


 遠く、懐かしい言葉。


 カンタロウの症状が、少しだけ軽くなる。


「……アゲハ、一つ言っていいか?」


「何? 症状治った?」



「お前の体が固くて、落ち着かない」



「うっさい!」


「ぐわっ!」


 アゲハのパンチが、カンタロウのお腹に入った。


「そもそも、よくそんなんで、旅できるよね?」


「これでもだいぶ、マシになった方だ。十二でハンターの仕事をしていたときは、半日で――死んだ父が見えた」


 お腹をさすりながら、カンタロウは遠い昔を思い返している。


「死にかけたの? あと、半日は短すぎ! 仕事ちゃんとしてた?」



「今では俺も成長し――七日はもつ」




「四年かけて七日? やっぱ短すぎっ!」




 自慢気に語るカンタロウに、すっかり呆れるアゲハだった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?