「ふわぁ~……あ~……」
翌日、大あくびをしながら俺は学校に登校した。
昨夜は、ほとんど徹夜でゲームをしてしまった。
もうちょっとだけ、次のセーブポイントまで、と思いながら、ついに夜明け前までプレイしてしまったのだ。
うちは両親がいない。
俺が小さいころに事故で死んだ。
なので俺は独身の叔父に引き取られて育ったわけだが、その叔父も仕事でしょっちゅう家を空けるので、俺は事実上ひとり暮らしなのだ。だからこうしてゲームだのアニメ実況だの好き勝手な生活を送っているわけ。叔父さんにはマジで感謝だな。
「おはよッス、アニキ!」
教室に入ると、同じクラスのオタ友である
中肉中背にスポーツ刈り、それにソバカス面の男子生徒だ。彼は俺と同級生なのだが、俺のオタク知識に舌を巻いた甲賀は、俺のことを『アニキ』と呼んで、しかも妙な敬語まで使ってくる。それにしても『メガネ』だの『アニキ』だの、俺のあだ名はろくなものがないな。
「アニキ、昨日はつまんなかったッスよ。アニメ実況、前半がアニキ不在だったから……」
「ああ、悪い悪い。ちょっとヤボ用があったんだ。俺も実況したかったよ」
「今日は午前1時から『チートなスキルで無人島ハーレム!?』が始まるッスよ。あれ実況しないッスか?」
「あれかー。個人的にはあんまりそそられないタイトルなんだよな。実況する価値あるか?」
「アニキらしくもない。まずはチェックしてみて、ダメだったら切ればいいじゃないッスか。とにかく見てみましょうよ、原作はなかなか良かったッスよ」
「そうなのか。ならチェックしてみるかね。てか時間帯、俺は大丈夫だけどお前はいいの? 午前1時だぜ?」
「なーに、アニキと実況できるなら、例え火の中水の中、親の罵声もなんのそのってね!」
オタ友は何人かいるが、その中でも甲賀はなかなかディープなところまで踏み込めるオタ友だ。
アニメやラノベを嗜むだけでなく、実況まで付き合ったり、作品の考察までいっしょにやったり、18禁のヤバいゲームまで手を出したり、さらにはハマった作品の二次創作SSまでいっしょに書いたりしている、貴重なオタ友だ。
オタ趣味を嗜むクラスメイトは他にも何人かいるが、俺や甲賀のところまで来るやつはあまりいない。
どころか、「あいつら相当のキモオタだ」なんて見下してくるやつらもいる。例のサッカー部の佐藤なんかそういうやつだ。――と、うわさをすれば、
「おーおーおー、メガネに甲賀。朝からアニオタトークかよ。お前らも好きだよなあ」
その佐藤が、ニヤけ面と共にご登場だ。
「お前らって、ほんとマニアックな趣味もってるよな。SNS《ヒウィッター》でアニメ実況なんか、なにが楽しいんだか」
「いいじゃねえかよ。オレらの自由っしょ」
甲賀が、ムッときたように言い返す。
俺はわすかに笑いながら、そんな甲賀の背中をポンポンと叩いてたしなめた。
スルーしろ、スルー。そう言いたかった。
暴力とかイジメを受けているならともかく、この程度の悪口なら、黙殺しておけばいいんだ。
こんなやつらは相手にするだけ無駄なんだ。むしろ哀れなヤツらだぜ、素晴らしき二次元の世界を楽しめないなんてな。
「ヘヘッ、自由ねえ。世の中、もっと面白いこといっぱいあんのによ。……っと。そういえばメガネ。昨日のこと、誰にも言うんじゃねえぞ」
「昨日? ……ああ。……うん、分かってるよ」
「なんスか、アニキ。昨日、なんかあったんスか?」
脅してくる佐藤に、キョトン顔の甲賀。
俺は昨日の佐藤のことなど、いままですっかり忘れていたのだが、言われて初めて思い出して――
そのときだった。
「山田くん」
またしても。
うわさをすれば、と言うか。
カンナが、俺に声をかけてきた。
微妙な表情だった。いつも教室で見ている通りの仏頂面。
少なくとも昨日、ファミレスで見たときのようなポンコツぶりは
「おはよう。昨日はありがとう」
おそろしく抑揚のない、棒読みにもほどがある声。
博多弁を隠しているためだと、すぐに分かった。
しかしカンナ……。
今日になっても、ちゃんと俺に話しかけてくるとは。
ちょっと驚いたよ。昨日だけの関係で終わると思っていたのに。
「お、おう、おはよう」
俺も、ぎこちなくあいさつを返す。
すると彼女は「ん」と小さくうなずいた。――そして、
「それじゃ、またあとで。……ふたりになったときに」
それだけ言うと、自分の席へとスタスタ歩いていく。
平凡な景色。どこにでもあるような朝の会話。――しかし、だ。
教室中が、凍てついた。
静寂が、そりゃもう、おっそろしいまでの冷たい空気が世界におとずれた。
「おい、見たか、いまの」
「み、見た。蜂楽屋さんが、メガネに話しかけてたぞ」
「どういうこと、どういうこと!? ふたりに、って言ってたよね?」
「『ツンツン姫』があれだけ話したの、初めて見た。メガネと蜂楽屋さん、どういう関係なの?」
ヒソヒソと、話し声が聞こえてくる。
男子も女子も、さらにはカースト1軍のオシャレメンバーから、ちょっと冴えない級友まで、みんながみんな、俺とカンナの会話について驚愕していた。
まあ、無理もない。
先生でさえ、まともに声を聞いたことがないというカンナが、俺にしゃべりかけてきたのだから。し、視線が、痛い……。というか怖い。
「あ、アニキ。どういうことッスか? なんだってあの『ツンツン姫』がアニキと、お、お、おしゃべりを……?」
「あー……まあちょっと、いろいろあってな」
博多弁のことを教えるのは、いくら甲賀といえどやめといたほうがいいよな。
カンナはたぶん、まだみんなに素の自分を教えたくないだろうし。
「いろいろって、なんスか。ちょっとちょっと、エロいっスよ。まさかアニキがそんな、学校一の美少女と大人の階段のぼるだなんて」
「そんなんじゃねえって! 俺が大人の階段のぼるのは二次元の女と決めているのは、お前も知ってんだろ!」
そうは言っても甲賀は、なおもショックを隠せない表情をしていたが、――それよりも、
「……ありえねえ。……なんだこれ……ありえねえ……おいメガネ……てめえ……どういう……」
佐藤のほうは、より深刻だった。
おそらくサッカーの全国大会決勝で負けても、こうまではなるまいと思うほど、全身を真っ赤にさせて小刻みに震えながら、ものすごい表情で俺とカンナ、両方の表情を見比べている。
カンナは、教室中の小さな喧噪などどこ吹く風。
無言のまま自席に着席し、教科書やノートを整理している。
つええ。佐藤の告白を無視しようとしたり、変な方向に強いところあるよな、カンナって。
「どうしたの、みんな。今日はずいぶん静かじゃない。……朝礼始めるわよー」
そのとき担任が入ってきたので、さすがの佐藤も自席へと戻っていったわけだが、その足取りはレッドカードを食らったみたいにフラついていた。