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第1話 精神病院

 そこは、精神病棟と呼ばれていた。



 窓には鉄格子。


 頑丈な鍵が、錆びた鉄の扉につけられている。


 病室の中にはベッド、トイレ、洗面台、小さな棚しかない。


 日当たりの悪さからか、かび臭さが充満していた。


 病室というよりも、牢獄といったほうがわかりやすい。



 そんな牢獄に、少年が寝転がっていた。


 腕には針で刺したような跡がある。


 貧血を起こしているのか、少年の顔は青白い。




「くそっ……血を抜きすぎだ……」




 病人を大人しくさせる方法として、血を抜くしゃ血を、少年は施されていた。


 ――動けないな。


 ゴロリと仰向けになる。


 天井のシミが、悪魔のように笑っている気がする。


 ――母さん、大丈夫かな。


 少年には母がいた。


 この世界でたった一人の身内だった。


 疲れと貧血からか、思考が回らなくなり、まどろんでいると、急に外から声をかけられた。



「カンタロウ、カンタロウ」



「……うん?」


 カンタロウ。


 少年の名前だ。


 カンタロウが眠るのを我慢して起き上がると、同年齢ぐらいの少年が、部屋の扉の窓から中を覗いている。



「カンタロウ。起きてる?」




「ルウか?」




 ルウはこの精神病院で出会った、友達だ。


 肌は白く、髪は白銀。


 容姿はカンタロウよりも美しい。



 ルウがどうしてこの精神病院に入院させられているのか、カンタロウは聞かなかった。


 恐らく、孤児だからだろうと思っていた。


 親の話をすると、ルウは口をつぐむからだ。



 兵士と喧嘩して、ここに放られたとき、すでに入院していたルウからカンタロウに話しかけた。


 最初、カンタロウはその身の境遇からか、ルウを避けていた。


 しかし、話をしているうちに、仲良くなっていった。


 自由時間になると、一緒に遊ぶほどにまでに絆を深めていた。


「どうしたんだ?」




「カンタロウ……ごめん」




 ルウの声が沈んだ。


「いきなりどうした?」




「養子としてもらわれることになっちゃった。僕は行かなきゃならない」




 つまり、他人の子供として生きるということだ。


 どんな形であれ、この狂った病院からでられるのであれば、幸せだろう。



 ルウは、カンタロウの顔を見ようとしなかった。


 あえて眼を逸らしているようだった。


「そうか。そうなんだ」


「……じゃ、行くね」


 それだけだった。


 ルウはカンタロウのいる部屋のドアから、離れていく。




「ルウ」




 カンタロウが、ルウを呼びとめた。


「うん?」


 ルウの足が止まる。





「おめでとう――幸せにな」





 思いがけない言葉に、ルウの眼が丸くなる。


 カンタロウは、白い歯をだして笑っていた。


 本心で喜んでいるのだ。



「……ごめんよ。カンタロウ」



 ルウは友達を置き去りにする罪悪感から、逃げだすように、その場から離れていった。




 カンタロウは微笑むと目を閉じた。


 暗い世界の中で、安らぎを覚え。


 いつしか闇へと溶けていく。




「おい」




 突然体を、軽く足蹴にされた。


「うっ……」


 カンタロウが目を開けると、鎧を着た兵士が立っていた。


 腰には剣を所持している。




「おい! 起きろ小僧!」




 また足蹴にされる。


 カンタロウの体は、少しの力で簡単に転がった。


「釈放だ。でろ」


「急にどうしたんだ?」




「簡単な話だ。お前が『エコーズではないこと』が証明された」




 エコーズ。


 この世界に跋扈している怪物の名称。




 エコーズの特徴は両目が異常に赤いこと。


 赤目の人種は、自然と差別的な扱いを受けることとなる。


 カンタロウの両目は黒だが、この病院に閉じこめられるようになったのには、訳があった。




「なぜ?」





 兵士は疑問を無視し、カンタロウを部屋から乱暴に連れだした。




 鎖がジャラジャラと、リズムよく動く音。


 低いうめき声が、永遠とどこからか流れてくる。


 大きく目と口を開け、カンタロウ達を眺める病人。


 それらの部屋を抜け、久しぶりに外へ、カンタロウはでることができた。




 カンタロウが眩しい夕焼けを手でさえぎっていると、二人の影が近づいてきた。



「……カンタロウさん?」



 女性に肩を担がれた女が、カンタロウの名を呼んだ。




「……かあ……さん」




 すぐに母だとわかった。


 カンタロウの母、ヒナゲシは手を虚空でウロウロさせる。


 ヒナゲシを抱えている背の高い女、スズは悲痛な表情でそれを眺めていた。




「カンタロウさん? どこ? どこにいるの? カンタロウさん?」




 泣きそうな声で、自分の息子を呼ぶヒナゲシ。



「ヒナゲシ様。カンタロウは無事です」



 スズはその姿を見ておれず、ヒナゲシに声をかける。




「カンタロウさん? どこ? お願い。もう一度返事して」




 スズの太く小麦色の腕とは違い、細く、白い腕が左右に動き、ヒナゲシはカンタロウを探した。


 スズは力をこめて、黒い瞳をカンタロウにむける。


 早くコチラへ来いという合図だった。




「母さん」




 フラフラしながら、カンタロウは母の元へたどりつく。


 ヒナゲシの手が、カンタロウの頭に触れた。



「ああっ、カンタロウさん。よかった。無事なのね?」



 スズから離れると、すぐにヒナゲシはカンタロウを抱きしめた。


 土の匂いがカンタロウの鼻孔に入る。


 その匂いに混じった懐かしい香りに、カンタロウの目が潤んだ。



「よかった。本当によかった。私の息子」





「母さん……目は……どうしたんだ?」





 十歳になった少年でさえ、母の様子のおかしさはすぐにわかった。




 ヒナゲシの両目は、白い包帯で巻かれていた。




 目が外にでていないのだから、カンタロウがわからないのは当然だ。


「カンタロウ、これは……」


 スズが辛そうにカンタロウに事情を説明しようとすると、兵士が三人の前に立った。


「教えてやるよ。小僧」


 歪んだ表情から、悪意がにじみでている。


「まて! 貴様!」


 スズは兵士の口を止めようとしたが、遅かった。





「その女は領主様の前で両目をくり抜いたのさ――自分の子供が化け物ではないことを証明するためにな」





「えっ……」


 カンタロウは絶句した。



 ヒナゲシは単独、カンタロウの無実を訴えるために領主に直訴していたのだ。


 最初は相手にせず、嘲り失笑していた領主だったが、ヒナゲシが両目を手でくり抜いたことで状況は一変した。



 ヒナゲシはくり抜いた両目を手にのせ、怪物かどうか調べてくれと訴えた。


 この目がエコーズであれば真っ赤なはず。


 自分の血族であるカンタロウが、怪物でない証拠だと。



 ヒナゲシに批判的だった民衆も、さすがに子を思う母の姿に心を打たれたのか。


 それとも恐れたのか。口をふさぎ、目を見張った。



 領主は場が悪くなったことを感じ、カンタロウの解放を許した。


 元使用人であったスズに連れられ、ヒナゲシはここまでやってきたのだ。




「哀れだな。元は剣帝国の貴族だったんだろ? それが運命の悪戯か、主君である剣帝王を暗殺者に殺され、王を守りきれなかった罪で、親父は死刑。今は借金まみれの生活してるって聞くじゃないのよ。名門貴族もここまで没落すると涙もでねぇな」




「くっ」カンタロウは唇をかんだ。


 すべて事実。


 何も言えない。


「小僧。ちょっとは考えろよ。赤眼化を使って、この国の人間殴っちゃ駄目でしょ?」


「俺が、化け物じゃないことは知っていたのか……」


「当然、殴られた仕返しされたんだよ」


 ヘラヘラ笑う兵士に、カンタロウは怒りで腕を振り上げた。



「悪いのはそっちだ! 俺や母さんは何もしてないのに、どうしてあんな仕打ちされなきゃならない! 家を山奥にまで追いやり、飯もめぐんでくれず、穀物一袋に金貨一枚だと! そんなふざけた話があるか!」



 それが病院に入れられた理由。



 商人と揉めていると、兵士がやってきた。


 カンタロウの訴えは却下され、商人の言い分が認められたのだ。


 カンタロウの怒りは爆発し、兵士を殴り倒してしまった。



「あるんだよ小僧。そんなふざけた話が。お前達親子は人扱いされてねぇ。人間の中でも最下層の身分なんだよ」



 兵士の手が、カンタロウの頭を押さえつける。


 ギリギリと強い力が、カンタロウの首をねじ曲げていく。




「俺達がお前達から搾取して何が悪い?」




 強者の倫理。


 弱い者からは何をしてもよいというこの世界の常識。


 変え難し、現実。



 突如、カンタロウの右頬に神文字が浮かび上がった。


 右目が赤く染まっていく。それが『赤眼化』と呼ばれる現象だった。


 この血よりも赤い目のおかげで、カンタロウはエコーズという化け物扱いされたのだ。



「うっ、うう……」



 怒りが赤眼化を発動させた。


 鬼のような形相で、カンタロウは兵士を睨む。


「ははっ! 馬鹿のくせに怒ったか? 殴ってみろよ。今度は血を抜くだけじゃすまねぇぞ!」


「この!」


 兵士の手を振り払うと、カンタロウは殴りかかる。




「やめなさい!」




 スズがカンタロウを止める前に、ヒナゲシが大きく怒鳴った。


 華奢な体つきからは信じられないほど、力強く芯のある声だった。




 カンタロウは拳を空中で止める。




 ヒナゲシはすかさず、カンタロウの体を抱きしめた。


「母さん」



「我慢なさい。あなたは間違っていない。だけどここは耐えるの」



 ヒナゲシは耳元で耐えることを、カンタロウに囁いた。


「ごめんなさい。兵隊さん」


 ヒナゲシは弱々しく笑うと、兵士にむかって頭を下げる。


「申し訳ありません」


「母さん! どうして頭なんて……」


「カンタロウさん、お願い。もう母さんから離れないで。母さんを――困らせないで」


「母さん……くっ……」


 ヒナゲシが強くカンタロウを抱き寄せる。絶対に離さないと誓うように。


 赤く染まった右目が、黒に戻っていく。


 突然の出来事に、兵士はポカンと口を開けていた。



 肩に別の兵士の手が乗せられ、ようやく我に返った。



「おい。もういいだろ。お前が貴族嫌いなのはわかる。コイツ等はもう貴族にはなれない。ほっとけ」


「……けっ!」



 唾を地面に吐くと、兵士はその場から去っていった。




「行け」




 顎でカンタロウ達に去るようにうながす。


 ヒナゲシは兵士にむかって、素直に微笑んだ。




「ありがとうございます。兵隊さん」




 兵士はその笑顔に、指で頬をかいた。


「ヒナゲシ様、手を」


 スズがヒナゲシの手を持ち、その場から立たせた。ポニーテールの黒髪が、風に揺らぐ。


「ありがとう。スズ」


 ヒナゲシは何とか見えない目で、立ち上げることができた。


「おい。小僧」


 立ち去ろうとした三人に、後ろから兵士が声をかけた。




「二度と馬鹿なことはするなよ。これからはよく考えて行動しろ。でなければ、大切なものを失うぞ」




 兵士は後ろむきのまま手を振ると、離れていった。





 カンタロウ、ヒナゲシ、スズは病院から離れ、森の中へ入っていった。


 森は夕暮れのためか、薄暗く気味が悪い。


 フクロウの丸く黒い目が、三人を枝から見下ろした。


 冷たい風が道を這っていく。




 病院は町からかなり離れていた。


 森の奥深くにあるのだ。


 たまに病人を見物にくる、見学者は朝か昼にしか来ないので、道には誰一人、人はいない。


 精神病院は動物園と同じ、町の収益であり、娯楽施設なのだ。




 スズに肩を貸してもらっている、ヒナゲシが道の小石につまずいた。


「ヒナゲシ様、危ないです」


「目が見えないって不便ね。あらら。こういうときに目があるって、幸せなことだったんだなって思うわ。ねっ、スズ?」


「そうですね」


 両目を無くしたというのに、ヒナゲシはあえて明るくふるまった。


 そんなヒナゲシに、スズは物悲しくなる。


「スズ姉。俺が背負うよ」


 カンタロウが地面に座ると、背中をつきだす。


「あらあら。いいわよ」


「いいから。背負いたいんだ。いいだろ? スズ姉」



 スズは、カンタロウが六歳の頃からの付き合いだ。


 年齢は二十歳。


 ヒナゲシよりも六歳年下。



 剣の腕はカンタロウより上。


 キリッとした眉に、目つきが鋭い。


 常につぐんでいる口が、少しだけ緩んだ。



「わかりました。落とさないようにしてください」



 スズがヒナゲシをうまく誘導し、カンタロウの背中に乗せた。



「平気? カンタロウさん?」



 ヒナゲシは意外に軽かった。



 ――軽い……な。



 カンタロウの顔が曇る。


 何も食べていないことが、わかるからだ。


 ただでさえ小食なため、普段の体重より五キロは落ちているように思えた。



「私を背負えるなんて、大きくなったのね。カンタロウさん」


「うん」


「子供の成長って早いのね。スズもそう思うでしょ?」



 スズは手を目元に当てていた。


 全力で涙を耐えているのだ。


 突然すべてを失い、その上ヒナゲシの目まで奪う神様を、スズは呪った。



「はい……はい、ヒナゲシ様」



 体では耐えられていても、声がかすんでいた。


「あっ、お腹すいちゃった。カンタロウさん。今日は何が食べたい?」


「俺が作るよ」


「あら? カンタロウさんって何か作れた?」


「スズ姉よりはうまいと思う」


 カンタロウは前をむいたまま、元気よく答えた。


「なっ、何を言ってるんですか。私の方がカンタロウよりうまいです!」


 スズが慌てて言い返した。


 剣の腕は達人クラスでも、料理は壊滅的。


 カンタロウには最低でも負けまいと、必死で修行しているのだ。


「そうなの?」


「うん。そうかも。でも今日は俺が二人分作るよ」


「そう。じゃ、頼んじゃおっかな」



 ヒナゲシは微笑むと、カンタロウに顔を寄せた。


 男らしい体つきになっていく息子を、地肌で感じられる。


 成長していく姿を、もう直で見れなくなったのが、心残りだった。



「ありがとう。カンタロウさん」


「母さん」


「なぁに?」




「俺、母さんのこと一生守るよ。ずっと母さんと一緒にいる。母さんを幸せにしてみせる。父さんの分までがんばるよ」




 カンタロウは心に誓っていた。


 母の目はもう戻らない。


 自分を助けたばっかりに。


 償いを一生をかけてしようと。




「そう……。なかなか言うようになったじゃない。でもあなたは何もしなくていいの。あなたが生きているだけで――母さんは幸せだから」




 ヒナゲシはカンタロウの心の負担にならないように、できるかぎり優しく言い聞かせた。


 言葉はカンタロウの心に届き、自然と目から涙があふれでる。


 頬に伝わった涙は、土の地面に点々と跡を残していく。




「うん。俺も母さんがいるだけで幸せだ」


「じゃ、私達、今幸せね」


「うん。そうだ。そうだな。母さん」


「うふふ」




 スズはたまらず、二人の後ろで涙を流していた。

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