最悪だぁ……。
まあもう冒険者とのやり取りは良い。名乗ってないし捕まってもないし疑惑以上の話にはならない、無詠唱で地面と重力を同時に変化させて転移魔法を使える女がセブン公国に私しか居なかったとしても何とかなるだろう。多分。
そんなことより彼に、無詠唱で地面と重力を同時に変化させて転移魔法を使える女だと知られたことが最悪だ。
ああ、本当に色々考えたのに。
今日のデートを成功させようと思っていたのに。
何処に行こうとか各分岐最低五パターンは用意していたのに。
私が『大魔道士』持ちのやや怪物気味の魔法使いってバレたくなかったのに。
私はそろりと彼の顔を見ると。
「はー、すごいな転移魔法って俺、初めてだよ! 手練の魔法使いだとは思ってたけどこんなに凄いと思わなかった! 公都の外まで一瞬だもんなぁ」
きょろきょろと辺りを見回しながら彼はそう言った。
「……え? 私が魔法使いってわかってたの?」
私は彼の言葉に、率直な疑問を投げかける。
「あ、うん。なんというか雰囲気というか匂いというか……、少し兄貴分に似ていた感じがして。手練の魔法使いなら何かしら冒険者ギルドに関係ありそうだから道を聞いたんだ」
私の疑問に彼はあっけらかんと答える。
ええ? なに魔法使いの匂いって。
…………えっ? 私臭い? 魔力って臭うの? え、魔法使いって臭いの? 嘘でしょ……っ。
「いやいやいや! 匂いってそういうことじゃなくて、立ち振る舞いというか……、その手のひらを無意識にあまり人に向けないようにするところとかが魔法を日常的に長く使っている感じが出てたから、俺の兄貴分もその癖があったから! 匂いは全然! 良い匂いですから! 花みたいな匂いがするから!」
涙目で体臭を確認する私に、慌てた様子で彼は説明する。
あ、ああ良かった……、割と本格的に泣き出すところだった。そもそも私は今確かに北に咲く花の香水を付けている……そちらもお気に
一旦、それは良かった。とりあえず一個解決した。
でも……。
「あの……、引かなかった? いきなり……無詠唱の魔法で人を沈めて、転移して……」
私は恐る恐る、解決していない不安を聞いてしまう。
「え? あー、どうだろう。あれはいわゆるナンパだろう……? 俺が世話になった兄貴分を含む野郎共はもれなく『いい女は即、口説け』って言ってたから、野郎の冒険者だったらポピーさんをほっとかないだろうし。俺が世話になった姉貴分を含む女性陣は『ナンパ野郎は畳む』って言ってたし実際他の町から来たナンパ冒険者を畳んでたから、田舎では畳むけど公都では沈めるってくらいの差じゃないのかい?」
全く何も気にしていなさそうに彼は淡々と語る。
「それに俺の兄貴分も詠唱しないで魔法を使っていたし、手練の魔法使いだと思っていたからそれほど驚かなかった。転移魔法には少し驚いたけど。だから今のところ引いたりは……、いや確かに冒険者上がりじゃないとナンパ野郎を沈めるのは引くか。でもこの公都には長い棒を持てばとりあえず窓を割る悪童もいれば、物事の解決に暴力を用いることしかできない人間地雷原みたいな不条理で理不尽なのもいるし……、それに比べたらナンパ野郎を沈めるってのは道理でしかない」
やや遠い目をしながら彼は説明を終えた。
気になるところはいくつかある。
兄貴分というのが無詠唱が出来る魔法使いだったり、なんとなく例に出した人間の理不尽さに共感出来てしまったり。
でも。
なによりそんなことより。
しれっと私を、ポピーさんって……。
そしてなんか、ポピーさんをほっとかないって。
待って、マジ無理。
いやこんなこと、正直言われ慣れていると思っていた。
というかさんざっぱら言われてきた、私は口説かれまくりのモテモテだった。
歯の浮くようなキザな台詞や、情熱的なアピールをさんざっぱら適当に躱してきた。
それが、こんなさりげない一言で……っ。
落ち着け、落ち着くんだ私。
一旦、最悪は解決したんだ。
修正、矯正、調整。
「……そうでしたか、それは良かったです。それじゃあ公都に戻って何処か――」
私はデートプランを戻すために笑顔で声をかけようとしたその瞬間。
とっぷりと、辺りが暗くなる。
突然のことに、ふと頭上を見上げ目に映ったのは。
巨大な魔物だった。
足が三本ある黒い大きな鳥のような、魔物。
これは西の大討伐に混ざっていてもおかしくないレベルの、魔物だ。
公都の近くにこんな魔物が現れるなんて。
これは軍や冒険者がまあまあの討伐隊を組む規模だ、これがこのまま公都に入ったら大変なことになる。
でも、この魔物は運が絶望的に悪すぎる。
ここで、この私に会っちゃったのならば実質何も起きていないに等しいのだから。
私は上空の魔物に向かって消滅魔法を放つ。
西の大討伐を終わらせたのは、私とメリッサが重ねて放った戦略級極大消滅魔法だ。
消し去って、私はデートに戻――――え?
放ったはずの私の魔法は、
理解できない。いやこの現象自体は魔力導線とか魔法障壁とか魔法介入とか、対魔法使い用の魔法というのは存在する。私もそれなりに使える。
でもそれは人が作り出した技術だ。
魔物が……、知性のない魔物がこんなものを使うのか?
「――危ないっ!」
巡る思考で動けなくなっていた私を、力強く彼が引き寄せる。
私が立っていた場所には、大きな穴。
魔物が超高速で、何かを放ったのだ。
「次が来るぞ‼」
彼は私を背に隠すように前に出て叫ぶ。
私は咄嗟に物理障壁と魔法障壁を展開する。
障壁に衝突したのは魔力の塊。
魔法として現象に昇華する前の、練られて束ねられた魔力をそのまま放出している。
非効率だが、こんなもの貰ったら何にせよ人は弾け飛ぶ。
私の前に立つ彼は、震えている……?
確かにこんな巨大で特異な魔物に恐怖しない方がおかしい。
私は物理障壁を魔力導線に変換、同時に複数展開し散らす。
防御面はなんとかなる、でも私の魔法じゃ掻き消される。
掻き消されないように大きな魔法を使えば防御が途切れる。
あれ、思ったよりピンチ?
一度彼を連れてメリッサの元に跳んで――――。
「…………ここで畳もう。後衛と防御を任せていいかい?」
彼はちらりと私を見て、そう言うと。
「武具召喚」
ブライさんも使う、マーキングした武器を転移にて取り寄せる魔法を使う。
現れたのは、斧。
いや、大きすぎる、
全長が彼と同じくらい、
鉄で作られたそれは、どう考えても重量がゆうに二百キログラムはあるだろう。
鍛冶屋が悪ふざけで作ったような、人が使うことを想定していない質量。
それを、彼は両手で力強く握って構える。
私に後衛を任せて斧を握った彼からは、震えは消えていた。
「……遠いな、あの撃ち落とすとかっていけます?」
構えたところから、彼は私に問う。
「魔法が掻き消さて、私じゃどうにもならない。動きも速いし投擲の類いも当たらない、ここは転移で一旦引いて私の仲間を――」
「転移か。いいね、俺をあれの目の前に跳ばしてくれ。一撃入れてくるよ」
私の言葉に反応して彼は斧を握る手に力を込める。
腕が一回り太くなり、背中の筋肉が隆起して、大腿部周りからズボンの繊維の悲鳴が聞こえる。
既に巨躯の彼が、さらに大きくなる。
この提案がいかに危険で無謀なことは百も承知だ。
こんな巨大な魔物を相手に、近接武器で、しかも単身で挑むなんてどうかしている。
でも、猛々しく
「タイミングはそちらに、何時でも跳ばせます!」
私は彼の背中に触れて、そう応える。
その背中は熱くて硬くて大きく、呼応するように私もおへその辺りにじわりと熱を持つ。
見てみたい。
この完璧な筋肉を持つ彼が、どんなことをしでかすのか。
ダメなら私がなんとかする。
不本意だけど私は賢者。
賢くはないけど、最強は揺るがない。
「…………行くぞッ‼」
力強い彼の言葉に、そのまま私は彼に転移魔法をかける。