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〈28〉尾崎誠事件

 翌日、聡は沢口靖乃の情報から彼女が黒だということを特定した。


 だが、それですべてが解決したわけではなかった。


「ねえ……お母さんの悩み、聞いてくれる?」


 二人で昼食をとっていると、浮かない顔で京子が切り出してきた。


「いいよ。いつもわたしが聞いてもらってばっかりだし。どうしたの?」


「例の尾崎誠事件なんだけどね」

「うんうん」


「沢口靖乃は大学病院クリミアとつながっていたことがわかったの」


「……スパイだったってこと?」


「ありていに言えばそう。今回沢口を逮捕したのはその容疑があったから。実は殺人に関わる証拠は依然として見つかっていないの」


「別件逮捕? って、ダメじゃんそれ!」


「そうなんだけど、さらに不思議なのが、沢口の脳、重要な部分が破壊されていたらしいのよ」


「……は?」


「自分で壊したのか、他人に壊されたのかは、わからないけど、内部から損傷していたの」


「死んだってこと?」


「うん。取り調べの途中で突然、意識不明になって緊急入院したみたい。現在事情を確認してるけど外傷は一切なかったんだって」


「病気?」


 霞の言葉に京子は首を振って否定した。


「ウイルスらしきものも見つからなかったみたい」


「じゃあなんで? そんなことって、現実に起こり得るの?」


「わからない。けど担当医の話によると、こういった症状は過去に例がないって」


「取り調べ中に自殺をはかったってこと?」


「その可能性も低いみたい。というのも、それらしき症状を引き起こすようなものがなかったから。それどころか尾崎に関わる情報さえ彼女の身辺からまったく見つからなかったの。そして代わりに見つかったのは、西崎司の情報だったの」


「?? どういうこと?」


「聡さんたち解析班が出した仮説があるんだけど、落ち着いて聞いてね。尾崎に対して直接手を下したのは、おそらく大学病院側。どんな手を使ったのかはわからないけど。そしてそれに関与したのが沢口。ただ沢口は本来、尾崎ではなく、西崎くんを殺そうとしていたみたいなの。沢口の通信データから出てきた証拠資料の裏づけがあったの」


「ど、どうして西崎さんなの?」


「さあ。沢口と西崎くんには部署的に接点がなかったし、大学病院と沢口の関係も本当にわずかな手掛かりから聡さんが演算にかけて可能性を見つけだしたらしいんだけどね。で、それに関わる機密を隠すために沢口は自らの脳を破壊したんじゃないか、って」


「ってことはやっぱり自殺なんじゃないの?」


「そう思うのが筋なんだけど、それにしては不自然すぎるところが多いんだって」


「ぜんぜんわかんないんだけどー!」


「そうなのよ! というか謎だらけなの、この事件。そもそも大学病院がなぜ殺人を犯すのか? 人間なんてほとんどいない組織なのに――」


「じゃあ、病院内の容疑者を特定して当たるしかないじゃない!」


「それがね、それも難しいのよ」

「どうして?」


 霞の疑問に京子は頭を抱えて答える。


「事件が起きて、すでに半年以上たってる。おそらく相手にこちらの主要な情報はすべて筒抜け。今のカムチャッカうちは丸裸同然、『死に体』ってこと。これは私の推測だけど」


「わたしのことも?」


「可能性は、あるわね」


「……最悪」


「うちの内部でほかに誰が取り込まれてるかさえ、わかっていない。沢口を処分することで、相手がどう動いてくるのか、様子を見るしかないわ」


「署長は? 署長はなんて言ってるの?」


「『どうしたらいいかな? 京子くん』って、言ってる」


「……ダメじゃん」


「どうしたらいいかな? 霞」


「お母さんにわからないことが、わたしにわかるわけないじゃない。というか、西崎さんに連絡取らなきゃ」


「お願いできる?」


「も、もちろんよ。でも――」


「何?」


「お母さんにもお願いがあるの」


「あら、何?」


「……文面……考えて」



 ◆◇◆



 その後、勉強会のために真奈美の自宅に向かうタクシーの中でも、霞は西崎のことばかり考えていた。


「おい、なんか顔色悪くねーか? 大丈夫か?」


 見かねた良助に心配される。


「大丈夫よ(というか西崎さんから連絡来ないよ……。どうしよう……わたしがあんなこと言っちゃったからかな?)」


 あの日霞が西崎に言った言葉と重苦しい雰囲気、西崎の「死なないでください」という言葉とその時の表情が思い出された。


「なんか、無理してんじゃねーのか?」


「なんでもない。それより昨日のわたしの小論文、どうだった?」


「あ、大丈夫なんじゃね? あれだけ書けてりゃ」


「そうね、ありがとう(って、こんなことしている場合なの? わたし)」



 ◆◇◆



「それじゃ始めようか」


 真奈美の自宅の応接間に六人が集まったところで、玲が言った。


(全然そんな気分じゃないんですけど……)


 気持ちの整理がつかない霞が受け取った資料を開こうとしたそのとき、


 ――ガチャ

 応接間に博士が入ってきた。


「霞さん、ちょっといいですか?」

「わたしですか?」


「はい。ちょっとお願いしたいことがあって」


「あ、はい。ごめん、みんな、先に始めておいて(って、何かしら……)」



 博士に連れられて霞は二階の部屋に上がる。


「どうぞ、そこにおかけください」


「失礼します」


 うながされて椅子に座ると、博士が言いにくそうに切り出した。


「何から話したらよいものか――」


「と言いますと?」


「実は私、もう長くないんです」


「…………」


「出会ってすぐにこんな話をするのもなんなのですが、こればっかりはしょうがない」


「……しょうがない、ですか?」


「はい、しょうがないんです」


 少しの間、霞は言葉が出なかった。


「それで『わたしにお願い』というのは――」


「真奈美の力になってやっていただけませんか?」


 博士の言葉は真剣なものだったが、目が細いせいか、彼が何を考えているのか読み取ることは難しかった。


「えーっと……博士はまなみんには、何か伝えられていらっしゃるんですか?」


「いえ、何も」


「というか、わたしですか? 玲くんとか雅也くんとかではなくて?」


 霞が首をかしげる。


「あなたでないとダメなんです」


「と言いますと?」


「もし、私に『予知能力』があるとしたら、どうですか?」


「……博士がおっしゃられる話には説得力がある、と?」


「はい」


 なんと言えばよいのかわからず、霞は少し考えた。


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