「山田先輩、石川先輩、おはようございます」
「おー、偶然じゃん、あかりちゃん」
カンナの家に行った翌朝である。
高校の正門の前で、俺と石川が立っていると、セーラー服姿のあかりちゃんが登場した。
「いまから中学?」
石川が尋ねると、あかりちゃんは「はいっ」とうなずいた。
「先輩たちもこれから学校ですよね? どうしてこんなところに?」
「そりゃ、言うまでもねえだろ」
「……カンナさん、ですか」
あかりちゃんの言葉に、俺たちふたりは大きくうなずく。
俺と石川はカンナを待っていた。彼女が学校に出てきてくれることを。
カンナはお父さんとああいうことがあったわけだが、ちゃんと仲直りして、学校に来てくれるだろうか。気になって仕方がなかった。
「親父さん、分かってくれると思うだけどねー」
「でも石川先輩、……カンナさんが転校したほうが、わたしたちにとってはラッキーじゃないです?」
あかりちゃんがボソボソ声で、石川にそんなことを言った。
俺に聞こえないようにするためだろうが――聞こえてる、聞こえてるよあかりちゃん。
すると石川は、ちょっと顔を赤くして、やっぱり小声で、
「そりゃま、都合はいいけどさ。こんなお別れって後味悪いじゃん。……うちだって別に、姫が嫌いなわけじぇねえし」
「……それを言うならわたしだってそうですよ。先輩のことは、正々堂々勝負して決着をつけたいんです」
「だよね。……しかしあかりちゃんも、なかなか意地の悪いことを言うね~」
「もちろん冗談ですよ。……石川先輩がそういう答えをするひとで、ほっとしましたけど」
「うちもさ。もしも冗談じゃなかったら、あんたのこと怒鳴りつけてたかもね」
登校中の生徒たちで溢れかえっている正門前。
女子ふたりは、にこやかにそんな会話を交わしていた。
……なんだか面倒なことになりそうだから、このガールズトークは聞こえないふりしとこ。
「アニキ!」
「うおっ!」
突然の大声!
俺はビビって振り向いた。
するとそこには、甲賀がいた。
「な、なんだ甲賀か、びっくりさせんなよ」
「アニキ、どういうことッスか。女子をふたりも連れて朝っぱらからリア充生活なんざ。そんなこと、そんなこと、お天道様が許してもあっしが許さねえッスよ! アニキ、どうしちまったんスか!」
「どう……どうと言われても……」
「アニキはそんなひとじゃなかった。あんなにヒカリや優香のことが好きだったアニキなのに、このざまはなんスか。蜂楽屋さんだけじゃなくて、次から次へとリアル女子に囲まれて。これじゃあっしはヒカリたちに顔向けできねえッスよ! あっしは、あっしはもう……! う、ううう、うあああああ……!」
「分かった、分かったから泣くのはよせ。人の目が痛い!」
「……なんか、号泣していますね……」
「面倒なオトコだね、ったく」
男泣きする甲賀を目の当たりにして、呆れるあかりちゃんと石川であった。
しかし――
それにしても、カンナは来ない。
やっぱり転校しちまうのか? カンナ。
……そもそも俺は、なんでカンナをこんなに心配してるんだろう?
甲賀の言う通り、俺はヒカリや優香――二次元の美少女たちをこよなく愛する男。
カンナのことは――そりゃ可愛いとは思うが、あくまでもクラスメイト、そして友達だと思っていて……。
――カンナさんもきっとそうですよ。先輩のそういうところが分かっているから、いっしょにいるんだと思います。
――心当たりありませんか? カンナさんに優しくしてあげたこと。
あかりちゃんと話したときのことを思い出す。
カンナは、ただ博多弁を出せるだけじゃなく、俺の内面に惚れてくれている。
あかりちゃんはそう言った。
だから。
だから俺は、それがなんだか……
……嬉しくて……。
だから保健室で、石川と揉めたときも、
――そういうのは、カンナが傷付く。だからやめろ。
――カンナの気持ちを傷付けるほうが、よっぽど怖いし、嫌だからさ。
俺はそう言った。
あいつが傷付くようなことは……嫌なんだ。
カンナの告白を断ったときとは、明確に違う感情が、ここ数週間の生活で、確かに俺の中に芽生えてきていた。
そりゃヒカリや優香は好きだ。ゲームもアニメもラノベも大好きだ。だけど俺は、それとはまた別に――もう、きっと――だから俺は、あいつを秋葉原に誘って……。
「…………はは…………」
カンナ。
その名前が何度も脳裏をよぎった。
あいつに会いたい。もう一度、この学校で、あの博多弁を――
「山田くん、なんしよーと?」
軽快な声が聞こえた。
振り返る。俺も石川もあかりちゃんも、ついでに甲賀も。
「姫」
「カンナさん」
「蜂楽屋さん」
三者が三様の呼び方で彼女を呼ぶ。
俺も――俺もその名を呼んだ。
「カンナっ!!」
見忘れるはずもない、金髪碧眼の少女がそこにいた。
「なんでみんなして、こげなところおるとね? 教室行かんでよかと?」
「なに言ってんだい。みんな、あんたのことを待ってたんだよ、姫!」
「あたしを……? えっ、あかりちゃんまで?」
「は、はいっ! だってあんなことがあったんですから。カンナさんがどうなったか気になって!」
「そ、そうなん? みんな、あたしのことを? ……山田くんも……?」
「ああ。……もちろん」
俺は一歩、前に出て、
「転校はもう、しなくていいのか?」
「うん。……お父さんとちゃんと話しおうて。分かってもらえたとよ」
「じゃあ……それじゃあ、またこの学校で、いっしょに過ごせるんだな?」
「えへへ……うんっ!」
カンナは、ちょっとだけ涙目になって、首を縦に大きく振った。
「またいっしょにできるとよ! ラーメンもうどんも食べられるし、いっしょにゲームだってアキバデートだってできるけん! 山田くんと、ずっと、ずっといっしょに……!!」
「そうか! ……そうかあ……!!」
なんだかやけに嬉しかった。
あの階段の踊り場や、あかりちゃんの店でカンナと過ごせる。
それは俺にとって、たまらなく嬉しい出来事だった。……またカンナが博多弁で、ぐいぐい来てくれる!
「んだよ。山田と姫だけで盛り上がっちゃって。うちらのことも忘れんなよな。……あれ? 甲賀、どしたの?」
「つ、ツンツン姫が……。蜂楽屋さんが……。謎の方言を使っていらっしゃる……? これは、これはいったい……?」
「あ、そっか。あんた知らなかったんだっけ、姫の博多弁」
「カンナさん、いいんでしょうか。学校の近くなのに博多弁全開ですけど」
「えへへ、もういいと、いいと!」
あかりちゃんの言葉は独り言めいていたが、しかしカンナは笑顔で返した。
「もうやめたけん。ツンツン姫は。あたしらしく博多モード全開でいくとよ。もう怖くなかもんね! 石川さんも、あかりちゃんもおるし――それに誰よりも――」
彼女は、潤んだ瞳を俺に向けて、
「山田くんがおるけんね!」
にっこりと。
百万ドルの笑顔を見せてくれた。
「そういうわけで、蜂楽屋カンナ、これからも博多弁でぐいぐいいくけんねっ! やけん山田くん、覚悟ばしときんしゃい?」
「か、覚悟って、なんの覚悟だよ!?」
「えっへっへ~。そら決まっとろうもん!」
カンナはその瞬間――
ぎゅうっ!
「うわっ!」
「えっ!?」
「おっふ!」
石川にあかりちゃんに甲賀に、その他の学生たちもいる前で――あ、いま視界の片隅でサッカー部の佐藤がぶっ倒れるのが見えた――俺に思い切り抱きついてきて、胸をぐいぐいと押し付けてくる!
「毎日こうして、毎日耳元でささやいちゃるけんね!」
そしてカンナは俺の耳元で、元気いっぱいに、だけども情感を込めた声音で告げてきたのだ。
「……好いとうよっ(はぁと)」
「超絶クールな金髪美少女が底辺オタクの俺にだけは『好いとうよ(はぁと)』って博多弁でぐいぐい迫ってくるんだが?」 完