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第2話 ラム・パーティ ②

「ナタリアちゃーん、ビール2杯くれビール!」


 ご機嫌な様子の(この男は大抵ご機嫌なのだが)ライナスからの注文オーダーに、艦隊の胃袋を預かるナタリアは眉を潜めた。


「アンタ酒だけ飲む気かい? ちゃんと腹になんか入れなよ」

「へへ、ユウのラムラックのご相伴に預かろうかなってさ」


 そう言ってニコニコと骨付き肉をかじるようなジェスチャーをしてみせたライナスに、ナタリアはため息を吐く。


「なんだい、立役者から肉を取ろうってか? ユウに食わせてやんなよ。ライナス、アンタ体でかいんだからどうせたんまり食うんだろ」


 ちょっと待ってな、と言って厨房の奥に引っ込んだナタリアを、ライナスはキョトンとした表情で見送った。ケイが何かを察して、そろりとその背に隠れる。ほどなくして戻ってきたナタリアの右手には黄金色の液体が並々と注がれたジョッキが2つ握られていた。左手の皿が重々しくトレイに置かれる。Tボーンステーキであった。


「お、旨そ~」


 ふわりと鼻をくすぐる脂と香辛料の香りに、ライナスは破顔した。食べきれないから一緒に食べよう、という前提でここに来たことをもう忘れている。

 ずしりと重いトレイを軽く持ち上げると、「野菜も食べな」ともう1枚トレイを渡される。そこに乗せられた、大きなパエリア鍋を思わせるサラダボウルのサイズを見て、流石のライナスも顔を引きつらせた。押しの強さに実家のかーちゃんの顔が頭をよぎる。


「ケイ」

「ハイッ」


 そろり、とライナスの陰に隠れたまま退散しようとしたケイを、ナタリアは目ざとく見つけた。返事だけは元気よく返したケイは、そーっと足を後ろに引きながら、両手を顔の前に立ててゆっくり首を横に振る。


「いやナタリアさん……、あの、僕はその、ノンアルでいいので、飲み物だけで」

「そんなだからアンタは筋肉足りてないんだよ、ケイ! ほらトレイ!」

「わー、ごめんなさい!」


 台所の女神は、艦隊のかーちゃんでもあった。食えと迫られれば、隊員むすこたちは逆らえないのであった。ナタリアとていつも大盛りにするわけではない。だが寄港時の仕入れの後、パーティの文字が掲げられた日は、たくさん食べさせてやりたいとやたら盛ってくる傾向にあるのだった。

 重そうなトレイを手に戻ってきた相棒たちを見て、ルイスは片眉を上げてユウに一言、「な?」と言うともう一度肩を竦める。


 トレイが置かれ、4人掛けのテーブルに載った肉の量は3倍になった。


「イヤ、ナンデダヨ」


 ずっと黙っていたシエロが無機質な声で、ツッコんだ。


 * * * 


「へーっ、お前さん7期生なのか! 番人センチネルの別嬪さん達と同じじゃねぇか。7期生は粒ぞろいなんだなあ」


 肉を囲んでアイスブレイクから始まった会話は、いつの間にかユウ自身の話題へと変化していた。

 Tボーンステーキをぺろりと平らげて、結局ラムラックの切れ端を齧っているライナスが、大げさに驚いて見せる。ナタリアさんの見立ては正しかったんじゃないかな、と思いながらユウは「はぁ、まぁ」と曖昧に頷いた。

 ライナスはごくりと喉を鳴らしてビールで肉の切れ端を流し込むと、「なぁなぁ!」と身を乗り出してくる。


「新人で英雄サマたぁ、大したもんだ! フォボスの悪夢の話って噂話ばっかだろ? ぜひご本人の話を聞いてみ――いだだだ!」

「やめないか」


 “フォボスの悪夢”の単語が出た瞬間にさっと青ざめたユウの表情を見たルイスが、すかさずライナスの耳を引っ張った。


「千切れる! 千切れ」

「お前は、セナを助けられなかった時の話をしてくれって言われたら喜んで話すのか?」


 ルイスの言葉に、すっと空気が冷える。ぴたりとライナスが口を噤んだ。


「知りたかったら自分でレポートを読め。お前の酒のつまみにしていい話じゃない」


 底冷えのする声に、ユウの背中まで冷たくなる。その表情の微妙な変化に気付いたケイが、耳を掴んだまま無表情で淡々と言葉を紡ぐルイスの手をそっと引っ張った。


「ルイス、それくらいにしてあげて。ユウ君がびっくりしてますから」


 耳を真っ赤にしたライナスは、大きな体を小さくしてすっかりしょぼくれてしまっていた。ケイは振り返り、眉を下げた優しい表情で肩を竦める。


「ユウ君、ごめんね。ライナスも悪気があったんじゃないんだ」

「すまん」

「ごめんなぁ……」


 口々に謝られたユウは、良い人達だな、と素直に思う。強張っていた表情をふっと緩め、肉の皿を指で弾いた。


「何の話です? まだまだお肉ありますよ」

「お前ぇ〜〜いいやつだなぁ〜〜」


 ちょっと格好つけた台詞をキメて見せたユウに、ライナスが抱きついて頭をぐりぐりと撫でた。筋肉に締め上げられてユウが「ぐぇ」と苦しそうな声を出す。


「私ノ相棒を絞め殺さナイでくださいヨ」

「ん? おお、悪ぃ悪ぃ」


 マニュピレータが太い腕を引き剥がす。照れたように頭を掻いているライナスに、ユウは尋ねた。


「皆さんはいつから救助隊レスキューに?」

「うーん? ありゃいつだ? ルイス覚えてる?」

「アヴィオンは……第3次北米大陸合同戦役あたりからか? 俺とライナスは空軍エアフォース上がりだからな。最初は旧世代戦闘機で戦ってたんだ」

「おお……懐かしのファイターよ」


 そう言ったライナスが懐かしそうに眼を細めたのを見て、ユウは軽く瞠目する。旧世代戦闘機時代のパイロットが生き残っているのは知ってはいたが、実際に会うのは初めてだった。

 アヴィオンが実用化されるまでに、空軍パイロットはそのほとんどが死んでしまったと聞く。嫌なことを思い出させたかもしれない、とユウは眉を下げた。長い戦争のせいで、経歴の話にはあちこちに地雷が埋まっている。


「……すみません」

「訊かれるぶんには構わない。俺達にはもう、青褪めるような感情も残っちゃいないしな」


 ルイスはそう言って、弟にでもするかのようにユウの頭をぽんと軽く叩く。相変わらずの無表情だが、その手は暖かかった。ユウは軽くルイスに頭を下げながら、ちらりとケイを見る。ケイがその目線に気付いて微笑んだ。


「あ、僕? 僕も同じだよ。僕は陸軍アーミーの狙撃手上がりだけどね。懐かしいですねぇ、第三次北米大陸合同戦役」

「え!?」


 今度こそユウは驚愕した。懐かしそうな顔でニコニコと笑っているケイはどう見ても同い年かそれ以下に見えたからだ。第三次北米大陸合同戦役がいつ頃だったか詳細には把握していなかったが、旧国軍の軍人上がりだとすればその軍人歴は5、6年は軽く超えてくるはずだった。

 動揺して目を右往左往させているユウをみて、ライナスがにやーっと笑う。


「なーユウ、こいつ幾つだと思ってたよー? しょーじきに言えしょーじきに」

「ええ……、いや、正直いえば、行ってて同い年かと」

「ユウ君、幾つだっけぇ……?」

「18です……」

「行ってて、って言ったな? 初見の感想を言いたまえよ」

「いやその、16くらいかなって……ナギみたいな早期育成パイロットなのかなと……」

「ぶっ……うっはははは!」


 耐えきれなくなったライナスが吹き出す。ケイがテーブルに手を突いて勢いよく立ち上がった。カトラリー同士がぶつかる音が響き、皿の上で骨が踊る。


「16!? それ、僕の実年齢より10歳も低いんですが!? 僕16歳なんですけどぉ!? あいや違う! 26歳!」

「あはは! し、死ぬ! あは、あははは、ぼく16さい、ぶははは!」


 ケイは顔を真っ赤にしてラムラックの骨をライナスに投げつけた。ひょいとそれをキャッチして、ライナスはなおも笑い転げている。ちらりとルイスを見れば、こっちもそっぽを向いて微妙に肩を震わせていた。

 ちょっと涙目になっているケイを見て、ユウは必死に笑いを押し殺そうとする。


「す、すみませ……ふふ、いや、ホントすみません」


 無理だった。笑いを含ませた謝罪に、ケイは頬を膨らませる。童顔がますます子供っぽさを増すが、本人は気付いていなさそうだった。


「いいですよーだもー。慣れてますぅー。いいもん、僕はシエロ君とお話するもんね」

「私はコンパニオンアニマルじゃないデスよ」


 ふくれっ面のままシエロのほうににじり寄ったケイだったが、そのシエロも反応はつれない。


「わぁドライ〜……」

「AIナノデ〜」


 アイスブレイク時の自己紹介以降、ほとんど話の輪に入ってこなかったシエロのインジケータライトは紫に点灯している。外向きのカメラを切ってVR空間を見ている事を示すそのライトを見て、ユウはシエロがちょっぴり拗ねている事を理解した。


「シエロ、——」

「そぉんなクールでドライなとこも僕は好きですけどぉ。これは君にもいい話だと思うんだよな〜」


 フォローしようと呼んだ相棒の名に、ケイのにこやかな声が被さった。シエロのインジケータライトが、ぱつんと紫から緑に切り替わる。カメラアイの駆動音が控えめに鳴った。

 カメラアイが自分を見たのに気付いたケイがにこりと笑う。バングルのコンソールを幾つか操作すると、ホロモニタを呼び出してそこにずらりとアプリケーションのパッケージを並べた。


「じゃーん! ねぇねぇ、どう?」

「……何ガ?」


 可愛らしい少女が描かれた大量のパッケージを見せられて、シエロは困惑している。ライナスが呆れたように言った。


「ケーイ。お前のオタクナード趣味は共通言語じゃねぇぞー」

「むぐ……。これはねシエロ君、ボイスライブラリです。今の合成音声じゃ味気ないでしょ。どうです、ちょっと試してみない?」

「何ですっテ」


 RAMのタイヤが格納され、畳まれていた脚が伸びる。車高がぐっとあがり、カメラアイがじーっとホロモニタを覗き込んだ。


「この淡音ユキちゃんはなかなか可愛い声でねぇ。大人っぽい感じがよければこっちの詠言ツムギさんとか——」

「説明よりサンプル聞かせてくだサイ、サンプル」

(食いついてる……)


 ジョッキの冷たいグリーンティをちびりとやりながら、ユウは意外な気持ちでその姿を見ていた。とにかくあの箱から出してやりたい一心で無骨なRAMにリンクさせてしまったが、もう少し外装にも気を使ってやるべきだったのかもしれない。


「サンプル渡しておくね。良かったら今度音声ライブラリの入れ替えお付き合いしますよ。調きょ……いや調整もした方が良いし」


 ケーブルを繋いでサンプルデータを流し始めたケイの口から出てきた物騒な言葉に、ユウがぴくりと反応する。


「今、調教って言いませんでした?」

「いやその、界隈だと音域調整を調教って言ってぇ……」

「変な事しないでくださいね……」

「心配すんなー、ユウ。たしかにそいつは2次元性愛の激しいオタクナードだが、流石にこのカチカチボディに反応するほど変態じゃねぇよ」

「ちょっと! 公共の場で人の性癖大声で語るのやめてくれません!? あと機械系はべつに嫌いじゃないですからね!」

「エ……ナニそれコワ……」


 否定した勢いで余計な事を口走るケイから、シエロがちょっと距離を取る。データ転送中のケーブルがピンと張った。


「墓穴掘ってるぞ、ケイ」

「いや違いますよ! 君にってわけじゃなくてぇ、あーもー!」


 羊肉祭りラムパーティの夜は、賑やかに過ぎていく。

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