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第11話 堕天使。

「……ごめんなさい、先輩」


 わたしは先輩を家へテレポートさせ、真っ直ぐ前を見つめた。心苦しいけれど、先輩を死なせることだけは絶対にしない。そしてそれは、瑞季先輩についても同じだ。


「……やはりそういうことですか」

〈遅まきながら、我らが裁きを受け容れる気になったか?〉

「ふふ、誰がです? わたしの夢はまだ終わっていませんよ」

〈愚かなるかな、佐上絢奈。貴様の夢は今ここでついえるぞ〉


 瑞季先輩の身体は強烈な赤い燐光に包まれており、髪はまるで触手のようにうごめいている。そしてその背中からは、真っ黒な羽毛に覆われた翼が伸びていた。


「瑞季先輩をそんな姿にとすなんて……なんてひどいことを……っ!」

〈彼の者は自らの意思で我らを選んだのだ。貴様に言われる筋合いなど無い〉

詭弁きべんですね。天界法第18条に違反する人格介入攻撃を仕掛けておいて」

〈小娘が知ったような口を。貴様こそ天界法第31条を忘れたか〉

「わたしは夢を見せているにすぎません。全ては仮初かりそめ、誰の命も自由も奪ってなど――」

〈血を分けた兄もそうか?〉

「……それは」


 野太い声に糾問され、わたしは一瞬言葉に詰まった。


〈貴様とて罪悪感を抱いているのであろう? この空虚な夢の中へ、兄を引きずり込んだことに――〉


 確かにそうだ。どこまでいってもこれはわたしのわがままで、先輩は完全なる被害者で。悪いのは何もかもわたしで。

 ――でも。

 そんなこと、とっくの昔に覚悟の上じゃないか。


「そうですよ……それが何だっていうんですか」

〈何だと?〉

「たとえ一度死んだとしても――夢を見るくらい、別に良いじゃないですか!」


 呪われてもいい。先輩に罵られて、一生恨まれ続けたって構わない。何もかも犠牲にしてでも、わたしはこの夢を見たかったのだ。


〈何という身勝手な言い草……貴様がそこまで堕ちていたとは〉

「身勝手? あなたたちだって瑞季先輩を操り人形にしてるじゃないですか」

〈その元凶は貴様であるぞ、佐上絢奈〉

「それが身勝手だって言ってるんです。なに正義ぶってるんですかっ! 乙女の恋心につけ込んでいるくせに……っ!」 

〈貴様、ここまで我らを愚弄するか……!〉


 激昂に応えるかのように集まってきた雲で、空は真っ黒に染まってゆく。国の一つや二つを丸ごと覆えるほど巨大な積乱雲が、あっという間に盛り上がり膨らんでゆく。一人の女子高生に対して用いるには、それはあまりにも過剰な戦力だろう。


 でも、全く足りない。

 ここはわたしの夢であり、わたしの世界なのだ。

 この程度の攻撃で、わたしの夢を終わらせなどしない……っ!


「――我が意思は神の法なり」


 ただ一言、そう念じた。

 雨あられと降り注ぐ恐ろしい雷が、わたしに直撃する寸前で音もなく消え去る。

 暗い雲は瞬く間に跡形もなく掻き消え、澄み渡る青空と太陽の光が戻ってくる。


〈くっ……小賢こざかしい真似を……!〉

「小賢しいのはあなたたちの方ですっ!」


 溜め込んだ力を解き放つ。溢れ出した金色のオーラが天空を覆い尽くす。

 苦しそうにうずくまっている瑞季先輩をその黒い翼ごと、わたしは自らの真っ白な翼で包み込んだ。今にも崩れそうな屋上の壊れた床が、何事も無かったかのように元へと戻ってゆく。彼女から放たれている禍々《まがまが》しい紅の燐光が、少しずつ確かに薄れてゆく。


「瑞季先輩――っ!」


 意識を失いかけた彼女を抱き留めながら、わたしは必死に呼びかけた。


「悪戯なんかして、嘘をついてごめんなさい。わたし、本当は先輩の彼女じゃないんです……っ」

「……あ……あや……」

「だから応援します……ううん、応援させてください! 瑞季先輩が幸せになれるように、わたし、わたしは――っ!」


 胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを抑えきれなくなって、わたしは涙を流しながらしゃくり上げた。

 仮初の夢のはずだった。彼を除いた全てがわたしの思い通りに動く、色せた夢世界。それでも良いと思った。一目でも彼のことを見られれば、それで満足するはずだった。だけど、そこに何故かが割り込んできて――。


「……知ってるよ、絢奈ちゃん」

「先輩……っ! 大丈夫ですか、瑞季先輩っ!」

「よしよし、そんなに泣かないの」


 わたしの思い通りに動いてくれない、もう一人のひと。

 正直、初めは邪魔だと思ってしまった。だって彼女は、わたしがずっと待ち望んでいた夢を、その一日目の夜から崩壊させようとしたのだから。


「……知っちゃったんですね、何もかも」

「うん。ごめんね……全部聞かされちゃった。絢奈ちゃんのことも、天界でのことも」


 瑞季先輩は柔らかく微笑んだ。


「あたしの自我はもうすぐ消失すると思う」

「そ、そんなっ……させませんっ! そんなことっ、絶対絶対させませんから……っ!」

「ありがとう、絢奈ちゃん。その気持ち、ありがたく受け取っておくね」

「どうして――どうしてそんな風に笑えるんですかっ! わたし、瑞季先輩の恋路を邪魔して……何より、先輩はわたしのせいで……」

「だって、楽しかったから」


 明快な言葉に、わたしは息を呑んだ。

 胸中にあったもやが、少しずつ晴れてゆくような気がした。


「楽しかったよ。楽しくないわけないじゃない。どこまでもひたむきで元気いっぱいな、可愛くて素敵な後輩と一緒にいたんだもの」

「瑞季先輩……」

「だからさ。絢奈ちゃんは自分の夢の中でくらい、身勝手でいていいんだよ。わがままを貫いていいんだよ? 絢奈ちゃんが向こうでもこっちでも一生懸命頑張ってたの、あたしは知ってるから。そしていつか、颯太にちゃんと話そう? 大丈夫。アイツなら絶対分かってくれる」


 その瞬間、何もかも報われたような気がした。

 漆黒の翼が消え去った先輩の背中を抱き締めながら、わたしは先輩のベージュのセーターに顔をうずめてすすり泣いた。


「もう、甘えんぼうなんだから……最後に一言だけ聞かせてくれない? ――あたしが颯太をもらっちゃっても良いの?」

「……要ります? わたしの許可」

「だって……家族になるかもしれないじゃん?」


 健気にウインクしてみせた瑞季先輩の姿に、目の奥からこぼれ出た熱い涙が止まらなかった。先輩の目蓋が静かに閉じて、身体がくたりと脱力する。テレポートで直ぐに保健室へ移動したわたしは、彼女をベッドにそっと横たえた。


「わたし……諦めませんから。何もかも」



 ***



「……はっ!」


 起き上がってデジタル時計を確認すると、今は2023年7月15日土曜日の18時ちょうどらしい。外はもうすっかり暗くなっており、寝過ぎた身体はガチガチに固まってしまっている。いくら放任主義とはいえ、親父も起こしてくれれば良いものを――そう思いかけたところで、昨日の記憶が一気に蘇ってきた。


「嘘、だろ……もう丸一日経ったのか!?」


 呆然とするあまり、俺はしばらく動けなかった。身体の震えが止まらない。

 昨日の放課後、屋上で瑞季が突然倒れて。

 衝撃波に吹き飛ばされ、瑞季の周囲に真っ黒なもやが立ち込め始めて。

 そして、絢奈が俺の前に立ちはだかって――。


『ごめんなさい、先輩』


 寂しそうに歪んだ絢奈のあどけない顔が、脳裏にフラッシュバックする。俺は布団の上で、頭を抑えてのたうち回った。何度も吐きそうになった。

 何も出来なかった。彼氏なのに。友達なのに。男なのに。先輩なのに。幼馴染なのに。


 今頃二人はどこにいるのだろうか。どうしているのだろうか。無事、なのだろうか――。


 吐きそうになった俺は、一目散に家を飛び出した。

 そして、夜のとばりが下りつつある街をひたすら走り回った。


 高校の正門は既に閉まっていたので、裏口から入った。校内には誰もおらず、俺は階段を駆け上がって屋上へ行った。一年教室も二年教室も全て見て回った。だが、人っ子一人いやしなかった。絢奈も瑞季も、どこにもいなかった。


 瑞季の家にも行ってみた。俺の家から1キロほど離れた一軒家。インターホンを押すと出てきたのは、昔よくお世話になった瑞季の母親だった。瑞季はいますかと聞くと、まだ帰ってきていないと言われた。年頃の娘が心配じゃないのかと俺は半ば怒り狂った。彼女はもちろん心配だと真顔で言った。話が通じた様子はなかった。異常だった。もちろん、絢奈もいなかった。


 絢奈の家へも行こうとして、俺は彼女の家を知らないことに今更気づいた。二週間近くも一緒にいたのに、一度も聞かなかったことが悔やまれた。聞く機会はいくらでもあったし、彼女が毎朝俺の家へ来てくれていることを考えれば、むしろ聞いてしかるべきだった。なのに、聞くことを思いつきさえもしなかった。今となってはもうどうしようもなかった。


 メッセージはもちろん送った。いくら待っても既読はつかなかった。通話にも出なかった。

 無力だった。


「何が起こってるんだよ……」


 土曜日も日曜日も、海の日である月曜日も探し回った。

 だが、手掛かりはどこにもなかった。


「絢奈……お前はいったい誰なんだよ……っ!」

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