戦闘訓練用のシミュレータルームは、格納庫区画と生活区の狭間にあった。広い空間には等間隔にシミュレータカプセルが並んでいる。その一つにユウの身体を放り込んで、ナギは隣のカプセルに身を滑り込ませた。
さっさと閉まっていくハッチを見て、諦めを滲ませた表情でユウはフライトコンソールに目をやった。まずはキャノピー代わりのハッチを閉める。普段はこの操作でさえもシエロ任せなので、自分の指の覚束なさに愕然とした。
フックに掛けられたヘルメットを手に取り、すぼっと被る。柔らかな起動音と共に、視界に複数のARウィンドウが広がった。いつもはそれに伴って聞こえてくる、お喋りな相棒の声はない。設定を陽電子砲搭載の
『やっほ、ユウ。設定おーけー?』
尖った神経を、のんびりとした様子のナギの声が撫でた。
「できた。ガーゴイルで出る」
『おっけー、ボクはヤタガラスだ。戦場設定は月面Bエリア。こっちはプラトー基地から出撃するよ。お互い、見つけ次第戦闘開始だ。いいね?』
「……
『あんな的当てが戦闘機動の訓練になるもんか。ボクがきっちりしごいてあげる。そうだなー、一発でもかすったら終わりでいいよ。面倒だから
「一発ね……。
硬い声で応答し、出撃地点を思考する。ナギは一方的に出撃地点を教えてきたので、これはアドバンテージだ。背後を取れそうな月面研究所を出撃地点に設定すると、ばつんとコックピットモニターの画面背景が切り替わる。格納庫の扉が開いていく映像を眺めていると、初めてシエロと飛んだ時の記憶が蘇った。あの時は隔壁をぶち抜いて舞い上がったな、と思って軽く操縦桿のボタンを握り込む。同時にHUDに攻撃禁止区画の文字が現れると共に不快な音域のビープ音が鳴り響き、ユウは顔を顰めた。
出撃ポートに機体を載せ、操縦桿をぐっと引く。半分に欠けた地球を背景に、アヴィオンが星の海へと飛び込んだ。加速に伴い体が後方へと引っ張られる感覚は軽い。このシミュレータは
レーダー性能では
ピン、という電子音と共にレーダーに白点が灯る。この戦場にいるのは自分とナギだけだ。先手必勝といわんばかりに、間髪入れずにレーザー砲を放つ。ポン。呆気なく反応が消失した。あまりの手応えのなさに、眉を寄せた次の瞬間。
「
くすりと笑うナギの声が耳をくすぐり、横合いから紫電の閃光が
「……は?」
『
歌うようにそう告げたナギに、ユウは目を剥く。
「いや待てよ
『このデコイは
ナギの置いたデコイは自立飛行型のダミー機であり、確かに
(それを、レーダー照準すら使わずに――っ!!)
奥歯がぎしりと嫌な音を立てる。明らかな挑発を込めた
KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。KIA。
結局ナギがデコイを使ってきたのは初戦だけだった。ユウは鈍足の
最初は視界に欠損のある右側ばかりを執拗に攻められていたが、やがてそれにも飽きたらしくここ10戦ほどはクリアな視界での戦いが続いている。だがそれでもただの一発すらナギの機体をかすめることはできなかった。
くらり、と意識が霞む。意図せず操縦桿に預けた体重が、ガーゴイルの機体をぐるりと回転させた。
『おーい、ユウ』
遠くでナギの声が聞こえる。体が左前方に重しを入れたように動かない。必死に細い意識の糸を手繰ろうとしたが、ぶつん、と電源が切れるように意識が途切れた。
* * *
シミュレーターカプセルの開く音に誘われるように、モニタリングステーションからRAMが顔を覗かせた。疲れを全く感じさせない動きでハッチから滑り出てきたナギに、カメラアイが焦点を合わせる。
「やりすぎでハ? シミュレータルームにも利用時間制限が必要デスね」
敢えてゆっくりと出力された音声には、非難がましい響きが詰まっていた。ちらりと時計を見れば、針は深夜と言っていい時間を指し示している。ナギはシエロのほうを見もせずに「過保護だね~」と肩を竦めると、隣のカプセルのハッチを蹴り開けた。
「ユウ? おーい起きろー」
「うー……」
疑似コックピットの中に上半身を突っ込んでユウの体を揺さぶるが、ユウは眉間に皴を寄せて一言唸っただけでそれ以上の反応はなかった。ナギは呆れを含ませた表情で軽く笑むと、シートからユウの体を引っ張り出す。気遣いの欠片もない引っ張られ方をしたユウが、体のあちこちをぶつけられて再び低く呻いた。
乱雑に地面に転がされたユウは、泥のように眠っている。滑るように近付いてきたRAMが、器用に2本のマニュピレータでその体を抱え上げた。整備班御用達のリペア&メンテナンスユニットはミサイルを持ち上げる事もある。人間一人くらいなら余裕で抱え込めるパワーはあるのだった。
「どうでしたか」
「全然ダメ。観てたんでしょ」
「右側ばかり攻めるかラですよ。いやらしい」
干物か洗濯物のようにべたりとRAMの背にうつ伏せで載せられたユウの体に、マニュピレータの1本がぐるぐると巻き付いた。ナギは肩を竦める。
「あいつら意外と敏感だよー。右からばっか攻めるなってアザトゥスにも言うつもり?」
「あなたほど意地悪く機敏に動くアザトゥスもいませんよ」
「そうだといいけどね」
突然ナギの声から感情が消えた。どうしても引きずってしまうユウの足を所在なさげに弄んでいたマニュピレータの動きが、ぴたりと止まる。非常にゆっくりとしたフォーカスノイズを伴って、カメラアイがナギを見た。アルカイックスマイルを浮かべてユウを眺めるその姿に、存在しないはずの背中を怖気が駆け上がる。
「それハ、どういう――」
「ね、今度はキミがシミュレータに付き合ってよ。キミならもーちょっと楽しませてくれるでしょ」
紅玉の瞳が、悪戯っぽいきらめきを宿してカメラアイを覗き込む。氷華の
「構いませんよ。
「そんなことないさ。それにキミの飛び方、ちょっと
「……女神との対戦をお望みでしたら、私ではなくクピドさんにどうゾ」
ナギの返事を待たず、シエロはくるりとボディを翻した。ユウのつま先がシミュレータカプセルの壁面をかすめる。背後から、笑みを含んだ「じゃあねー」という声が飛んできた。
「あれ……」
ユウごとボディに巻き付けたマニュピレータが、負荷を訴えた。背中の上でユウがごそごそと身を起そうとしている。まだまどろみの中に浸かった、やわやわとした声が疑問符を投げた。
「何これ……」
「もうすぐ部屋に着きますよ。今日はゆっくり寝てくだサい」
「シエロ……?」
「そうですよ」
足があちこちにぶつかるせいで目が覚めたらしかったが、まだその意識の大半は夢の中にあるようだ。小さな子供のように自分の名を呼ぶユウに、渋い男性の声が優しく答える。ユウはむにゃむにゃと呟いた。
「その声、ちょっと似合ってない……よ……」
モーターの駆動音が、一瞬緩んだ。速度が落ちた背中からは、再び規則正しい寝息が落ちてくる。
短く穏やかな沈黙の後、優しい女の声が、答えた。
「……そうですね。私も、今朝からずっとそう思っていましタよ」