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結界都市アダマス、北門付近。
神獣は南門を襲ってきたが、北門では普段どおりの生活が続いていた。
「なんだ? 南門の方が騒がしいぞ?」
市場で買い物をしていた旅人が、警鐘に気づいた。
「神獣だろ? どうせ結界の中には入ってこれないよ」
「だな。そんなことより、もっと安くしろよ」
旅人はリンゴを手に取ると、値切りを始める。
「お客さん。そりゃ無理だよ」
果物市場の商人は、首と手を同時に振った。
旅人の後ろを、黒い布を顔に巻いた男が、通りすぎていく。
「……ふふ」
男は自然と笑っていた。
黒い布の男は、都市城壁近くまでやってきた。
北門には兵士が、一人だけいた。
皆出払ってしまっているようだ。
男は城壁の壁からその様子を眺めている。
「さて、行くか」
男が足を一歩前にだそうとしたとき、急に背中に悪寒を感じた。
「ヤッホー。こんにちわ」
明るい女の声。
慌てて振りむくと、獣人らしき女の子が立っている。
――剣士? ハンターか?
つい腰に装着している剣に、目がいく。
顔を見ても、見覚えがない。
見知らぬ女だ。
人違いだろうと思い、そばを通りすぎてみた。
「待ってよ。おじさん」
呼び止められた。やはり、自分のことを、相手は知っているようだ。
「何か御用でしょうか……」
首にチリチリとした風圧。
銀に光る何かが首筋にむかってくる。
剣だと気づき、転がるようにかわした。
「くっ!」
一つ間違えば、確実に首が飛んでいた。
男は怒りで、アゲハを睨む。
「いきなり何をする!」
「すごいね。おじさん。あの距離で剣をかわす?」
「おっ、おじさん」まだ若い男は、心外そうな顔つきになった。
「――普通の人間じゃないよね?」
剣を自分の顔に引き寄せると、アゲハは楽しそうに笑った。
細く、鏡のように磨かれた剣身に、男の姿が映る。
――なんだ? 気味の悪い笑顔だ。
ゾクリと背筋に、冷たいものが這っていく。
男は自分を落ち着かせるために、服を整えた。
「……昔大道芸をやっていてね。こういうのは得意なんだ。それよりも」
「その両目、とっても赤いね。人にしては」
責任を追及しようとする男の言葉をさえぎって、アゲハは男の両目を覗く。
――こいつ、まさか。
汗が、男の首筋を伝っていく。
「これは生まれつきですよ。変な誤解があるようですが、私はただの人です。その証拠にあの結界から入ってこれましたから」
「そこなんだよねぇ。どうして結界の中に入れたんだろ?」
男の口調に動揺はない。
しかしアゲハは聞く耳をたてない。
「私をエコーズだと決めつけてますね。困った人だ。失礼ではないですか?」
「まああなたを、あの結界に連れていけばわかることだけど、例えば」
アゲハは人差し指を立てると、突きだした。
「この都市を建てるときに、建設労働者を地方から人貸屋をとおして連れてきたみたいだけど、その中に入っていたとしたら」
「…………」
一瞬、男の目がピクリと動いた。
次にアゲハは、二本の指を突きだす。
「まだこの都市に吸収式神脈装置を据え付ける前に、ここにやって来たとしたら」
「ありえないですね。たとえ下手な人貸屋でも、エコーズは怖い。神脈結界によるチェックは受けるはずだ」
「そのチェックを受けた後、何かトラブルを起こして、労働者と入れ替わっていたとしたら」
今度は三つめの指を男に突きだした。
「……では、なぜ人貸屋がわからないんです? 都市建設が終われば、労働者は賃金もらって地方へ帰るか、この都市に住むはずだ。人貸屋には名簿だってある。賃金をもらいに来ない労働者はわかる」
「その人には身内がおらず、誰も人貸屋に来ないとしたら」
さらに四本めの指を立てると、アゲハは手を下げた。
「ジョンド・ロウ。二十五歳。瞳の色は生まれたときから赤。この都市を建設時、労働者として働いていたはずなんだけどね。この都市近くで、死体として発見されたんだよね。おかしなことに死体がでたってのにさ、本人はこの都市で働いてるわけよ」
アゲハの目と男の目が合う。
「それは……おかしなことですね」
男は、目を逸らした。
「人貸屋は取引先を失うのが怖くて、この事実を公表していない。そこでもう一人のジョンド・ロウの調査を進めてたんだけど、まったく経歴がわからない。もし彼がエコーズなら、それこそ信頼にかかわる。だから何もせず黙っていた」
「なるほどね。それではなぜ今更動いた?」
男の目が、ギラリとナイフのように鋭くなる。
「理由は簡単。身内が人貸屋に訴えてきたから。しかも実は貴族の家出息子でしたって、驚愕の事実つき。ここに調査が入る前に探しだしてほしいというのが、依頼内容」
アゲハは人貸屋に依頼を受け、この都市に来たのだ。
「それともし相手がエコーズであれば、殺して責任を負わせろとも言われたか?」
男は苦々しく、吐き捨てる。
「さあ、それはな・い・しょ」
アゲハは指を口に当てた。
「くくっ、そうか。奴を殺す前、庶民の生活を知りたいだの、妙な事を言っていたが……そういうことか。なるほど。騙しやすいわけだ」
男が正体をあらわした。もう誤魔化しは通用しないと判断したのだ。
「それにしても、わからないことがある。あなたはなぜこの都市で、何年もすごしていたの?」
「復讐のためだ。この日を待っていた」
男の影が、ゆらりと揺らめく。
「俺の名前は影無。もとは『蝦蟇』に所属していた」
「あっ、知ってる。排外主義をかかげてたテロ組織の一つ。リンドブルムの精鋭部隊に殲滅させられたんでしょ?」
影無の目が、驚きで丸くなった。
蝦蟇とは、エコーズで構成されていた組織である。
主に人間を襲い、コスタリア大陸より人を排斥することを主張していた。
エコーズの中にも支持する者が多かった。
しかし、そのあまりに残虐な行為に、同じ種族であるエコーズによって、組織は壊滅。
組織の幹部だったエコーズは、人間の目の前で処刑された。毒をもって毒を制された。
「その若さでよく知ってるな? そうだ。俺達は仲間に、同じ種族に裏切られた」
殺気だった顔つきになる。全身から怒りの色が見える。
「だからこの日を復讐の日と決めた。この都市が出来上がり、強豪なハンターが集まったうえで、結界都市を壊滅させる。神脈結界を張ったとしても、我らエコーズにはつうじぬということを、奴等に見せつける!」
声を荒だて主張する。
手は自然と、握りしめられていた。
「そうすれば、結界の中にいる人達は、脅えて眠れない日々をすごす。リンドブルムと各帝国諸国との平和条約も決裂。うまくいけば、また仲間が集まってくれるかもしれない。大アピールになるね」
ズバリ、アゲハは影無の本音を言い当てた。
「……ふん。頭は悪くない女だ」
「そりゃど~も。まっ、とにかく」
剣先を影無にむける。
「ここで私があなたをしとめる。力試しにはちょうどいい」
「やってみろ。お前のような、獣人には殺されはしないがな」
影無は不適な笑みを浮かべていた。