目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第4話 燃え滓に炎を ②

 その部屋に入ったら、五体満足では出られない。整備班の中でまことしやかにそんな噂が囁かれるアサクラの個人研究室に通されたユウは、早速自分の選択を後悔し始めていた。

 あちこちに紙束が崩れそうな山を形作っており、その谷間には電子機器の欠片や工具、空になった飲み物のボトルや試薬瓶などが所狭しと置かれている。


 何かに足を引っ掛けないように慎重に歩きながらきょろきょろと部屋を見回していたユウは、壁際に置かれたクリーンベンチの側面に血のような痕がついたままになっているのを見てこのまま回れ右して帰りたい気持ちでいっぱいになった。


「まぁ適当に座ってよ」

「どこに座れと……?」


 見慣れない眼鏡姿で振り返ったアサクラに困惑の表情を向けてから、ユウは足の踏み場もほぼない部屋の中にわずかに見つけたモノの少ない空間で小さくなる。


「酷い散らかりようですね。この環境で研究を……?」

「うん? 必要なものは何でも置いてあるからねぇ。便利だよ」

「いや、何でもあるったって……これじゃ何処に何があるかわからないでしょう」


 整理整頓! の文言が掲げられた整備班倉庫を思い出す。大量の備品も整理されていなければ屑の山と同じですよ、とにこやかに説く班長テッサリアの言葉が脳裏をよぎった。班長の威光もこの部屋にまでは届かないらしい。

 訝るユウに、アサクラは大仰に肩を竦めてみせた。コツコツと眼鏡を指の先で叩く。


「別に困んないよ。大体のものにはRF追跡タグ付けてるからねぇ。こいつで全部見えてるし」


 そう言われてユウは辺りを見渡した。確かにあちこちに転がっているものの大半には小さな銀のテープが張り付けられている。眼鏡で見えている、ということは恐らくARで現実に物の位置をオーバーレイしているのだろう。整備班でもある程度のものにはRF追跡タグをつけてはいるが、すべてをそれで管理するのは逆に煩雑だ。いちいち貼るのも案外手間だし、マメなのかそうでないのか謎だった。ユウは足元に転がる空瓶を拾いながら渋い顔をする。


「それにしたってゴミくらいは捨てましょうよ。地球だったら虫沸いてますよ」

「逆に言えば宇宙空間ここにいる間は安心ってことだよねぇ。余計な手間は減らさなくちゃ。僕らの時間は有限なんだから」


 というわけで本題だよ、と言ってアサクラは手のひらを差し出した。淡く青色に光る、少し扁平な球が手の動きに合わせてゆらりと揺れる。


「シエロの視野外装周りを解析して作った人工眼だよ。これを眼球と入れ替えて調整すれば、キミはまた以前のような視界を手に入れることができるってわけ」


 ユウは光を通さない右目を押さえた。死にゆくリサの姿を閃光と共に焼き付けてから、闇の中に沈んだままになっている眼球。ユウにとってこれは、ただ一つ残されたリサとの繋がりでもあった。


「眼球はどうしても外さないといけないんですか。その、外部装置みたいにすることは……QP達の機体制御みたいに」

「それは無理だねぇ。機体制御は脳神経からの電気信号、まあ言ってしまえば脳波だね、それを読み取ってるだけだから頭蓋越しでも可能なんだ。でもねぇ、視覚を得ようと思ったら脳へのフィードバックが要るんだよ。悪いけど視神経を通さないルートは未開拓なんだよねぇ。眼窩にコネクタを造設するしかない」


 ユウは淡く光る人口眼を見つめた。根本の疑問を口にする。


「俺はアヴィオンに乗るべきですか」

「さあ? なんで僕に訊くの?」

人工眼コレは、ということではないんですか?」


 僅かに怯えた様子のユウに対して、アサクラは倦んだ笑みを見せた。


「違うよぉ。これはシエロの解析から産まれた、ただの副産物だよ。僕は可能性を提示してるだけ。キミがこの戦争に、より深く関わるかどうか次第なんじゃない?」


 ユウは押し黙る。光を通す目と通さない目が同時に動いて自分の手を見つめた。昨日握りすぎていた操縦桿の感触が、まだ掌に残っている。シエロの操作をなぞるだけではない、自分ごとの闘争の感触。

 思い出せ、と心の底で一年前の自分が叫んでいる。アヴィオンを降ろされてなお、整備兵として軍に残ったのは何故だったのか。行きっきりの片道切符と名高い調査隊に志願したのは何故だったのか。再びパイロットとしてシエロに乗れと言われた時、あっさり受け入れたのは何故だったのか。ダイモスでテッサリアの優しさを振り切って出撃したのは。

 岐路はいくつもあった。目を背ける事を許された道はあったのだ。でもいつだって逃げ出せなかった。逃げなかったのではない。逃げることができなかったのだ。光を通さない目の奥に熾火おきびのようにくすぶり続けている、他でもない自分自身の感情からは。それはきっとこの戦争という泥沼に、深く深く、首まで浸かりきるまで続く。


 黙りこくったユウを促すでもなく、アサクラは薄い笑みを端正な顔に湛えたままその姿をじっと見つめている。何と答えるかはもう分っているというようにも見えるその表情が腹立たしくなって、ユウはそっぽを向いた。腹が立つから、もう少し待たせることにした。


――出来る、出来ないじゃないのよ。


 焼き付いた熾火おきびの底のほうで、リサが言う。普段は気弱な癖に、これといった場面で奮い立ってしまえる、芯の強い声が燃えかすに再び火をつける。彼女の優しい声を、ユウは忘れつつあった。彼女を守れなかったこの身は、一生この強い声に追い立てられていくのだろう。


「——要ります、目」


 長い沈黙の後、絞り出すようにユウは言った。沈黙により会話が中断されていたことを微塵も感じさせない調子で、アサクラが「おっけー」と相槌を打つ。バングルからケーブルを伸ばして、人口眼の仕様書が転送されてきた。シエロのメンテナンスのために多少は生体工学を勉強しある程度は知識をつけたつもりだったが、整理されていないその仕様書は非常に難解でユウは眉間に皴を刻み込む。目を滑らせている電子文書の上に、アサクラがマーカーラインを引いた。


「脳に近い場所に電子機器を埋め込むからね。長期的に見ると何か悪影響が出るかもしれないんだけど」

「構いません。どうせそんなものが影響してくるほど、俺ら長生きできやしないでしょ」

「おやおや、投げやりだねぇ」


 くつくつと笑って、アサクラはホロモニタをスタンバイに移行させる。よし、と両手を打ち合わせてにっこりと笑った。


「それじゃやろうかぁ。ほら、行った行った」

「は!? 今、ここで!?」


 ちょいちょいと部屋の奥へ導く指の動きに、ユウは目を剥いた。流石にゴミまでもが散乱するこの空間で目を抉り出されるのは御免こうむる。堅く決めたはずの覚悟がほろほろと綻びた。


「やだなー奥にちゃんとクリーンルームがあるよ、ほらあっち」

「いや、あそこもずいぶん物がごちゃごちゃしてません!? あの、せめて医療区でですね」

「医療区の機材じゃ力不足だよ。大丈夫、僕の愛機たちがちゃんとやってくれるからね」

「自作かよ!? やだ! やっぱやめま――ひゅ」


 ばちん。散歩嫌いの犬のように両手を突っ張ったユウの首筋付近で、青白い閃光が閃いた。感電によって神経伝達を遮断され、制御を失った体が床に崩れ落ちて無数の紙が舞う。アサクラの手には、ばちばちと恐怖を掻き立てる音と共に火花を散らすスタンガンが握られていた。硬直した四肢を何とか動かそうともがきながら、目だけを忙しなく動かし、呂律の回らない舌をぶん回してユウは絶叫する。


「こ、このきひくふぇんふぁいまっろふぁいえんれすと鬼畜変態マッドサイエンティスト――!」

「あっはっは。前も言ってたねソレ」


 スタンガンを投げ捨て、室内用の軽量フレームドパワードスーツのバックルをぱちんぱちんと止めながらアサクラが笑う。ひょいと雑に抱え上げられ、足を引きずられたまま部屋の奥へと連れ去られていく様は完全に実験体のそれだった。靴先が紙と瓶と小型部品を掻き分け、混沌とした部屋をさらなるカオスに上塗りしていく。


 ぽいっと手術台の上に放り投げられ、びくびくと震える手足が拘束具によってがっちりと固定された。恐怖に染まった眼を見開いて力なく首を横に振るユウに、アサクラは死んだ魚の目でぱちんとウインクをして見せる。ぞぞぞ、とユウの背中を寒気が駆け上がった。

 こういう人間だった。火星での真人間っぷりにほだされて忘れかけていた。整備開発班の副班長は、見紛う事なきマッドサイエンティストであった。涼しい顔で注射器を弾いて中の空気を抜いているアサクラから目を離せないユウは、心の中で5分前の自分を100回ほど殴る。

 注射針を前腕の静脈に当てがって、アサクラは安心させるように(そう思っているのは本人だけだろうが)笑った。


「なぁに、ちょっと目を取って付け替えるだけだからね。扁桃腺を取るようなものだとも。夕飯までには帰れるよ」

(そんなわけ、あるかーーーーーっ!!)


 胸の内でそう絶叫すると同時に、すとんと意識が途切れた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?