こんな日に限って、午前の授業は移動教室が多い。
1時限目の英語はともかく、その後も音楽だの化学だの美術だのが続き、教室が次々と変わったため、その移動に時間を費やした。
そのせいで、我がクラスの生徒たちはろくにおしゃべりできず。……よって教室の空気は朝のまま、A組は昼休みを迎えることとなった。
「アニキ、今日も学食ッスか?」
甲賀が声をかけてきた。
俺はうなずいて、
「売店はいつも人が多いからな。学食も多いけどあっちよりはマシだ」
「そうッスね。んじゃま、食堂に行くとしますか――」
「山田くん」
移動を始めたとき、背後から声をかけられた。
振り返るまでもなく、誰がやってきたか分かった。
かたわらの甲賀が、遠くにいる佐藤が、そして教室中のみんなが固まるのが分かる。……俺は振り向いた。
「山田くん。これから時間、ある?」
アニメの無口系キャラみたいな喋り方。
だけどよーく聞いてると、わずかに震えている声音で、彼女はそう言ったのだ。
「いや、あるっちゃあるし、ないっちゃないし……。とりあえずメシ食いにいこうと思ってるんだけど」
話はその後でいいか、と暗に言ったのだが、カンナは――
右手にカバンを持っていた。そしてそのカバンを掲げて、
「食事なら、用意してきたから」
1年A組の教室は、恐竜さえ絶滅しそうなレベルの冷たさに包まれた。
佐藤なんか、即死魔法でも食らったみたいな、ゾンビっぽい顔色になってるし。
カンナはそんな周囲の空気を、感じているのかいないのか。
いないとしたら、KYなんてレベルじゃないが、とにかく彼女は、
「よかったら、いっしょに食べたい」
「あ、ああ」
「食べたい」
最後のセリフはちょっと震え声だった。
目尻に、小さな涙まで浮かんでいる。
そうとうの勇気を振り絞っているのが分かった。
ううん、たぶん俺は、この
その知り合いに見捨てられたら二度と博多弁が使えなくなってしまう。そんな風に思っているに違いない。
が、それにしてもこの空気は――こ、怖い。クラス中が俺の次の行動と発言に注目しているぞ、おい……!
と、とにかく、ここはカンナといっしょに行動しよう。
なんといっても彼女はカースト最上位の美少女だ。
ここで誘いを断って逃げたら、俺、たぶん学校中から集中砲火を浴びそうだし。
「わ、分かった、いっしょに食べよう。甲賀、悪いけどまた今度」
「は、はいッス。……はいッス……」
「蜂楽屋さん、行こう」
「はい」
俺は級友たちの、様々な感情がこもった視線を背に受けながら、カンナと共に教室を出た。
廊下に出た瞬間、ウボァー、と断末魔みたいな咆哮が聞こえてきたが、その声音が佐藤のそれであることに気付いたのは、5分も後のことだった。
学園アニメなんかだと、生徒たちがよく屋上で弁当を食べたりしている。
だけど現実には、あんな景色はそうそうない。理由は単純で、屋上はふつう施錠されているからだ。
うちの高校もご多分に漏れず、屋上に出ることはできなかった。……しかし屋上に出る扉のその前の場所、すなわち階段の踊り場の部分にはたどり着ける。
俺とカンナは、そこで昼飯を食うことになった。
それは、カンナが「人気の無いところに行きたい」なんて、エロゲーのエロシーン寸前みたいなことを言ったからなのだが、もちろん彼女にそんな意思はないだろうぜ。単にふたりきりになって思う存分博多弁を使いたいからだろうと、俺は思ったね。
実際、踊り場につくなり彼女は、
「ぷひゃああああ。やっと普通にしゃべれるけーん! しろしかったばい、ほんなこつ!」
先ほどまでのクールぶりはどこへやら、博多弁でベラベラしゃべりだした。
この芝居のうまさ、女優にでもなったほうがいいんじゃねえか?
「あ、ちなみに『しろしい』ってのは、うっとうしいとかそういう意味やけんね、これ覚えとってね、テストに出るばい」
「どんなテストだよ。福岡検定か?」
「お、よう知っとるね。その通りばい。福岡にどれくらい詳しいか、年に1回の腕試し『福岡検定』! 福岡の商工会議所で開催されよるけん、山田くんも受けちゃりやい」
「あるのかよ、実際に!」
ツッコミを入れつつスマホで調べたら本当にあった。
なんちゅう検定だ。英語や漢字じゃあるまいし。
「さ、さ、さ。とにかくごはんにするばい。山田くんの分、用意してきたけんね」
「それはありがたいけど、でもなんで俺の昼メシなんて、準備してきてくれたんだ? 素直に疑問なんだが」
「あー……それはその……つまり、その。……お、お礼ばい! 昨日、助けてくれたお礼!」
思い切り顔を赤くして、モジモジしながらカンナは言った。
お礼で女の子が弁当を作ってきてくれるのか。まるでギャルゲーだ。こんな展開マジであるのか!
「でもまあ、食費が浮くのは助かるかな……。で、どんな弁当を作ってきてくれたんだ?」
「あ、弁当やなかよ。これ持ってきたっちゃん! 『うまかっち』!」
「……は?」
カンナが、自信満々に取り出してきたのは、黄色いパッケージの袋――
そう、インスタントラーメンだった。袋には確かに『うまかっち』と書かれてある。
「えへへ、これ、福岡では誰もが知っとるとんこつのインスタントラーメンばい! ソウルフードといっても過言ではなかとよ。最近は東京でも売られよるけど、まだまだメジャーではなかね、残念やけど。……でもでも、山田くんも絶対気に入るけん、食べちゃりやい」
「い、いやいやいや、学校でラーメン作るのかよ! しかもカップじゃなくて袋めんとか、煮込まないと作れないだろ!」
「そこはノープロブレム。ちゃんとカセットコンロと鍋を用意してきたとよ」
「そこまでして作りたかったのか!? 『うまかっち』……!!」
なるほどカバンから、ニューッとカセットコンロを取り出してきたカンナは、実に手際よくラーメンを作り出す。水まで「ミネラルウォーターを用意してきたけん。味が全然違うとよ!」とのことだった。
かくして数分後、ご丁寧にタマゴまで入った『うまかっち』が二人分、用意される。
踊り場中に広まったとんこつラーメンの香りは、確かに美味そうではあった。
「まさか踊り場でラーメンを食うことになろうとは……。どんぶりとハシまで用意して……」
「えへへ。女やけん、細かいところに気が付きますと! それじゃ、いただきまーす!」
「いただきます……」
まだツッコミたいところはあったが、とにかくラーメンはできてしまったのだ。
こんなところで火を使ったのがバレたら、始末書とか書かされそうだなあと思いつつ、俺はどんぶりの中の熱々ラーメンをひとすすり――
「あ、美味い!」
「やろ、やろ!? 『うまかっち』、めっちゃ美味いやろ!?」
「本当だ、これはいけるわ。福岡人が愛するだけはあるな。店よりも美味い!」
これは本音だった。
インスタントでありながら、ここまでコクのあるとんこつラーメンが食えるとは。
とんこつの香り漂うスープ、ちぢれ気味だがコシのある麺、半熟気味のタマゴも最高だ。
踊り場で食べているという非日常感も手伝ってか、俺はラーメンをひたすらむさぼる。食って食って食いまくった。麺とスープをすすりまくった。
「ぷはーっ、ごちそうさま!」
なんだかんだで、全部食べてしまった。
いや、もう大変美味かった。ヤバいな、『うまかっち』。ハマってしまいそうだ。
「美味しかった? 山田くん」
「ああ、美味かったよ。期待以上だった。また食わせてくれ」
「えへ! えへへっ、えへへへへっ。そう言ってくれると嬉しかばい! うん、また作るけんね、いっしょに食べようね!」
カンナは目を細めながら、長い金髪を指先でいじり回りしている。
頬が赤く染まっているのは、ラーメンが熱かったからだろうか。
「さて、食べ終わったことだし、食器洗わないとな。人気のないところでやらないと、目立つだろうなあ」
「あ、よかよ、よかよ、そんなの! どんぶり洗いなんて、家に持って帰ってあたしがやるけん!」
「そういうわけにはいかねえよ。作ってもらったんだから洗うのは俺がしなきゃ。ひとり暮らしが長いから皿洗いは得意なんだ、任せとけ」
「そ、そう……? そこまで言うなら……」
カンナはそう言って、俺にどんぶりとハシ、それに鍋を渡してきたのだが、やがてニッコリと笑って、
「えへへ。山田くん、やっぱり優しかね。結婚しても、よか旦那さんになるばい」
けっこう不意打ちだった。
俺は思わず照れて、
「へ、変なこと言うなよ」
「あ。……ご、ごめん」
「カンナだって、いい奥さんになれるさ。ラーメン作るの、うまかったし」
「あ、あんたこそなんば言いよっとね!? ……ラーメンくらい、誰でん作れるくさ……」
なんか妙な雰囲気になってきた。
これじゃまるでリア充だ。……いや実際、リア充だよな。女の子にラーメン、作ってもらってさ。
「……山田くん」
呼ばれて顔を上げると、カンナは、もうトマトみたいに顔を真っ赤にしながら、碧眼をキョロキョロさせていた。
あ、なんかくる。俺でも分かるほど、空気がそうなっていた。そして数秒の後、カンナは、声を震わせながら、しかし真剣な声で、
「あたし、山田くんのことば、好き」
はっきりと言った。
「ばり好いとうけん。……本当に好きやけん。……あたしと……付き合っちゃらん……?」
博多弁混じりでも、彼女がなにを言わんとしているか、理解できた。
これは告白だ。