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第3話 パンドラの猫箱

 生真面目な部屋の主によってぴかぴかに磨かれた艦長室の机の上には小皿と、湯気の立つお茶の入った湯呑みが並んでいる。その数は4つ。

 艦長シキシマ整備班長テッサリア副班長アサクラに交じる形でその一つの前に座ったユウは、居心地悪そうに尻を動かした。


「シエロは? ちゃんと置いてきた?」


 アサクラがカステラを切り分けながら問う。


「はい、ケイさんのとこにボイスライブラリの調整に行ったので……まあ半日は戻ってこないですね」

「あの子も凝り性だからねぇ」


 クスクスと笑いながら、アサクラは切り分けたカステラを小皿に取り分けていく。ふわりと甘い香りが立った。

 いそいそとカステラを竹の楊枝で一口大に切り分け始めたシキシマの前に、アサクラは小瓶を置く。シキシマはカステラを口に運びかけていたその手を止めて、半透明な液体の入った小瓶を覗き込んだ。


「これは?」

「シエロの生命維持溶液からちょっと抜いてきたやつ」

「はぁ!?」


 シレっとアサクラが口にしたその言葉に、ユウが勢いよく立ち上がる。立ち上がった拍子に指が小皿を掠め、カステラがテーブルに転がった。


「ちょっと! 定期メンテナンスの総入れ替えの時まで抜かない約束でしたよね!?」

「そうだねー」

「約束って言葉の意味知ってます!?」

「待て待て、私にもわかるように話せ」


 今にも殴り掛かりかねない様子のユウに、シキシマが割って入る。ユウははっとした表情になって座り直した。テーブルに落ちてしまったカステラを少しの間見つめると、それを拾い上げて端っこに噛り付く。

 怒りを露わにしながらもなんとか気持ちを鎮めようとしているユウを見て、アサクラはへらりと軽薄な笑みを浮かべた。


「じゃあ事情を知らない艦長ノブと、大変お怒りのユウ君の為に、一旦改めて整理しよう。ノブ、仕様はどれくらい把握してる?」

「すまないが、技術的な部分はほぼ理解できていない」

「オーケーオーケー。順を追っていこう。まずシエロの箱の中には。脳みそだけのね。ここはいいね?」

「ああ、そこは流石に」

「あの箱は脳髄の生体維持装置として機能している。僕はあの箱を見つけた時、頻繁なメンテナンスが必要だと思っていたんだ。でも実態はそうじゃなかった」


 アサクラは一口お茶を啜ってから、言葉を続ける。


「酸素とかのカートリッジをつけたらね、あとは生命維持溶液を定期メンテナンスで入れ替えるだけで、すべての機能が賄われるように作られたブラックボックスだったんだよ、あれは」


 シキシマは顔をしかめた。


「液の入れ替えだけって……機器点検はしないということか?」

「あの溶液の大部分は生体維持に必要な人工血液だけど、その中にナノマシンが含まれてるのさ。機器のメンテナンスもそいつらがやるんだ。ナノマシン自体は汎用医療用ナノマシンなんだけど、そこに特殊なプログラムを食わせていてねぇ」


 アサクラはバングルからケーブルを引き出してテーブル脇のソケットに繋ぐ。艷やかなオーク材のテーブルの中央部が淡く輝き、現れたホロモニタがナノマシンの分析映像を映し出した。


「食わせるコードはここにあるんだけど、ギッチギチに暗号化されててさ。こいつが実際に箱の中で何をしてるのか、最初はよくわかんなくてねぇ。マニュアルだと総入れ替えの記録しかなくて、部分入れ替えの前例がなかったからさ。もしかしたらナノマシンが群体として機能してる可能性もあったわけ。だからユウとは念のため総入れ替え1回やってから、って話をしてたんだけど――」


 そこで一息ついて、アサクラはもう一つの小瓶を取り出した。赤黒く濁った液体で満たされたそれを見て、シキシマは眉を寄せる。


「何だ、それは」

「僕の脳静脈から取った血液と脳漿髄液の混合物だよ。こいつにナノマシンをぶちこんで動作検証をしましたー」

「は?」

「んなっ――」

「その結果、こいつらはフィルタ代わりに脳の代謝活動で排出される老廃物とか、自然死アポトーシスした細胞片を貯め込んでいるってことが分かってね。しばらく動かしてたけど、群体制御特有の移動パターンも検出されなかった。つまりこのナノマシンは群体として一定数必要な類のものではなく、これらの取り込み許容量が生命維持溶液の入れ替えの目安になってるって事の裏が取れたの。だから部分入れ替えしてもなーんにも問題ないって判断したワケ」


 そう言うとアサクラはユウを見た。


「やる前だったら、それでも実験済みでも君は安全策取りたがるでしょー。だから言わなかったの」

「ちゃんと話してくれれば納得しますよ……多分」


 まあ揉めただろうな、と自覚しているユウは不貞腐れた声でそう言うと、目を合わせずにぬるくなったお茶を一口飲み込んだ。言いたい事が無いではなかったが、かねてから話し合いを重ねていた懸念点が払拭されている事自体については異論がない。

 不服ながらも納得の様子を見せているユウとは対照的に、シキシマが苛立った様子で立ち上がった。


「キリヤ……お前またやったな」


 シキシマはつかつかとアサクラに歩み寄り、すとんと肩まで伸びたその髪を掴んだ。乱暴に髪を掻き分けると、側頭部の小さくも痛々しい傷跡が露わになる。ユウが息を吞むと同時に、アサクラは面倒くさそうな様子でその手を振り払った。


「前時代の穿頭術じゃあるまいし、すぐに治るよこんなの。ちょっと穴開けるくらい僕の勝手でしょー、僕の頭なんだから」

「お前の頭脳は今の世界に必要だ。軽々しく自分の身体を実験に使うなといつも言ってるだろ」

「じゃあ誰かの頭使ってよかったのー? 第13調査大隊では人体実験やってまーす、被験者よろしくねーって艦長命令してくれるってこと?」

「そういう事じゃない!」

「そうやって倫理だ道徳だって言ってたら何も前に進まないでしょ。僕らに残された時間が多いとは限らないんだから――」

「私は別に倫理観からこんな話をしてるんじゃない。もう少ししたらエンジェルズも合流するだろ。何でそれまで待てないんだ」

「あの子達を実験に使えって言ってるの? 正気? それなら倫理観がないってのはなるほど、理解できるねぇ」


 ぎちぎちと音を立てそうな勢いでシキシマとアサクラの視線がにらみ合った時、唐突にぷしゅーっと音がした。ヒートアップしかけた口論を遮るようなタイミングのその音に、シキシマとアサクラは思わず口を噤む。音のした方に目を向ければ、ずっと黙っていたテッサリアが、お茶用の電気ポットの蓋に手をかけて二人を見つめていた。


「おや、水を差しましたね。失礼」


 テッサリアはそう言って肩を竦めたが、意図的に遮ったのは明らかだった。こぽこぽ、と柔らかな水音が響く。急須にお湯を足しながら、テッサリアは穏やかに話し出した。


「アサクラ君。ラインズ所長と話していた前提の話が抜けていますよ。理由を訊かなければ、艦長さんも納得出来ないでしょう。艦長さん、シエロ君はね、月面研究所で作られた機体ではありません」

「……何?」

「アサクラ君が連日のようにラインズ所長に連絡を取って、情報をもぎ取ってくれました。あれは突然地球圏内に現れた、出自不明の機体なんです。発見当初は友軍識別信号IFFすらなかった。その発見もこちらで回収するほんの2週間ほど前の話だそうですよ。つまり研究所もあの子の事はほとんど何も分かってはいなかったんです」


 テッサリアは空になった自分の湯呑にお茶を注ぐ。茶葉の香りと湯気が広がった。


「私のほうでも調査しましたがねぇ。あの機体ね、新型高機動を謳っていますけど、新造機ではないですよ。一見して分からないように偽装されていますが、あれはガーゴイルの改造機です。まあ多少ピーキーなセッティングになっていることは否めませんが、そこを勘案しても高機動なのは単なるシエロ君の腕ですね。そしてその偽装を行ったのは研究所ではないんです」


 シキシマは眉をひそめた。


「改造? 偽装? 何故そんなことを……」

「そこですよ。偽装はなぜ行われるのか。です。つまり我々は、何者かに騙されている可能性を捨てきれない。早急な調査が必要だったんです」

「……そこは理解しよう。なぜ報告せずに事を進めたんだ」

「早急と言いましたが、当初はそこまで急ぐつもりではなかったんです。ただ、ダイモス戦でシエロ君は我々の知らない知識を持っていることを示してしまった。貴方が戦後処理をしている間に調査を進めようと、これは整備開発班の班長、副班長として判断しました。最短で報告できるのが今日だったんですよ」


 そこまで黙って聞いていたアサクラが、軽く眉を上げてテッサリアの顔を見る。それに気付かない様子のシキシマは、眉間に刻んだ皺を揉みほぐしながら腰を下ろした。すっかり冷めてしまったお茶を飲み干して、深いため息を吐く。


「……状況は理解した。話を聞こう」


 アサクラは一瞬逡巡するような素振りを見せたが、話を続けることにしたようだった。


「話を一番初めに戻すよ。この生命維持溶液にはナノマシンが含まれていて、そいつらは自然死した細胞片を抱えてる。だからこいつを抜けば、DNA情報を抜き取って軍データベースに登録されてるパイロットの情報と照合できると思ったんだ。アヴィオンを扱えるのは軍属だけのはずだしね」

「思った、とはまた歯切れの悪い言い方をする」

「歯切れも悪くなるとも。だって、検出できなかったんだからね。僕の静脈血に含まれてた細胞片のDNA情報は問題なくナノマシンから検出できたのに、だよ。DNA片の痕跡はあったけど、それは検証できない程度に破壊されてた。これは意図的な仕組みで破壊されたものだと僕は見てる。おそらく抽出口のほうに、何かDNA情報を壊す仕組みがついてるんだ」

か……」


 シキシマは顎を撫でた。


「開けることは出来ないんだな?」

「無理だろうね。開けたらシエロは死ぬと思うよ。死ぬだけならまだましかも」

「と、言うと」

「中身を知ろうとすること自体が罠の可能性もあるんだよ。確かに物質透過スキャナに映ったのは人間の脳髄のようだったけど、形ならいくらでも作れるからねぇ。AIAI


 開けた瞬間にやばいものがまき散らされたりしてー、と楽しげに言うアサクラに、ユウが不快そうに言い返す。


「シエロは人間ですよ。偽物デコイ入れとくにしては箱がでしょ。それにあの感情は人間のものだと……少なくとも俺はそう信じてます」


 実に青年らしい、真っ直ぐな言葉だった。だがアサクラはその直情には毛ほどの興味もなさそうな様子で肩を竦める。


「よしんばそうだとしても、開けられないことに変わりはないよ。開けてしまいさえすれば中身を決定できるのに、開けるにはリスクが高すぎる。困った箱だよ。パンドラの猫箱とでも言おうか」

「技術的アプローチで彼の正体を突き止めるのは、現段階ではどうしても無理そうというわけだな」

「無理だね。こいつは設計思想からして“開けないこと”を最優先にして組まれているシステムだ。シエロの出してくる情報を重ねて輪郭を作ることくらいしか今は出来ないと思うよ。だからユウにも来てもらったんだ」


 これでようやく本題に入れるよ、とアサクラは笑った。


「今気になっているのはやっぱり監視塔喰らいの件かな。あれからもう一度戦闘レポートを洗ったけど、300メートル級との戦闘記録は存在しなかった。有効打もシエロから出た案だよね」

「そうだな。スサノオを出すように言ったのはシエロだった。それも何故出さないのか、といったニュアンスでな」

「戦闘中、シエロのヤツはやたらもどかしそうにしてました。まるで当たり前のことが出来てないって言いたいみたいな……」


 ユウは少し考えこむ。


「300メートル級もトリアイナ・キャプチャーも、まるであいつは戦ったことがあるみたいでした。細かい部分まで知りすぎている。俺は知らないんですが、トリアイナはフォボス悪夢以外での鹵獲記録があるんですか?」

「ない。勿論そっちも洗ったとも。トリアイナが鹵獲された記録はフォボスの悪夢のみだよ。駆逐艦を喰えるほどの大型化自体がごく最近の傾向だしねぇ」

「第11調査大隊のクルーだった可能性はないですか、シエロ君」


 テッサリアのその言葉に、その場にいた面々は互いに顔を見合わせた。あり得る話だった。


「確かに、第11調査大隊のクルーだったとすれば筋は通る。トリアイナが鹵獲された時にその場に居合わせたと考えれば納得感は高い仮説だな。偽装の理由は全く分からんが」

「となると、300メートル級の戦闘経験のお相手は旗艦の鹵獲機キャプチャー? やだなぁ、あんまり想定したくない事態だね」

「3ヵ月前に木星で確認された友軍識別信号IFFは偽装の可能性が高いと言ってたのはお前だろう。想定済みなんじゃないのか」

「それはそう。そうなんだよねぇ……」

「まあどの道、第11調査大隊の捜索については追加司令が出ているからな。まずは彼らを探そう」


 ああそれから、とシキシマは思い出したようにユウを見た。


「シエロの兵装ロックだが、解析が済んでも外さないでおいてくれ。引き続き同乗して監視を頼む」

「はっきり言いますね」

「方針は明快にしておいたほうがお互いのためだよ、ユウ。私も彼自身に思うところが無いわけではないが、無条件に信頼するにはピースが足りなすぎる」


 ユウは沈んだ面持ちで俯いた。シキシマは少し表情を緩めて立ち上がり、キャビネットのお茶缶を漁りながら独り言のように呟く。


「まあ、これはこの艦隊指揮官としての方針だ。“監視”するか、“証明”するか。そこは自由にするといい」

「……はい」


 消え入りそうな声で返事をして、ユウは拳を握りしめた。目当てのお茶缶を探り当てたシキシマが、缶の蓋を引き抜きながら尋ねる。


「他には何か気になるようなことはないか?」

「そういえば――」

「艦長、失礼します」


 共同碑で感じた違和感をユウが口にしようとした時、艦長室の扉が控えめに叩かれた。


「グングニルの代替艦の件で、火星駐屯地司令がお越しです」

「おっと、もうそんな時間か。すまない、今日はここで解散だ。お通ししてくれ、ツェツィーリヤ君」


 バングルで時間を確認したシキシマが、慌てた様子で新しい茶器を用意し出したのを見て、3人は席を立つ。テッサリアが手早くテーブルの上の食器をまとめてくれたので、ユウはそれを食堂に下げる役を買って出ると、一足先に艦長室を出た。


 遅れて艦長室を出たアサクラは少し歩いたところで足を止め、共に退室したテッサリアをじっとりとねめつける。


「ねぇ、テッさん」

「なんでしょう? アサクラ君」

「何であんな嘘ついたの? 僕が実験やって溶液抜いたの、ダイモス戦の前なの分かってるんでしょ」


 光を宿さないその瞳に見つめられても、テッサリアはどこ吹く風といった様子だ。穏やかな気質の整備班長は、生徒を見る教師のような目でアサクラを見た。


「君のためではなく、艦長さんのためです。アサクラ君、君はね。もう少し友達の気持ちを大切にするべきですよ」


 アサクラはそっぽを向いた。その表情にいつものふてぶてしさはない。


「実は私もちょっと怒ってるんですよね」


 ちっともそんな事を思っていなさそうな優しい表情で、テッサリアは言った。


「あの子が空子さんなのか、君は出来るだけ早く知りたかったんでしょう。それくらいはね、私知ってるんですよ。もう少し頼ってくれてもいいんじゃないですか。私ので良ければ体も貸しますし」

「テッさんの頭に穴なんて開けたら整備班のみんなに僕が殺されるでしょ……」

「まあこの頭では目立ちますかねぇ」


 そう言ってテッサリアは髪のない頭をつるりと撫でてみせる。その茶目っ気たっぷりの仕草に、アサクラが吹き出した。


「あは、何それー。……ごめんね、悪かったよ」


 アサクラは素直に謝ると、ひょいと肩を竦める。その顔に浮かぶ表情はいつものどこか倦んだ、皮肉を伴った微笑みではなく、どこにでもいそうな男のそれだった。


「あーあ。テッさんには敵わないや」

「ふふ。班長ですからね、私は」


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