聞かれた西崎はうつむいたまま、苦笑いを浮かべた。
「ふられたよ」
「そうだったんっすか! すいません」
「いや、最初それを聞かれるかな? って思ってたんだ。回りくどくて意外だった」
言われた良助が頭をかきながら思わず口に出した。
「西崎さん……やっぱいい人っすね」
「なんで?」
「わかんないっす」
「なんだよ、それ」
苦笑いのまま答えた西崎に対し、良助は意を決したように立ち上がる。そして、何か思いついたように言った。
「西崎さん、オレ、二代目デック、名乗っていいですか?」
「えっ?」
「オレ、あいつにあこがれてたんすよ。それに――」
道着の帯を締め直しながら続ける。
「それに、オレがデックを名乗れば、オレの前にあいつの仇が現れるかもしれない」
座ったままの西崎に良助が鋭い目を合わせた。
「危険だぞ?」
目線を落とした西崎に、良助がにやりと笑って答える。
「今の、上っ面だけ幸せな世界に生きるほうが、よっぽど危険な気がしますけどね」
その言葉の意味に、はっとする。そしてまた苦笑い。
「君ら姉弟、本当に意志が強いんだな」
「ええ。オレら、曲がりませんから」
そう言ってから良助は、立ち上がろうとする西崎に手を差し伸べた。
◆◇◆
道場からの帰り道、良助は歩きながら、これまでの霞との日々を思い返していた。
入院していた自分を見舞う霞、リハビリと同時に勉強を教えてくれた霞、道場で自分をかばう霞――
(そういうことだったのか……)
目覚めた日からの記憶を頭の中で一つひとつ組み合わせながら、良助は霞に対する気持ちをどう処理すれば良いのか、わからなくなっていた。先日の霞の涙を思い出しながら、一人首を振った。
(やっぱ情けねーやつだぜ、オレ)
◆◇◆
夕方、良助の部屋を霞が訪ねてきた。
「良助、いる?」
「ああ」
霞が部屋に入ると、良助は上半身裸で椅子に座ったまま背を向けている。
回り込んでみると、腕や胸にあざが浮かんでいた。
「どうしたの? その傷」
「西崎さんに稽古つけてもらったんだ」
「えっ?」
「勝っちまった」
「え…………ええ?」
にっと笑う良助と驚く霞。
「オレ、かすみんが嫁に行くまで一緒にいてやるから。そう決めたから――」
そっぽを向きながら言った良助に、霞は表情を和らげる。
「……ばかね」
「え、何?」
「こんなコワモテが一緒にいたら、男が寄ってこなくなるってことよ」
「ひでーなおい!」
良助の反応に笑いながら、霞は彼の胸の傷口に手をやった。
――ぺたぺたぺた
「うわっ! ちょっ、やめれ、傷治んなくなるから、っておい!」
◆◇◆
自宅に戻った霞は、テーブルでお茶を飲みながら京子にたずねた。
「お母さん、なんで
「そうね、凄い人がたくさんいたから、かな?」
「それだけ?」
「そうよ。あこがれるじゃない。聡さんとか篠原さん……って今の良助くんのご両親のほうだけど、すごいのよ、ああ見えて」
「そうなの?」
「うん」
「じゃあさ、辞めようと思ったことは?」
「あるわ。何度も」
「なんで辞めないの?」
「なんていうか、うちって、ほぼボランティアでしょ? だから辞めるのは勝手なんだけど、なぜかなかなか辞められないのよね。実際まわりは嫌な奴ばっかりなんだけどね。嘘つき連中と心の底ではつながってるっていうか――」
「変なの」
「うちみたいな組織って、正義感とか使命感とかが薄い人のほうが逆に合ってるのかな? って時々思うのよ」
「それ、署長のような?」
「いや、あれは論外」
「ははは」
「あんたはなんで辞めないの?」
「辞めたら、目標、失っちゃうから。自分の存在意義がほかに見つからないもの」
答えて霞もお茶をすする。
「そっか、そっちのほうが正しいかもね」
「何が?」
「うちを辞める人が少ない理由。今の時代、なんのために自分が生きているのかなんて、わからないじゃない? 存在意義を感じられることって確かに大事だなって。実際私も聡さんも、霞ちゃんには感謝してるもの」
「…………」
「だから私たちに迷惑かけてる、なんて思わないで。あんたも親になればわかるわ」
「はい」
◆◇◆
同日深夜、カムチャッカ本部の署長室。
呼び出した京子をソファに座らせると、署長が自分の席からたずねた。
「尾崎誠の事件、君はどう見る?」
「組織内部の者の犯行の可能性が高いと踏んでいます。これだけ解決の糸口が見つからない事件、というのは常識的に考えて、ありえません」
「……では、どうする?」
「私の方でうちに所属する全員の可能性を演算にかけてみます」
「それで該当者が見つからない場合は?」
「それこそ『来訪者案件』ですね」
「…………」
「だけど、霞ちゃんには絶対にこの情報を入れないでください。それと、最終的な処理はお願いできませんか?」
「わかった」
「では、失礼します」