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02世界は透明なひび割れに気づけない

「何者だ――っ⁉」


 討伐隊の大人が現れた男に反応した途端にいっぱい叩かれて伏せられる。


 同時に男は消えて、別の大人を思いっきり叩いて伏せる。

 私は慌てて『無効化』を使って男のスキルを使えないようにする。


 驚いて遅れてしまった。

 何処から現れたのか、何者なのか、全然わからないけれど。

 男の子を助けに来た仲間ではあることは確かだった。


 でも私の『無効化』が発動した以上、何者であろうともスキルは使えない。


 私はそういう兵器だから。

 自我も曖昧で、叩かれたくないから状況に合わせて『無効化』を使うだけ。

 討伐隊の大人たちの思いとか、この男の子が追われる理由とか、男の子を助けようとする男の理由とか。

 今なら多少色々と想像できるけど、この時の私は何もわからない。

 だから私は役割通りに『無効化』を使えて、痛い思いをせずに済みそうだと安堵していた。


 しかし、男の動きは全く変わらなかったのです。


 鋭く動き回って、大人たちを殴って蹴って、魔法で吹き飛ばし続けていた。

 話にならないくらい、男は強かった。

 男の子も凄まじかったけど、この男の人は軍人の家の子となった今も、これ以上ないくらいに強い人だ。


「何をしているクリア! 貴様の『無効化』が効いていないではないかッ!」


 私は大人にそう怒鳴りつけられながら鎖を引かれながら殴られる。


 痛い……っ、でもどうして? 何で? 『無効化』が効かないスキルがあるの?


 どうしよう。

 どうしたらいいの。

 痛い。

 何で。

 こんなのどうしようもないよ。

 痛い!

 お願い止まって。

 何で。


 私は頭の中がぐちゃぐちゃになりながらも、必死に男へ『無効化』を発動し続けた。


 そんな中で男はこちらを見て、目を大きく見開いて数秒間驚きの顔を見せる。


 そこから男は、瞬きより速く私を殴る大人を蹴り飛ばし。

 私の鉄の手枷や首輪や猿ぐつわをむしるように取って。

 両手で私の顔を挟むように掴む。


 怖い、やめて、ごめんなさい、ごめんなさい。

 『無効化』に生まれて、ごめんなさい。


 私は言葉が話せないから、わからないから、わからないのに痛いのが嫌なんてわがままで生きていて、ごめんなさい。

 そんな伝わらない謝罪を、心の中で唱えていたところ。


 男の両手から熱というより暖かい水のように、魔力が身体に流れ込んで、内側から細かい泡がしゅわしゅわと弾けるような感覚が広がる。


 痛くない、心地よい。

 いや痛くないどころか、さっき叩かれたところや折れて歪んでくっついた左肩も、全部の痛みが消えていく。

 ちょん切られた舌も、指も、かすんでいた目も、全部が治る。


 どういうこと? 何で? 何でこの人は私を治したの?

 今となっては、この人に私は感謝しかないのだけれどこの時の私には彼の行動が一つも理解できなかった。


 困惑しながら男に視線を返した、その時。

 男は、後ろから剣で貫かれた。


「ぐぅい…………っ! ぐがあああ――ッ‼」


 目の前の私に血飛沫を飛ばしながら雄叫びを上げて刺さった剣を熱で焼き切り、刺した大人、クローバー侯爵に蹴りを放つがけられる。


 距離が開いたところで苦悶の表情を見せながらも、刃を引き抜きながら回復魔法で傷口を塞ぐ。


「化け物か、こいつは……。しかし、もう一息だ! このまま押し殺――ッ⁉」


 侯爵が討伐隊全体を鼓舞しようと声を上げた瞬間、男は一瞬で侯爵の前に移動して股間部を蹴り上げる。


 女である私に正確な痛みを推し量ることは出来ないけど、医学的にいうならかなり危険で下手したら死に至るほどの激痛をともなうものだ。内臓を握り潰されるのと大差ない……。


「……はぁーっ、はぁーっ、はぁーあーあーあっと! …………終わったあぁ……」


 男は大の字に倒れ込みながら、そんな疲れを漏らす。


 侯爵は泡を吹いて失神し、リーダーを失った討伐隊は統率を乱してあっという間に男一人に全員のされた。


 私は混乱していた。

 混乱というより、理解のキャパシティを超えてしまってパニックだった。


 私を連れてきた討伐隊の大人たちが全員やられてしまい。

 目標の男の子は謎の男に助けられ。

 謎の男に私の怪我まで治されて。

 さらに何故か謎の男は私だけ見逃した。


 この時点で正確な年齢は私自身把握出来ていませんでしたが、ステータスや体躯から推し測るに恐らく五、六歳。

 しかもこの時点での私の自我や思考力は同年代の子供よりもかなり未発達。

 だから、私はこの状況が一つも理解出来ていなかった。


 だから、私はこれ以上ないほどのを犯したんだ。


 討伐隊が倒れ、男が疲労して一息ついたその時。

 私たちは魔物の大群に囲まれた。


 この時私は生まれて初めて魔物を見た。

 というか、魔物という存在を初めて知ったのだ。


 私は物心ついた時には既に公国の施設に幽閉されていた。

 従順に目標に対して『無効化』を発動させる対人兵器として強制され矯正されてきた。

 対魔物において無力な私は、その存在すら教えられてこなかった。


 異形。


 今まで多少なりとも動物を見る機会はあった。

 犬や豚や牛や鳥、昆虫や小さな爬虫類は見た事があった。

 でも、こんな大きくて明らかな攻撃性が見て取れる異形の生物を見たのは初めてだった。


 私は頭が真っ白になった。

 私の中で一番恐ろしいものは、大人だった。

 それを優に超える、もっと恐ろしいものが目の前にずらりと現れたのでした。


 理解のキャパシティはとっくに超えているのに、大きな恐怖が注ぎ込まれて私の頭の中は色んな情報であふれ返る。


 今思えば、今ならば、足枷も手枷も首輪もないし怪我も治って足の指も十本揃っているのだから、とにかく走って、逃げ切れるかはともかく山を下って逃げ出すべき場面なんだとわかる。


 でも、大人から離れたらいけないとか。

 まだ目的が達成できてないとか。

 私がそれ以外を知らないとか。

 何かを判断したり決断できるほどの思考力がないとか。

 子供以下の未成熟さだったとか。

 色々な事が起こって頭が真っ白にだったとか。


 まあ、そんなことがぐちゃぐちゃに混ざってしまったんだと思う。

 この辺りはとにかく頭の中のがぐちゃぐちゃで全ての感覚や思考が不透明であやふやだったことだけを鮮明に覚えている。


 私は、魔物と戦う男に『無効化』を継続して発動し続けた。


 どうしようもない、最悪の間違いだ。

 この状況で魔物と戦うすべを持つのは、男のみだったのに。

 私は彼の足を引っ張り続けた。


 これはもう対人生物兵器としての、

 徹底的に強制され矯正されてきたから、この時の私はもうこれしか出来なかった。


 緊張と恐怖と不安で、何度も吐きそうになりながら、考えすぎて頭がだるように熱くなりながら、わけがわからずに涙が止まらない状態で。


 必死に『無効化』を発動し続けた。


 彼は魔物と戦いながら、倒れた討伐隊の大人たちに触れて消していく。多分転移魔法で何処かに跳ばしていたんだと思う。


 そんな中で驚きの表情で、私を見た。

 少し悲しそうな、優しい微笑みのような、そんな顔をしてから再び魔物と戦いながら大人たちを転移させ終え。


 男は私に手を伸ばす。


 私の頭に触れたのと同時に、男は背中を魔物の爪で裂かれる。

 絶対に痛い、というか医学をかじっている今ならわかるが絶対に背骨にも損傷を負っている。


 そんな状態にも関わらず、男はわしゃわしゃと私の頭を撫でて、笑顔になる手前の人間が持つ一番優しい表情を見せて。

 言葉もなく、私を転移魔法で跳ばした。


 突然景色が一変し、一瞬の浮遊感から一気に落下加速を感じる。


 土砂降りだった。

 透明な雨粒と一緒に、私は落ちていた。


 恐怖より混乱が上回った末に一周回って、安堵する。


 ああ、あの化け物から逃げられたんだ。

 でも大人たちから離れてしまったから、もう私はダメなんだ。

 どうなるんだろう、わからない。

 落ちているけど、落ちたら痛いのだろうか。

 わからない。


 何も、わからない――――。


「あっぶ…………っ! 何だ⁉ 何処から落ちてきたんだ‼」


 私が湖に落ちる寸前に、馬から湖に飛び込んで私を受け止めた男が大慌てしながら湖から引き上げる。


「ずぶ濡れで失礼! 大丈夫か⁉ 何があっ……凄い熱だぞ、おいおい……、私は回復魔法は使えんぞ……」


 男はそう言うと、そのまま私を雨よけのコートで包んで軍の基地へと馬を走らせた。


 私はそのコートの暖かさと、馬の心地よい揺れで気を失うように深く眠りについてしまった。

 これが父、帝国軍第三騎兵団所属ガクラ・クラックとの出会いだった。


 この後、私は軍の基地にて治療を受けたり事情聴取をされたり。

 まあやっぱり『無効化』というところで、扱いをどうするかとか色々あったみたいだけれど。

 公国での扱いとは全く違い、軍関係者の家で里子として育てることになり。


 母である、エバー・クラックの。


「これはもう、そういうことなのよ。私たちに会いにこの子はここへ来た」


 そんな一言により。


 私はあっという間にクラック家の子となりました。


 クラック夫妻はこの頃、結婚してもうすぐ十年がとうとしていたが子宝にはめぐまれなかった。

 そこに、父ガクラが大雨での防災警邏中にたまたま私を拾ったことや。

 言葉も話せず読み書きも出来ない私が、あの雨の日に包まれたコートをずっと握って離さなかったことや。

 母エバーが教師であるので教育面での心配がなかったことや。

 父のスキルが『観察』なのでステータスなどの管理も行いやすかったことなど。


 まあ色々と、素敵な言い回しで言うなら奇跡的に噛み合った。


 私が舌の動かし方に慣れて、かなり言葉を話せるようになり。

 年相応に読み書きや計算などを身につけ。

 箸での食事も出来るようになり。

 色々な価値観が対人生物兵器基準ではなくて、すっかり人間になってきた頃。


 私は改めて、私に起こったことを整理しようと考えた。

 とは言ってもまだまだ覚えたての単語などを落とし込んだ稚拙なものだったけど。


 三人のヒーローが私を救ったんだと、落とし込んだ。


 一人は父、ガクラ・クラック。

 湖に落ちそうなところを助けてくれて、私を家族としてむかえてくれた。

 二人目は母、エバー・クラック。

 全く心を開けず、言葉も話せせない、対人生物兵器を人として育ててくれた。


 最後の一人は、あの謎の男の人。

 手枷や足枷を壊して私の損傷……、怪我を治して帝国へと逃がして。

 私を人にするきっかけを作ってくれた。


 名前も知らないし、言葉もわしていない。

 多く見積っても三分程度しか顔を合わせていない。


 でも、もし彼が居なかったら私は、今も尚公国で対人生物兵器として生かされていたか、どこかのタイミングで処分されていただろう。

 今の私を形成する要素として、あの謎のヒーローは最も大きな要素です。

 そんな彼に私は何の意味もない、ただ足を引っ張るだけの『無効化』をかけ続けた。


 恩をあだで返し過ぎている。


 あの後。

 私を帝国へと転移させた後のことはわからない。


 男の子がどうなったかも、謎のヒーローがどうなったのかも、わからない。

 無事であるならば、いつかまた会えることがあるのなら私の愚かな行為を心から謝罪したいのと。

 ありったけの、これ以上ない感謝を伝えたい。


 私は父と母の元で幸せに暮らし、貴方が私を癒したように医師を志しています。


 ありがとう、本当にありが――――。


「――――あい、わかった。驚かせたね」


 そう言って、かつて男の子だったクロウ・クロスさんは私の頭から手を離して、天井に埋まるジャンポールさんに回復魔法を施す。

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