「草吹先生、遅くまでいらっしゃるんですね。いつもですか?」
「まだまだやらなければならないことが、たくさんあるからね」
草吹は振り返ってにこやかに答えた。
霞も合わせるように笑みを浮かべ、本題に入る。
「ところで先生、大学病院から出られたことは、ないのですよね?」
「ん? どういう意味かね?」
草吹が真顔になる。
「木村博士とは違う時間軸からいらっしゃった。そうでしょう? 先生」
「なんのことか、よくわからないんだが?」
「現代に起きる予定のない発明を先取りし、歴史を変えようとされてますよね? カムチャッカの人間をコントロールして『来訪者』の証拠を消そうとしたり、地学会のシステムを停止させて、悪意センサーを破壊しようとしたり。未来から来たあなたには、地震が来ることがわかっていたから」
「まったく意味がわからないんだが?」
草吹はそう答えながら頭をかく。
「では、はっきり言います。わたしたちの脳にコントローラー埋め込んでおいて、その言い方、ないんじゃないですか?」
問い詰められた草吹はしばらく沈黙し、そして、にやりと笑った。
「君、まさかあのオールドタイプの後継?」
「ただの現代人よ。あんなのと一緒にしないでくれるかしら?」
言った後で霞は、草吹が翔子のことを知らないことに気がついた。危うく口をすベらせそうになっていたことも。
「なら、私たちの戦いに水を差すんじゃない」
「どういうことかしら?」
「これは『正常進化』をかけた科学者と科学者の戦いだ。素人は引っ込んでおいてもらおう」
威圧的な草吹に、霞は内心ほっとしながら言葉を返す。
「これだけ多くの人を巻き込んでおいて、そんなことを言うの?」
「君たちが勝手に首を突っ込んでくるのが悪いのだ」
「地震も?」
「何を言ってる? まったく理解できんな。君にだって科学に携わる者としての
草吹は立ち上がると、顔を赤くしながらまくしたてた。しかし霞の悪意センサーは反応しない。
「狂ってるのかしら?」
「あの男がいなくなり、私までいなくなれば、人類滅亡のカウントダウンは再開される。それを知った上で君は来ているのか?」
「心配ないわ。あなたに頼る必要なんてないもの」
「必要あるさ、あの男か私か、どちらかしか作れないからな。未来を創造する技術は」
開き直り、自信満々に答えるマッドサイエンティストに、霞はため息が出た。
「あなたを邪魔しているの、誰だと思ってるの? 未来を変えているの、誰だと思う? たかだか12歳の電波少年よ? えらそうな口叩かないでくれるかしら?」
草吹の顔が引きつる。
「だいたい、
「き……貴様っ、言わせておけばっ!」
(うっ!)
突然、霞の脳を強烈なショックが襲った。
たまらず頭を押さえ、膝をつく。
「そこまで知っているなら、この病院は私の
言葉とともに周囲の機材に積もった塵が重力を失ったかのように浮かび上がり、宙に漂う。同時に構内の照明も一つひとつ消えていった。草吹は指一本動かさず、病院内の警報装置、ロボットの待機モードを停止させた。
通信も遮断され、霞の端末も輝きを失う。
「私はあの男に勝ったのだよ! あの偽善者に。我々の側の世界こそが正史であると証明したのだ。混沌の精神を開放したのだよ!」
手を広げ、自分に酔った口調でまくしたてながら近づいてくる草吹。
そして、膝をついた霞の髪をつかもうとした瞬間、彼女の目が見開かれた。
――ガスッ!
飛びあがりながら繰り出された右拳、霞の渾身のアッパーカットがあごを打ち抜く。
空高く吹き上がった草吹は、自分が座っていた椅子をひっくり返して転がった。
「ば、馬鹿な! なぜ精神攻撃に耐えられる!」
机に寄りかかりながら驚きの表情を見せる草吹に、霞が冷たい眼差しを注ぐ。
「あなたを仕留めるために生まれてきたから、かしらね?」
シュシュに仕込んだサイコプロテクトを脳波でコントロールしつつ、相手に悟られないように意識の安定を図りながら、霞はうそぶいた。
「ほう……」
立ち上がりながら引きつった笑みを浮かべる草吹に、霞はゆっくりと近づいた。
「生身の体でこの私に挑むとはね?」
その草吹の言葉を封じるように霞が彼の腹に瞬速の突きを入れる
……が、その拳は彼の体を突き抜け、手ごたえがなかった。
(えっ??)
一瞬体勢を崩した霞が驚いて腕を抜いたのと同時に、草吹の
「ぐはぁっ!」
隙を突かれた霞が、肺の空気をすべて吐きだす。
さらに草吹の重い横蹴りが脇腹を襲い、霞は5m吹き飛ばされた。
「くっ!」
壁際の機材に激しく叩きつけられながらも、痛みをこらえつつ立ち上がる。草吹はにやけ顔を浮かべながら近づいてきた。
霞は歯を食いしばると、床を蹴って草吹の腹に飛び蹴りを入れる。
だが、今度は足だけでなく、全身が草吹の体の中をすり抜けた。
「チッ!」
吐き捨てる霞が着地と同時にさらに跳躍し、距離を取りながら振り向くと、草吹の回し蹴りが空を切っていた。
「ククク……フフフフ……」
たじろぎながらさらに後ろに下がる霞に対し、草吹は自らの力を再確認したかのような、思わず沸き起こった笑みをこぼしながら言った。
「老いてもこの体を手にしてよかった。今、はっきりとわかった。この優越感と心地よさ、君にはわかるまい。理想の肉体の前には若さなど、価値のない
その言葉で霞は気がついた。実体のないリアルホロには物理攻撃が通用しない、ということに。
(どうする?)
考える間もなく振りかぶった拳が襲ってくる。
霞はとっさに草吹の拳に自分の右拳を合わせた。
――バキッ!
「……グッ」
拳が砕けたのは霞のほうだった。
たまらず片膝をつく。
「ヒャッハアアアッ!」
間髪を入れず飛んできた草吹の蹴り、その彼が実体化した瞬間を霞は見逃さなかった。
――バンッバンッ!
左足の
「はあっ、はあっ……(やったか?)」
銃口を向けたまま、霞は祈るように敵を見やった。
しかし、その願いもむなしく、草吹は再び起き上がってくる。目を見開き、怒りの形相を向けてくる。銃で撃ちぬいた穴はすでに修復していた。
「やるな、小娘。だが同じ手が二度通用すると思うなよ?」
(くっ! こんなやつ、どうすれば――)
そのとき、霞の脳に直接語り掛ける声があった。
『霞、始まったのねっ!』
(えっ?)
京子の声だった。