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第14話 フォボスの悪夢

「大丈夫だよ、リサ」

「ユウ……。だって私たち、最終試験もまだなのに」

「それだって明日の話だろ。リサなら絶対、一発合格だ。もう正規パイロットみたいなもんだよ」


 ブリーフィングルームに集められた少年少女達は、みな一様に不安げな表情をしている。

 オセアニア第2支部、第7期アヴィオン訓練生。それが彼らの肩書だった。恒例的に火星で行われる最終訓練課程の、最後の試験を明日に控えた彼らの練習機には、実砲が装備されていた。


「訓練兵が出なきゃいけない時点で、泥沼でしょう」

「……それは」


 ユウはくらい目をした士官の言葉を思い出す。


「まだ前途ある君たちの命を借り受ける事、どうか許してほしい」


 絶望はその言葉を皮切りに始まった。

 先日起きた大規模な襲撃の発生源としてフォボスで巣が発見され、現在火星駐屯地の全戦力を以て戦闘に当たっているらしい。戦闘開始から既に1週間が経過しているが、地球基地からの応援の到着は1週間後だという。到着を待ってから戦うには、フォボスはあまりにも火星に近すぎた。

 大規模な攻略戦による損耗は著しく、実砲を積んでいるならば練習機だろうとも戦力に数えたいという。


 小さく震えているリサの肩を抱きながら、ユウは天井の灯りを見上げた。本当に自分たちに前途はあるのだろうか。

 家族をすべて失って、身一つで軍に志願した。幼い頃に胸に秘めた夢も希望も、すべて炎と肉辺の中に消えてしまった。どうせ明日には訓練兵を卒業し、正規兵に上がる身だ。一度大規模な侵攻は退けたとはいえ、あの肉塊どもとの戦争はそうやすやすと終わりはしないだろう。この先もその戦争に身を投じ続けるのであれば、さほど惜しむ未来もないように思えた。


「大丈夫だよ、リサ」


 曖昧な笑顔を浮かべて、ユウは繰り返した。


「俺たちは所詮後方の護衛隊だろ。駆逐艦の護衛なんてそうそう死ぬようなポジションじゃないさ。大丈夫だよ」


 * * * 


 結果から言えば、大丈夫なことなど一つもなかった。

 駆逐艦は大型に喰われ、奪われたその砲により旗艦は大破し、先導してくれていた先輩機はあっけなく鹵獲機キャプチャーとなった。

 戦力に数えたいと言われたその実砲をいつ撃てばいいかもわからないまま、2機編隊エレメントを組んだユウとリサは戦うこともできずにただただ逃げ惑っていた。


 戦場を離れなかったのは、味方から遠く離れるのがただただ恐ろしかったからだ。鮮やかに目を惹くオレンジ色の練習機を、正規パイロット達は本当によく助けてくれた。それで何機が宇宙ゴミデブリになってしまったのだろう。


 駆逐艦を喰った大型が死ぬ頃、ようやく破れかぶれながらに砲が撃てるようになっていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 開きっぱなしの近距離無線からは、リサが繰り返し謝り続けている声がずっと聞こえてきている。何を謝っているのだろう。誰に謝っているのだろう。至らない自分を? 自分のせいで死なせてしまった先輩たちに? ――ああ、そういえば先輩機だった鹵獲機キャプチャーに止めを刺したのはリサだった。


 心を壊しながら、それでもリサはよく戦っていたと思う。それはユウも同じで。気持ちは薄弱になっていくのに、意識だけが妙にはっきりとしている。


 母体を目指して最前線を行く、先輩機たちの後を追う。2機編隊エレメントが残っているのはもはやユウとリサくらいだった。異機種同士が混ざり合った混成部隊は連携も悪く、進むに従いあまりにも呆気なくぽろぽろと欠けてゆく。


「こいつさえ殺っちまえば、俺たちの勝ちだ! ――行くぞ新兵!」


 力強く鼓舞する声が聞こえる。こんな状況でも未熟者に砕く心がまだ残っている事に驚嘆した。

 自分には無理そうだ、と思うその精神から遠く離れたところで、「はい!」と力強く応答する。やっと終わるのか、と心の奥でひそやかに安堵した。


 その安堵を嘲るように、巣と密着した母体の肉を削る作業は壮絶を極めた。肉を修復する材料は、無限にあった。爆撃機が最初にやられたのが痛かった。破壊力は強いがリチャージに難のある他兵装では、撃っても撃っても穴が塞がり核を見つけることができない。


 旗艦も輸送艦も既に墜ち、随伴している補給機イドゥンの積載量がその場の全員の残弾量だった。

 ユウとリサはとにかく撃って、撃って、撃って、撃った。共通規格コンパチにしろ! と普段からぼやいていた、今となっては練習機しか使っていない旧式のバッテリーモジュールは、鮮やかなオレンジのラインが引かれたイドゥンが搭載していて、それが撃てるのは彼らだけだったからだ。


「あっ……た――!!」


 リサが叫ぶ。陽電子砲の開けた穴から、核組織がうごめくのが見えた。肉の中に逃げていこうとするそれを、僚機の砲が逃がすまいと追撃する。その攻撃は核こそ撃ち抜けなかったが、周りの肉を大きく削ぎ落してそれを大きく露出させた。


「ああ畜生、弾切れだウィンチェスター! 誰でもいいからぶちこめ、絶対逃がすな!」

「わたしが撃ちます!!」


 大きく旋回して戻ってきたリサの機体が母体に肉薄する。その声は、やっと終わることへの希望に満ちていた。ちょうど補給を終えて戦線に復帰したユウの胸にも、同じく安堵と希望が満ちた。

 絶対に外せないと思ったのだろう。ぎりぎりまで肉薄したその機体を、母体のぬめる腕が絡めとった。薄青く輝く砲身がへし折れ、ひぐ、と少女のあえぐ声が無線に流れる。


「ユウ撃って!!!」

「……あ、え」


 絞り出すように叫ばれたその声に、ユウの喉は情けない音で応えた。


「逃げちゃうよ! は……やく!!」


 苦しそうなリサの声がユウを急かす。肉塊がぼこぼこと沸き立った。オレンジ色のリサの練習機。めきめきと軋むその機体のすぐ向こうに、撃てばもろとも消えてしまう距離に、肉の中に埋もれていこうとする核が見える。


「……撃てないよ!」

「出来る、出来ないじゃ、ない、のよ! ……ああ、逃げ、ちゃう」


 リサの声に絶望の色がこもる。彼女はぽつりと言った。


「自爆シークエンスを、起動する、わ」

「何言ってんだ! 禁止事項だろそれは!」


 アヴィオンには自爆シークエンスが搭載されている。

 戦争初期には頻繁に使用されていたその機能の利用は、現在は基本的に禁じられていた。パイロットは慢性的に不足している。イージスとアンカーという救助の仕組みも整った今、その選択は人道にももとるからだと。訓練時にもそう念押しされていたのに。


「どうせ……私は……っ、助からな、い。犬死に、させないで」


 ぬめる肉の中に、コックピットが埋もれていく。無線越しに聞こえる、ばぎん、と何かが折れる音。その音の中で、苦しそうにあえぎながらも、リサは淡々と言葉を紡ぐ。


「ちゃんと……見てて。外さないで、撃ってね。最後のお願、い」

「リサ――――」


 最後に呼んだ名は、きっと彼女には届かなかった。


 閃光があたりを包む。白い光の塊となった練習機を中心に、正体の判別もつかない影が、閃光の中に溶け崩れながらいくつも飛び散った。

 ユウは右目を開けてそれを見ていた。その峻烈な光は網膜を焼き、目から脳にかけて突き刺すような痛みが襲う。

 光が掻き消え、ユウは手で覆って閉じていた左目を開ける。自爆の衝撃で三度みたび露わになったその核へ、リサの犠牲の成果へ、震える指で陽電子砲を撃ちこんだ。

 母体の巨大な核は、1発目で半分が消し飛んだ。巨大な体がぶるぶると震える。核を損傷した母体は再生できないようで、核はでろりと力を失ったその姿をさらし続けている。

 ユウが機首を翻して2発目を叩き込むまで、誰もその核を撃たなかった。


 正規のイドゥンが持っていた共通規格コンパチのバッテリーモジュールは、その時既に弾切れだったのだと、後から聞いた。


 こうしてユウは、“英雄”になった。

 勲章は辞退したし、右目が視えなくなったからアヴィオンも降ろされた。正規パイロットになることなく、整備兵として軍に留まった彼の功績を知るものは少ない。

 それでよかった。本物の英雄は、自分ではなくリサなのだから。


 * * * 


 練習機TA-05_421は、戦闘終了後に母体の近くからその残骸が回収された。

 自爆により激しく損傷した残骸からは脱出ベイルアウトの痕跡が見つかったが、脱出モジュールは最後まで発見されず、搭乗員のリサ・アーノルドは戦死として記録されている。

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