「す、すみません。……さっきから、変な声が聞こえてくるから様子を見に来たんですが――」
あかりちゃんは、なお穏やかな笑みを浮かべて――
しかし俺は心臓がバックンバックン動き回っている。
だ、だって、いまどう見ても俺、カンナを押し倒して――
「ゲームで、盛り上がってしまって」
「へ?」
間の抜けた声を出す俺の下で、カンナは教室における『ツンツン姫』モードになっていた。
涼しい顔のまま、俺の下からあおむけのままスルスルと、抜け出してその場に立ち上がる。
「こうなりました。……お騒がせして……すみません……」
シャカデミー賞主演女優賞もかくやという演技力で、カンナはその場に落ちていたブレザーを拾うと袖を通し、そして左手につけた腕時計を見ると、
「もう6時……そろそろおいとま……しなければ、ですね」
『ツンツン姫』モードでここまでしゃべるのも珍しいのだが、カンナはとにかく冷静に言った。
よく見ると、よーく見ると、ちょっとだけほっぺたが赤くなっている。……まあ、そりゃそうか……。
「あ、お帰りですか。そうですね、もうこんな時間ですもんね」
「…………ん……」
カンナは小さくうなずいた。
そんな彼女に対して、俺はまだ、どこか平静に戻れていなかったが――
いや、いかん。元に戻れ。てか戻らんとマズい。
「そ、そういえばあかりちゃん、店長は?」
「お父さん、一度戻ってきたんですけれど、先輩たちのゲームの邪魔をしちゃいけないって言って、また仕事に出ちゃいました」
「えっ、マジかよ。なんか悪いな、ゲームだけさせてもらって。店長によくお礼言っといてよ。今度、またゲーム買うからって」
「あの、いいんですよ? 先輩だったら、いくらうちで遊んでくれても。買うのはいつだっていいんです」
「そういうわけにはいかねえだろ。……と言ってもいま、俺もあんまり手持ちがないから、月末にでも――」
そう言った、そのときだった。
5万円が出てきた。
ニュッと。
「え」
「……はい?」
俺とあかりちゃんは呆然とする。
5万円を出しているのは、カンナだった。
「買う。ゲーム機と『スクールメモリアル』。この場ですぐに」
やっぱりクール系ヒロインばりの落ち着いた声音で、万札を5枚、缶コーヒーでも買うかのように購入宣言。……え、いきなりなんで? と、俺がそう思っていると、
「結局、ほとんどできなかったから。家でやる」
「……『スクメモ』を?」
「『スクメモ』を」
カンナは眉ひとつ動かさぬまま、小さな声で告げた。
「敵のこと、少しでも早く知りたいから。……あたしは負けない。気持ちでも、身体の柔らかさでも、ぜったいに」
だから、身体の柔らかさはどうでもいいんだって。
カンナはさっそうと帰っていった。
右手には、紙袋に入れられた家庭用ゲーム機。
左手には、ビニール袋に入れられた新品の『スクールメモリアル』。
夜だし、送っていこうか、ととりあえず申し出た俺を「すぐそこだから大丈夫」と断って――そう、『ゲームショップ もちづき』は駅のすぐ裏にあるので、入口までは歩いて15秒である――夜空の下、長い金髪を翻しながら歩みを進めていったのである。まるで外国のモデルのようだった。袋の中身はギャルゲーだが。
「はあ……」
なんかため息が出た。
今日のは危なかった。ヒカリを裏切りそうになった。
いや、元はといえば俺がカンナをむにゅんしたのがよくないんだけど。……あれは……しかしすごかったな……。
「綺麗なひとですね」
カンナの後ろ姿を、店の前からいっしょに見送っているあかりちゃんが言った。
「やっぱり高校って大人の世界ですよね。あんなひとが先輩のクラスにいるなんて」
「いや、普通の高校にはさすがにあんなの、そうそういないと思うが……」
金髪博多弁のJKとか、世界中を探してもいないんじゃ。
あ、でも福岡にはいるかもな。例えば福岡育ちのアメリカ人とか――
「おふたりは、付き合っているんですか?」
「はっ!?」
いきなり不意打ちで質問が飛んできて、ギョッとする。
「ち、違う違う! 友達だよ! 言っただろ、クラスメイトだって!」
「でも、先輩が女のひとをうちに連れてくるなんて、なかったじゃないですか。あの甲賀っていう、先輩をアニキって呼んでいるひとくらいで。それに……すごく、仲良さそうで……」
「本当に違うんだって。あかりちゃんは知ってるじゃないか、俺が二次元専で、アニメやゲームの子以外、嫁にしないって!」
「それは知っていますけれど。でも、あれくらいきれいなひとだったら、もしかしてって思って」
「ないないない。ありえないから。……いや、まあ俺だって不思議っちゃ不思議なんだよ。なんでカンナみたいな美人が俺なんかといっしょにいるのかなって」
う……。
なんか自分で言っていて悲しくなってきた。
というか、俺はどうしてこんなにあかりちゃんに弁明しているんだか。彼女はただの後輩だってのに――
「俺なんか、なんて。そんなことないと思いますよ」
「え……」
「先輩にはいいところ、ちゃんとたくさんあります」
目を細めて、あかりちゃんは言った。
「覚えていますか? わたしたちが出会ったときのこと」
「……うん」
あれは俺が中2、あかりちゃんが中1のときだった。
「わたし、文化祭の実行委員を任されました。でもクラスのみんな、誰も手伝ってくれなくて」
「ああ、塾とか部活とか遊びでみんな帰っちゃって、あかりちゃん、放課後にひとりで作業してたんだよな。何日も、何日も」
「先輩、それを見て――わたしを手伝ってくれたんですよね。ずっと」
「……そんなこともあったな」
いまとなっては、もうずいぶん懐かしい思い出だ。
「ほら、いいところ、あったじゃないですか」
「いや、あれは――やっぱり、放っておけなかったからさ……」
あのころ――中2の秋。
俺自身も、クラスでわりと浮いていた。
ライトノベルとか深夜アニメにどっぷりとハマって、ひとりぐらしなもんだから、夜は時間が有り余って、だからクラスの中の誰より濃いオタクになっていって。
いっぽうクラスメイトは、やっぱりこう、リアルの青春っていうかスポーツとか恋愛とか、オシャレとかのほうにいって。
オタクなやつらもいるにはいたけれど、二次創作とかキャラ考察とか、あれこれとやりすぎる俺とは、話がどこか合わなくってさ。……うん。
「俺も、周囲に相手にされない辛さ、少しは分かっているから」
リアルで友達なんかいなくてもいい。
SNSをやっていれば、ネットにオタク仲間もできる。それで充分だ。
そう思ったこともあった。――だけど、うん、やっぱり、違うんだよな。
自分から好んでひとりを選ぶことと、周囲から疎外されて相手にされないことには、決定的な差がある。
誰ひとりにさえ向き合ってもらえず、孤独の世界の中で生きるのは、――寂しい。
「それが先輩の一番のいいところですよ。わたしはそれで――助かったんですから」
あかりちゃんは、はにかんで言った。
「あのとき先輩がいてくれたおかげで、わたしは本当に救われたんです」
「……そっか。……そりゃよかった」
本当に昔のことを思い出したな。
俺とあかりちゃんの出会いは、確かにそうだった。
そういう始まりだったから、中2当時、いまよりずっとヒネていた俺でも、あかりちゃんには偏見を抱かずに済んだんだ。
その後、完全に親しくなったのは、彼女がゲームショップの娘さんってことが分かって、この店に出入りするようになってからなんだけど。
「カンナさんもきっとそうですよ。先輩のそういうところが分かっているから、いっしょにいるんだと思います。これは女のカンですけどね」
「そ、そうかあ? あの子、そうかなあ?」
単に、博多弁を思い切り出せるのが、俺の前ってだけなんじゃ――
「心当たりありませんか? カンナさんに優しくしてあげたこと」
「…………」
そりゃまあ。
最初は告白、断ろうと思ったけれど。
カンナって、クラスで友達いないし。
いじめられた過去もあるし。
それにうっかりすると、クラスの中でもみんなから仲間外れにされそうな危うさが、彼女にはあるから……だから俺は、放っておけなくて……。
…………。
カンナは……
単に博多ネタを出せるだけじゃなくて。
高校での初めての友達だからとかじゃなくて。
俺の内面まで含めて、好きになってくれているのか……?
……だとしたら……
……俺は――
「あーあ、カンナさん、いいなぁ。先輩と同じクラスで。わたしも先輩と同い年になりたかったです」
「……はは、そりゃ……無茶な願いだ」
「ほんとに。残念です。だから先輩、せめてうちに遊びに来てくださいね。カンナさんや甲賀さんもいっしょでいいですけど……。……でもたまには、ひとりでも……」
「ん? なんて? 最後のほう、よく聞こえなかったけど」
「な、なんでもないです! へへ……。ごめんなさい!」
あかりちゃんは、ごまかすように笑いながらぶんぶんと首を振った。
なんか思わせぶりなことを言っていた気がするが。くそ、こんなハーレム系ラノベ主人公みたいな反応をするとは、俺もヤキが回ったもんだ。
「――にしても、カンナの最後のは驚いたなあ。いきなり5万円、ポンと出してゲーム機買うんだもんなあ」
「あ、そうですよね! うちとしてはありがたいですけれど、あのひとってすごくお金持ちなんじゃないですか?」
「そう、かな? そういえば俺、カンナの家のこと、なにも知らないな。蜂楽屋って苗字、ちょっと変わってるなぁとは思ってたけど」
「……
あかりちゃんは、しばらく考え込むそぶりを見せていたが、やがてぽんと手を叩いた。
「先輩。わたしそういえば、蜂楽屋って苗字、見たことがある気がするんですが……それも、確かテレビかなにかで……」
「テレビで……?」
なんだ、いきなり大きな話の予感だぞ。
カンナの苗字を、テレビで見たことがある……?