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第3話 少年よ操縦桿を握れ ①

「ユウさん。そろそろ一度部屋に戻っテは」

「うん……」


 半分以上照明を落とした格納庫の隅で、虚ろな目をして戦闘ログを読み込んでいるユウに、作業用補助ユニットRAMで近付いてきたシエロが言った。曖昧に答えたユウの右手は、ガリガリと嫌な音を立てながらメモを取り続けている。格納庫に備え付けられた簡易作業用スペースの周りには、大量の書き付けが散らばっていた。

 くしゃりとその一枚をタイヤに巻き込んで、RAMのマニュピレータが苛立たしげに揺れる。肺があるなら溜息を漏らしていただろう。思考の隅には、言い表しようのない苛々としたものが溜まっていた。一度アサクラにデータのメンテナンスを頼むべきだろうか。


「すみません、踏んでシまって」


 くしゃくしゃになってしまった書き付けをマニュピレータで伸ばしながら、合成音声が短く謝罪を紡いだ。今日の声は渋い中年男性の声に設定されている。昨日はクピドと遊ぶために幼い少女の声にしていたのだが、その落差にも相棒ユウは無頓着だった。


「いや、いいんだ。覚えたくて書いてるだけだから。それよりもここの大型戦の、触手への対応なんだけど……あっ」

「ユウさん。少し休むべきデす。部屋に戻りましょう」


 マニュピレータが、血の気が失せた手から情報端末を取り上げた。ユウが昼食以降、初めて顔を上げる。酷い顔色だった。視線は虚ろで、目の下を彩った隈は目を落ち窪んで見せるほどに濃い。何かにつけ掻き毟っている焦げ茶の髪はぼさぼさで、唇は乾燥してひび割れていた。

 ユウは昏い目をして、相棒の冷たい身体を見下ろした。ふいっと目を逸らす。


「……寝るのはここでいいよ」


 そう言ったユウの視線を追いかけて、カメラアイが作業用スペースの脇にくしゃくしゃに丸められたブランケットを捉えた。シエロは音声ライブラリからプリセットの溜息を再生する。人間の声から切り出されたままのプリセット音声は、妙に生々しい響きで格納庫の空気を一段重くした。


「なんだよ」


 そのあからさまな態度に、ユウが不貞腐れた様子で問う。カメラアイが、ユウを捉えてピントを合わせる音が静かな格納庫に響いた。


「頭を情報で埋め尽くして、それで償っているつもりなら他所でやってくださイ」

「……なんだって?」


 じろり、とユウはカメラアイを睨み返した。虚ろだった瞳に、感情が灯る。


「……キンバリー遭遇戦。作戦名、オペレーション・レッドアウトバック。この戦闘の反省点はなんでしタか。昨日読んでいタはずですが」

「……それ、は。ええと」


 黒い瞳孔が揺れた。読んだ記憶はあった。必死に脳内の記憶領域を漁る。あれは広い場所での、遭遇戦で。なんとか脳から記憶を掻き出そうとするが、それはよく乾いた砂のようにさらさらと零れ落ちて一向に掴めそうになかった。


「何のためにしていることデすか」

「決まってるだろ。あんな馬鹿な間違いを、もう繰り返さないためだ。……俺は、戦場を知らなすぎるから」

「場当たり的に情報を詰め込むことが知ることではありマせん。あなたが今していることハただの自己満足ですよ」

「でも」

「でもモへったくれもありません。今出撃命令を受けたらどうします。前回よりひどい結果を保証しまスが」

「それは……」


 ユウが返す言葉を見つけられずに俯いた時だった。開きっぱなしだった格納庫の扉の向こうから、軽い足音と共に明るい声が響き渡る。


「キビシーなぁ、ユウの相棒は」

「ナギさン」

「やっほー」


 踊るような足取りでユウに歩み寄ったナギは、ひょいとその顔を覗き込んで嫌そうな表情を作った。


「うーわゾンビみたい。まだへこんでんの?」

「……何の用?」

「特にナイ。ユリウスがユウが部屋に戻ってこないって愚痴ってたからさぁ。面白そーだなと思って」

「残念だけど楽しいことは何もないよ」


 ふーん、と呟いてナギはひょいと足元に散らばった紙を2、3枚拾い上げる。ぱらぱらとめくって、その端正な顔に楽しげな笑みを浮かべた。


「へー、これ月面基地包囲戦オペレーション・ルナシージじゃん。なつかしー。こっちはレッドアウトバック?」


 ユウは目を見開いた。自分の走り書きはどれも戦闘配置図や経緯を雑多に書き起こしたもので、作戦名は書いていない。


「全部……覚えてるのか?」


 楽しそうに床に散らばった紙を拾い集めていたナギが、キョトンとした表情で首を傾げた。


「ユウだって好きな映画のシーンとか、覚えてるでしょ? ボクは戦闘ログを読むのがシュミなのさ。ま、参加してるのもぼちぼちあるけど」

「趣味……」

「ボクならこーするのに、って妄想するのが楽しーんだよねぇ。あっ、ねぇここ解釈おかしくない? いや待てよ。これ第3隊のヒゲメガネが報告書書いてたやつか。あいつ書き起こし下手なんだよな〜」


 ねぇねぇねぇねぇ、とぐいぐい顔を寄せて来るナギに圧倒されながらユウはナギの手の中の紙束を見る。、の言葉に頭を殴られた気分だった。自分が書いたにも関わらず、紙束から覗く文字列からユウには戦場の光景が見えてこない。

 ひとり楽しく戦闘ログ語りをしていたナギが、話し相手のつもりのユウからひとつの返事も返ってこないことに気付いて不満げに頬を膨らませた。


「なんだよもー。こんだけ書いててなーんも分かってないんじゃん。つまんないの」

「ごめん。実地経験が足りてないからその……身に入らないの、かも」


 憔悴しきったその表情を気に掛ける様子もなく、ふむふむとナギは頷く。そして突然ユウの手を取ると、ブンブンと上下に振り回し始めた。


「よーし、しょーがないからボクがシミュレータに付き合ってあげよう!」

「は? いや、俺は操縦はしないし、もっと戦略とかを頭に」


 慌ててその手を振りほどこうとしたユウの手を逆にぺいっと振り捨てて、ナギは人差し指をその鼻先に突き付けた。


「ばーか。状況判断ができないのは操縦まともにできないからでしょ。咄嗟の判断は知識じゃなくて経験がものをいうんだよ。そーやって俺はやらないからーってシエロに丸投げしてるからキミはマトモな判断ができないんだ」

「……っ」

「キミは指揮官になりたいのか? そーじゃないなら今養うべきは俯瞰した戦略マクロな目じゃなくて戦闘機動ミクロの動きだ! よーし、行っくぞーぅ」

「ちょっ……放……うわっ!」


 ナギの手が今度はユウの手首をがっちりと掴んだ。ぐい、と強く引っ張られたユウがバランスを崩してすっ転ぶ。ナギはちらりとその姿を紅玉ルビーの瞳で一瞥すると、華奢な体躯でそのままズルズルとユウを引きずって歩き出した。ユウは立ち上がろうともがくが、細くしなやかな指は鋼のように固く締められ振りほどくことが出来ない。


「いやー大したケガじゃないのに定期哨戒のルーティン外されちゃってさぁ。うんざりしてたんだよねー。まさにウィン・ウィンってやつじゃん?」

「クソ、何がウィン・ウィン……ああもうわかった、分かった行くから! 放せよ痛いってば!」

「やだよ放したら逃げるじゃん」

「逃げないよ! せめて自分で歩かせてくれ」

「しょーがない奴だなーキミは」


 ぐいぐいと手首を牽引する力が止まった。膝をついて立ち上がり、引きずられたせいで黒ずんでしまったツナギの腰周りを申し訳程度にはたく。ちなみに手首は掴まれたままだ。

 ユウが立ち上がったのを横目で確認して、満足げに頷いたナギは再びずんずんと歩き出した。また引きずられないように、慌ててユウも歩調を合わせる。

 立ち上がると、ユウのほうがわずかに背が高い。火星の重力圏を脱した今、艦内の重力は地球と同等の1Gに設定されている。この細腕のどこに自分を引きずっていくほどの力が秘められているのか、ユウにはさっぱりわからなかった。

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