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グラス・ショット
谷樹理
SF空想科学
2024年08月17日
公開日
60,535文字
完結
 人間が情報体になりロータ・システムと呼ばれる天空に移動し、クローンを電脳改造されたサイロイドといわれる者たちが地上で生活する時代。
 十六歳のリズリー・ミートンがバラバラ死体で見つけられた。
 事務所をもつミツキは依頼で、彼女を追うことにする。
 史上最悪の連続殺人鬼ホロミーと契約して能力を得て。
 契約とは、その現象の結果だけを再現するものだった。発動させるには、グラス・ショットという薬が必要だった。
 サイロイドのリズリー・ミートンはなぜかロータ・システムに情報体として生き残っていた。
 彼女は様々な残酷な絵を描き、ある日、それを男と契約を結ぶ。
 事件を追うのは、ミツキだけではなくひそかに彼女に恋心を抱いていた少年、サティーブも独自に調査を始める。

第1話

 ミツキ・ユーィは空に輝く人間の光球に、意識を接触させていた。

 人は約百年前、とっくに身体から精神を引き離して、情報の光球となって、空の上に星空のように瞬いていた。

 光球からは時折、細胞の軸索のようなものが伸び、または反重力場で閉鎖させれて、他光球と接触や閉鎖をしていり。ロータ・システムと呼ばれる、人類の新天地だった。

 ミツキが地上から軸線を伸ばして光球となり尋ねたのは、すさまじい反重力場を持つ光球の一つだ。

 相手は確定してある。

 ホロミー・イェーズ。二十年前にサイロイドの身体を乗っ取っては、地上に時折降りてきて、住民を殺害していった、連続殺人鬼だった。

 反重力場に即興で作った鍵を使って小さな穴をあけ、細い軸索を差し入れる。

 ホロミーは、眠っているはずだった。

 いや、情報体に睡眠というものはないが、活動を休ませているのはたしかだ。

 昇る前、デッキで活動反応を確認していたのだ。

ミツキが用があるのは、ホロミーの殺人の技術である。

 人間は、サイロイドを作った。

 それはクローンとアンドロイドを融合させた、新人類と言っていい。彼らはサイロイドに地上をゆだね、自らは空に昇った。

 サイロイドの活動は、ほぼ人間の情報に吸収されてゆく。

 代わりに、契約というものがあった。

 とある人間と契約をして、技術の一つを付与してもらうのだ。

 例えば、料理の過程を飛び越して、完成させる能力。例えば、移動を歩かなくても、一瞬で、目的地に到達する能力。

 だが、それを行使するには、グラス・ショットというナノ・ドラッグが必要だった。

 いま、グラス・ショットはサイロイド協会が民間に許可性で配っているため、供給に問題はない。

 契約外から能力を盗むのは、ハッカー系サイロイドがよくやる違法手段だった。

 ミツキもそれをしようというのだ。

 慎重に輝く光球の陰から伸ばした軸索で、ホロミーの情報体に侵入することに成功した。

 しかし、途端に軽く切断されてしまった。

 反重力の壁が急に取り払われ、光球が一つ、彼女の目の前に一瞬で近寄ってきた。

「おやおや、だれかと思ったら、ミツキじゃないかね。しばらく見ないうちに、ずいぶんと下品なことをするようになったものだ」

 予想に反して、ホロミーは上機嫌そうだった。それとも警戒心を浮かべさせないように、演じているのか。

「……いや、あんたにようがあったんだけど、寝ているようだったから」

 ミツキはとっさに嘘を吐いた。

「ほう。そうか。それならそれでいいんだがな。私に何か用かね? 君は私といくつか契約している。実際、私のお気に入りだ。用があるなら、遠慮なくいってくれ給えよ」

 ホロミーが、両手を差し出すような気配を送ってくる。

「あんた、ドロップスにマークされてるんでしょ?」

 ドロップスとは、人間の犯罪者を取り締まる、情報体達の治安維持組織だった。

 彼らに捕まれば、最悪、情報解体されて存在を消されることもある。

 ホロミーなど、塵の一片も残さずに消去されるだろう。

 公式犯罪歴五十犯以上、内、確定しているのが、二十九件。すべて殺人だ。十分過ぎるほどに、消去の条件にかなって、捜査対象になっている。

「少し話すことぐらいなんてことないさ。少しな」

「じゃあ、端的に話すわ。新たな契約が欲しい」

「いいだろう。もう一度言うがおまえは俺のお気に入りだ。精々、地上で暴れるんだな。で、何が欲しい?」

 ホロミーが訊くと、ミツキはやや遠慮気味に、一言呟いた。

「以前使ったことのあるナイフ……」

「いいぜ。その代わり、これは昔に芸術家ごっこしてた時の物だから、それもついでに付いてくるけどな」

「芸術?」

 ホロミーはほくそ笑み、頷いた。

「まぁ、構わない」

 ミツキが首を縦に振ると、ホロミーは、あっけないほど簡単に承諾し、光の玉からの軸索がミツキの光球に光の粒を送り込ませた。

「さて、閉じるぞ。まあ、たまに話に来な。おまえなら、いつでも歓迎だ」

 ミツキは手に入れた能力の”おまけ”に機嫌が悪くなったが、逆にホロミーは上機嫌だった。

「……ありがとう。恩に着るわ」

 一応、言葉だけで礼をいうと、ミツキはロータ・システムから精神を離脱させた。

 ミツキはサイロイドの十七歳。

 すらりとした身体は華奢で小柄。まだ、幼さの残る容姿に、普段着のオーバーオールスカートを着てニーハイ、タンクトップ姿だった。髪は顎のところまで伸ばし、両サイドを途中で結んでいる。

 ネットワーク・ターミナルと呼ばれる駅と兼用のネットワーク接続の店で、ミツキは我に返った。

 チョークバックの中の小瓶を感触で確かめて、彼女は街をぶらつく様に歩いていく。

 イロイはすでに相手を見つけて監視しているようで、携帯通信機に連絡が何本か入っている。

 今度の仕事は多少厄介だった。

 何しろ相手も、同じ契約者だからである。

 どんな能力を持っているかわからない上に、正面対決などでは契約者同士だと相打ちになりかねない。

 そのためにイロイ・メイがいるのだが。

 彼の通信からだと、目的の人物であるイーリハル・ラリーズは昼間から横町の繁華街にある喫茶店で、のんびりとマスターと一服中らしい。

 喫茶店は細く入り組んだ路地を行った奥にあり、知る人ぞ知るという隠れ家的な店のようだった。

 ミツキは携帯通信機での文字入力で、イーリハルの監視からアービーン・ビルの方を処理するように伝えた。

 短く、了解の返事が来たので、ミツキは喫茶店の近くまで行った。ロスジェネックという。

 店の前まで来ると、確かに客が一人だけでカウンターにショット・グラスが散らされたまま、マスターとゆったり話合っているのが窓から覗けた。

 チョーク・バックから、ナノドラックのカプセルを取り出して口に含む。

 奥歯でカリッと音を立て砕き、中身を飲み込む。

 ミツキの身体は、付与された能力に震える。



 イロイ・メイは十六歳の少年だった。柔らかそうな黒髪がやや長く、切れ長の目と黄色い瞳をしている。服はだぼだぼのパーカーにスエットのズボン、スニーカーで、黒一色だ。

 小柄で華奢。鋭い目をしていなければ、貧民窟で暮らしている彼など、一発で舐められるだろう。

 左手に、刀の入った袋を持ち、ポトリー・コーポレーションと言いう会社のあるアーバン・ビルに向かう。

 ポトリー・コーポレーションは、近年のサイロイド達の健康グッズを開発販売する会社で、急速にその売り上げを伸ばしていた。

 三階建てのビル内では、社員たちがまだ勤務中である。

 いかにも普通の会社らしきものだが、裏ではグラス・ショットを卸している、マフィアのフロントだった。だが、社長のロメィ・リードは最近、本家に上納する金額をごまかし、独自に成長を図りながら独立を狙っているという。

 噂を本家筋の者が帳簿を見て確認すると、本当の話だと分かり今回の依頼となったのだった。

 この街はほぼマフィアが牛耳っており、警察局もおいそれと手を出せない。

 マフィア間は複雑に利害を分け合って、共存しており、そこを破る勢力は遠慮なく潰されていた。

 だが、ロメィ・リードはフーリア・ファミリーの次期ボスとみられているために、ファミリー自ら潰すとなると、ボスのメンツや下の混乱が起こるため、ミツキの事務所に話が回ってきたのだった。

 イロイはアーチ形をした石造りのエントランス正面から、ビルに入っていく。

 中は綺麗な空気と広々とした空間で、少年は胸のあたりにぶつかる受付の台の前に立った。

「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」

 受付嬢は、二十代の美人が二人、横に並び一人がイロイに声をかけた。

「フリァリーさんから」  

 彼は短くそれだけを言った。

「かしこまりました。少々お待ちください。その前に、お名前を」 

 受付嬢はきちんとと教育されていて、表面顔色も変えずに尋ねてきた。

「会えばわかると」

 イロイも表情を変えず、また短い言葉で応じる。

「失礼しました」  

 受付嬢はそれ以上追及せずに、ポータブルパットを置いて、ヘッドセットで内線に繋いだ。

 二三、問答らしきものがあり、ちらりと一瞬、彼女がイロイに視線をくれる。

 会話が終わった受付嬢は、ニッコリと笑顔になった。

「どうぞ、社長室へ」

 イロイは返事もしないで、そのままエレベーターのところまで絨毯敷きの床を歩いて行った。

 三階のボタンを押して、一気に昇ると廊下に出る。窓からは昼の日差しが強く差し込んでいた。

 絨毯敷は変わらない廊下を、足音も鳴らさずにそのまま歩く。

 途中で出会うサイロイドはいなかった。

 ステンレス製のドアの上に社長室とプレートが出ている。

 イロイは一応、ノックした。

 入れというなかからの声に、少年は返事もせずにノブを回す。

 社長室は、ビルのフロアを半分ほども使った広い空間だった。

 様々な調度品があり、執務机の前にソファが二つ、テーブルをはさんでおかれていた。   机には、まだ二十代後半の背広を着た青年が座っていた。

 短めの髪に細い髭を生やし、いかにも筋者の雰囲気を放っていた。

 イロイの予想と違ったのは、傍に女性秘書らしき人物が立っていたことだった。

「お前が親父からのか。一体どうしたってんだ?」

 ロメィはタバコを口に咥えて、火もつけずにニヤリと笑った。

 秘書の存在は意外だったが、イロイに問題はなかった。

 黙って袋の入口の紐を解き、柄部分を露出させて右手で握る。

 何かを噛む音が聞こえた。

 グラス・ショットだ。それもロメィではなく、秘書の口の中から聞こえてきた。

 躊躇せずにイロイは一気にテーブルに足をかけて跳んだ。

 執務机に片足を載せた時には勢いは消えておらず、そのまま抜刀してロメィの首を横薙ぎにした。

「なっ!?」

 声を上げたのは、秘書だった。

 ロメィはあっけなく首を飛ばされて、椅子に体をもたれさせた。

 イロイはそのまま、秘書を間合にいれた。

 彼女は慌ててポケットから拳銃を出そうとした。

 しかし、そんな間もなく拳銃は、叩き落され、刀の裏で首を打ち付けて、彼女を気絶させた。

 グラス・ショットは、同じくグラス・ショットを飲んでいる者にしか能力を発揮できない。

 イロイはナノドラックは使っていない。

 秘書が何をしようとしたのかはわからないが、イロイにはどうでもいい事だ。

 一仕事を終えて再び刀を鞘に納めると、袋の紐を縛った彼は何事もなかったかのように、ビルを降りた。



「こりゃあ、なんだよ……」

 警察局の鑑識が喫茶店に入ると、皆、絶句した。

 体のあらゆる筋や内臓が、店内をクリスマスの飾りのようにぶら下げられていた。

「……覚えがあるぜ」

 言ったのは、彼らの作業が終わるのを、ドア口から覗いてみていたトリィーユ・リバー警部補だった。

 小汚いTシャツに、クラッシュデニムを穿いていた。靴は下ろしものの軍靴である。

 二十九歳。髪は金髪に染めて、大き目のチョークバッグを腰に垂らしていた。

 鑑識は慣れたもので、早速作業を始めた。

「報告は、後でくれ」

 トリィーユは近くのレストランに入り、パットを出して局内のデータベースにある事件のファイルを探した。

 頼んだのは、珈琲だけだ。

 三十分もいらなかった。

 ホロミー・イェーズ。彼らの手の届かない、天上でさらに身を隠している連続殺人鬼。

 これは、九年前に行った殺人と同じ手口だった。

 ということは、ホロミーが再び降りてきたのだろうか? 

 答えは否だ。

 だが、上は違う見解をするだろう。そして、相手が人間となると手を出すわけにはいかずに捜査は打ち切りになる。

 サイロイドは、未だに人間の支配・管理下にあるのだ。

 だが、これは明らかに誰かが、グラス・ショットの能力を使ったあとだ。

 ホロミーは同じ”遊び”を繰り返すタイプではなかった。

 いつも新しい手口で、殺人を行い世の中を震撼させてきたのだ。

 では、契約者がいるとみて、確実だろう。

 殺人鬼と契約を結べる相手。そこらに転がっているような者の訳がない。

 それよりも、事件の背景を探った方が、犯人に近道でたどり着けると思った。

 彼はまだ温かい珈琲を、そのままに現場に戻った。

 鑑識作業は続けられている。

「どこまでわかった?」

 彼は報告を待たずに鑑識部長を捕まえて尋ねた。

「あー、被害者は二人。一人は遺伝子ですぐに分かった。イーリハル・ラリーズ。フーリア・ファミリーの用心棒の一人だ。もう一人は、多分店の人間だろう」

「イーリハル・ファミリー?」

 そういわれて、トリィーユはあらゆる記憶を掘り起こした。

 動機がありすぎる。どこの誰にでも。

 とにかく、ファミリーのボスに直接聴取するのは、仕事のうちに入りそうだった。

 打ち切りになったとして、自分に何ができるだろうか。

 トリィーユは考えて憂鬱になった。

 何もできない。また、昼から酒を飲む生活に戻るだけだろう。

 彼は一杯やりたくなってきた。

「ホロミーとグラス・ショットに乾杯だ」

 チョークバックから、スキットルを出して一気に中のウォッカを煽った。

 警察はグラス・ショットと人間の前には無力なのだ。



 ミツキはイロイとともに、街の郊外ぎりぎりにあるコンクリート打ちの建物のなかにいた。

 一室が畳敷きになっており、二人は三つ用意された座布団の二つに座っている。

 やがて、壮年の男が襖を開き、後ろの若い二人をその場に立たせて中に入ってきた。

「どうやら、うまくやってくれたようだな、二人とも」

 座るとラージフォル・イリーハルは二人に微笑みを浮かべた。

「ロメィ・リードと、その片腕のファース・アプターは始末したよ、おじさん」

 ミツキは、緊張感のない態度で報告した。

 ラージフォルは、大きく頷いた。

「わしらも確認した。さすがの手際だな、二人とも」

「でも心配なのは、警察なんだけどね……」

「それは、こちらで被る。おまえたちはよくやってくれた」

 そして、羽織から札束を出して、二人の前に押しやった。

「報酬と、小遣いだ。あ、そうか。ミツキにはこれもだな」

 言って、グラス・ショットが目いっぱい入ったプラスチックの小さなボトルを取り出す。

「余計なこと言っていい、おじさん」

 ミツキは札束とボトルをチョークバックに入れながら訊いた。

「なんだ? なにか心配事でもあるのか?」

 ラージフォルの態度に変化はない。

「警察が本気出した時のことが、正直不安なんだけど」

「本気? どんなだ?」

「グラス・ショットを使った警察部隊とかさ。そんなの出来たら、あそこ犯罪データの巣窟じゃない? あたしらなんて、一瞬で吹っ飛ばされて終わるよ」

 少女の不安に、ラージフォルはフムと頷いた。

「……さすが最近の若いのは違うな」

 慈愛の目で、ミツキを眺める。

「それはそれで、どうにか手を打つ方法を考えておこう。安心していなさい」

「……うん」

 ミツキは満足いっていないような様子だったが、一応頷いて話を終わらせた。



 ミツキとイロイは、事務所兼自宅のところまで、イリーハル・ファミリーの車で送ってもらってきた。

 ファミリーの建物があった郊外などという場所ではなく、貧民窟との境目にある、貧困層が住む区画である。       

 一階にガレージがあり、二階が事務所、三階が住居となっている三階建て。といえば立派だが、外見からして、すでに廃墟にも見えるほどに汚れて崩れかけているボロビルだった。

 そこに高級車が止まったのだから、目立つ。

 だが時折、イリーハルのところから依頼でその手の乗り物が近くに止まるため、周りは慣れていた。

 曰く、あのビルの人間には関わるな。

 おかげで、二人は騒ぎたい放題だが、新規の依頼人がなかなか来ないのが悩みの種だった。

「さあ、明日から思い切り遊ぼうぜーっ!」

 ミツキがリビングに戻ると元気よく叫んだ。

 その前を無言でイロイは通り抜けた。

 彼はお気に入りの窓の近くにある座布団に座り、刀を肩にかけて俯いた。

「暗れーな、おい。今度の収入で高級プール行って泳いで来るぞ。イロイも用意しとけよ?」

 ミツキは上機嫌で、冷蔵庫から疑似ビール缶を取り、ソファに跳び乗った。

「……プール?」

 思わずといった様子で、彼は顔を上げてミツキを見た。

「なんだよ? さては、あたしの水着姿が見れると期待したな?」

 流し目を送り、不遜な笑みを浮かべた。

 イロイは、ゆっくりと、タンクトップとオーバーオールスカートにニーハイ姿の少女を上から下まで見てから、ため息を吐いた。  

「まな板の幼児体形が何言っている。ただ、プールは……」

「誰が、まな板じゃコラァ! こうなりゃ、無理やりにでも連れて行くからな。覚悟しておけ!」

 一瞬、諦めの表情を浮かべ、イロイはまた俯いた。

 缶のプルを引いて、ミツキは疑似ビールを一気に半分ほど飲み干す。

「うめぇ!」

 ミツキは、歓喜するように大きく息を吐き出した。

 ソファの上から、テレビをつける。

 ニュースでは、丁度、喫茶店での殺人事件を大々的に報じていた。

 興味深げに見ていた彼女は、人工素粒子で空中に映し出される浮遊ディスプレイを開き、各社の新聞をチェックする。

 夕刊全てに触れられているが、まだ、満足な情報は乗っていなかった。

 次に、犯罪専門チャンネルにディスプレイをアクセスさせる。

 今回の事件の件で、未だに残っているチャットスレが、大賑わいだった。

 ミツキは胡坐をかきながら、疑似ビール片手に、流し読みしていったが、ふと、目が留まった。


  1052:確実に、ホロミー・イェーズの犯行だな。 

  1053:降りてきたっていうの? もう彼は追い詰められていて動けないって噂だよ?  

  1054:少なくとも、奴の能力を持った奴がいることは確かで、その殺人鬼が動き出したということ。

  1055:気をつけろ。奴は標的を選ぶタイプの殺人鬼じゃない。殺しを楽しむ本当のサイコパスだ。  

  1056:今迄の犯行のファイルを張っておく。************      1057:それよりも、今日別の事件があって、そっちが薄まった感のあるのみんな気付いた?  

  1058:あー、ハラル地区で起こった事件か。

1059:あっちも、ヤバイ。それも、ホロミーの犯行に似ている。警察は何してるんだろうな。

  1060:サイロイドの警察が動かないとなると、犯人が人間の可能性があるよね。


 ミツキは残りの疑似ビールを飲み干し、すぐにハラル地区での事件をディスプレイで調べ出す。

 それは高校生が一人、バラバラ死体で見つかったという記事だった。

 犠牲者は、まだ高校二年生のリズリー・ミートン、十六歳。

 だが、話はそれだけで終わるものではなかった。

 当然、警察も捜査を開始しているが、ハラル地区を根城にするマフィアは地域保護の役割としてのメンツを潰され、こちらも躍起になって犯人を捜しているという。

 ミツキは、ニュースになっていない事件の、ホロミーの手口に似た犯行というものに引っ掛かりを覚えた。

 なにしろ、彼女が使った”ナイフ”は確かに、ファース・アプターを葬ったが、もう一人の犠牲者など出していないからだ。

 おかしい。

 彼の契約者は、自分一人のはずだった。

 ホロミーが考えを変えたのだろうか。いや、それならそうと、ほのめかして嗤うのが彼の性格だ。

 ミツキは、ハラル地区で起こった事件というものを、詳しく調べることにした。

 ウィンドウを二つ新たに開いて、ネットニュースや、自称殺人専門ジャーナリストなどのブログに跳ぶ。

 それによると、死体にはあるべきパーツが数個見つからなかったという。

 連続殺人鬼が好むトロフィーというものか。

 リズリー・ミートンの死体が発見されたのは、事務所から三十キロほど離れた捨てられた小屋の中だった。

 彼女がここで何をして、どうして事件に巻き込まれたのか。

 だが、ミツキの興味はここで終わった。

 そろそろ、夜も更けてきた頃だ。浮遊ウィンドウを閉じる。

 イロイの姿はすでになかった。

 自室に戻ったのだろう。

 一気に疲れが来たミツキは、微妙な気分になった酔いのまま、部屋のベットまで歩いて行った。



 リズリーは何故自分がここに来たのかわからなかった。

 だが、確かにこの空間は、人間のロータ・システムの中だった。

 光球がそれぞれに軸索で絡まりあい、眼下にサイロイドの街並みがみえる。

 リズリー・ミートンは、地上での生活を奪われたことに気付いた。

 彼女は普通に高校に通い、将来を夢見ていた少女の一人だった。

 昔から絵を描くのが好きで、美系の学校に進学すると、アート・デザインの世界に入ろうと心に決めていた。

 ところが、突然、その夢も否定された空間に彼女はいる。

 絶望が、彼女を襲った。

 もともと明るい方ではなく口数も少なかったが、さらに悲しみがリズリーを絶望のどん底に落とした。

 理由は覚えている。

 スクール・カーストの底辺にいる彼女は、毎日の学校に飽き飽きし、時折さぼっては誰も来ない小屋にこもって絵の練習をしていた。

 人通りも少なく、林に囲まれた小屋は絶好の隠れ場だった。

 正確に言えば、小屋はリズリーの親戚の所有地だった。

 誰かが来るような場所でもない。

 リズリーの絵は、以前まで人に見せていたが、ある時に「君の絵は不吉だ」と美術の教師に言われて以来、人の目にさらしたことはない。

 確かに不気味といえば不気味かもしれない。

 教師が見たのは、イメージでロータ・システム内を人間社会として表現したものだった。

 描かれていたのは暗く、退廃的なデストピアだったかもしれない。

 多感な少女は、否定的な見解を示されて、自分を閉じた。それから、様々な残忍な絵を描く様になった。

 まるで、自分の中から毒を抜いていくように、次々と作品を仕上げていく。

 ある日、数冊あるスケッチ・ブックのうち、一冊を小屋に忘れて置いてきてしまった。

 どうせ誰も来ない。

 そう思ってスーパーに寄り、スナック菓子とジュースを買うと、今日も学校をサボることにした。

 木々の鬱蒼と生えたあぜ道を制服で通りつつ、二日後に訪れると目的のスケッチ・ブックを広い、パラパラめくると、彼女は一瞬呆然とした。

 数枚が抜き取られている。

 人体を解剖させて、様々なデザインにしたものばかリを。

 この小屋に誰かが来たこと自体に、彼女はうすら寒い感覚に陥った。

「待ってたよ。君、才能あるねぇ」

 小屋の奥のソファに、男が座っていた。

 スエットの上下にコートを羽織り、帽子をかぶっている。

 暗いために容姿はわからなかったが、やや長身で、顎鬚を生やした男だということはわかった。

「君はサイロイドにしておくにはもったいない」

 男は立ち上がりながら、ポケットに手を入れた。

 リズリーは突然、見ず知らずの男に馴れ馴れしく声を掛けられて、恐怖で一歩後ずさった。

 そのまま振り返って、一気に走って逃げよウとしたとき、身体がピクリとも動かなかなくなる。

 恐怖心が一気に吹き上がって、彼女は震えて泣こうとした。

「グラス・ショットをやってね。まぁ、地上の人間なら当たり前だけども」

 ナノドラックは、サイロイドの健康維持薬としても、微量に出回っている。

 契約者が使う量は、その数十倍の量だが。

 リズリーは、普通にグラス・ショットを少しずつ、毎日摂取していたのだった。

 それから、記憶がない。

 男に何をされたのか、リズリーはロータ・システムにいる。

 彼女は地上に戻ろうと、サイロイド協会に接触を図った。

 協会は警察局を抜かせば、唯一マフィア組織からの支配を受けていない団体だ。

 ロータ・システムにも接触できる技術を持ち、困惑にさいなまれたサイロイドたちの最後の駆け込み寺となっている。

「サイロイド協会でしょうか?」

 軸索を伸ばすと、接触スポットで彼女は連絡を入れた。

『はい、こちらサイロイド協会でございます。今回はどうなされました?』

 女性オペレーターの落ち着いた声が返ってくる。

「何をしているのかな?」 

 リズリーが最初の方から話そうとしたとき、直接、声が聞こえた。  

 光球が接触してきたのだ。

 すぐに、小屋での男とわかる。

 協会との連絡が絶たれる。

 リズリーは緊張した。恐怖に襲われるが、逃げ出す方法がわからない。

 ロータ・システムに押し込まれた、サイロイドの身としては、何をどうすればいいのかも、わからなかった。

「どうだい? ここは気に入ったなかぁ?」

 光球はあたりを見回す気配を見せた。

「……あたしをどうする気?」

 リズリーは何とか声をだした。いや、意思を疎通させた。

「なんてことない。君と契約したいんだよ」

 男は優しげな雰囲気で、敵意は全くなかった。

「契約? グラス・ショットを使うサイロイドみたいに?」

「そうだよ」

「どうすればいいのか、わからないわ」

「簡単だ。何なら、こちらから一方的にしてもいい」

 リズリーは困惑した。

「契約したら、わたし元の地上に帰れるの?」

「契約は契約のみだなぁ」

 男は呑気ともとれる言い方で、話をそらした。

「ただ、意思は伝わるんじゃないかな?」

 嗤っている様子がわかる。

「……わかったわ。あなた名前は?」

 迷いに迷い、リズリーはある決心をした。

「フォロイ・ヒルデガン」

 リズリーは男が名乗ると、頷いた。

「貴方に任せるわ、フォロイさん」      

 細い軸索が伸びて、リズリーに接触する。

「よろしく、リズリー・ミートン」

 フォロイが消えると、リズリーは再びサイロイド協会に連絡を入れる。

『あら貴女、さっきの方ね?』

 オペレーターはリズリーを覚えていた。

「はい、名前はリズリー・ミートンです」   

 それから、彼女はことの顛末を話した。

『サイロイドの貴女が、ロータ・システムにいるですって?』

 驚きと懐疑の声が返ってくる。

「お願い、信じて! 自分でも何が何だかわからないの!」

 必死に訴えるリズリーに、オペレーターは他の誰かと話している様子だ。

『リズリーと言ったわね。確かに、そういう名前の事件被害者はでてるわ。でも、彼女をつかってからかおうなんて良い考えじゃないわね』

「まって!」

『くだらない遊びに付き合っているほど、こちらは暇じゃないの』

 通信は無情に切られた。

 リズリーは、呆然となった。

 彼女は助かりたかった。

 是が非でも。



「打ち切り……な?」

 捜査に対してその命令を受けた、トリューユは上への失望だった。

 リロンゾ・ファミリーから圧力でもかかったのだろう。   

 だとすれば、また血が流れる。今度は別の街で。

 警察に圧をかけたということは、リロンゾ・ファミリーはある程度、事件の目星はついているのだろう。

 調査中だったが、犯行が人間の殺人鬼、ホロミー・イェーズと同じものだと掴んだ。

 ホロミーは他の普通の連続殺人鬼と違い、同じ手口を繰り返すタイプではない。

 確実にグラス・ショットを使った犯行だと、トリューユは思っていた。

 彼らサイロイドには、人間の犯行を止める方法はない。

 だが、相手がグラス・ショットを使ったサイロイドであれば、話は別だ。

 なによりも、ホロミーの犯行を再現できるレベルの契約者となれば、野放しにしておく訳にはいかない。

 トリューユには、命令に従って全てをマフィア組織に任せ、安楽に今まで通りに無言の警察勤務を行う選択枝があった。

 だが彼には、まるでそのつもりはない。

 二十九歳。ノンキャリアで警部補まで上った実力は、伊達ではなかった。

 周りは事件に対して、念似も似たものを感じていた。

 たびたび命令を無視してでも事件を解決に導き、今の地位と「現場の鬼」の異名を手に入れた。

「あー、俺はこれから有給使って長期休暇とるわ」

 連絡してきた部下のキャリアに、唐突な宣告をする。

「あと、今後いろいろと、報告するから、みんなおまえの手柄にしていいぞ」

『ちょ、ちょっと待ってくださいよ! また無茶するんじゃないでしょうね!?』

 部下に言って、返事もせずに通信を切る。

 リロンゾ・ファミリーは必ず動く。

 追っていけば、少なくとも事件の全容は手に入るだろう。

 彼は車で街を移動し、歓楽街の一つの近くに駐めた。

 時間はまだ昼間の二時で、人影はほとんどない。

 だが、この時間でもこういうところで営業している連中もいる。

 ドラックの売人だ。

 トリューユは、閉店中の店のドアを二三度、叩いた。

「何でしょう……あ、トリューユさん……」

 出てきたのは、少女だった。

 普通に中の上級クラスの円満な家庭で育ったと言われても、信用してもらえそうな小綺麗な容貌をしている。空色のフリルの付いたワンピースの上から黒いパーカーを着て、わざと額を見せた短い前髪に、三つ編みをして、大きめの眼鏡をかけている。

「よう、ラクサ。儲かってるか?」

「いやぁ、それほどでもないですね」

 少女は即答する。

「そんなに繁盛してるのか。そろそろ、太ってきた頃かな?」

 トリューユの皮肉な笑みに、ラクサ・フルットは一瞬、苦い顔をした。

「あの、いつもですけどね、この職をくれたのトリューユさんですからね? ちゃんとわかってます?」

 ラクサは十五歳。元スラムの住民で、ナノ・ドラック中毒と言っていい程の契約者だった。

 売春組織に売り飛ばされようとしたところを、逆襲して皆殺しにした過去を持つ。

 彼女のようなサイロイドは、刑務所で一生を終えるしか、社会的に処理する方法がない。

 だがトリューユは、合法のグラス・ショットを非合法に契約者に売るという、”誤認”する職に付けた。

 契約者が一人減って、約数十人に増えた訳だが、全ては管理下にあるようなものだった。

 こうして、裏で独自の畑を作っていたトリューユは時折、この少女を自分の捜査の時に使うようにしていた。

「あとそれから、臭いますよ、トリューユさん。風呂入ってないでしょう?」

「うるせぇな、入ってないったって、この三日だ」

「その臭い、死臭ですよ。最悪だ」

「黙れよ、それぐらい忙しかったんだよ。わかってるならシャワー貸すぐらいの気遣い見せろよ」

「あーもー、いつも強引で厚かましいんだから。まぁ、いいですよ、店の奥のところ、自由に使ってくださいよ」

「まぁ、いいですよ?」

 ラクサの言葉の一つを取り上げて、トリューユは口だけで笑みを作った。

「あ……いえ……、どうぞ、使ってください!」

「そうだよな。それでいい」

「……あたし、これでも店の留守番役なんで、手加減してくださいよ……」

 それでもラクサは聞き取りづらい声で、入ってきた彼の背に声を投げかける。

 トリューユは、服を衣類乾燥機兼洗濯機に放り込んで、シャワーを浴びた。

 すっかり身綺麗にして出てきた彼は、住宅部分に使っているソファに、どかりと座った。

 ラクサはアイスコーヒーを、彼のために一杯、持ってきた。

 礼も言わず、トリューユは一口飲んだ。そして、顔をそばに立つ少女に向ける。

「これから、リロンゾ・ファミリーを監視する。付き合え」

「……また、急ですね」

 無理矢理、笑顔を作ってラクサは曖昧に頷いた。

 そして、携帯通信機でおそらく店の主であろう人間と、二三のやりとりをした。

「で、監視ってどうするんです?」

「決まってる。中にお邪魔するんだよ」

 簡単にさも当然とばかりに言われ、ラクサは唖然とした。

「そんな……」

 思ったことを口にしようとしたが、やっと出た言葉がこれだけだった。

「さて、行くぞ」

 コーヒーを半分ほど飲み干すと、トリューユは立ち上がった。



 リロンゾ・ファミリーは、サン・ミッシェルという歓楽を主に利権を持つ、中堅どころの組織だった。

 今年、新たに住宅街の土地を二カ所手に入れたばかりだ。

 トリューユが本拠の四階建てビルに正面から入ってゆくと、連れてきたラクサが挙動不審にきょろきょろとあたりを見渡した。

 一階からして普通の企業と変わらない、カウンター裏にオフィスが置かれている。

 受付嬢がいるカウンターの中に一人、若い丸刈りの男が黒いスーツを着て立っているのが、明らかにそれっぽい、唯一の点だった。

 ポケットに手を入れて、小汚い雰囲気の普段着のトリューユは手帳を見せて、カウンターの男に話しかけた。

「よう。元気か? 警察のもんだ」

「なんのご用でしょうか?」

 受付嬢の代わりに、丸刈りの男は変わらない態度で応じた。

「ちょっと、今回のイーリハル・ラリーズの件で聞きたいことがあってな」

「どうかしましたかね?」

 中年の男が奥から現れた。警察という単語が耳に入ったのだろう。

「あ、これはリバーの旦那。お世話になってます」

「みろ、ラクサ。これが礼儀ってやつだ」

 トリューユが満足げな態度になった。

「おい、早くタクシー代をお渡ししろ。それでは、これで失礼しますよ」

 中年の男が受付嬢に指示して、さっさとトリューユを追いだそうとする。

「……なるほど」 

 ラクサが納得しかけた瞬間、トリューユの腕が素早く伸びた。

 彼は中年の男の髪の毛を掴むと、強引に引っ張って勢いよくカウンターに顔面をたたきつけた。

「話も聞かねぇで、いきなり帰ろとはどういう態度だよコラ! 警察舐めてんのか!?」

 トリューユは中年男の耳元で、ドスの効いた怒声を上げる。

「……失礼しました、旦那。で、今回は何の用で?」

 男は、頭を押しつけられたまま、何とか言う。

 すると、あっさりとトリューユは彼から手を離した。

「いやぁ、おまえらのところで、仕事もらおうと思ってねぇ」

「……私には難しくてわからないので、ボスに直接どうぞ……」

 解放された男は、ムッとした様子を隠しもしなかった。

「案内ぐらいしてもらおうか」

「失礼。こちらです」

 男は髪を整えながら、エレベーターの前まで二人を連れてきた。

 六階まで昇り扉が開くと、壁一つないだだっ広いフロア全域が目に飛び込んできた。 

 それぞれ各所に置かれたソファや座蒲団に座ったり寝ころんだりしている構成員、十数人程の姿があった。

 ボスのネーザリュ・モーデフは、部下と麻雀卓を囲んでいるところだった。今年五十二歳になるはずだ。背広を着て、葉巻を咥えている。

 中年の男はエレベーターから降りずに、そのまま再び下に戻っていく。。

 構成員の群れの中に取り残された状態で、ラクサが不安げにトリューユを見上げる。

 彼はラクサにかまわず、まっすぐ麻雀卓に向かっていった。

「モーデフさん」

「ああ、トリューユか」

 牌を積みながら、こちらを見もせずネザリュは彼と認めた。

 以前にあったのは、四ヶ月前。一度、挨拶しただけだった。

「イーリハルのことだな。どうせ質問だけじゃ終わらんだろう?」

 記憶が良ければカンもいい。

「恐れ入ります」

 トリューユは言ってから、表面だけは鼻で笑うような軽薄な表情をした。

 ラクサには彼が真剣さを隠すときの癖だと、すぐにわかる。

「処理はウチで行う。その代わりちょっと、手伝ってもらいたい。後始末は警察に任せて良いからな」

「手を貸すというと?」

 ネーザリュが軽く手を挙げると、いつの間にかそばに立っていた構成員が携帯通信機を一つ渡してくる。

「そこのお嬢ちゃんも一緒に行くんだろう? ウチには一人もいないからな、契約者ってモンが」

 ちらりとネザリュの眼球が一瞬、ラクサに動いた。

 彼女は、自身が契約者であると見透かされたのを、驚き警戒した。

 トリューユといえば、何かあるたびにラクサを連れているので、バレていても仕方がないと思った。

 ただ、対外の契約者は、その能力故に存在を隠したがる人種である。

 ラクサもそうで、今回の事件のように大々的に世間の目の当たりになるように知らせるのはまれであった。

 ただ、確実にリロンゾ・ファミリーに敵対している宣伝としては、確実に効果があったが。「すでにチームは作って送っている。乗りたいのであれば、急ぐんだな」

 トリューユは礼を言って、エレベーターに戻るとビルから出た。

「あーーーー、こわ! あの人こわっ!」

 車に戻ると、ラクサは思い切り言葉を吐きだした。

 無言で、トリューユは携帯通信機のデータを浮遊ディスプレイに映し出す。

 そこには、最近手に入れた土地の一つに勢力の一部を持っていた別ファミリーの構成員の名前が書かれていた。

「あのじいさん、今回のを利用しようってのか……抜け目ねぇなぁ」

 犯人役も記されている。

 トリューユとしては、この男を逮捕すれば、今回の事件の全貌が手に入り、一件落着となる。

 報酬金額も書かれている。トリューユの秘密口座に対して、六桁の金額が用意されていた。 だが、彼としては、真犯人を見つけたいところだった。

 本人が出てくるには、もう少し手間が必要かもしれない。

 この犯人役が出てきても、たぶん、犯行は終わらないだろう。

 何しろ、相手は連続殺人鬼の手口を使ってきたのだ。承認欲求の化け物が、この事件一つで大人しくなるとは思えない。

 必ず、別の事件を引き起こす。トリューユはそこを狙いたいところだった。



 爆発したかに見えた。         

 人の身体が。

 ロード記念公園という、都心にある巨大な公園の散歩道である。

 夕刻も迫り、人々の姿が行き来する中での事だった。

 突然の事態に呆然とするものも出てきたが、体がバラバラに歩道に落ちてきたところで、悲鳴があがったため、人々はその場から急いで逃げ出した。

 残ったのは数人の男たちと、トリューユにラクサだった。

 リロンゾ・ファミリーの者たちだ。

周囲に人の目が無くなると、完全にグラス・ショットでの攻撃者に的になる状況がつくられた。

「やばい、逃げろ!」

 トリューユが叫ぶと、男たちは散会して姿を隠した。

 言った本人もラクサの腕をとって、人混みに紛れる。

「確実に契約者だ。引きずり出すのは成功した。あとは、どうやって相手を特定してグラス・ショットを撃ち込んでやるかだな」

 少女は、すでにポケットからナノ・ドラックの入った瓶を手にしていた。

 それに対して、トリューユはここ数日間食事をあらためて、グラス・ショットを一ミリも摂取していない。

 その場で浮遊ディスプレイを開き、犯行の記録から、誰の能力か検索する。

 すると出てきたのは、リズリー・ミートンという名前の少女が被害にあった事件だった。

 彼女は人気のない小屋で体をバラバラにされて、殺されていたのを発見されたのだ。

 能力の影響範囲というものがある。

 大抵は十メートルだ。

 だが、グラス・ショットというナノ・ドラックを使用すればするだけ、範囲も広がってゆく。

 トリューユは携帯通信機で辺りの人間をサーモグラフィーにかける。映像は浮遊ディスプレイ上に現れた。

 グラス・ショットを使った者は、前頭葉に血が溜まり、頭に熱を持つ。

 依存性は無いものの中毒者と言われるほど嗜好している者には、この熱で倒れ、そのまま意識がなくなってしまう事態もあるほどだった。

 彼が相手を発見すると、同時にラクサはロック・オンした能力の命中率を下げるカプセルを飲み終わっていた。

 ちょうど、新たなグラス・ショットを摘み、口に入れるところだ。飲み込んでから効果があるのは、五分間だ。

 まだ飲み込まない。奥歯でカプセルを軽く嚙んで、能力を発動させるタイミングを計る。

 サーモグラフィーが見つけたのは歩道の、少し離れた位置にあるベンチに座った青年だった。

 銀髪で瞳が黄色く、肌が異様に白い。グレーの背広を着崩して、だらりと座っていた。

 だが、少なくとも、こちらを伺っている様子はない。

 人違いか。

 トリューユは素早く青年に近づいて、腰の裏から拳銃を抜き出し、狙いを付けた。

「動くなよ!」

 中性的な容貌をしている男は、銃口を一瞥してからトリューユの顔を仰ぎ見た。

 表情には、驚きも恐怖もなく、明らかに嘲笑があった。

「あんたらこそ、動かない方がいいよ」

 余裕ぶった態度だ。影響範囲内にファミリーからのチーム五人のウチ、二人が入っているのがその理由で、本人たちも自覚していた。

「目的は、何だ? どうして、ここまで派手にする必要がある?」

 冷静なトリューユは、相手に一番の疑問点をぶつけた。

「わかってるなら言うけど、これは、一つの実験でねぇ。今のところ、うまくいっているよ。邪魔しないでもらいたいなぁ」  

「リロンゾのところの奴らに手を出して、無事でいられると思ったか?」

「俺を殺しても、終わらんよ。リロンゾ・ファミリーは選ばれたんだからな」

「選ばれた? 何を言っている?」

 男は口の中で舌を動かしたらしい。

 グラス・ショットを含み中だ。

「ラクサ!」

 少女は奥歯のカプセルを噛み砕いた。

 次の瞬間、ベンチが飴のようにぐにゃりと潰れる。

 だが、寸前に男の姿は消えていた。

「くそ!」

 トリューユは辺りを見渡した。

 だが、それらしい人物は見えなかった。

 浮遊ディスプレイで探査もしたが、引っかからない。

「逃げられたか……」

 急いでデータを検索する。

 データ・バンクはロータ・システムにも繋がっており、膨大な情報量の中から、僅かな手がかりで相手を特定できる。

 名前はフォロイ・ヒルデガン。二十一歳。

 現在、コープラザ研究所からの依頼を受け付け中。

 十分な情報が手に入った。

 次は、この研究所だ。







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