次の朝、俺はさっそく行動を起こした。
「絢奈。どこか出かけないか?」
「え、お出かけするの?」
「昨日さ、この世界は俺の記憶を基に作ったって言ってたよな? ――じゃあ、
そう聞くと、妹のつぶらな青い瞳がキラリーンとばかりに輝いた。溜めに溜めたお年玉を消費する理由としては、それだけでもう十分だ。
「まさか、天王子市の向こうが奈落の底だったりはしないんだろう?」
「それはないよ。この世界はお兄ちゃんが元いた世界をフルコピーした上で、わたしの願望を上書きした世界だから……」
「じゃあ、決まりだな。海外はちょっと厳しいが、日本国内だったらお兄ちゃんがどこにでも連れてってやる」
「ほんとっ!?」
「ああ。任せろ。何でもリクエストして良いぞ?」
「じゃあ――」
それからというもの、俺たちは天王子市内をあちこち歩き回り、今がお金の使い時とばかりにたくさん買い物をした。電車を使って隣県まで足を伸ばし、新幹線で風光明媚な観光地を訪れた。夏の富士山も見せた。季節的に北海道の雪を触らせられなかったのは残念だったが、そのぶん格安航空で沖縄の美しい海に行った。
いくらこの世界の創造者たる天使といえど、
――お金なんてどうでもいい。俺は今、どんな大富豪よりも満たされているのだ。
とはいえ、貯金はまだ残っている。全国各地を一週間飛び回った後の、七月三十一日。俺は世界で最も発展した都市の一つである東京のランドマークを絢奈に案内することにした。
「さあ、ここがお待ちかねの隅田川水族館だ」
「うわぁ……魚が本当に泳いでる……っ!」
「そういえば、天界って海がないんだったな」
「うん。もちろん、作ろうと思えば作れるんだろうけど」
そういえば絢奈、沖縄の海でもめちゃくちゃはしゃいでたよなと思いながら、薄暗い通路を進んでゆく。辺りにはカップル、カップル、カップル。当然だ、「東京のデートスポット」で検索した結果なのだから。
「なんか……場違いな感じだね。わたしたち、兄妹なのに」
「何言ってんだ。兄妹だってデートくらいするさ」
流石に少し恥ずかしくて、俺は目の前の大水槽を見上げた。隣で絢奈がクスクス笑っているのが分かった。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
「『さかなー』ってフロアの真ん中で叫ぶのと、『ちんあなごー』って水槽の前でダンスするの、どっちをやりたい?」
「俺は絶対やらないぞ……てか、『
「あ、やっぱり見てた。お兄ちゃん、聖地巡礼したかったんだ」
「しまった……てかどうして優等生がそんな言葉を知ってるんだよ」
「だって他に娯楽がなかったもの」
「……そっか」
天界は本当に何もないところだよ、と絢奈は言っていた。学校のような、でも外には何もない空間で、妹はずっと頑張ってきたのだ。自分の求める夢を創り上げ、そして救済されるために。
だから、なおさら彼女を連れ回して良かった。魂が消えてしまう前に、色々なことを体験させることができて良かった。様々な光景を見せることができて良かった。泳ぎ回る魚たちを楽しそうに見つめている絢奈の横顔に、俺はそう素直に思えた。
水族館を出て向かった先は、世界一高い電波塔――東京ユグドラシルだ。
「うわっ、入場料って三千円もかかるの!?」
「しまったな……事前に予約しておけば……」
「こんなに高くなくたって良いのに。これ建てるのにいくらかかったのかな」
「えーっと……あ、六百億らしい」
「えー、この人気ならとっくに回収してるじゃん」
「維持費とか大変なんだろうよ」
俺の寂しい
「うわー、すっごく綺麗……」
エレベーターで展望フロアに到着すると、絢奈は期待通りの反応をしてくれた。飛ぼうと思えばこのくらいの高さまで余裕で飛べるだろうに、それでもやはりこの景色は圧巻なのだろうか。遥か下に広がる街並みをぼうっと見つめていると、妹がこちらを向いて不意に口を開いた。
「今日はありがとね。こんなに凄い景色を見せてくれて」
「お、おう……でもデートはまだ――」
「ううん、良いの。わたし、決めたんだ。この世界を守ろうって。瑞季先輩が言ってくれたように、もう少しだけわがままでいようって。……だめかな?」
俺は妹に寄り添って、滑らかな黒髪をそっと撫でた。
「当たり前だろ。ここはお前の世界なんだから」
「ふふ、そう言ってくれると思ってた。――そこでお兄ちゃんに一つお願いがあるんだけど」
「改まってどうしたんだ? 何でも言ってみろ」
「わたしと一緒に戦って欲しいの」
「……戦う?」
「わたしの力が天界からの介入によって弱まってるのは知ってるでしょ? だからわたし一人じゃ、この世界はもう守れない。――でも、二人ならできる。わたしの力の概念そのものを書き換えて、天使の力をお兄ちゃんに渡す」
「そんなことが……」
「できるよ。そして、介入してくる人たちは地上界の一般人であるお兄ちゃんを攻撃できないし、その力を弱めることも出来ないの」
「そ、そうか……でも俺がいきなりそんな力を……」
「――あれ、どうしたの? 妹を守ってくれないの、お兄ちゃん?」
――そうだ。弱気になっている場合などではない。
「……分かった。やってやる!」
「そうこなくっちゃ!」
ニヤリと笑った絢奈は俺の左手を引いて、展望フロアと大空とを隔てる窓ガラスに突っ込んだ。分厚いガラスをすり抜けた身体が、地上数百メートルの空中へと飛び出してゆく。絢奈はあの白い翼を広げ、大声で叫んだ。
「我が意思は神の法なり! 我が意思を以て、汝――佐上颯太に翼を授けよう!」
背中に何かが生える感触。全身に力が
「我は、我が意思により、我が力を汝に授けよう! そして汝に問おう――汝は我が力により、何を為したいか!」
金髪セミロングの天使となった妹が、俺の隣で声を張り上げる。轟々《ごうごう》と吹きすさぶ風に負けないよう、大きく息を吸って俺も叫んだ。
「我は――我が愛しき妹の求めに応え、彼の者の願いを叶えることを望む者なり!」
「――良いだろうっ! 我は夢を求め、世界を創り出す者なり! 我が求めに応じ、我が夢を守ってみせよ――佐上颯太っ!」
俺の身体が金色の燐光に覆われ、瞬く間に強大な力が解放されてゆく。
「ありがとう、お兄ちゃん。わたしの願いに応えてくれて」
「何言ってんだ。お前の願いはまだあるだろ?」
天使の力を通じて絢奈と繋がった今なら分かる。
絢奈のわがままはまだ終わっていないのだと。
そして、俺のわがままも。
「行くぞ絢奈。
「うん……っ!!」
電波塔の真上へと、俺たちは手を繋いで一気に舞い上がった。
青空の彼方にポツポツと浮かび上がる黒い点。
この世界への侵入者だ。その数は数万。人類の軍隊が何百万束になっても敵わない、強大な力。
だが、力を手にした今の俺たちの敵ではない。
「我が意思は神の法なり! 我らが夢を、汝らに阻ませはしない! ここは
手を離すことも出来た。
でも、俺はそうする気などさらさらなかった。絢奈にもなかった。
俺の右手と彼女の左手に、黄金の巨大な光剣が顕現する。息を合わせてそれを振るったその瞬間、世界は光に満ち満ちた。