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第1話 傭兵とコドモ ②

「寝てんじゃねぇか」


 カーテンを引く音と同時に聞きなれた声が耳をくすぐり、浅い微睡から戻ってきたナギは薄く目を開ける。覗き込んでくる緑の目の持ち主を、ふわふわとした頭で呼んだ。


「……ぎる」

「ったくこの17歳児は。いつまで送り迎えが必要なんだか。狂犬部隊ブラック・ハウンズの白い悪魔が聞いて呆れる。ほら帰るぞ」


 ナギはゆっくりと瞬きをする。細い霜を集めて作ったような、白く透けた睫毛が紅玉の瞳の上を行ったり来たりした。ナギは起き上がろうともせず、ギルバートに向かって両腕を突き出す。その腕から既に点滴の針は抜かれていた。


「あるけなーい」


 ギルバートは盛大なため息を吐き出す。反論するのも面倒な様子で黙って後ろを向くと、ベッドの前にしゃがんで背中を差し出した。ナギがもそもそ起き上がってその首にかじりつく。


「おま、あっついな」

「そーなの。いたわって?」

「真夜中に叩き起こされた俺のほうがいたわられたいね……」


 ギルバートはそう言ってナギの身体を揺すり上げた。華奢に見えてしっかりと鍛えられたその体は意外と重い。

 カーテンを引く音が響き、マリーがひょこりと顔を覗かせた。


「ごめんねー、ギルバートさん。これ薬。朝起きたら食事の前に飲ませてあげて」

「どうも。マリーさん、コイツまだ熱かなりありますけど連れて帰っていいんですかね」

「ここにいて何度も脱走するくらいなら部屋で朝まで寝てくれたほうが治りも早いわよ」

「イヤなんかすんませんねホント……」


 おかんむりのマリーにぺこぺこ頭を下げて医療区を出る。少し歩いたところで、微かな歌声が聞こえてきた。ギルバートは鼻に皴を寄せて唸る。


「誰だ、こんな時間に」

「この声、クローンのおちびさんでしょ。今日共同碑に行ってたみたいだからなんか思うところがあるんじゃない」


 ほぉ、と気のない返事を一つ返して、ギルバートは緑の誘導灯が淡く照らす廊下を歩いた。真夜中の静謐な空気を、少女の歌声だけが微かに揺らしている。その中を進むギルバートの背中は驚くほどに振動を伝えてこなかった。数々の死線を潜り抜けたかつての傭兵は、足音一つ立てず部屋まで辿り着く。


「ほら降りろ」

「ん」


 素直に背中から滑り降りたナギは、病衣をぱたぱたとさせて顔をしかめた。


「べたべたする。シャワー浴びていい?」

「好きにしろ。俺は寝る」


 ジャケットを脱ぎ捨て大きな欠伸をしながらそう答えたギルバートのバングルが突然光り、狭い個室にコール音が鳴り響いた。ギルバートはとても嫌そうな顔でバングルを覗き込むと、コール元の識別名を見て諦めたように応答を操作する。


「ごめんねギルバートさん! ナギちゃんのお薬1種類渡し忘れてて……。申し訳ないけど取りに来てもらえないかしら。頓服だから」

「わざわざすいませんねぇ。すぐ伺いますんで」


 通信を切り、大きな溜息を漏らすと再びジャケットを羽織り直す。いそいそとバスルームに消えていく背中に「すぐ戻るから寝てろよ」と言い置いて部屋を出た。


 * * * 


「服を着ろ」


 薬を抱えて帰ってきたギルバートが発した第一声はそれだった。ナギはしっとりと濡れそぼった白髪の先から水滴を滴らせたまま、大判のタオルを雑に肩から掛けて戦闘ログを睨んでいる。服はと言えばかろうじてショーツを履いているだけで、タオルの合間から控えめな膨らみが覗いているのが見えた。そんなナリをしていて、白い太腿にはしっかりとナイフホルダーが巻かれているのがまたタチが悪い。


「おかえりー」

「おかえりじゃねぇんだ。お前ね、だいぶ年頃になってきたんだからもう少し慎みというものをだな」


 ナギは戦闘ログから目をあげると、じっとギルバートを見上げた。ギルバートが僅かにたじろいだのを見て取って、にんまりとした笑みを唇に刷いてするりと椅子から立ち上がる。


「なぁにギル、劣情でも湧いてきた?」

「バカか、自分のガキに欲情する親父オヤジはいねぇんだよ」


 擦り寄ってきた頭を押さえてぐい、と遠ざけるとナギは軽く目を開いてからくすりと笑った。


「ふぅん、父親ってそういうもんなんだ」

「そうだよ。……だから服を着なさい」


 ワントーン下がった声にはぁい、と笑みを含ませた声で答えると、ナギは雑多に積まれた服の山をごそごそと漁り始める。


「まぁね、知ってましたよ。だってギルの個人ストレージにあるえっちな動画は全部金髪巨乳美女だもんなー」

「なんで知ってんだよオメーは!」

「ボクってば天才ですし。セキュリティが甘いんだよーばーか」


 慌ててバングルから個人ストレージにアクセスすると、鍵を掛けた上で念入りに隠しておいたはずのフォルダは暴かれ「ボクのおすすめ☆」とタイトルのついた圧縮ファイルが追加されていた。無言でそれをゴミ箱に叩き込み、顔を上げるとがずぼっとサイズの合わない白いTシャツから顔を出したところに目が合う。何がとは言わないが色々と透けていた。ギルバートは色々な感情をとりあえず飲み込むと「お前絶対その格好で外に出るなよ」と言い捨てて二段ベッドの下段に滑り込む。真夜中に叩き起こされて、彼は疲れ果てていた。


「……なんのつもりだ」


 その下段にナギが潜り込んできて、ギルバートは低い声で唸った。ナギはふわふわと蕩けるような声でくすくす笑う。


「あんたの可愛い娘はさ、不安な夜を過ごしたばっかでひとりで寝れないんだよね」

「からかってないで自分のベッド行け狭いだろ」


 そう言って小突いた腕をがっしりと抱き込まれる。文句を言おうと口を開くが、少女は既にすうすうと規則正しい寝息を立てていた。ギルバートは今夜何度目になるのか、もう数えたくもない溜息を吐く。触れている部分が熱いのは、ナギの体温が高いせいだと無理やり思い込む。無駄なくしなやかな筋肉のついたナギの体だが、鍛えようのない部分がふんわりと柔らかった。先ほどナギに言った台詞を、ギルバートは繰り返し己の頭の底に叩き込む。


 金髪巨乳美女は別にそんなに好みではなかった。ただ、たくさん集めてたくさん浴びて、それで自分の嗜好が変わってくれればいいなと思っていただけで。さらに念入りに隠していたもうひとつのフォルダが暴かれていなくて本当に良かったと思う。この秘密は墓まで持っていくと決めていた。



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