リベルト・コルシーニはコーヒーの自動販売機が豆を挽く音を、苛々としながら聞いていた。あのクソったれの
彼の職場であるエリュシオン第2研究所は、ミルコ・マティーニの城である。ここにいる研究員たちは皆、あの冷酷無比で傲岸不遜なかの王に見出され、選び抜かれたエリートたちだ。どいつもこいつも大事なネジが1本か2本足りないような連中ばかりだが、倫理観や道徳心などはこの白亜の城においては枷でしかない。ネジが足りない自覚は自分にもあったが、その欠落を必要としてくれた王の元で働くにつれ、欠落は自尊心へと肥大化しながら変貌を遂げていた。
自分の仕事は火星の治安維持に大きく貢献しているという自負がリベルトにはあった。あの無表情で面白みのない人形どもが戦場に送られるようになってから、火星の人的被害は激減した。人形を
だが
自動販売機が、軽やかなメロディを奏でてコーヒーの出来上がりを告げる。プラスティックの扉を開け、紙製のカップに注がれた濃い液体を取り出した。湯気を鼻で吸い上げてから口をつける。自動販売機が抽出したエスプレッソは期待していたほどの濃さではなく、それがまたリベルトを苛立たせた。
「おはよう」
苛立ちと眠気と疲れが混ざった脳に、耳が拾った誰かの声が滑り込む。リベルトは眉間に深い皴を刻んだ。おはようとは寝て起きてきた者の台詞だろう。昨日から寝ていない自分に対する嫌がらせではないか。同僚にはそういう精神性の持ち主しかいないとわかっているから、リベルトは不快な表情を隠そうともせずに振り返った。
「おはよう。最悪な朝だな」
コーヒーのカップに視線を落としながらそう言ったリベルトは、視線を上げて固まった。すとんと伸びた黒髪の端正な顔立ちの中で、深淵に接続されているかのような虚ろな黒い瞳が彼を見ている。リベルトの手からエスプレッソのカップが滑り落ち、床と彼のズボンを黒い液体で濡らした。
「あ、あああアサクラ大佐。何故こちらに」
キリヤ・アサクラ。エリュシオン第二研究所に勤務する者で、いや、対アザトゥス戦に関連する研究に従事する者で彼を知らない人間がいるとしたら、そいつはもぐりか素人だ。アサクラはにこりと笑った。虚空に空いた穴のような目を伴う笑顔は、もはや恐怖の感情しか呼び起こさない。
「視察だよ、リベルト・コルシーニ。僕がきたら何か困ることでも?」
「……とんでもありません」
ミルコ・マティーニが王だとしたら、この男は神だった。エリュシオン第二研究所の最大の成果である
城の土台が崩壊していく音が聞こえた気がした。わずかに震えているリベルトに、アサクラは笑顔のまま告げる。
「ちょうどよかった。案内役を探しててねぇ。
* * *
私の権限で入れるのはここまでです、と言って逃げるように立ち去ったリベルトを見送って、アサクラは“エリアC”と書かれた分厚い扉を見上げた。戦闘機の格納庫もかくやといわんばかりに分厚い両開きの扉の中央には、
アサクラは肩から提げた袋を重そうに揺すりあげると、警備員室に歩み寄った。無遠慮にガラスを叩けば、雑誌を読み耽っていた男が胡乱げな半眼を向けてくる。
「ここは所員以外立ち入り禁止の区域ですよ。お引き取りを」
アサクラは肩を竦めると、来客用の読み取り装置にバングルをかざす。警備員の男は億劫そうな表情でモニターを覗き込んだ。半開きの目でモニター上の文字列を読み取って、こちらもまた肩を竦める。
「キリヤ・アサクラ大佐。アポイントもありませんし、お通しできませんよ。どうぞお引き取りを」
「おかしいな。僕のセキュリティクリアランスはレベル5だ。すべての研究施設はその扉を閉ざす権利はないはずだけどね」
「そう言われましてもね。俺にゃ判断出来ません。ここのボスが通せと言った者以外を通さないのが仕事なんでね」
「じゃあボスに確認してよ」
「冗談じゃない。こんな時間にアポ無しの確認なんて入れようもんなら俺の首が飛んじまいますよ」
とりつく島もない様子の警備員に、アサクラは微笑みかけた。その表情を見た警備員が一瞬ぎょっとした顔をする。
「僕だって君の首を飛ばせるんだけどね」
そう言ってアサクラは視線を動かさずに警備員の返事を待つ。鼻に皺を寄せた男は、苦虫をまとめて数匹噛み潰しながら内線の受話器を取り上げた。
「あーはいはい分かりましたよ大佐殿! ……ったく、クビにされたらアンタのせいだからな」
そうして渋い顔のまま受話器に向けて話しだした男の表情から、毒気がみるみる抜けていく。
「ええ。……はい。分かりました」
短い通話を終えた男は、アサクラに向かって片眉を上げて見せた。
「こいつぁ珍しい、お通ししろとのことで。今開けます」
そう言いながら手元のコンソールを弄り始めた男に、アサクラは問いかけた。
「この先で何をやってるか君は知ってるの?」
「知りませんよ。世の中には知らんほうが良い事があるんだ。知らなきゃ俺にとってソイツは起きていないのと同じ事ですからね」
重い音を立てて扉が開いていく。あえて素っ気なくしている雰囲気の強い男の言葉に、アサクラは倦んだ笑みを返した。
「そうだね。……うん、僕もそう思ってた」
擦り切れた革靴が境界線を踏み越える。そのまま去っていこうとする背中に、遠慮がちに男は言った。
「……もし
「善処しよう。君も、