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第15話 誓い。

「楽しみか?」

「うんっ! 花火見るのなんて、初めてだもん」 


 東京のほとんど西端にある奥玉駅にやって来た俺たちは、屋台を見ながらその時をじっと待った。八月二日、水曜日。奥多摩納涼花火大会の夜である。


「一か月……経ったんだな」

「そう、だね……」


 それは夜神絢奈、いや佐上絢奈――俺の妹と出会ってから三十一日目の夜でもあった。


「今の絢奈も、赤ちゃんだった頃の絢奈も……三十一日間、よく頑張ったな」

「うん……もっと早く死んじゃってたら、こんなに長く夢を見られなかったよ。素敵な夢でした」

「なら、フィナーレには最高のものを見せてやらなきゃな」


 三十一日。

 それは、絢奈が生きた日数だ。

 幼くして亡くなった子どもに天界が見せる夢は、生まれてから死ぬまでの日数と決まっているのだという。そんな決まりを誰がどうして作ったのか、俺は知らない。世界は所詮理不尽だということか。

 確かにそうだ。全ての理不尽に抗うことはできない。生まれたばかりの絢奈がそうだったように、どうしようもない不条理を全てなくすことはできない。でもだからこそ彼女は自分の夢世界を創り出し、最高の三十一日にすることができたのだろう。


「新月だったら良かったか?」

「どうして?」

「月がない方が、花火が綺麗に見えたかなって」

「……ううん、これで良いよ。満ち足りた形をしてるもの。今のわたしの心みたい」


 散りゆく桜をあしらった桃色の浴衣を纏う絢奈。

 その青く澄んだ瞳に、真っ火な瞳が映し出される。黄色い満月のすぐ傍に、大輪の花々が咲き始めた。


「綺麗……」

「ああ……」


 天使の力を使って例年の三倍用意した三千発の花火が、愛宕山の上に広がる夜空を彩り続ける。それはさながら終わることのない宴。だがそれでも、この花火はもうすぐ終わってしまうのだ。まるでこの仮初かりそめの世界と同じように。たとえそれがどんなに甘美なものであっても、夢とはいつかめるものだから。


「なぁ、絢奈」

「なに?」

「これ……受け取ってくれ。一か月以上遅くなっちゃったけどさ。十六歳のお誕生日おめでとう、絢奈」


 ポケットの中に隠しておいた黒い小箱を恐る恐る渡す。


「ありがとう! ……開けて良いの?」 

「もちろん」


 現れ出た水色の輝きに、絢奈は息を呑んだ。


燐灰石アパタイトの指輪だ。石言葉は『絆』で……絢奈との絆を忘れないでいたいと思って、それで――」

「お兄ちゃん――っ!!」


 花火の下で、俺たちはぎゅっと抱き合った。最後にして最高の夜だった。こんな時間がいつまでも続けば良いのにと思った。


「これ、ペアリングでしょ? どこにつける?」

「そうだな……右手の小指とかどうだ? お守りをつける指らしいんだけど」

「ふふ、お兄ちゃんって意外とそういうの信じるタイプなんだ?」

すがれるものなら何だって縋るさ」


 俺と絢奈の右手小指に銀色の小さな指輪がはまった。中央に埋め込まれた燐灰石アパタイトの色は、彼女の瞳の色によく似ていた。


「じゃあ……わたしからもだね」


 そう言うと、絢奈は胸元からピンク色の小さな箱を取り出した。


「ちょ、ちょっと重いな……」

「今は開けちゃだめ。お父さんとちゃんと話して……それから開けてね」

「分かった。ずっと大切にする」


 一際大きな夜桜が咲いた。いつの間にか、花火大会は終わりに近づいていた。


「お別れだね、お兄ちゃん」

「ああ。そうだな……」


 爽やかな夏の夜風にポニーテールが揺れる。最後は笑ってお別れしようねと言って、妹は目尻を拭った。


「でもわたし、消えないよ。わたしはずっと、ここにいる」


 似合わない黒の浴衣の胸元をつつかれる。何また泣いてると言う彼女も、俺と同じくらい泣いていた。最後まで本当に涙もろい兄妹だ。あの寡黙な親父もきっと、俺たちと同じくらい泣いたのだろう。


「そうだな。俺も夢から醒めた後、絢奈のことを絶対忘れない。この指輪に誓って」

「うん。この絆は永遠だよ。この絆と――そのピンクの小箱に誓って」


 恋人どうしは別れることもある。けれど、兄妹の絆がなくなることはないのだ。


 最後の花火が高々と昇り、満開に咲いた。

 最後の儀式がやって来たのだ。俺は絢奈を抱き寄せ、真っ直ぐに見つめた。


「なぁ、絢奈」

「なに……?」

「生まれてきてくれて、ありがとう」

「――うんっ! わたしもこの夢を見られて、お兄ちゃんと一緒にいられて、本当によかった――」

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