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第5話 影無



 結界都市アダマス、北門付近。


 神獣は南門を襲ってきたが、北門では普段どおりの生活が続いていた。




「なんだ? 南門の方が騒がしいぞ?」




 市場で買い物をしていた旅人が、警鐘に気づいた。


「神獣だろ? どうせ結界の中には入ってこれないよ」


「だな。そんなことより、もっと安くしろよ」


 旅人はリンゴを手に取ると、値切りを始める。


「お客さん。そりゃ無理だよ」


 果物市場の商人は、首と手を同時に振った。



 旅人の後ろを、黒い布を顔に巻いた男が、通りすぎていく。


「……ふふ」


 男は自然と笑っていた。



 黒い布の男は、都市城壁近くまでやってきた。


 北門には兵士が、一人だけいた。


 皆出払ってしまっているようだ。


 男は城壁の壁からその様子を眺めている。


「さて、行くか」


 男が足を一歩前にだそうとしたとき、急に背中に悪寒を感じた。




「ヤッホー。こんにちわ」




 明るい女の声。


 慌てて振りむくと、獣人らしき女の子が立っている。



 ――剣士? ハンターか?



 つい腰に装着している剣に、目がいく。


 顔を見ても、見覚えがない。


 見知らぬ女だ。


 人違いだろうと思い、そばを通りすぎてみた。



「待ってよ。おじさん」



 呼び止められた。やはり、自分のことを、相手は知っているようだ。


「何か御用でしょうか……」


 首にチリチリとした風圧。


 銀に光る何かが首筋にむかってくる。


 剣だと気づき、転がるようにかわした。


「くっ!」


 一つ間違えば、確実に首が飛んでいた。


 男は怒りで、アゲハを睨む。


「いきなり何をする!」


「すごいね。おじさん。あの距離で剣をかわす?」


「おっ、おじさん」まだ若い男は、心外そうな顔つきになった。




「――普通の人間じゃないよね?」




 剣を自分の顔に引き寄せると、アゲハは楽しそうに笑った。


 細く、鏡のように磨かれた剣身に、男の姿が映る。



 ――なんだ? 気味の悪い笑顔だ。



 ゾクリと背筋に、冷たいものが這っていく。


 男は自分を落ち着かせるために、服を整えた。


「……昔大道芸をやっていてね。こういうのは得意なんだ。それよりも」



「その両目、とっても赤いね。人にしては」



 責任を追及しようとする男の言葉をさえぎって、アゲハは男の両目を覗く。


 ――こいつ、まさか。


 汗が、男の首筋を伝っていく。


「これは生まれつきですよ。変な誤解があるようですが、私はただの人です。その証拠にあの結界から入ってこれましたから」




「そこなんだよねぇ。どうして結界の中に入れたんだろ?」




 男の口調に動揺はない。


 しかしアゲハは聞く耳をたてない。


「私をエコーズだと決めつけてますね。困った人だ。失礼ではないですか?」


「まああなたを、あの結界に連れていけばわかることだけど、例えば」


 アゲハは人差し指を立てると、突きだした。



「この都市を建てるときに、建設労働者を地方から人貸屋をとおして連れてきたみたいだけど、その中に入っていたとしたら」



「…………」


 一瞬、男の目がピクリと動いた。


 次にアゲハは、二本の指を突きだす。



「まだこの都市に吸収式神脈装置を据え付ける前に、ここにやって来たとしたら」



「ありえないですね。たとえ下手な人貸屋でも、エコーズは怖い。神脈結界によるチェックは受けるはずだ」



「そのチェックを受けた後、何かトラブルを起こして、労働者と入れ替わっていたとしたら」



 今度は三つめの指を男に突きだした。


「……では、なぜ人貸屋がわからないんです? 都市建設が終われば、労働者は賃金もらって地方へ帰るか、この都市に住むはずだ。人貸屋には名簿だってある。賃金をもらいに来ない労働者はわかる」



「その人には身内がおらず、誰も人貸屋に来ないとしたら」



 さらに四本めの指を立てると、アゲハは手を下げた。


「ジョンド・ロウ。二十五歳。瞳の色は生まれたときから赤。この都市を建設時、労働者として働いていたはずなんだけどね。この都市近くで、死体として発見されたんだよね。おかしなことに死体がでたってのにさ、本人はこの都市で働いてるわけよ」


 アゲハの目と男の目が合う。


「それは……おかしなことですね」


 男は、目を逸らした。


「人貸屋は取引先を失うのが怖くて、この事実を公表していない。そこでもう一人のジョンド・ロウの調査を進めてたんだけど、まったく経歴がわからない。もし彼がエコーズなら、それこそ信頼にかかわる。だから何もせず黙っていた」


「なるほどね。それではなぜ今更動いた?」


 男の目が、ギラリとナイフのように鋭くなる。


「理由は簡単。身内が人貸屋に訴えてきたから。しかも実は貴族の家出息子でしたって、驚愕の事実つき。ここに調査が入る前に探しだしてほしいというのが、依頼内容」


 アゲハは人貸屋に依頼を受け、この都市に来たのだ。


「それともし相手がエコーズであれば、殺して責任を負わせろとも言われたか?」


 男は苦々しく、吐き捨てる。




「さあ、それはな・い・しょ」




 アゲハは指を口に当てた。


「くくっ、そうか。奴を殺す前、庶民の生活を知りたいだの、妙な事を言っていたが……そういうことか。なるほど。騙しやすいわけだ」


 男が正体をあらわした。もう誤魔化しは通用しないと判断したのだ。


「それにしても、わからないことがある。あなたはなぜこの都市で、何年もすごしていたの?」


「復讐のためだ。この日を待っていた」


 男の影が、ゆらりと揺らめく。



「俺の名前は影無。もとは『蝦蟇』に所属していた」



「あっ、知ってる。排外主義をかかげてたテロ組織の一つ。リンドブルムの精鋭部隊に殲滅させられたんでしょ?」


 影無の目が、驚きで丸くなった。



 蝦蟇とは、エコーズで構成されていた組織である。


 主に人間を襲い、コスタリア大陸より人を排斥することを主張していた。


 エコーズの中にも支持する者が多かった。



 しかし、そのあまりに残虐な行為に、同じ種族であるエコーズによって、組織は壊滅。


 組織の幹部だったエコーズは、人間の目の前で処刑された。毒をもって毒を制された。



「その若さでよく知ってるな? そうだ。俺達は仲間に、同じ種族に裏切られた」



 殺気だった顔つきになる。全身から怒りの色が見える。


「だからこの日を復讐の日と決めた。この都市が出来上がり、強豪なハンターが集まったうえで、結界都市を壊滅させる。神脈結界を張ったとしても、我らエコーズにはつうじぬということを、奴等に見せつける!」


 声を荒だて主張する。


 手は自然と、握りしめられていた。


「そうすれば、結界の中にいる人達は、脅えて眠れない日々をすごす。リンドブルムと各帝国諸国との平和条約も決裂。うまくいけば、また仲間が集まってくれるかもしれない。大アピールになるね」


 ズバリ、アゲハは影無の本音を言い当てた。


「……ふん。頭は悪くない女だ」


「そりゃど~も。まっ、とにかく」


 剣先を影無にむける。




「ここで私があなたをしとめる。力試しにはちょうどいい」


「やってみろ。お前のような、獣人には殺されはしないがな」




 影無は不適な笑みを浮かべていた。

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