霞は自分の部屋のベッドに横になって、今日の良助とのやりとりを反省していた。思い返すたび、(ヤッテシマッタ……)と後悔せざるを得ない。だけど、ほかに言いようがなかったのも事実だし……。
「ごはんよー」
ドアの外から京子の声が聞こえた。
霞は返事をせず、ベッドから起き上がる。
「どうしたの? 元気ないわね」
鋭い京子が心配そうに言った。
「実は――」
霞は、今日良助と話したことをそのまま伝えた。
「ふははっ」
「ちょっと、笑わないでよ! お父さん」
「ごめんごめん、でもなんか、青春って感じだな」
「いや、良助が何考えているのかわからなくて、困ってるのよ、本当に」
「それなら心配いらないよ。良助くんぐらいの年頃の男の子は、考えがころころ変わるものだから」
「そうなのかな?」
「良助くんに『あなたのためにやるのよ!』みたいな言い方はしてないんだろ?」
「それはしてない。わたしだってそういう言い方されたら嫌だもん」
「なら大丈夫だ。それに――」
「それに?」
「……それに、うちには京子がいるからな」
「え? 何よそれ?」
キムチチャーハンを食べながら聞いていた京子が思わず顔を上げる。
「いや、なんていうか、男の転がし方はやっぱり、魔性の女に聞いたほうがいいかな、って思ってさ」
「な……何よその言い方!」
「あれ、相談に乗ってやらないの?」
「乗るけど、いかにも私がたらしこんだみたいな言い方をしなくても――」
「そういえばお父さんとお母さん、どうやって知り合って結婚したの?」
唐突に霞が聞いた。
「ある日突然、聡さんに猛烈にアタックされたのよ。若い時に」
京子が即答した。
「あれ? そうだったっけ?」
「そう。だからしょうがなかったの」
聡の言葉を圧殺した京子はにこにこしている。
「本当?」
霞が聡に疑いの目を向けた。
「まあ霞も、うちがどういった組織かってことはわかってるしな」
「何よ、私が嘘ついてるとでも?」
「いやー、そこまでは言ってないさ」
「ならどーいうことよ!」
京子が口をとがらせたが、聡はにやにやしながら言う。
「ま、これだけ婚姻率が低いこの社会で、我々は結ばれているわけだから、どういうことかは明白ってことさ」
「ちょっ、何よそれ!」
めずらしく怒る京子に霞は思わず笑ってしまった。
「いや、それだけ君が魅力的だった、ってことさ。ごちそうさまー」
そう言って聡が自分の部屋に逃げ帰る。
「ちょっと! 過去形?」
その言葉の前で聡の部屋のドアが閉まった。
「まったく……」
そう言いながらキムチの色に染まったチャーハンを頬張る京子。辛い物が苦手な霞は、そんな京子の態度を遠目に見ながらつぶやく。
「でも仲いいよね、二人とも」
「……そうね」
霞に言われ、京子はすぐにいつもの笑顔を取り戻した。
「わたしも将来、京子さんみたいになれるのかな?」
「何言ってるの。あんたすでに十分魔性の女よ。私なんか足元にも及ばないくらい」
「なんで?」
「霞、あんた周りからどう見られてるのか、わかってないの? あんたなら狙った獲物は確実に仕留められるわよ。いつもの任務みたいに、ね」
「いやいや、そんな簡単にはいきませんよ」
その言葉に京子は思わず噴き出した。
「この子ったら、任務のほうが簡単だなんて」
「え、だって、任務だと思っていれば、冷静でいられるじゃない?」
「へー、そういう割り切り方なんだ。でも恋愛だってそうよ」
「そうなの?」
「うん。熱くなったら負け」
「じゃあ、お母さん、お父さんには熱くならなかったの?」
「さっき言った通り。
京子はにこにこしながら答えた。
「……お母さん」
「何?」
「霞は今日、魔性の女の怖さを知りました」
「おほほほほ」
◆◇◆
翌日、考えがまとまらないまま、霞は良助の部屋の前まで来た。
結局のところ、嘘をついてもしょうがない、と思ったのだ。
「良助、今いいかな?」
「いいぜ」
霞がドアを開けると、良助は勉強していた。
「かすみん、ちょっと相談なんだけど」
「えっ、なに?」
良助のほうから切り出されるとは思わず、ドキッとした。
「オレやっぱ地学とか性に合わねーと思うんだよ。でな、ほかの選択科目調べてみたら、化学やりたくなってさ。ほら、実験とかいっぱいあるじゃん」
「は?」
「だからオレ、将来化学の研究者になろうかな、って思って」
「へ?」
「だから、テスト受けるよ。だけど、地理地学はオレ選ばないから、そこは一緒にはできないと思う。それでもいいか?」
霞はあっけにとられた。
「…………良助」
「な、なんだ? それじゃダメだったか?」
うろたえる良助に、霞はうつむきながら微笑んだ。
「あなた、やっぱ凄いわ」