始め、俺はイベント執行委員の放送役として声を出すことが正直怖かった。
だってそうだ。
周囲の連中は完全に俺のことを痴漢犯罪者だと思い込んでて、俺のする一挙手一投足に冷ややかな視線を送り、心無い言葉を浴びせてくるから。
何を言われても動じない。もう、どんなに冷たい反応をされようが慣れた。
こんなのは嘘に決まってる。心の底の、本当の自分の思いに蓋をして、目を背けてるだけだ。
本当のところ、俺は未だに俺を蔑んでくる奴らが怖い。
だから、味方が一人もいない状況だったら、こんなことはきっとできなかったんだ。
――亜月さんがいなかったら、本当に何も。
『ここに居る全員に聞いて欲しい。イベント執行委員が、いや、俺がこの借り物リレーを行おうとした理由を』
グラウンドはありがたいほどにシンと静まり返っていた。
変なヤジも文句もどこからも出てきていない。
みんな気になるんだ。
絶対悪だと思っていた俺が本当は悪くなく、ただ真中に騙されていたという事実のさらに深くを。
『さっきも音声を流した通り、俺は真中に電車内で痴漢冤罪を掛けられた』
「だから違うって言ってるだろ!? お前、ほんっとふざけんなよ!?」
ドスを利かせ、鬼の形相で真中は俺に歩み寄って来る。
そして、俺の体操服の胸元を掴み上げ、
「嘘ばっかりついてんじゃねえよ! 殺すぞ!? 痴漢したくせに何今さら
冤罪とか言ってんだよ!? そんなのまかり通るわけねえだろ!」
なんて口の悪さだ。
俺を睨む真中の瞳は血走っており、まるで獣か何かのようだった。
ここはサバンナとかじゃないし、弱肉強食の世界でもない。
思わず鼻でフッと笑ってしまう。
その必死さが今は哀れで仕方なかった。
胸元を掴まれてようが、関係なく俺はマイクを口元に近付けて続ける。
『――とまあ、こんな風に一生懸命反論して来られても、俺にはもう証拠があるんで、ここにいる全員に事実を証明できる。別にもう一度流してやってもいい。観客の中にはまた聞きたいって人もいるだろうし』
俺が言うと、想像した通り応援テントの方から「もう一回聞きたい」だの、何だのと声が上がった。
真中の表情は一段と焦ったものになり、青ざめ、俺の胸元を掴む手の力もまた強くなった。
「ふ、ふざけんな! ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなぁぁっ!」
もう、こいつが頼れるのは暴力くらいのもんだ。
俺の胸元はマイクの置かれたテーブルを挟んで掴んでるんだが、そのテーブルを無視し、奴はグイグイと俺を押してきた。
そのせいでテーブルに置かれているものは地面へ次々に落ち、やがてテーブル自体も横転し、パニック状態。
いつ止めに入るべきかと見守ってくれていた先生たちが一斉に俺たちの方へと駆け寄ってくる。
「やめなさい、真中!」
「真中さん、もうやめるの! やめなさい!」
「落ち着いて! 落ち着くんだ、真中さん!」
教師三、四人から羽交い絞めにされて、真中は俺から引き剥がされる。
引き剥がされそうになった瞬間、奴は俺の頬をグーで殴りつけてきたのだが、俺はそれを避けることなく受けた。
痛くない……というわけはない。
恐らく跡ができて赤くはなってる。
でも、それだけだ。
「死ねっ! 死ねっ! 死ね死ね死ねっっっっ! 嘘ばっかりつきやがって! 嘘ばっかりつきやがってぇ!」
眉間にしわを寄せて俺を睨み付け、涙を流しながら強制退場させられる真中を少しだけ見つめ、グラウンドから出たところで彼女から視線を切った。
応援テントの中にいる生徒たちはもはや唖然とするばかり。
最後の最後で、あいつは本性を露わにさせた。
まだ、進藤からの告白の答えももらっていないのにな。
仕切り直すため、俺は胸元を簡単に整え、咳払いをした。
そして、次はどこか動揺の色が浮かんでる進藤の方を見やりながら口を開いた。
『とんだ邪魔が入ったけど、話の続きに戻る。借り物リレーを行おうと思った理由。一つは俺自身の身の潔白を証明すること。それから二つ目は、亜月さんを進藤たちのグループから切り離すことだ』
「……は?」
「亜月さんを切り離す?」
「どういうことだ?」
生徒たちからは疑問符が次々と浮かんでくる。
進藤は目を見開き、「お前は何を言ってる!」と追及してくるものの、真中のように感情的になって突っかかって来る真似はしてこない。
感情的になればなるほど、自分の立ち位置を苦しいものにしてしまうとわかってるんだ。
さすがではある。この状況で、まだ冷静さを保ててるところは。
――けど……。まあ、いい。
俺は話を続けた。
『そもそも、俺が真中から痴漢冤罪を吹っ掛けられたのは、元を辿ればこの進藤歩が原因なんだ』
応援テントが一気にざわつく。
進藤も「はぁ!?」と驚き、悔しさからか、拳を握り締めていた。
『真中は進藤が好きだった。だから、何度かこいつに告白を試みてたんだ。でも、それでも進藤は真中の告白へきちんと答えを出すことなくズルズルと引き延ばしにし続けていた』
「何を適当な――」
『適当じゃない。ちゃんと調べたうえで言ってる』
言い訳しようとする進藤を制止させた。
『そうやって告白の答えを渋った理由、それは同じ友人グループにいた亜月さんのことを進藤自身が好きだったからだ』
「それは……聞いたけど」
「マジなん? ほんとそれ、マジなんかな?」
「もううち、何信じていいんかわからんのやけど」
『本当だ。本当に亜月さんのことが好きで、だからこそ、こいつは悩み続けた。自分の思いに正直になって亜月さんへ告白するか、それとも今のグループの仲を保たせるために気持ちを押し殺して生きるべきなのかって風に』
俺が言うと、すかさず進藤は反論してきた。
「適当にわかったようなことを言うな! そんなの、お前の憶測や推測だろう、暗田!」
『違うって何度言ったらわかる。俺は聞いたんだ。うしろにいる亜月さんはもちろん、お前らのグループの盛り上げ役、佐藤にもな』
「――!」
『その結果として、お前は真中の気持ちを踏みにじり、暴走させる種を作った。保たせようとしたグループの仲とやらも、お前の気付かないうちにそれは幻想と化してて、裏では真中が亜月さんに何度も攻撃してたんだ』
「そ、そんな……」
『亜月さん、俺なんかに助けを求めてくるほど追い込まれてたんだからな。まあ、俺に接近したのも、最初は真中に嫌がらせで「絡んで来い」って言われたからなんだけど』
無言のままに苦笑する亜月さん。
そうだ。ほとんど最近の話でもなるのに、もうだいぶ前のようにも思える。
亜月さんに釣られるように、俺も少しうつむいて軽く笑みを浮かべた。懐かしい。
「だ、だから……こうしてここへ出てきた、と? 俊二……?」
声を震わせながら問う進藤に対し、佐藤は申し訳なさそうに頭を掻き、やがて遠慮がちに頷いた。
「っぱさ、友達がなんか色々起こしてるところ、俺も黙ってられなくて……」
「それで……暗田に手を貸した、と?」
「手を貸すっていうか、そんなんじゃなくて……」
「俺たち……友達なんだよな? 俊二……」
「っ……。友達でも、やっぱダメなとこはダメじゃん? それ言うためにこうして暗田くんと一緒に動いてるんだ、俺。陽菜ちゃんも」
佐藤に話を振られ、頷く亜月さん。
そして、手に持っていた借り物リレー用のボードを裏返した。
「っ……!?」
進藤は思わず声を漏らす。
そこに書いてあったのは――
【自分の思ってることを正直に話す】
「正直……に?」
「……うん」
亜月さんは頷いた。
そして、すぐに間髪入れることなく切り出す。
「歩くんは……本当に勉強も運動も、何だってできる人で、人気者で。だから私、ずっとすごい人だなって思ってた。こんな人とお友達になれて嬉しいって」
「……っ」
「……でも、そうやって歩くんとお友達になっていくうちに、里佳子や俊二くんたちともお友達になって、一つのグループができた。友達の集団ができた」
思うところがあるのか、進藤は下がり眉を作り、瞳を閉じてうつむき、頷いていた。
佐藤も何かを頭の中で回想してるのか、しんみりと一点を見つめて頷いてる。
グラウンドは……静かだった。
亜月さんは続ける。
「それで…………それでね? どうしてか……上手くいかなくなって……里佳子とは仲良く話せなくなっていって……私、いつの間にかここにいちゃダメなんだろうなって思い始めたんだ」
「そんなことない! そんなことないよ、陽菜!」
叫ぶように言う進藤。
「それは俺の目が行き届いてなかったからで、俺の努力不足だったからだ! また皆に言って、そしたらきっと仲良く――」
進藤が言いかけたところで、亜月さんは首を横に振った。
「無理。それじゃ無理なの、歩くん」
「む、無理……? どうして……?」
「歩くんの目が、とか、そういう話じゃない。誰が好きかとか、誰と付き合いたいかって話がグループ内で出ちゃったら、その時点で上手くやろうなんて考え、おかしいんだと思う」
「で、でも……」
「私は、別に好きな人がいるから。もういいんだ。いいの、これで」
「え…………?」
「歩くんも、ちゃんと好いてくれる女の子に向き合ってあげて? それが私の思ってること。この競技を通じて、この競技を暗田くんと一緒にやろうって言った時から、あなたに伝えたかったことだから」
「じゃ、じゃあ……俺……陽菜のことが好き……なのに」
「ごめんなさい。里佳子のところに行ってあげて」
亜月さんがそう言って頭を下げた瞬間、グラウンド内に叫び声が上がった。
それは大勢の人間の阿鼻叫喚であり、同情やざまぁみろといった多様な声が色々と混じってる。
俺は……一人息を吐いた。
これで終わった……のかもしれない。
信じてくれてる奴がどれだけいるかはわからないが、身の潔白は証明した。
亜月さんが堂々と進藤へ思いをぶつけた。
解決しないといけないことは、一通り終わった。
そんな気がする。そんな気がするのだ。
「……はは……」
つい、軽く笑い声を漏らしてしまい、なぜか軽く目を潤ませてしまう。
これは……達成感による感動か? それとも――
――ああ、そうか。そうだ。やるべきことなら、まだもう一つだけあった。
俺は脱力しきっていたところ、もうひと踏ん張りだと自分に言い聞かせ、こめかみを抑える。
そして、グラウンド内に響く声をしばし聴きながら、やがて前を見つめるのだった。
こちらを見てきている、亜月さんの顔を。