「一つ聞きたい。どうして俺がエコーズだと? 顔は隠していたはずだ。写真もないはず」
「ふふっ、臭い」
アゲハは指で、自分の鼻をさす。
「……ふざけた女だ。まあいい。吸収式神脈装置の場所はわかっている。お前を手早く殺して、結界の中に、神獣を入れないとな」
「それはこっちのセリフ」
アゲハの声が、顎の下から聞こえた。
影無が目を下にむけると、アゲハが剣を握り、懐に入り込んでいた。
「うおっ!」
顔を隠していた黒い布が、剣に切り裂かれ破れる。顔面スレスレでかわすことができた。
――速い!
アゲハの剣は、容赦なく影無を襲う。
武器を持たない影無は、かわし続けることしかできない。
「ちっ!」
影無は地面に手をつくと、自分の影に触れる。
影が生き物のようにアゲハにむかってきた。
――影が!
影の中から槍のような刃が、アゲハを攻撃する。
危険を察知し、アゲハは後ろへ後退した。
「へぇ。影を操る能力を持ってんだ?」
エコーズの特異能力。
神脈がなく、赤眼化できないエコーズが、唯一持つ、魔法とは異となる攻撃方法。
この特殊能力のおかげで、種族同士の小競り合いの中、大戦争にまで発展してしまったのだ。
「そうだ。まあ俺の影の質量だと、こんなものだがな」
植物が地面からはえてくるように、巨大な黒い影の手が、姿をあらわした。
その高さは影無と同じくらい、幅はほぼ体格と等しい。
「いいの? 敵にそんなこと教えて」
「別に。ハンデだ。お嬢ちゃん」
「そりゃどうも!」
アゲハがまた影無の近くにまで走る。
息もつかさぬ、連続攻撃をくりだす。
影無は特に影を操ることなく、剣をかわすだけだ。
アゲハの剣が、影無の足をとらえた。
影無の体が、グラリと地面へ倒れる。
――もらった!
トドメとばかりに、剣を振り上げる。
影無の手が、アゲハの影にそっと触れた。
アゲハは殺気を感じる。
アゲハの影が、形を変えて、鋭い刃となっていた。
――私の影が! 他人の影も操れる?
影の刃が、アゲハに突きかかる。
アゲハは剣を振り上げたまま、硬直して動けない。
「はっ!」
刃が目の前にまできたとき、別の影が上から降ってきた。
アゲハの影を土ごとえぐった。
「……なるほど、影を消し飛ばせば、力は消えるってわけだな?」
男が一人立っていた。
鞘に入った刀を手に持ち、黒髪が風に揺れ、鉄の入った靴が砂煙を舞い上がらせる。
両手には鉄の手甲をしていた。
「くっ、仲間か?」
影無は一回転すると、距離をとるため二人から離れた。
「あっ、君。イケメン君」
説明会のとき、席の隣にいたフードの男だ。
「カンタロウだ。お前の名前は?」
「アゲハ。って何しにきたの?」
カンタロウは鞘から、スルリと刀を抜く。
「六対四でどうだ? それで手伝ってやる」
「それ取りすぎだよ。どうせ私の後、ついてきたんでしょ?」
割に合わないため、アゲハは納得しない。
「まあな。あの中で冷静だったのは、お前だけだった。それに説明を聞いていても、神獣の動きに違和感があった。ゴーストエコーズのわりには、都市にこだわりすぎる」
「あら? 君もわかった?」
アゲハも気づいていた点だった。
エコーズが都市部狙いなのはわかる。
障害となる人や獣人ですら、無視するのはありえない。
都市ばかりこだわるのもおかしい。
これらの行動が、都市に緊張感を与え、ハンターを呼び込む行為だとしたら合点がいく。
――さて、どうするか。
影無が次の手を考えていると、ガヤガヤと後ろが騒がしくなった。
都市部外に住む浮浪者達が、暇つぶしにやってきたのだ。
手には安酒を持っている。
「なんだなんだ?」
「何してんだ? お前等?」
「何かのイベントか?」
影無の目が、獲物を見つけたように、底光りした。
「逃げろ! そいつは敵だ!」
カンタロウが声を張り上げる。
「へっ? 敵? 何の?」
浮浪者の影に、影無が素早く手を触れる。ぐらりと意識を失った。
「おっ、おい! うっ!」
「ひっ、ひい! うわっ!」
次々と浮浪者達を、影無は襲った。
影に触れるたびに、意識がなくなり、受け身をとることなく地面に倒れていく。
八人全員の影に触れると、浮浪者はすべて倒れていた。
「何をした?」
「人の影には魂が入ってるっていうのを知ってるか? 何、抜いてやっただけさ。影をな」
アゲハの耳がピクリと動く。
小さく、何かが這ってくる音。
蛇のように、草むらに身を潜め、獲物を狙うような視線。
野をかける不気味な風。
城壁の影をつたって、音が耳立つ。
「カンタロウ君まずい! 影の中!」
「ああっ!」
カンタロウも妙な音に気づいていた。
二人が城壁の影を見上げたとき、人九人分ぐらい入りそうな、巨大な黒い手が振り下ろされた。
地面に大きく亀裂が入り、土が血のように飛び散る。
巨大な手は城壁の影に隠れ、獲物にむかって襲いかかったのだ。
「よし。しとめたか?」
影無が目をこらす。
青い翼が空へと飛び上がった。
鳥のように羽ばたいていく。
翼は空を舞うと、影無を見下ろした。アゲハだった。
右目が赤く染まり、右目下には真紅の神文字が炎のように燃え上がる。
背には水の翼。
魔力の翼が太陽を背に、金色の輝きを見せていた。
「赤眼化か。神脈を持つ者ができる高等魔術。飛翔魔法の形態からして水神の力」
「よく知ってんじゃん。じゃ、特別にこの神文字の名前、教えてあげるよ。テファだ」
不気味な笑みを見せるアゲハ。
影無は苦笑いで、それに応え、
「まあね。敵のことについては、嫌でも詳しくなるさ」
両手を広げると、アゲハを誘った。
「さて、どうする? こっちに来ないと、俺は倒せないぜ?」
アゲハは影無の誘いに乗らず、状況を分析し始めた。
――魔法を使えば人が集まって、被害が大きくなるし、かといって今近づけば影の餌食か。
城壁の影から、あの巨大な手が隠れている。
影無はちょうど、城壁の影の中にいた。
直接攻撃、間接攻撃ともに難しい。
「ふん。おじけづいたか。うん?」
殺気を感じる。
土煙がいきなり分散し、カンタロウが刀を手に、異常な速さで走ってくる。
カンタロウの右目は赤く、右目下の神文字はテト。アゲハと同じ赤眼化魔法を使えたのだ。
「何っ!」
影を操る余裕がない。
刀が水平に腹にむけられた。
体を反らし、なんとかそれをかわす。
「くっ! お前も赤眼化できたのか!」
カンタロウはそれに答えず、上段から切り下ろした。
影無は影の腕を操ると、刀を弾く。
「チッ! 調子に乗るなよ! 小僧!」
「よしっ、今だ!」
はっと、影無は自分が城壁の影からでていたことに気づいた。
――しまった!
影に触れなければ、コントロールすることができない。
上空から一直線に、アゲハが剣を振り下ろした。
「もらい!」
「ぐっ!」
影無の肩が裂けた。赤い血が飛び散る。
なんとか倒れずに、こらえることができた。
「駄目か。浅かった」
アゲハは空中でバク転すると、再び地上を見下ろす。
「おのれ! 時間もない! 見せてやろう! この影無の力を!」
殺意を高めた影無が、城壁の影に両手を置くと、影がその手元に集まっていった。
どんどん竜巻のような形になり、中心にむかって渦巻いていく。
城壁の影は跡形もなく、なくなっていた。
「影が変なのになってる?」
「何をするつもりだ?」
アゲハとカンタロウは、様子を見るため半身の状態となる。
突然、風もないのに、アゲハの体が重くなった。
何か巨大なものに、体を引っ張られるような感覚だ。
「うっ、何? 体が引き寄せられる!」
カンタロウも同じ感覚を味わっているのか、すぐに城壁の壁を背にし、踏ん張った。
強い力が、壁からカンタロウを引き離そうとする。
足元の地面がえぐられていくのがわかる。
「くっ!」
影無は歯を剥きだして笑った。
「これが俺の力だ! この渦の中に入れば、影ごと本体も飲み込まれる。影のある生物ならばすべてな!」
状況を察知した兵士が、現場にかけつけた。
「お前達何をしてるっ、うわあっ!」
踏み込んだ瞬間、足をとられ、影の渦へと引きこまれていった。
手足をばたつかせ、なんとか抵抗しようとしたが、引き寄せる力の方が異常に強い。
兵士は抵抗むなしく、影の渦に埋没していく。
「ぎゃあああ!」断末魔を上げ、兵士は影となり消えた。
「魔法が……もたない……駄目だ!」
アゲハの水の翼が、影の吸い寄せる力に負け強制解除された。背中から下へ、落ちていく。
カンタロウはそれを見て、急いで壁から自ら離れた。
鞘を地面に立てつつ、アゲハの落下位置を予測する。
アゲハを受けとめる体制をとった。
アゲハはくるりと体を回転させ、足を落下点にむけた。
予想外の身体能力に、カンタロウはよけることができず、アゲハの両足が胸に直撃する。
「ぐわっ!」
「あっ、ごめん。ってうわわっ!」
急速に影の力が強まっていく。
アゲハの蹴りを受け、地面に倒れたカンタロウの首を、アゲハはつかんだ。
「いつまで耐えられるかな? ははっ!」
影無には影響がないのか、平然と立っている。
渦の近くにいればいるほど引っ張る力がすごいらしく、遠くの住民には問題ないようだ。
草むらにいた虫や羽虫、城壁近くにいた小鳥などは、影に飲まれていた。
「すごい力! どうしよう? カンタロウ君!」
「それよりもお前、俺の首を絞めてるぞ……」
カンタロウの顔から血の気が引いていく。
「あっ、ごめんね」アゲハはすぐに、首から肩に手をかけた。
「……仕方ない」
カンタロウは鞘を地面に突き刺すと、ポケットからハンカチを取りだした。
何かの魔法をかけると、影無の方へ飛ばす。
ハンカチはちょうど、影の渦のすぐ近くで、ヒラヒラと空中を舞い始めた。
「そんなハンカチ一枚でどうするつもりだ? この影の渦は、どんな魔法や剣だってつうじないぞ?」
「……だろうな」
影に物理攻撃や魔法攻撃が効かないのは、なんとなく予測していたことだ。
カンタロウはアゲハの手をつかむと、鞘の方へ持っていく。
「この鞘を握ってろ。離すなよ」
「えっ! どうするの?」
言うが早いか、カンタロウは刀を握り、影無の方へ走った。
影の渦の力も加わり、速度は普段の倍以上に速い。
「ちょっ、カンタロウ君!」
アゲハはカンタロウの行動が読めず、鞘につかまったまま後ろを振りむく。
「特攻隊にでもなるつもりか? 無駄だ! お前の剣は、俺には届かない!」
影無の前には、影の渦が障害となっていた。
カンタロウの狙いはそれではなかった。
「ハンカチは吸いこめないようだな。生物だけか」
カンタロウの言うとおり、ハンカチは渦に引きこまれていない。
「はっ、何を……」
ハンカチが真っ二つに割れた。
カンタロウの刀が、ハンカチを切り、さらに影無の脇腹を裂いたのだ。
刀は影の渦に触れてはいない。
紙一重の所で、飲みこまれずにいた。
――ハンカチで俺とこの影の渦の距離を測り、寸分の狂いもなく、俺だけを狙ったのか?
達人クラスの剣の腕に、影無の思考がぐらつく。脇腹に激痛が走る。
――だが、まだ致命傷じゃない。影の渦を前に配置してよかった。これならまだいける!
影の渦が壁となり、影無は致命傷をまぬがれ、まだ立つことができた。
足に力を入れ、後ろにいるカンタロウを攻撃すべく、影をコントロールする。
気を取られた瞬間、腹にすさまじい痛みが走った。
「ぐふっ!」
アゲハが剣を影無の腹に突き立てていた。
細身の剣だが、急所を確実に狙っている。
痛みとともに、急速に意識が遠のいていく。
「きっ、きさま……」
「一瞬、影が崩れたよね? こんなチャンス、逃さないよ」
アゲハが不気味な笑みを浮かべ、剣を影無の体から抜いた。
影無は足腰の力を失い、地面に倒れる。
「くっ、そっ、こんな笑顔の汚い女に……俺の計画が……」
剣が首近くに突き立てられる。万事休す。影無は死の覚悟を決めた。
「お前は、何者だ? いったい……」
「あなたに聞きたいことがある。ゴーストエコーズについてだけど」
「ゴースト……エコーズだと……あんなクズどもなど……俺は何も知らん」
「そっ、わかった」
アゲハは金髪の髪を、手でかき上げた。
影無はその動作に、目を見張る。
右手の甲に、何かの紋章が見えた。
「その耳、それに、その国章血印、おまえは、まさか……」
アゲハの獣人にしては尖った耳と、右手の甲にある『盲目の蛇』を見て、影無はすべてを理解できた。
アゲハは人差し指を、そっと、口に当てる。
「シー。言っちゃ駄目だよ。このことが知れれば、すべての常識が変わってしまう」
「くくっ、はははっ。コウダの奴め、ぬけぬけとこんなことをしていたのか」
影無は死が近づいているというのに、大笑いした。
「私の正体がわかったのなら――消しとかないとね。うわっ!」
アゲハの体が浮いた。カンタロウがアゲハの体をだき抱え、影無から離れたのだ。
「ちょっ! 何を?」
「我らエコーズに栄光あれ!」
影無が叫ぶと、影が一斉に津波のように盛り上がり、影無の存在すべてを飲み込んでいく。
「影が……自滅?」
アゲハが振りむいたとき、影無は片手しかなかった。
影の海の中に沈んでいき、無へと変わっていく。
黒い海はすべてを飲み込むと、大きく弾け、蒸発していった。
「気づかなかったか? 奴を囲む影を」
カンタロウは赤眼化を解除した。
涼しげな瞳を、両腕で抱えたアゲハにむけた。
「これで仕事は終わりだ」