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第5話 アニキがそんな、学校一の美少女と大人の階段のぼるだなんて

「ふわぁ~……あ~……」


 翌日、大あくびをしながら俺は学校に登校した。

 昨夜は、ほとんど徹夜でゲームをしてしまった。

 もうちょっとだけ、次のセーブポイントまで、と思いながら、ついに夜明け前までプレイしてしまったのだ。


 うちは両親がいない。

 俺が小さいころに事故で死んだ。

 なので俺は独身の叔父に引き取られて育ったわけだが、その叔父も仕事でしょっちゅう家を空けるので、俺は事実上ひとり暮らしなのだ。だからこうしてゲームだのアニメ実況だの好き勝手な生活を送っているわけ。叔父さんにはマジで感謝だな。


「おはよッス、アニキ!」


 教室に入ると、同じクラスのオタ友である甲賀次郎こうがじろうが挨拶してきた。

 中肉中背にスポーツ刈り、それにソバカス面の男子生徒だ。彼は俺と同級生なのだが、俺のオタク知識に舌を巻いた甲賀は、俺のことを『アニキ』と呼んで、しかも妙な敬語まで使ってくる。それにしても『メガネ』だの『アニキ』だの、俺のあだ名はろくなものがないな。


「アニキ、昨日はつまんなかったッスよ。アニメ実況、前半がアニキ不在だったから……」


「ああ、悪い悪い。ちょっとヤボ用があったんだ。俺も実況したかったよ」


「今日は午前1時から『チートなスキルで無人島ハーレム!?』が始まるッスよ。あれ実況しないッスか?」


「あれかー。個人的にはあんまりそそられないタイトルなんだよな。実況する価値あるか?」


「アニキらしくもない。まずはチェックしてみて、ダメだったら切ればいいじゃないッスか。とにかく見てみましょうよ、原作はなかなか良かったッスよ」


「そうなのか。ならチェックしてみるかね。てか時間帯、俺は大丈夫だけどお前はいいの? 午前1時だぜ?」


「なーに、アニキと実況できるなら、例え火の中水の中、親の罵声もなんのそのってね!」


 オタ友は何人かいるが、その中でも甲賀はなかなかディープなところまで踏み込めるオタ友だ。

 アニメやラノベを嗜むだけでなく、実況まで付き合ったり、作品の考察までいっしょにやったり、18禁のヤバいゲームまで手を出したり、さらにはハマった作品の二次創作SSまでいっしょに書いたりしている、貴重なオタ友だ。


 オタ趣味を嗜むクラスメイトは他にも何人かいるが、俺や甲賀のところまで来るやつはあまりいない。

 どころか、「あいつら相当のキモオタだ」なんて見下してくるやつらもいる。例のサッカー部の佐藤なんかそういうやつだ。――と、うわさをすれば、


「おーおーおー、メガネに甲賀。朝からアニオタトークかよ。お前らも好きだよなあ」


 その佐藤が、ニヤけ面と共にご登場だ。


「お前らって、ほんとマニアックな趣味もってるよな。SNS《ヒウィッター》でアニメ実況なんか、なにが楽しいんだか」


「いいじゃねえかよ。オレらの自由っしょ」


 甲賀が、ムッときたように言い返す。

 俺はわすかに笑いながら、そんな甲賀の背中をポンポンと叩いてたしなめた。

 スルーしろ、スルー。そう言いたかった。


 暴力とかイジメを受けているならともかく、この程度の悪口なら、黙殺しておけばいいんだ。

 こんなやつらは相手にするだけ無駄なんだ。むしろ哀れなヤツらだぜ、素晴らしき二次元の世界を楽しめないなんてな。


「ヘヘッ、自由ねえ。世の中、もっと面白いこといっぱいあんのによ。……っと。そういえばメガネ。昨日のこと、誰にも言うんじゃねえぞ」


「昨日? ……ああ。……うん、分かってるよ」


「なんスか、アニキ。昨日、なんかあったんスか?」


 脅してくる佐藤に、キョトン顔の甲賀。

 俺は昨日の佐藤のことなど、いままですっかり忘れていたのだが、言われて初めて思い出して――




 そのときだった。




「山田くん」




 またしても。

 うわさをすれば、と言うか。




 カンナが、俺に声をかけてきた。




 微妙な表情だった。いつも教室で見ている通りの仏頂面。

 少なくとも昨日、ファミレスで見たときのようなポンコツぶりは欠片かけらも見せず、しかしその両頬はよく見るとわずかに朱色に染まっている。


「おはよう。昨日はありがとう」


 おそろしく抑揚のない、棒読みにもほどがある声。

 博多弁を隠しているためだと、すぐに分かった。


 しかしカンナ……。

 今日になっても、ちゃんと俺に話しかけてくるとは。

 ちょっと驚いたよ。昨日だけの関係で終わると思っていたのに。


「お、おう、おはよう」


 俺も、ぎこちなくあいさつを返す。

 すると彼女は「ん」と小さくうなずいた。――そして、


「それじゃ、またあとで。……ふたりになったときに」


 それだけ言うと、自分の席へとスタスタ歩いていく。

 平凡な景色。どこにでもあるような朝の会話。――しかし、だ。




 教室中が、凍てついた。




 静寂が、そりゃもう、おっそろしいまでの冷たい空気が世界におとずれた。




「おい、見たか、いまの」


「み、見た。蜂楽屋さんが、メガネに話しかけてたぞ」


「どういうこと、どういうこと!? ふたりに、って言ってたよね?」


「『ツンツン姫』があれだけ話したの、初めて見た。メガネと蜂楽屋さん、どういう関係なの?」




 ヒソヒソと、話し声が聞こえてくる。

 男子も女子も、さらにはカースト1軍のオシャレメンバーから、ちょっと冴えない級友まで、みんながみんな、俺とカンナの会話について驚愕していた。


 まあ、無理もない。

 先生でさえ、まともに声を聞いたことがないというカンナが、俺にしゃべりかけてきたのだから。し、視線が、痛い……。というか怖い。


「あ、アニキ。どういうことッスか? なんだってあの『ツンツン姫』がアニキと、お、お、おしゃべりを……?」


「あー……まあちょっと、いろいろあってな」


 博多弁のことを教えるのは、いくら甲賀といえどやめといたほうがいいよな。

 カンナはたぶん、まだみんなに素の自分を教えたくないだろうし。


「いろいろって、なんスか。ちょっとちょっと、エロいっスよ。まさかアニキがそんな、学校一の美少女と大人の階段のぼるだなんて」


「そんなんじゃねえって! 俺が大人の階段のぼるのは二次元の女と決めているのは、お前も知ってんだろ!」


 そうは言っても甲賀は、なおもショックを隠せない表情をしていたが、――それよりも、


「……ありえねえ。……なんだこれ……ありえねえ……おいメガネ……てめえ……どういう……」


 佐藤のほうは、より深刻だった。

 おそらくサッカーの全国大会決勝で負けても、こうまではなるまいと思うほど、全身を真っ赤にさせて小刻みに震えながら、ものすごい表情で俺とカンナ、両方の表情を見比べている。


 カンナは、教室中の小さな喧噪などどこ吹く風。

 無言のまま自席に着席し、教科書やノートを整理している。

 つええ。佐藤の告白を無視しようとしたり、変な方向に強いところあるよな、カンナって。


「どうしたの、みんな。今日はずいぶん静かじゃない。……朝礼始めるわよー」


 そのとき担任が入ってきたので、さすがの佐藤も自席へと戻っていったわけだが、その足取りはレッドカードを食らったみたいにフラついていた。

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