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第12話 ノクティス迷宮探査戦 - Phase 4:苗床 ②

『では僭越ながら、僕が現場指揮を執らせていただきますが……』


 おずおずとそう切り出したケイの声を聴きながら、ハイドラは両腕を覆った反物質砲の装填機構を解除した。ぼた、ぼたと粘液質な褐色の液体がコックピットの床に零れる。酷くねばついたこの液体の掃除にいつもうんざりさせられている彼は、辟易とした様子で息を吐いた。

 息を吐いた口の中に、ヘルメット内部に仕込まれたチューブが押し込まれる。どろりとしたハイカロリーの総合栄養ゼリーが、喉に流れ込んだ。

 喉の奥に張り付きながら落ちていくそれは、いつもながら酷い味がしている。舌に触れないように飲み下すのがコツだった。もう少し飲みやすくしてくれると有り難いのだが、に必要な機構に美味しさは必要ないというのが研究所の総意であるらしい。


『さっき艦長も言ってたんだけど、火星のことはハイドラ君とクピドさんが一番よく知ってると思うんだ。何か気を付ける事があったら教えて欲しいんだけど、どうでしょう』


 唐突に話を振られて、チューブから溢れてくるゼリーで口内を満たされつつあるハイドラは目を白黒させる。作戦中に意見を求められる事などなかったから、すっかり休憩時間のようなつもりになってしまっていた。応答のために息を吸い込もうとして、ゼリーが気管に吸い込まれる。激しくむせた。


『え!? ちょっと大丈夫です?』


 反物質砲の仕様を知らないケイは慌てている。


「すみませ、ちょっと、へん、なとこに」

『いいよハイドラ君、私が話すよ』


 大丈夫なのだということを伝えようとして、かえってしどろもどろになってしまったところへクピドから助け舟が出た。最初から任せておけば良かった、と思いながら回線への入力を切る。


『わたしたちもレーダーに映らない相手に会ったのは今日が初めてなので、あまりお役に立つ話は出来ないかもしれないんですけど……。そうですね、採水プラント内は横穴も多いです。敵が隠れているケースもあるでしょう。レーダーに映らないのであれば、出来るだけゆっくり進んだほうがいいかもしれません』


 当たり前の事しか言えなくてごめんなさい、と笑うクピドの声を聴きながら、ハイドラは再編成された部隊の構成を頭でなぞる。ヘイムダルユリウス機率いる捜索隊Aアルファは戦列を離れ、代わりにヤタガラスナギ機の捜索隊Bブラボーが参戦していた。そこに救助隊レスキュー補給機イドゥンが更に加わる。参戦しているアヴィオンの数は増えたが、陽電子砲の弾数はヤタガラスの1発のみしか増えていない。

 掃討済みであるはずの、しかもこのような閉所に陽電子砲の運用が必要となる個体が居ること自体が異常事態ではあるのだが、その異常事態が起きている以上心許ない弾数である。シキシマはハイドラも戦列から外そうとしたのだが、通信障害の規模からみて先の戦闘時よりもさらに大型の個体がいる可能性があると食い下がり、残してもらった形だった。


『ではBブラボーを先頭に進みます。コンラート君、照明弾をお願いします』

了解コピー


 照明弾の光が闇を払う。応じたコンラートの声は平坦なものだったが、その底には初めて自分ハイドラの触手を見た時と同じ感情が沈んでいるのが分かった。産まれてからずっと怒りと憎しみの感情に晒されてきたハイドラは、他人の怒りの感情に敏感だ。

 怒りは分かりやすい感情だと思う。人類を犯し、嬲ったアザトゥスという生命に対する怒り。今太陽系に生きる人類で、アザトゥスに何かを奪われなかった人間はいないだろう。彼が最初に接した人間——母はいつも自分を、その向こうに透けて見えるアザトゥスを憎んでいたし、怒っていた。研究所の人間がハイドラに感情を向ける時も、そのフィルタ怒りが常に一枚挟まれていたように思う。彼らの怒りは常に、己を害する相手に向けられていた。

 彼自身は怒りを覚えたことがない。アザトゥスも、自分が受ける酷い仕打ちも、それはであり、少年の怒りの原動力足りえるものではなかった。


 コンラートは今、怒っている。QPを殺したアザトゥスに怒っている。そこまでは理解できた。だがその怒りがユウにも向けられていた事に、少年は困惑を覚えていた。

 QPはクローン消耗品だ。天使の欠片エンジェルズ・フラグメントは人間のパイロットの盾になることを刷り込まれている。天使の欠片エンジェルズ・フラグメントは自爆を禁じられていない。それは火星の常識だった。その常識のおかげで、火星では


 ユウが射程を確認してくれたお陰で、攻撃に転じるのはスムーズだった。有効打を与えられない戦況において、カドリガの自爆は血路を開いたと言える。最初から反物質砲の使用が認められていれば話は違ったが、自爆が初の有効打となったことで反物質砲を使わざるを得ない状況を作り出せた。無駄なことは何もなかったはずだ。

 目的はアザトゥスを殺し、の犠牲を出さないことだ。それが達せられたのにコンラートは怒っている。反重力機動下で陽電子砲高火力兵装の運用が困難な中、反物質砲ペニテンシアを使うことをシキシマは怒る。彼らの怒りの原動力がどこにあるのかが、ハイドラにはよく理解できなかった。


『わぁ、グロいなぁ』


 先頭を行くナギが、闇を払った光景を見て楽しげに呟く。蛸の這い出てきた横穴は、壁一面にみっしりと生体組織が張り付いていた。


『んだぁ、こりゃ……』

『巣か……?』


 ライナスとルイスが同時に呟いて、イージスが壁面に近づいた。盾を展開して、ゆっくりと壁にヴェネクス製の盾を押し付ける。じゅわじゅわと肉が泡立ち火傷のような痕を残すが、そのダメージに対する反応はなく、肉は単調な脈動を繰り返しているのみだ。ライナスは苦々しげに息を吐いた。


『“核なしただの肉塊”だぜ、こりゃぁ』


 核組織を持たないアザトゥス体の発生要因はいくつかある。一つは侵食。アザトゥスは触れるものすべてに侵食を引き起こす。そのメカニズムは明らかになっていないが、アザトゥス体が触れている部分を徐々にアザトゥス体へと置き換えてしまう。巨大な蛸がすっぽり嵌っていた穴の壁面であれば、侵食によってこの光景が作り出されている可能性は十分にあった。

 想定したくないもう一つの可能性は分泌体と呼ばれる個体による生成だ。分泌体は母体から生産される特殊個体で、あらゆる物質を取り込み体内でアザトゥス体に変換して吐き出すという性質を持っている。これはつまり母体の発生、ひいては巣の発生を示していた。


 ケイは嫌悪感と困惑と懊悩をミキサーにぶち込んだような声で唸る。


『うう。ひとまず除去しながら進みましょう……。イドゥン、火炎放射器用の燃料はどれくらいありますか?』

『戦闘には十分な量があると思っていますが、除染想定の積載ではありません。この状況が続くなら足りなくなります』


 火星基地から派遣された補給機イドゥンのパイロットは、硬い声色で答えた。


『ええと艦長……じゃないな、管制室フリプライ、こちら救助隊レスキュー、アンカーです。汚染が酷いので、除去の応援をお願いしたいです』

『私宛てで構わないよ、ケイ。除去しなければ進めないほどの汚染か?』

『いえ、進めはするのですが……』

『では進行に必要な分だけ除去の上、捜索を急いでくれ。先程Cチャーリーが戻ったから、そちらからカドリガ1小隊を除染に回す。後ろは任せて進め』

了解しましたアイ・コピー……』


 尻すぼみになっていくケイの声を聞きながら、ハイドラは部隊全体にデータリンクされているヤタガラスナギ機のレーダー情報を見る。闇の奥へ続く巨大な通路の壁はでこぼことした凹凸に覆われていて、時折そこに人工的な直線が混じっていた。崖の裂け目の形を利用するように作られ、必要なだけ分だけをくり抜いて、最低限の人工物で支えているプラントのそれが岩肌なのかアザトゥス体なのかを判別することは難しい。

 パイロットスーツの上から、腕をそっと撫でる。栄養補給を済ませた身体はめきめきと再生を始めていて、貫くような痛みは今や悶えるような掻痒感へと変化しつつあった。まだまだ——そう思って安堵する。


会敵エンゲージ!』


 鋭い声にはっと前方を振り仰ぐ。照明弾が照らす薄闇の中を、レーザー砲の閃光が駆け抜けるのが見えた。ケイが叫ぶ。


『追加の照明弾を!』

了解コピー!』


 ケイの声に応じて、新たな照明弾の曳光が尾を引く。爆ぜるように広がった光が、数体の小型の姿をあらわにした。それと同時にレーザーの光が2体を薙ぎ払い、1体が内側からばしゃりと弾け飛ぶ。


『アンカーの狙撃砲で援護します! 殲滅したら一度下がって!』

撃墜スプラッシュ4。ファイブ、シックス、下がるよ』

了解しましたアイ・コピー


 ハイドラは戦況を見渡すために高度を上げた。ヤタガラスナギ機とカドリガがゆっくりと後退してくるのが見える。再び照明弾が光の尾を引いた。少し奥まった位置で弾けたその光のさらに奥で、一瞬影が蠢く。


『っ、鹵獲機キャプチャー!』


 ナギが鋭く叫んで機体を捻る。その翼をかすめてレーザーの光が閃いた。


『待ち人来たりだねぇ! 火星基地所属機さがしものじゃん、っと!』


 ヤタガラスの機首から紫電の閃光が迸る。陽電子砲はスパークを散らしながら、闇の奥から飛び出してきた肉々しい機体に噛みついた。当たりどころが悪かったらしく、肉まみれの機体が爆発する。爆発は天井を支えていた無骨な構造物を吹き飛ばし、梁がぐらりと揺れた。キャノピー越しにも聞こえる鈍い金属の響きと共に、巨大な質量がヤタガラスへと迫る。


『あ、やべ』


 回避のためすかさず逆推進機構リバーススラスターを吹かしたヤタガラスの前に、カドリガが割り込んだ。


『はぁ!?』

『……っ、クソが!』


 ナギの困惑した声と、ライナスの憤った声がインカムの奥で混ざり合う。ヤタガラスを庇うような位置のカドリガの上部に、さらにイージスが割り込んだ。巨大な鉄骨がヴェネクス製の盾に食い込んだ瞬間、ロボットアームがそれを殴り飛ばす。


『馬鹿野郎! 死ぬ気か!?』


 ライナスの怒声がインカムをビリビリと震わせた。僅かに気圧された様子で、QPが応える。


『……パイロットの保護は最優先事項としてインプットされています』


 はぁ……とナギは聞こえよがしに大きな溜息をついた。


『あのね、君たちに反応できてボクに避けられない攻撃なんてないよ。他所のポンコツの事は知らないけどさ、ボクのことは別に守らなくていーよ』

『ですがこれはType-QPの基本行動指針で』

『無視して。フライトリーダーはボクだよ。従って』


 ナギにぴしゃりと言われて、QPは黙り込んだ。張り詰めた空気をほぐすように、ケイが優しげな声色で割り込む。


『現場指揮を任されている僕からも要請します。自己安全を最優先事項としてください。それを可能にするために救助隊ぼくたちはいるんですよ』

『おしゃべりはここまで。まだ来るよ。イドゥン、補給お願い』


 イドゥンがヤタガラスのバッテリーモジュールを挿し替えている横で、イージスは盾をガチャガチャと開閉している。


『へこんじまったかな……。おーいハイドラ、そっちから見える?』


 イージスの盾は右側のユニットの一部がぺこりとへこんでいた。ハイドラは苦笑して答える。


「見えてますよ。へこんでます」

『げぇーマジか! 怒られっかなぁ』

『構わんさ。どうせ修理費は研究所に全額請求だろう。この際研究費を全額毟ってやれ』

『いいですねぇ。劣化ヴェネクス弾はいつも気を使って撃つから助かっちゃうな』


 そう言ってケイは狙撃砲で闇の奥から現れた小型を次々に撃ち落としていく。


『数が増えてきたな。本丸が近そうですね。少し前線を押し上げましょう。ユウ君、コンラート君の護衛を頼みます。ハイドラ君は出来るだけ後ろに。君の兵装は緊急用としてくださいね』


 補給を終えたヤタガラス隊が再び前線に戻ると、シエロとアルテミスがその後ろについた。闇を払いながらじりじりと前線を押し上げる。


『この先に広い空間がありそーだよ。気を付けて』

『イージス、もう少し前に』

『おうよ』


 奥まったその空間は、曲がり角の向こうにあるようだった。肉が蠢く通路を通り抜け、先を行くアヴィオンが次々と曲がり角の先へ消えていく。最後尾にいるのがなんともじれったく、じりじりとした気持ちで操縦桿を動かした。


『クソ、これは――!』


 切羽詰まった声がインカムに響く。ハイドラはハーメルンのスピードを上げた。急旋回して広場に躍り出る。


 そこには輸送艦だったであろうモノがあった。ぐずぐずと型崩れしたそれは、半分が血と肉に塗れた大地に落ち、半分が肉の壁と融合しかかっている。それを抱き込むように体を丸めた、巨大な両生類のような生物がきょろりとした目玉をこちらに向けた。真っ黒な瞳に塗りつぶされた、巨大な目玉。1対だけ存在しているそれは、何故か吐き気をもよおすほどの不快感をもたらした。


 だがハイドラの視線はその巨体を素通りした。黄金の瞳は、肉の壁と融合しかかっている輸送艦の一部を見ている。―—いや、正確には。


 。それは異常な光景だった。有機物に対するアザトゥス体の浸食速度は、無機物へのそれとは比較にならないほどに早い。だが輸送艦のぐずぐずに肉に溶け崩れた壁面に丁寧に張り付けられた人体は、浸食をほぼ受けていなかった。彼らは皆一様に蒼褪め、虚ろな瞳を虚空に向けて。

 ケイが悲鳴じみた声で確認を求めてくる。


『これ、火星ではよくあることですか!?』

『わたしも見たことありません!』


 そう答えたクピドの声も震えていた。その震えが伝染するように操縦桿を握る手が震え、体の芯がすうっと冷たくなっていく感触がする。全身の毛が逆立つようだった。すべての音が遠のいていく。


『と、とにかく救助を――』


 現場指揮官であるケイのその声は、ハイドラの耳には届かなかった。いや、届いていて無視をした。

 少年は荒っぽい動作で反物質砲ペニテンシアの装填機構を起動する。無慈悲な機械が彼の体を毟り取った。一度、二度、三度、四度、五度。懺悔の砲に罪の弾を込める。気の抜けた音のアラームが響いた瞬間、トリガーを引いた。


 人体の横に着弾した反物質弾が、膨大なエネルギーで跡形もなく“苗床”を吹き飛ばす。第二射。三射。四射。五射。執拗に、欠片も残すまいと、丹念に消し飛ばした。


『ちょっとハイドラ君!? 何やってるの!?』


 クピドの驚愕したような声が、インカム越しに耳を叩く。他のメンバーは唖然として声も出ないようだった。獣のような息を漏らしながら、ハイドラは低く答える。


「あれは――あれは駄目だよ、クピド。あれはぼくの母と同じで――」


 そう言った時、ハイドラは初めてふつふつと腹の底に煮え滾る感情を理解した。


 ————これは、怒りだ。



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